はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
消毒液と壁床天井、全てに染み込んだ人のにおい。
病院というのは誰もが思っている程白一色ではない。
斑に黒点の付いた模様が見えるがこれは壁ではなく、加重の掛かり方からして自分が横たわっているからそう見えている。目視できる範囲にあるこの固そうな一面は天井なのだと遅れて理解する。
「知らない天…知ってるわこれ…」
言うようなシチュエーションは御免だが、何となく言ってみたい気がしていたセリフを呟こうにも、現在地は記憶の中にある場所。こころさんの勤務している代々木にある病院、その一室だと確認できたので中断を挟む。
「おはようございます、太陽くん」
やっぱり知らない場所だったのかもしれない。
この場にいるはずの無い知り合いが淡々と挨拶を差し向けて来ているのだから。
「夢かな?」
「確かに夢のような完璧美女とは言われますが…」
誰にだよ。いや見た目に関しては否定しないけど、中身が悪夢そのものだろ。
「私の完璧っぷりはさておき」
「さておくなよ。置かずに捨てときましょうその妄言」
「さておき。経緯と事情は説明できますか?」
「……んー…」
本題に切り込むまでが早いじゃん。
ここは誤魔化そう。悪意のある嘘じゃあないから大丈夫だろう。ほら、ちびっ子系一般的女子高生に不意打ちされたとはいえ負けたなんて恥ずかしいじゃん。
「覚えてな」
「嘘ですね」
「いや早くね?」
まだ言い切ってないんですけど!
俺が言う嘘って、付き合いが長くなっている人にはすぐバレるんだが。何かコツとかクセとかあるのか、それとも他人から見るとわかり易すぎるのか。何にせよちょっとヘコむな、嘘が上手いよりはいいか…?
「どうせ太陽くんの事ですから、知り合いでも庇っているのでしょう。そうでもなければ一方的に何もせずに気絶させられるなんて無いですし」
「へー…随分詳しいっすね、事務員じゃあなくていっそ探偵にでもなったらどうです?」
「遠慮します。なぜならこれは理論的な推理ではなく…そうですね、お姉ちゃんの勘です」
俺に姉は居ねぇよ。たぶん。
さらっと嫌味を言ったんだが、そこは相手が一枚上手。赤子の癇癪を宥めるより容易と言わんばかりの態度で返されてしまった。
「さらに続けると、恐らく貴方が知り合いにやられたというのも根拠があります。
不意に噂と戦闘になったとしても、普段なら連絡の一つもくれますし。そもそも貴方が負けることも滅多にあり得ません。本気を出していないのは周囲の痕跡が物語っています」
「思った以上に信頼されてるんすね、俺」
饒舌な人形に向かって視線を含めて中断の意を持って抗議をする。だが、一時的に言葉ごと全て無視をすると決め込んだようだ。
「頭部への衝撃が認められる事から、飛び道具の可能性もありますが、それなら頭頂部付近に怪我は無いはずですし。一応は頭部打撲痕なのでこれは無し。
一方的に頭上から攻撃できるという点では釈さんが相手というのもあり得ますが、貴方が見つかった現場に目撃者がいないのでこれも無し。
それと線状圧迫痕が首に残っていたので、噂が憑いた犯人というのも可能性は低いでしょう。超常的な現象についての目撃情報もありませんから。なにより貴方が抵抗もせずに黙って首にワイヤーの類を巻かれる事も無いでしょうから。
知名度のある怪異的な噂の関与も今はなく、巷にあるのは中学生・高校生が行方不明になるという噂のみ」
「推理が冴えてるし耳が早いっすね、名探偵」
伊達に長く探偵事務所の事務と受付を手早くこなしている人じゃない。与えられた材料から論理的に妥当な推論が立て板に水の様相で流れ出てくる、やられている側からすれば参るね。
「もう一度聞きますが、事情は説明できますか?」
「いやぁサッパリ。何せ名探偵サマの推理の通り、頭に星が浮かんじまったんでね。本当に記憶の混濁ってあるんすねぇ」
「その生意気な態度、懐かしいですね」
「…ケッ」
内心を見透かされて不機嫌になるのは誰もが一緒だろう。自分でも嫌になるほど、我ながらまだまだ子供でこれは単なる八つ当たりだ。
「太陽くん。私は怒っています」
「…そうすか」
だから何だって言うんだ、とは言わない。不貞腐れた態度を見つめる無表情の人形が静かに続ける。
本気で怒っているというのもわかる。この人間に対して友好的な人がわざと他人行儀な呼び方をしつつ、静かに理屈を詰めてくるのだからさもありなんだ。
「私の可愛い可愛い弟分を傷つけたんですから。この件に関わっているであろう相手ごと、なりふり構わず貴方と交友関係にある全ての人。知り合いとそのまた知り合いを含む全ての方々を、苦しめてから呪い殺そうかと思う程度には」
「んだと…?」
本当は聞き返すまでもなく知っている。その気になってしまえば、本来の呪殺人形という本性を顕にした時にはそれが可能だと。
「まず手始めに…そうですね、最初は貴方の親友から。親友だというのに何も出来なかったのです、多少は苦しんでもらいましょう。
次に貴方の携帯に連絡先が入力されている人たち。あ行からでもいいですが、アトランダムに選んで、次は自分の番か、次こそはと怯えてもらいましょうか?」
「やってみろよ腐れ人形、そうなりゃ手加減ナシで消し飛ばしてやる」
「ただ知らないうちに即死させてしまうのも勿体ないですから、四肢の一箇所ずつ切り落として、首だけにして振り向かせましょう。どのように顔をゆがませるのか、楽しみですね。
そうだ! どうにかして彼女、レイリーさんの目を抉り。私の目と付け替えてみましょうか? とても不思議でキレイな目でしたから、きっと…」
「てめぇ!」
気付いた時には病床から飛び出て、彼女の胸ぐらを掴んでいた。酷く整った作り物の顔は目前に迫り、尚も無表情を続けるのではなく薄ら笑いを浮かべている。
「…私はメインディッシュを後に残すタイプなので、もちろん最後には貴方の大事なこころさんを。あぁそうだ…パーツ全てを切り取って、私に付け替えてみれば貴方も寂しくないでしょう。
ね、太陽くん?」
「何が言いてぇんだ、それ以上くだらねぇお喋りを続けたいってんなら口と喉以外ぶっ壊して粗大ゴミに出してやるから、壊れたドール相手に仲良くゴミ処理場で歌ってろよ」
「…ふふ…ふふふ…」
人間の殺害計画をつらつら述べて、何が愉快なのか酷薄な笑みを貼り付けたまま口を動かさずに声だけで笑う人形。こちらの稚拙な脅し文句もどこ吹く風だ。
滅多に見せない冷酷な面、相対している相手は血の通わない人形なのだと肌で感じさせられる雰囲気。
「小粋なジョークです、ジョーク、わかります?」
「あ?」
パッと電灯でも切り替わるように。あっけらかんとした明るく朗らかな調子で、微笑みを見せてきた。こちらの思考の空白を見るが早いか胸ぐらを掴んでいる手を自らに押し込むようにして、背中に腕を回して抱き締めてくる。
「…バカ、本当に大バカです。太陽くんは。他の人が傷付けられるのは許せないのに、自分の事は二の次で。自分が傷付けられても、相手を庇うんですから」
「…すんません」
ああ、そうか、まただ。
気付くのが遅かった、また俺はやってしまった。
この人のことだ、きっとここまでの俺の顛末は予想がついている。颯から聞き及んでいるか、その家族でありこの病院で勤務しているこころさんからでも聞いている可能性だってある。
つまり交友関係を断ち切ろうとしているであろうクラスメイトに、お節介焼きが探し回って、返り討ちにされたんじゃないかってな。
馬鹿なガキが一人で突っ込んで、また痛い目を見たんだと。
そう。俺がレイリーに気絶させられるまでの経緯は簡単な話。
担任の真中先生から聞いたことは一つ。
あの生徒会副会長、淋代 颯と仲良くしているポッと出の転校生。無愛想でちょっと目立つ容姿と合わさって、それがどうにも下級生が囁く悪い噂の標的となっているらしい。と、職員会議に話が上がったそうだ。
それで行方不明になる噂も出回っているので、被害に遭う前にどうにかしようと夜になるまで探し回って、見つけて話しかけたらこれだ。
些細な嫉妬に駆られた風説の流布。
そんなありふれた事、そして、そのありふれた事がどのような結果をもたらすかを知らぬ者はいない。
推測の域を出ないが、だからレイリーは意図的に一人になっていた。決して友達を巻き込まない為に。
嫌な既視感があった。
転校を何度もしている、中には親の都合だけじゃなくて自分が原因の物もあったと思う。その度に周りに被害が行かないように、独りでどこかへ行っては誰とも関わらないようにしていたんだろう。
自分一人で抱え込んで、勝手に思い詰めて、一人で何とかしようとする。
まるで鏡でも見せられているみたいだ。
「なんで頼ってくれないんですか。そんなに私達は頼りになりませんか。貴方が、太陽くんが思っている以上に貴方を大切だと思っている人がいるって、どうして…わかってくれないのですか…」
「……すんません」
泣きそうな声が聞こえる。表情を作らなきゃ出せない人なのに、声は震えている。頭を覆うようにされているので顔を見ることは出来ないけれど、きっとこの人は今、涙が流せるなら流しているだろうと思う。
「謝るくらいなら最初からしないでください…バカ…」
「…バカですんません」
いつになったら俺のバカは治るんだか。バカにつける薬は無いと言うが、もしも売っていたら全身隅々に塗りたくっているところだ。
彼女、メリー・フォンセルランドさんとの関係は仕事だけの間柄というには深く親密過ぎた。それは所長や代理たちも同じで他の色々な人だって同じ。
淋代姉弟なんかもそうで、その人達は俺が死んでしまったら悲しむだろうと。この建物の中でこころさんに説教もされている。
にも関わらず、またこうして心配をかけっぱなしでいる。自分の事だが、まったく呆れて物も言えない。
「フォンセルランドさん」
「……なんですか」
「頼って、いいですか」
優しく背中を覆っていた腕の力が、ほんの少しだけ強くなる。温もりのない筈の人形の手、それはきっと嘘だ。
「当たり前ですっ」
「…ありがとうございます」
何だか気恥ずかしい。でも、悪い気はしなかった。
アイツにも同じ気分を味わわせてやんなきゃな。
「ところでェ…ちょっと聞きたい事もあるんで、そろそろ離してもらってもいいです?」
「ダメです、これは罰です。ヒトを心配させてばかりなんですから、これくらい甘んじて受け入れなさい」
「いや流石に高校生にもなってずっとこの体勢ってのは恥ずかしくなってきたっていうか…」
絶賛、女性に抱き締められて甘えに甘えている姿勢を取り続け中です。万が一この現場を人に見られたら死んじゃう、恥ずかしさで恥ずか死!
心停止しても問題ないぜ、病院だもの。たいよう。
「このままこころさんか看護師の方が来るまで続けますよ、ナースコールはつい先程押してあります」
「待って、待ってくれよ! 変な誤解されちゃうって! ていうか何で過去形でいつ押したんだよナースコール、油断も隙もありゃしねぇな!?」
「それはもう私が抱き着いた時です。これはスリの基本テクニックで、相手の意識を誘導させつつボディタッチをすると…」
「講釈垂れてねぇで離し…離せぇ…!」
「ダメです」
怪力おばけ人形さん、どうしていい話っぽい感じだったのにそれを壊すんですか? 俺が何かしたのか…したな、クソ!!
そんな俺の反省会はフォンセルランドさんの拘束を抜け出た事で終わった。これからやることの為に聞きたい事についても説明してもらったので安心。
というかナースコールを聞きつけた看護師の人がエントリーしたので助かった。公然とベアハッグする趣味は流石に無かったらしい。入ってきたのがこころさんだったら死んでたな、俺の精神が。
唐突かもしれないが、彼女、メリー・フォンセルランドさんについて。追加情報を整理しておこう。前から持っていた疑問の答え合わせも含めて。
まずは以前の依頼者…べとべとさんに粘着された笹川さんの一件のこと。何故この人は瞬間移動出来るのか、だ。その時はあくまで確信であって確定した情報じゃあなかった。
彼女、メリーさんの都市伝説そのものであるフォンセルランド嬢の持っている『噂』は一つではなかった。
『クローン携帯』
聞いたことはあるだろうか。
自分の携帯端末の電話番号、それと全く同じ番号を所持している端末が契約した事業側に識別も確認も出来ないにも関わらず、存在しているという噂を。
端末のSIMやFOMAカード類を抜き出すことにより可能とするそれ。しかし、それが一般に認知される以前から、自分ではない誰かが他の誰かに連絡をしたりインターネットを利用したりするという話。
現実においても被害の出ている事例が存在する、噂であり本当の話。
現代日本において『噂』の蔓延を危惧したこの国において、SNSを始めとするインターネット上の書き込みの類は、身元が完全に特定出来る届け出無しで利用する事は一般人には規制されている。
つまり、本当に携帯できる電話でしかない箱を誰もが持っているだけ。
であれば、この噂が現実になる場合ではどうか。
あなたの端末と同一の端末、登録されている連絡先も全てが同じ。そのあるともしれない筈のクローン携帯を持っていた場合はどうか。
これは、あなたではない誰かがあなたを装う話。
都市伝説のメリーさんの話、これは有名だ。
誰ともしれない電話番号からの着信を受けると、メリーさんを名乗る何者かが自分のいる場所と徐々に近くなっていく現在地を述べ続け。最後にはあなたの後ろにいる、という文言と共に…。
この話に対しての対抗は簡単だ、そもそも知らない番号に出なければいい。
では知り合いや家族の番号だったら?
そう彼女の持っているクローン携帯によって知人である事を偽造さえすれば…。
…ハメ技かよ大人気ねぇな、って組み合わせである。
だからさっきジョークとして俺に話した犯行計画も、本気でやろうと思えばやれてしまうということだ。
しかも連続で出なければいいというのも、複数端末でいわゆる自演行為をすれば回数を飛ばせるうえに相手が電話を取って聴く必要すらないそうだ。卑怯が極まってんな? ゲームならナーフ必至のコンボ、禁止指定されたらどうだ。
更に性質が悪いことに、彼女の持つクローン携帯は誰の物であろうとも偽装が可能で、正しくクローン・コピーとしての存在なので、登録連絡先までも抜き取れるそうだ。
笹川さんの所に一回目で出現出来たのはこれが原因、迷惑電話を装ったのは、その方が出てくれる可能性が高いだろうと思ったから、だとさ。
ここまで来たら即死トラップの擬人化だよもう。いや人形だけど。フォンセルランドさんが人間に殺意を持ってなくて良かったなマジで。
実はまだ何か隠してる気もするんだけど、それに関しては答えてくれなかった。女性の秘密はアクセサリー、だってよ。
「…フォンセルランドさんって、人間好きなんすね?」
「好きですよ、性的ない」
「博愛主義者は素敵っすねぇ!!」
結論。
怖いねフォンセルランドさん。
人の心があって良かったよ、後半は聞かないようにしようぜ!
他人を頼る、意識するとちょっと難しいがやるだけやってみよう。手札は多い方がいい物だろ? ババ抜きでもない限りは…あとウノも手札が多いと困るか。
色々な連中に助力を頼んで、どこか諦観している転校生を青春の日々に巻き込み事故でも起こそうか。事故はダメ? いいんだよ、後から笑い話にできれば。
「じゃあ連絡すんのは…」
「太陽くん、起きたって聞いたけど…」
「アッ!!」
まずは本日二度目の説教が待ち受けていたってワケね、出鼻挫かれっぱなしだよ。
───☆
学校の屋上の夜風は立春間近であろうと寒い。
その代わり、雑多な都会の中でも多少は澄んでいて、ひとりの時間を過ごすには合っていると思う。
あの時みたいな夕映えの金色はとうに失せて。眼下にあるのは嫌なものだらけの真っ黒と、手の届かない程遠くにある、人が笑い合っている証明の、蛍みたいな小さな窓の光。
私はきっとその輪の中に入れない。
高い所だからだろうか、同じ場所にあるものは少ないから余計に寒いのかもしれない。それとも、心の芯まで冷えていくような感覚があるのは、とうとう私に憑いてしまった『噂』のせいだろうか。
ピコピコと自分の携帯の着信音が鳴る。
「……」
のんちゃんから…違う、そんなフランクに呼んでいい間柄じゃなくなった。
…着信相手は野上さん、私の数少ない連絡先の中に登録されている、友達だった人。今更どの面下げて会話をすればいいんだろう。化物じみてしまった私は、もう誰とも話なんて出来ない。
留守番電話サービスに、元友人を追い返す為に転送キーを押した。
『……もし、私…リ…さん…今…』
「……」
しばらくして留守番電話に吹き込まれた聴き取り難く一方的な声が途切れる。自嘲の笑いすら出ない、空っぽの自分に吹き込む風の音だけが残った。
伝言が一件と表示された明るい画面に表示された時刻を見ると、そろそろ父親の帰ってくる時間だ。気は進まないけれど家に戻ろうか、家で出来る限り普通に振る舞えば親に面倒もかけずに済む。
私が耐えれば、この『噂』たちと付き合っていけば。
「はぁ…」
ため息さえ白くない。
私に憑いた噂話は『雪女』だ。
『雪女』
室町時代の以前から存在する妖怪。
雪女、ユキアネサ、ユキジョロウ。北国だけでなく愛媛県や京都にも存在する別称の多い著名な存在。
特徴は白い死装束をよく着ていること、冷たい吐息で相手を凍えさせること。また、男を取り殺すことが有名で、恐ろしくありつつも姿の儚さや描かれる美しさは雪を連想させるに相応しい。
誰かを殺害せしめる一方で、手厚く歓待すれば黄金を得るなど、ある種の歳神を思わせる一面も併せ持つ今も馴染みのある昔話の一つ。
話の類型としては悲劇的な物が多く。何らかの禁を破り取り殺されただけの話、赤子の面倒を任せてちゃんと面倒を見ないと報復すると言って忽然と居なくなる話。そして、同じ所には居られぬと雪のように忘れられていく話。
これは、誰かが消え去る話。
もしもこのまま雪女として扱われ続ければ、寒さを感じなくなるのだろうか。目に見えない心とかいう物も凍えてしまえば、何にも動じない金属のようになるのだろうか。
いっそただ春を待っていれば、雪女の名前の通り溶けてしまうのも期待できる。そうすれば…。
「よっすゥ!」
「…は?」
金属の扉が開いて底抜けに明るい声がした。
あの屋上での景色みたいな髪色。
誰にも告げずにいたのに、どうして彼がここに?
「んだよ、クッソ寒いな…世の中物騒だってこの前も言ったじゃん。家の場所は忘れてねぇよな? 大丈夫? 一人で帰れる? お兄さんが付いてってやろうか?」
手には学校の備品らしきデッキブラシ。掃除の時間はとっくに終わっている。そこらの汚れよりしつこい男だ、その掃除用具で掻き消してしまおうか。
「…ウザい、懲りないの」
「ちょっと酷くね!?」
ぎゃあぎゃあとうるさい、暮れに飛んでいたカラスの方が余程静かだった。
酷い事をしたし今も言っている自覚はあるけれど、一度こてんぱんにやられたのだから近寄らないでほしい。それともこの男子生徒は酷い目に遭えば遭う程喜ぶのだろうか。だったら黙って凍えさせてやろう、そう思って身構えた。
「先に聞きたいんだけどさ、レイリーちゃんは友達とか居ないタイプ? 寂しそー!」
神経を逆撫でしてくる。これを正しく無神経と言うんだろう、ムカつく。殺す気はないけど、氷漬けのままひとり寂しくさせてやる。
警告の意を込めて手足だけ凍らせようと息を吐いた。
しかしそれが彼に届く前、豪風が吹いた。
「あーあーあァ…何だよはしゃいじまって、息を吐くのが趣味なら吹奏楽部でも入ったら良いのに」
台風一過の後、凪いだ湖面に映る光みたく揺らめいている。うるさい軽口が消えない、デッキブラシが一瞬ブレて見えたのは捉えられた。
「あ、悪い悪い…吹奏楽部に入ってもボッチはボッチか? そのやたら冷たい息だと雪女あたりが憑いたみたいだけど、ボッチでそのサイズ感なら雪女じゃなくて座敷わらしの方が似合って…」
「うるさい」
頭に血が上るのがわかる。
「そう怒るなよ、独りぼっちに慣れてヒトとのコミュニケーションの仕方まで忘れちまったか?
ならしょうがねぇ、改めてトモダチになろうぜ。まずは自己紹介だ、俺はこの学校に通ってる高校二年生」
「黙れっ!!」
身勝手で無遠慮に近寄って来る彼を、黙らせてやる。
───☆
東京で雪は早々降らない。
しかしながら、この都内に建てられたとある中高一貫校の屋上においては例外なく全てが零下に曝されており。白銀が支配しようとしていた。
「凍えて、凍って、黙って!」
「熱くなんなよ、相互理解は友達の第一歩だぜ?」
がなり散らす白い少女。意気に呼応する吐息は氷塊を生み出し、標的を圧し折ろうと降り注ぐ。
飄々とした様子の少年はそれを時に清掃用具の柄で砕き、素手で打ち払い、密度の高い氷そのものを地面に撒き散らしている。
「…っ!」
続くこと数秒、少女、レイリーは埒が明かないと察するや否や。ガラス製のナイフに見える短剣を象る薄氷で襲いかかる。最早命さえ奪わない限り、怪我をさせようとも構わないと攻撃的な動作へ移っていた。
狙うは四肢、そして長物を振るう手。物理的な欠損か即死しなければ病院で治ってしまう事は知っている。
「はっはっは! 知らねぇ一面だぜ! お前がそんな物騒な事に馴れてるなんてよッ!!」
高らかにからかい続ける少年、太陽。夜闇の中で薄ぼんやりと光を纏う拳は切先が引っかかろうと血の一滴さえ滲まず。
平均より小柄なれど、全力で切り砕こうと体重を込めた斬撃と踏み折ろうとする踵の鉄槌を打ち降ろされても尚、同じく狙われているデッキブラシは些かも撓む事なく不壊を誇っている。
本人からは護身術の恩恵と自覚されている、その護身とは名ばかりの、暗殺術と性質を同じくした狂乱の連撃。そこには明確な拒絶の意が籠もり、小さな殺意が芽生えている。
「あっち行ってよ! ほっといてよぉ!」
「馬鹿言うな、断固拒否ってヤツだ」
少女の喉から出る呼気が震えるのは、声帯が共鳴するが故だけではない。
怒り、憤慨、拒否、嫌悪、そして悲哀。負の感情が綯い交ぜになっては、汚泥が内面を染めあげる感触。
思い通りにならない事に対する子供じみた癇癪を怒声と共に発散している。
「…こ、のっ!」
「おぉッ!?」
舞い散る氷雪の粒を目眩ましにして、完全に命脈を断たんと微塵の遠慮なく狙い澄まされた首への刺突。少年は驚愕の声を上げつつも腕の一本に食い込ませて受け止めた。
肉体への犠牲を強いるとも、気にも留めない。
「…ってぇな…」
「ひっ…!」
出来る事と慣れている事は違う。
凶器を突き刺したことにより手から伝わる生々しい感覚。苦痛に歪む表情と重なり、自分が仕出かした事の恐ろしさが今になって背筋を伝う。
では、人を思った以上の行為で傷付け、あまつさえ命を奪おうとしてしまった罪悪感に襲われた際。人はどのような行動をとるのだろうか。
「あ…あぁ…!」
「オイオイ落ち着けよ…聞いてるか?」
困惑が顔を彩り、少女のただでさえ白い顔は只管に蒼く。こうなれば誰の声も聞こえない。恐慌の雪崩に押し潰されている。
何もかもに堪えきれない。
最後の一手、彼女の選んだ手段は。
「嫌…もう嫌!!」
駄々をこねる様相。悲痛を込めた叫びと共に自身の足先から脹脛へと氷が伝う。重力に逆らい、氷が自身を包み込む異常現象そのものを以て、受け入れ難い現実の全てを否定しようとしていた。
「最後は自爆ってか?」
少女の下肢が凍結し終える。
「…後で怒られると思うけど、やるしかねぇな」
氷が下腹部に侵食する。
「出来れば一緒に謝ってくれよ。
あぁいけねぇ、改めて自己紹介しておくぜ」
空虚を抱えた胸が絶対零度に満たされる。
「俺はこの学校に通ってる高校二年生。
名前は當真 太陽、探偵事務所のアルバイトで」
全てを拒む為に閉じられた目蓋が固着する。
「お前の、友達の一人だッ!」
──カチッ…。
全てが遅くなる。
時は圧縮し、空間は凝縮された。
全てが、燃え尽きる。
───☆
「よう、レイリー…目は覚めたか…?」
優しく話しかけてくるきみ。暖かい手。
私はたぶん数秒意識が飛んでいたんだと思う。赤ん坊をあやすみたいに柔らかく抱き留められていた。
「…あ? なんでェ…? 何でってそりゃあお前」
最初の時と同じ、ううん、それよりも服はボロボロ。
どうしてそんなになってまで…そこまでして私を助けようだなんて思うんだろう。
「放っておけねぇんだよ、悪いか?」
まるで理由になってない。それは、きみが傷付いていい理由にはならないはずだ。ましてや自分を傷付けた相手に手を差し伸べる理由にもならないだろう。
「…納得いかねぇってツラだな…じゃあ…しょうがねぇな。ん…あぁー…可愛い女の子を助けたいとかでどうだ? …ダメ?」
ムカつく。
「痛えよ、叩くなって…」
きっと彼は馬鹿だ。それもどうしようもないタイプで、いつか大変な目にあう感じの。
恐らく地面に倒れ込む所を助けようとして私を抱き締めている彼の胸板に無言の抗議、つまりはグーでパンチ。軽くだよ、軽くね。
「ま…そんなのはどうだっていいんだ…」
よくない。相変わらずデリカシーがない男の子だ。
不思議と前より安心感の無い腕の中、何かおかしい?
「レイリー、くっだらねえ『噂』くらい…俺でも、颯でも、何とかしてやるよ…だから、自分だけでどうにか出来るなんて…野上のヤツまで遠ざけんなよ…」
少しずつ身体が冷えてくる。
これは、気温のせいじゃない。
「頼るのも…悪いもんじゃないぜ…」
肌に伝わる違和感。
私の皮膚を濡らす何かが体温を奪っている。
私がさっきまで出していた氷じゃない。
だって、最初は暖かくて…。
「…カッコつかねぇけど、悪い…俺の携帯、フォンセルランドさんに…」
意識が鮮明になるに連れて聞こえる粘性のぼたぼたとした気味の悪い水音。
何か大事なものが零れ落ちている。
彼の右腕が当たっているはずの部分にある違和感。
「…太陽くん?」
当たり前に腕一つ分の感触のはずなのに、なんで二つ分の感触がするのだろうか?
「…太陽…くん…?」
返事が無い。
冷たい。
地面に何かが落ち続けている音と、奇妙な感触の正体にハッと気付いた。けたたましく鳴り始めた彼の携帯電話の音にじゃなくて。
「太陽くんっ!!」
彼の腕の尺骨と橈骨の間にあるはずの血肉が削れて、大きな空洞が出来ていて。
血が止め処なく流れていた音がしていたんだと。
御意見・御感想・御評価、質問疑問、誤字脱字等々ありましたら賜りたく存じます。
や、優しくしてね…!