はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
痛恨のミス…!
失態…!
空気が凍った、というのはよくある表現の一つ。
しかし今まさに空気は木枯らしの前触れにより乾燥し、音を立ててパキリと凍結したのは間違いない。
衆人によるお祭り騒ぎすら遠退いて、問い掛けた何者かの息遣いさえも鮮明だ。
「私…は…」
コイツは誰なのか。
姿形が似ている転校生ではない。
ご丁寧にも制服まで用意して、何故か俺の名前を知っている。いや、正確には俺の容姿と名前を認識している。そのくせ、レイリーが俺を何と呼ぶのかは知らないらしい。
更に言うと、だ。
レイリーは今、クラスの出し物で割り振られた仕事をしているはず。ここに居るとしたら何らかの、余程の事情がない限りありえない。
先にタスクをこなしてから、両親や野上とゆっくり文化祭を周りたいなんて言っていたからな。その為に陸上部で鈴カステラを販売している野上に、休憩時間まで合わせている念の入れようだ。麗しい友情だぜ!
「…ッ!」
「あっ、てめぇ!」
はっと何かに気付いた様子で息を呑んだそっくりさんは、なりふり構わず何処かへ駆け出して人混みに紛れ込んで行った。
待てとか止まれと言っても聞かないだろう、待てと言われて待つヤツは生まれてこの方見たことがない。
「今のは、知り合い…ではなさそうですね」
「…そうっすね」
背後に居たフォンセルランドさんから再確認されるまでもない、誰かに似た誰か、日本じゃ日常茶飯事だ。
それにしてもどうするか。最悪の場合ってのに備えてレイリーに注意するように言うべきか、それとも今の何者かを追いかけて問い詰めたりするべきか。
「うーん…」
「あっ太陽くん、鈴カステラですよ鈴カステラ。ちょうど焼き上がりの出来たてみたいです、行きましょう」
「えぇー、シリアスぶち壊しじゃーん? っていうか、おやっさん達は追わなくていいんです?」
「何がシリアスですか、どっちもお尻の話でしょう。尻とアスで…」
「急にケツの話するわけないでしょ!? 空気感の話ですよ! 真面目な話ィ!」
やめてくれよ、真剣な顔してた俺がバカみたいじゃん。…さてはバカにしてるな?
「私は何時でも真面目ですが…あの二人も放っておきましょう、どうせ痴話喧嘩ですよ。しかも、所長に誰かが密着した瞬間を見たとかその程度の」
「あぁ…まぁ、そっすね…」
我らが事務所の所長代理ことタマさんは、結構…どころじゃなくて、かなり嫉妬深い。
猫なのに、犬よりジェラシー撒き散らすタイプだよ。おやっさんが普段は人前に出られないのも、実はラッキーだと思ってる、とか公言してたからな。とんだメンヘラキャットだぜ、人の心とか道徳は持ってないのか? 猫だから無さそうだな、道徳。人の心は猫に期待するなよ、猫だぞ。
「ところで尻といえば、昔存在した携帯端末には尻と話しかければ答えが返ってきたそうですね。いつの間に人類はお尻と会話が出来るようになっていたんでしょうか、メリーさん気になっちゃいます」
…どうやら人形にも道徳は期待できなさそうだな?
「端末のAIの話な? 尻に向かって話しかけるようなのは変質者か、頭の位置が股間にあるタイプの人類しかいねぇでしょ…いやそもそも居ねぇよ頭が股間にある人類、新手のB級ホラーじゃねぇんだから」
「頭が下半身に支配されている人類は居るそうですが…」
「ソレ、たとえ話ね? わかる??」
「えー…メリーさんわかんなぁい」
「置いてってやろうかポンコツ人形ゥ!」
傍から見たらめっちゃ馬鹿みたいな話してない?
事務所じゃいつもこんなんだけれど、お外でやったらドン引きされてそうだな。ご、誤解です!!
「まぁ、それはさておき。鈴カステラが私達を待っていますよ、早く行きましょう。あっ!この行きましょうというのは決してカタカナの方で急かしている訳ではありせんし、決して太陽くんが早ろ…」
「人前だぞ!? そんなイカレた勘違い誰もしねぇよ! しかも事実無根極まりねぇレッテル貼るなや!」
やめてよね。公衆の面前で変な事言われたら、俺が学校に来れなくなるじゃねぇか。まさかそれが狙いか?
「落ち着きなさい。何にせよ現時点で私達が出来ることは特に何もありません、推定無罪の原則です。それに、何か事が起きたとしても問題ないでしょう」
「コイツ…自分から話振ったクセに…! …んー…それもそうっすね」
これは俺らがいるからといううぬぼれではなく。例えば現在キャッキャウフフしているおやっさん達がどうにかしたり、場合によっては颯を含めた生徒会連中、学校側の被害を気にしなければ、立神とかも些細なトラブル程度ならどうにかできるからだ。
天変地異は無理でも、変質者程度ならいつもの事。学校が爆発したりもいつもの事ってワケ。
意外と人間ってのは強いってことだな!
「まぁ〜あ〜? 太陽くんとしては、愛しのこころさんじゃなくて残念かもしれませんけどぉ〜?」
めっちゃ厭味ったらしい物言いするじゃん…。
というか、もしかして内心ではひっそりとそんな事をずっと気にしていたんだろうか。頭良いのにバカだなぁ、この人。
「俺は十二分に楽しいっすよ、フォンセルランドさんと二人ってのも。事務所でやってる普段の馬鹿話もいいですけどね、こういうのはまた別ってもんでしょ」
「………!」
「い、痛っ、何しやがんだ!? 暴力反対!」
「行きますよ、鈴カステラ屋さん。目指せ文化祭全店制覇です」
「…うす」
ふんふんと少し荒く鼻息を鳴らして息巻くフォンセルランドさん。
そうそう、こんなんで良いのさ。こころさんと回れないのはちょっと残念だけれど、それは今背負っている人を蔑ろにしていい理由にはならないだろ?
「…生意気に、大きくなって…」
「もう高二っすからね、目指せ身長百八十っすよ」
「そこは聞こえないフリしていいんですよ、バカ」
「なんだとぉ…!」
「速く行きなさい太陽のおバカ号」
「いくら何でも唐突に失礼過ぎない? 俺、馬じゃねぇし…あっ馬と馬鹿でダブルミーニングってヤツ? それにしても無礼千万だろ、いっそここまで来たら無礼億千万じゃん」
「太陽のおバカ!」
「ただの罵倒じゃねぇか!」
───☆
パーティ、フェスタ、名前は色々あるが、それぞれの共通点。人が集まること。
初めて実行役として任に就いた、今日この日。
「あっ、てめぇ!」
走り出した。
詰めが甘かった。
在校生の顔で潜入すれば大丈夫だと聞かされていた。
私の数少ない友人から任された仕事、それを達成するのは困難になっていた。
走る。
目的地までは遠く、時間までは長い。
こうなっては時間の潰しようがなく、人の群れに紛れるのも難しくなる。
被せてもらっていた記憶に罅が入る。
顔、姿形と服装に問題は無い。
いずれも完璧なはずだった。
他者への呼称すらも事前情報の通りで、どこからどう見ても私は私のはず。
綻びがあった?
私の友人に間違いはない。この転校生は親しい人をそう簡単には作れず、名字で呼ぶのが精一杯。交友関係としては、陸上部に所属している野上という女子に対してのみあだ名で呼ぶ程度のはずだ。
男子生徒に対しては積極的に喋りはしない、少ない付き合いがある生徒と範囲を広げれば、あの當真 太陽と生徒会に所属している男子生徒の淋代 颯の二名に限定される。誰かとの付き合いで非行に走るでもない、普通の、なんの変哲もない高校生の一人。
家族関係に不明瞭な点は多いが、両親共働きの一人っ子。他に目立つ項目はない。強いて言うならば容姿はそこそこ目立つか。肌と髪色が白く、瞳の虹彩が青色で花が咲いたような不可思議な形をしている程度だ。
では何が間違っているのか。
わからない。
無我夢中で駆け出し、酸素の回りきらない頭で考えをまとめるのは至難だ。
「ふっ…ふっ…はっ…はぁ…」
ようやく後ろを振り向く。
ここは校舎裏、人の気配はない。
決して走るのが速い訳ではないので、これは見逃されたのか。それとも他人の空似と思って…いや、それは楽観的過ぎるか。
「…は…ふぅ…」
息を落ち着かせて、思考を再開する。
前提条件として、私は今、レイリー・ケイスという少女になっている。
『ドッペルゲンガー』
これはドイツ語圏での呼び名のこと、英語圏ではダブル、中国語圏では離魂、日本語圏では影法師、分身、影の煩いと呼ぶそうだ。
自分ではない誰かが、自分と同じ姿をしている。
自己像幻視とも呼ばれる噂話。
生霊か、はたまた同一人物が別の何処かに出現する超常現象とも言われるもの。
古くから死の先触れともされており、アメリカ大統領のアブラハム・リンカーン、帝政ロシアのエカテリーナ二世、日本の文豪である芥川龍之介など、著名人もこれを見たとされている。
特徴としては当然、自分ではないのに自分とそっくりな誰かが居て、それを複数回見ると死に至る。
発祥がどこかもわからない、そんな不吉そのもの。
これは、誰とも同じではない貴方の、貴方と同じ誰かの噂。
そう友人は『ドッペルゲンガー』の噂話を、きっと役に立つと私に被せてくれたのだ。
見た目は完全に他者になり、記憶も本人の複製を持つ。ある種完璧なアリバイ工作、推理小説ならばすぐにダメ出しを食らう存在。
それが見破られた。
しかし考えてみれば、相手はたったの一人。この人間が充満する場において、なんの障害となろうか。
不幸中の幸いにして、相手の、當真 太陽の容姿はそこそこ目立つ。特に背中に何者かを背負って移動しているのだから、これで目立たない訳もない。
計画の時間までどこか校内で隠れてゆっくりと休憩するのが最善手だろう。女子トイレにでも隠れておけばいいだろうか、少々げんなりとしてしまうが背に腹は代えられない。
「はぁ…」
呼吸は整った。なのでこれは単なるため息。
何が悲しくて文化祭にまで来たというのにこそこそと隠れなければならないのかと思う。
特に、誰とも会わないでいられる安全そうな場所がトイレくらいしか無いだろうというのも嫌気がさす。
この少女の記憶はさておき、私自身もトイレに隠れて時間の経過を願うというのは嫌なものだ。しかしもう手段は選べない、友人が頼ってくれたのだから完璧に事を成し遂げたい。
もう一度出そうなため息を飲み込んで、校舎の入り口に向かって歩を進めよう。
「レイちゃーん!」
「!」
人に声を掛けられる。
朗らかに向かってくる彼女は誰かと思い記憶を探れば、どうやらレイリー・ケイスの母親なようだ。
娘を見かけて呼びかけるのも無理はない。
「やーっと見つけた! …どう? 上手く馴染めてる?」
随分と主語を飛ばした会話の切り出しだが、この家庭の会話とはこういうものなのだろう。
転校した娘がクラスに馴染めているかどうか。家で会話する事も少なくはないが、やはり気になるものなのか。いや、娘が校舎裏に一人でいるのだから当然の心配だろう。とりあえず話を合わせておこうか。
「お母さん…うん、そこそこかな」
「そのシャーレの中は炭疽菌? でもちょっと甘いかな、普通の炭疽菌って臭いがしないんだよ。それとプラスチック爆弾かな、ゴムと火薬だもんね、こっちはあんまり臭いがしないけど、もっと上手く隠さなきゃダメじゃん?」
「えっ?」
「没収〜!」
するりとポケット内から手が抜け出ていく。
目の前にいたはずの人影は、音もなく私の背後に移ろい。風すら立てずに私の服のポケットに収めていた全てを抜き去っていった。
「なっ、あ!?」
白く、細く、鋭利な指が喉に回される。
「動くな、喋るな。…娘とそっくりな姿の誰かをここでっていうのもすっごく気分が悪いからさぁ。っていうか、レイちゃんって呼ぶしかなかったけど、アナタをさっきそう呼んだのもあって、今だーいぶ嫌な気分なんだよねー!
それで、出来ればこのまま大人しく自分の足で帰ってほしいんだけどさ…それが出来ないなら…。ってわけ、わかる? 日本語上手でしょ?
あぁそうだ、イエスならまばたきを二回してね。娘と同じ声で喋ったら、ね?」
口調だけは朗らかなまま。感情は無い、声の抑揚さえもない声が耳朶を震わせる。
殺意、害意、敵意は感じない。いわゆる威圧感すらなく、しかし喉を這う指先がほんの少しでも狂い、一寸横に動けば、私は死ぬのだと理解してしまう。
突然の事に震えさえ起きない、ただただ血の気が引いて汗が滲む。口が乾く、呼吸が短くなる。後ろにいる恐怖そのものの意に背けばどうなるかは言うまでもないと感じる。
冷たい手、鉄よりも寒々しい死の感触。遠ざける為に瞼を二回動かした。
「…ん、オッケー! じゃあ、さっさと帰ってね! 私はお祭り楽しむから、バイバーイ!」
変わらない様子の朗らかさを湛えて、死の気配が遠ざかっていく。足音は聞こえない。振り向くこともできない。
「……」
今のはなんだったのか、目に入った姿はレイリー・ケイスの母親だったが、記憶とも記録とも違う。
…そんな事を考えている場合ではない、道具を全て奪われて仕事は達成不可能となった。
これでは友人に幻滅されてしまう、それだけは嫌だ。
どうにか一旦家に戻って、もう一度。そう、とにかくもう一度だ。また別の何者かに成り代わって完遂させればそれで済む。
そう決めて、今更になって震える足を運ぼうとして…。
「…うっ…!」
転んでしまった。
足元が覚束ないというか、これではまさしく生まれたての子鹿のようだ。
なんとも惨めな感覚、周りに誰もいなくてよかったと内心胸を撫で下ろす。
「…おや、レイリーさん?」
「ひっ…あっ…淋代くん…?」
前言撤回。恐らくは生徒会としての仕事で見回りでもしているのだろう淋代 颯に見られていた。
その事実から、顔面に血が集まってしまう。我ながら血の気が引いたり血が上ったりと忙しい。だがこれもまた不幸中の幸い。先程の當真 太陽とは違い、彼の呼称に対してミスはない。このまま努めて普通に振る舞うとしよう。
「転んでしまったのか? ……ん?」
「うん、そうなんだ…どうしたの?」
どうしたのだろう、至近距離に近寄った彼が歩みを止めて首を傾げる。
寒気がする。
『もう一度聞くが、転んでしまったんだな?』
「そう…だよ…?」
『そうか、残念だ。レイリーさんとは違う誰かさん…』
「え」
視界が暗転した。
意識は暗く、景色は赤黒く。
あぁ、そうか。
これが、死───。
『……』
風が一陣通り過ぎる。
とある学校の校舎裏、そよ風を静かに受ける人影は一つ。
他に誰かがいた様子すら見せず、誰もが楽しむ文化祭の中で人々の喧騒のみが沸いていた。
御意見・御感想・御評価、質問疑問、誤字脱字等々ありましたら賜りたく存じます。
や、優しくしてね…!