はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
ね!!!!!
後悔ってのは、した事があるか?
例えば二者択一の選択。
食べ物を選ぶ瞬間があったとして、さぁ口に運ぼうと意気込んだ時。
やっぱりあっちの方が良かったかも。
例えば過ぎ去った時間。
あぁ、あの時こっちを選んでおけば。
どうしてあの道を選ばなかったのか。
絶対に後悔しない、そんな事を言う奴が居たら?
俺は信用できない。
その後悔と名前の付けられた何かの温度はきっと極端で、火傷する程の熱を纏っているか。壊死するように凍りつくかだ。
俺は、後悔なんて何度もしている。
その一つは…。
中学校の頃の夏。
地面から這い出た蝉が生を謳歌する為に大合唱を始めている。あと少し都会ならもう少しボリュームが小さいのではないかと夢想が膨らむ。
現在地は田舎。自分以外には人が居なくなってしまったと思わせる、申し訳程度に舗装されたあぜ道を歩いていく。
目的地はとある住居。田舎では珍しくもない無人駅の改札を出て、誰も面倒を見ていない赤錆の目立つ看板を一瞥して歩いていた。
腐食が名前にまで進んでいる看板には。
【き ら 駅】
そう書かれていた。
本当の駅名はなんだったのか一目でわからなくなっても、誰も見向きもしないのだろうか。親戚をたらい回しにされている自分と、寂しげな看板がどこか重なって見えた。
それにしても暑い。コンクリートの反射熱が無いとはいえ、日陰そのものがどこにも無いから、頭を弱火でずっと炙られているのと同じだ。
一歩進むごとに噴き出す汗さえ拭わずに、たしか後数分で到着なのだから、とにかく歩いて行こう。
「こんにちはー!」
開口一番は元気よく。挨拶っていうのは大事だ、誰にしても、されても、早々嫌がられることはない。
「…こんにちはー!!」
留守だろうか?
無視…は、無いか。結構な年齢と聞かされている、耳が遠くて聞こえていないか、それとも移動に時間が必要なのだろう。
あまり急かしても良くない。数分おき程度で根気よく挨拶を繰り返そう、声が枯れる前には気づいてくれると信じて。
「こんにっ…」
「あぁすまんこって…こう歳取るとどうにもなぁ」
焼け付く空気と喉を格闘させながら耐え忍ぶことほんの数回目、からりと開く引き戸の音。同時に顔を出したのは、まさしく老境と言うに相応しいおじいさん。
「お〜…君が…」
「はい! 今日からお世話になります!」
「悪いねぇ、足腰は平気なんだが。耳がちと遠くて」
「大丈夫です、元気だけが取り柄ですから!」
屋内に居ては中々聞こえなかったようだ。
自己申告の通り、耳の遠さ以外なら足を悪そうにもしていない。実に真っ直ぐな立ち姿。ただ柔らかく赤茶けた、年輪を刻まれた肌。そして灰色っぽい年季を重ねた頭髪が、この人を老人であると感じさせた。
「ほんじゃあ部屋を案内するから、荷物を…荷物は…そんだけかい?」
「私物があんまり無くて…」
「あぁ、あぁ。ええんよ、男は裸一貫だって、腹ァ座ってりゃそれでな」
「はぁ…」
今になってもよくわからない精神論。俺が現代っ子だからだったのか、答えはわからないままだ。
「ばぁさーん! ばあさん!!」
「あなた程耳遠く無いんだから聞こえてますよっ…あら」
「あっ、はじめまして! 今日からお世話になる…」
「話は聞いてるわよぉ、何もない田舎だし、外は暑かったでしょう。ごめんなさいねぇちょっとお花摘みに行ってて…あっ部屋の用意は出来てるから、荷物を降ろしてらっしゃい。飲み物は麦茶でいーい?」
「わ、わかりました。大丈夫です…?」
矢継ぎ早の言葉、有り体に言えばマシンガントーク。内容を飲み下す間もなく返事をしてしまった。
おじいさんと同じく見た目がご年配なのは変わりないが、話し好きの気配を隠そうともしない。
長寿の秘訣は話すことと顔に描いてあるおばあさんだ。遠慮が無いのはこちらとしても助かるから、早く馴染んでいこう。
「はい、どうぞっジュースなんて洒落たものは無いけど。麦茶なら沢山あるからね、遠慮しちゃダメよ」
小さな音を立てて差し出されたコップは、俺に負けじと汗をかいて、夏の炎天下の中で一際輝いて見えた。
飲み込む、褐色の液体が、こんなにも涼しい。
「はっ…あっ、すみません。がっつくみたいで…」
言わずもがな、勢い良く飲み干してしまった。
呆れられてはいないだろうか、麦茶一つに変な子供だと思われただろうか。しかしこの暑さの中では、何よりも魅力的に思えたのだ。
「いいのよぉ、暑かったものね」
「んだな。倒れちまった方がコトだ、麦茶くらいでよければ幾らでも飲んでくれ」
「すみません…」
顔が熱いのは気温のせいではなかった。二人が見せた優しい目に、どうにも気後れしてしまってのことだ。
謝罪の言葉は誰に宛てたものでもない、ここまで生きてきた俺の習性。悲しくはならないが、悲しく思えるほど情けない気はする。
「そんなに軽々しく謝っちゃなんねぇよ、いいか。何度も口にすっと言葉も軽くなんだ」
「ちゃんと謝るのは大事だけれど、クセになってちゃダメよ。これからは家族みたいに思ってほしいんだから、あんまり他人行儀なのもよしてね? でも、おじいさんはもう少しばかり、普段から私に感謝の言葉とかくれてもいいのよ」
「あぁ…ばあさんはやかましくてかなわん、セミの方が静かなんじゃないかね」
言葉の重み、だろうか。確かにそうだ。
「ふふ…」
「あら」
「うん、しかめっ面よりずっといいぞ」
「あっ! す、すみません」
二人の掛け合いで、つい笑ってしまった。失礼なのは間違いないと思って、またも謝罪が口を突いて出る。
「ま、おいおいな。ゆっくり行こう」
「そうよねぇ、ふふふ」
「すみません…」
何だかさっきから謝ってばかりだ、人に優しくされるのに慣れておらず。喉から溢れるのはこんなものばかり。
きっと善良なこの二人に、自然とありがとうが言える日はいつになるのやら。
それから。二人の家にご厄介になってから、数週間が経った。
田舎には何もないと言うが、退屈なんてどこへやら。
夏の清流は案外冷たくて、樹海と呼ぶに相応しい木々と蝉の羽が擦れ合う演奏会を聞いていれば。海よりも心地良い場所だった。
水着なんて持ってきていれば、いっそ泳いでいたかもしれない。
山に出向いてアブに刺された激痛も、思い出といえば思い出だろう。虫除けスプレーは大事なのだという、自然からの教訓が皮膚に残った。
変な奴とも出会ったけれど。結局のところ、暇を感じる暇もない。
そんな時間。
ここに来た日は夏休みの初め、意識を向ければあっという間に長い休みも半ばとなっていた。
時の速さは、楽しめていれば早いものと実感する。
「ぼん、昼飯だぞー!」
「はーい!」
俺はこの人たち、もう他人行儀なおじいさんとおばあさんではなく、清一郎さんとトメさんに。
二人には、坊主。坊っちゃん。これを略して『ぼん』『ぼんちゃん』と呼ばれていた。
周りに歳の近い男子も多くは居ないから羞恥心も湧かない。何より、だから、なのだろうか。なんだか暑苦しく感じる自分の名前より、ずっといいと思った。
「ぼんちゃん、おかわりは要る?」
「すみ…だ、大丈夫です」
「若いうちから遠慮しなさんな。学生なんざよく食って遊んで、そんでよく寝て勉強するのが仕事だ」
「元気が一番ってことよ、ねっ」
「そう、ですか?」
口癖は少し改善してきたと思う。
食事については、実は遠慮をしている訳ではない。下手におかわりなんて言うと、考えていた数倍の量が追加される。トメさんは若者の胃袋が無尽蔵だと思っているに違いない。
「昨日スイカ貰ってきたでな、切ったのを冷やしてある。食後に出すから、それを食べ終わったら縁側でゆっくりしといてくれ」
「あ、ありがとうございますっ!」
小山程度のひやむぎでも、食後のスイカと合わされば思った以上に膨れるもので。でも甘いものは別腹と言うから、ありがたくいただこう。
──ちりん、ちりん。
風鈴、実物は初めて目にした物。音色を聞くのも初めてだ。風流っていうのはこういうモノなのかもしれない、と。体温が下がりそうな、仄赤い、朱色のガラスの擦れ合いを聞いて思う。
「……」
日陰になっている縁側は風をよく通している。エアコン要らずとは言わないが、熱気も何とか耐えられる。
エアコンは夜に寝る前、部屋を冷やしてぐっすり眠る為に使うのがこの家でのルール。夜はそこまで暑くならないからちょうどいい。
「ふぁ…」
満腹感と心地良さが眠気を連れてきた。
そういえば、本当にしょうもない噂話をどこかで耳にしたことを思い出した。ぐっすり、という言葉で想起されたのだ。
たしか、英語のグッドスリープと日本語のぐっすりは発音が似ているから、日本にはるか昔に流入した英語が変化したものとか。そんないわゆる与太話、ただの噂について。
「くぁ……くっ…」
いけない。根も葉もない話を考えていたら余計に眠くなってきた。
それとも朝早くに手伝わせて貰っている、軽い農作業の疲労が今になってそうさせてくるのか。
食後に眠ると牛になる、なんて。清一郎さんに叱られてしまう。欠伸を噛み殺してどうにか耐えよう。
──ちりん。
穏やかな日だ。数週間前の、ここに来る前に抱えていどこか鬱屈とした気分も、遠い昔の事にさえ思えてしまう。
庭の生け垣の緑も鮮やか、背丈は俺の身長よりはある。追い抜く日は来るのだろうか。
ふと、黒が、視界を掠める。
───ぽ。
─ちり。
──ぽ、ぽ。
──ちり、ちりん。
いつからそこに在ったのか。
夏空を飾る雲を持ってきたような帽子を添えて。
生け垣の上、黒い何かが、風鈴と歌っている。
──ぽ、ぽぽ。
──ちりり。
影が揺れる。
散りばめられている。
あぁ、あれは髪の毛なのか。
───ぽ。
風鈴よりも鮮やかな、赤と。
目が、遭った。
「ぼん、ほれスイカだぞ」
「っ!?」
清一郎さんが器にスイカを用意して、後ろに立っていた。いつの間にだろう、気付かなかった。
生け垣を見返しても、何も、姿も声もありはしない。
今思えば、あの瞳はスイカと風鈴よりも、血に似ていた。ほんの僅かな邂逅を鮮明に覚えているのは、あまりにも綺麗で魅入られたのかもしれない。
──ちりん。
それに気付くのは、音も遠くなる程ずっと後で…。
御意見・御感想・御評価、質問疑問、誤字脱字等々ありましたら賜りたく存じます。
や、優しくしてね…!