はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
それから、というか、風ではない何かの音が聞こえている事実が露呈してからのこと。
「ぼん、今からは家に出ねぇでじっとしてろ。夜は何があっても部屋から出るんじゃないぞ」
「それは…どういう…?」
「いいから、何でも、だ。おれぁ今から寺やら役場に行ってくる。いいなばあさん、絶対にぼんを外に出しちゃなんねぇぞ」
「はい。えぇ、えぇ。ぼんちゃん、ちょっと我慢していてね、大丈夫…大丈夫だからね…!」
何が何だかわからない。
自分を混乱ごと置き去りにして、清一郎さんはとにかく急いで外に出てしまった。トメさんは俺の両手を包み込むように握って、大丈夫とか、心配しないでだとかを繰り返すばかり。
ただただ、何も知らない自分だけが周りから浮いているかのようで。行く先を自分で決められず、周囲の大人が暗い顔をしているこの手の居心地の悪さは、これで何度目だろうとぼんやり考えていた。
これまでも、そうだった。
ある日、父親が死んだ。
母は弱い人だった。
「なんで…あの人が…」
理由を虚空に訊ねても、納得し得る弁論は帰ってこない。
か細い声、母親の声。
発した慰めの言葉は心音にかき消されている。それとも止めどない雨音のせいだろうか。
「どうして…?」
母は、弱い人だった。
それは肉体的にも、精神的にも。
大恋愛の末結ばれた、そんな惚気話を子供ながら何度も聞かされていた。蝶よ花よと育てられた母は、無鉄砲な父と明日もしれぬ駆け落ちをしたのだそうだ。
冷たい骨壷を抱える腕は細く、枯れかけた花を見ているようだった。
「………」
母は、そのまま枯れ落ちて逝った。
病院に行くこともなく、頼れる誰かは故郷に置いて。
正確な死因は聞いていない。栄養失調からくる何かだったのだろう。父が死んでからを思い出してみても、食事を口に運んでは吐き戻していた。
静かに、体も心も弱っていって、そのまま。
葬儀もまともに執り行えていない。俺は中学生で、どこに連絡をすればいいのかすら知らなかった。
親戚付き合いだってない。というか、両親ともに駆け落ちして誰も知らない、見知らぬ土地で生活していたのだからそれも当然だろう。
そして未成年への処遇として、まずは血縁者をあたって身寄りを確保する事になった。それが無理なら孤児院、児童養護施設へ行くというだけの話。
──ばさり。
紙が舞う音。
「なんで私が!!」
普段は子供を大事にするべきなんて道徳的な物を口にする人たちも、厄介事が突然来て、いざ当事者になれば、第一声はこんなものだ。これは親戚の一人。
「あいつが勝手に出ていったんだ、こちらは何も関与していない。そもそも本当に孫かも怪しい、どこへなりと行ってしまえ」
これは初めて会った祖父の言葉、俺を暖かく迎えてくれるとは元より考えていなかった。
人が生きていくには、必ず何かを消費する。
金銭、食料、空気、そして精神。
見覚えのない子供を受け入れてくれる人はそういない。それこそ、予期せぬ交通事故みたく降り掛かる厄介事。そういえば父親も交通事故で死んだ、宙ぶらりんになった今、過ぎた事を思い出していた。
仕方のない事だとわかってはいた。実の子ならいざしらず、赤の他人みたいな者にまで手を差し伸べる人は…。
「引き取ってくれる方が見つかりましたよ」
「え…?」
まさか、と思った。
役所関係の職員さんが続ける。
「少々遠い場所にお住まいですが、君を預からせて欲しいとのことです。続柄……君との関係は大叔父と大叔母にあたります」
大叔父に大叔母、そんな人たちが居たことも知らなかった。役所の人に言われたのは、そんな情報。
そして気付けば一抹の喜びさえなく、ただ流されるように、ここに漂着した。
───ぼ。
これは、風の音ではないらしい。
あそこまで血相を変えた清一郎さんを見たのは初めてのことで、トメさんが泣きそうな顔をしていたのを見るのも初めてだった。
急いでどこかへ行ってきて、戻ってきた清一郎さんに告げられた事。
「いいか、ぼん……」
いわく、明日の朝まで部屋に籠もるように。
何があっても部屋から出てはいけない、こちらから声を掛けることも、呼ぶこともない。だから決して、朝まで部屋から出ずにじっとしていること。
そう言って、部屋の四隅に盛り塩と仏像を置き。俺に何が描いてあるのかもわからない御札を持たせて部屋を閉め切った。
幸運なことに、こういった事を対処出来る人たちが近くに来ているらしい。だが今は別件が舞い込んでしまい、それを片付けている為ここに来るのは明日の早朝になりそうだとか。
「明日までの辛抱だからね、大丈夫よ…」
暖かな塩むすびと激励の言葉、まるでトメさんと清一郎さんみたいに心強かった。
───ぼ。ぼ。
部屋に掛けられている時計を見た。
アナログ時計の文字盤は日を跨いで翌日になっていたことを示していた。正確に言うと、午前二時を過ぎている。
塩むすびを食べてから意識を手放していたのだろう、どうせなら朝になっていてほしかったが、そうもいかないようだ。
──こつん、こつん。
何かが窓をなぞるように柔らかく叩く音。
いつの間にか自分の呼吸は浅く、持たされていた御札を手汗も構わず強く握りしめていたことにやっと気付いた。
朝が、明日が待ち遠しいと実感したのはこれが初めてだ。肩が上がる、冷房で冷ました部屋なのに汗が滲んでくる。
怖い。
───とん、とん、とん。
部屋のドアを叩く音がする。
『おうい、ぼん。もう大丈夫だ、部屋ぁ片してちっと降りて来とくれ』
違う。清一郎さんは朝まで待てと言っていた。声を掛けることも呼ぶこともないから、部屋から出るなと。
親しげに呼び掛けてくる、何かを無視する。
「…はっ…はっ…は…」
呼吸が短くなっている。
恐い。
──がた、がた。
外を揺らすコレは何なのか、何故俺なのか。俺じゃなければならなかったのか。
両親を失うのも、どうして俺だったのか。
なんで、俺だけ、こんな目に遭うのか。
思考が暗くなる。小さく座り込んでいる地面が不確かな物に感じる。虫の音も風の音も、部屋が軋む音も何か不気味な足音に変貌して届く。
違う、この清一郎さんの家に来てから。世の中には優しい人もいるんだとわかった。
新しく出来た、なんとも口が悪いながら俺を心配してきた友人もそう、決して皆こちらに無関心な人ばかりではないのだと。
大丈夫だ。トメさんだって、そう言っていた。
───。
音が途切れた。
だが、まだ朝ではない。
明日が待ち遠しいなんて、ここに来てから初めて思った。
朝が来たら。また青い匂いを嗅ぎながら清一郎さんの農作業を手伝って。トメさんの用意してくれた胸もいっぱいになるような、ちょっと多いご飯を食べて。
また野山や川に繰り出して、どこで会うかもわからない友人と話したり散策しながら、夕暮れまで、遠くまで続く緑を楽しみたい。
朝までがどれだけ離れていても、清一郎さんたちは大丈夫だと言ってくれた。友人とは軽いながらも、また、と再会を願った。
だから、きっと、大丈夫。
───みし。
扉が軋む。
──ぼ。ぼ、ぼ。
隙間が空いた、この目で最後に見たのは。
───ぼぼぼ、ぼ、ぼ。
夕陽より紅い瞳と、黒く変色した塩と御札。
─ぼ。
あぁ、清一郎さんとトメさんと、もう一度何でもないような話をする、そんな団欒がしたかった。
朝日、いいや、あの友人と名前を同じくする天体、太陽を見たかった。話も、したかった。
生け垣から見た綺麗な女の人も、もう一度会えたら。
ただ暗いどこかの中、そんなことを考えていた。
「…ぼん!? 灯里、あか…り…!」
自分の名前は、好きじゃなかった。あいつ、太陽と同じで、何だか暑苦しく思えて。
耳を澄ませたことはあるだろうか。
聞こえたそれは、本当に音がしているのか考えたことは?
あの何かが移動しない為の仏像はもうない。
それは本当に虫の声か。
戸を叩くのは本当に雨音か。
ふとした時、何かの気配は感じないか。
ある夏の日と、君の音が混ざったとして。
あなたの、うしろは。
御意見・御感想・御評価、質問疑問、誤字脱字等々ありましたら賜りたく存じます。
や、優しくしてね…!