はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です!   作:枯華院 清日

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悲しみを吸い上げて

 

 

 

 

 

 大禍時、花冷えの過ぎた夜。

 未だ朝は遠く、日の出さえも遠い夜。

 

「やっぱり帰っとけって、お前が危ない目に遭うのは良くねぇよ。俺一人でなんとかするから…っていうか、親御さんも心配するし怪我じゃ済まないかも…」

「太陽くん一人だと、寄ってこないかもしれないでしょ」

「どうにかするって…悲鳴の一つでも聴こえたら、そこに急いで行けば間に合うっての。雨も降ってねぇしさ。何より怖いのは、ヤバい警察官に職質とかされちゃうぜ」

「あっ、太陽くんって童貞?」

「!?」

 

 緊張感の無い会話。周囲から見れば、その身長差だけを考えれば兄妹にも見えるだろう。一方で、会話の内容や頭髪のあからさまな色の違い、顔や雰囲気も全くの別物。

 

「ど、どどど童貞ちゃうわい! そ、それ、何か関係あるゥ!? 無いじゃんねぇ」

「そっか…童貞なんだね…」

「ふんぬぃぎぎぎ…!」

 

 ふざけた会話の内容だが、誰に聞かれる訳でもない。

 

 街灯は本数を減らし、人の数より電信柱の本数が増えていく道すがら。うら若く、暢気で、平凡を極めて、日常を謳歌する学生。

 

 それを見て歯噛みする男が居た。

 学生らに遠い電柱の隅。顔色がただでさえ悪いのに、薄白い電灯の光に照らされると、もはや死体と勘違いされかねない姿がある。

 

「ふざけやがって…ふざけやがって…! 

 男女二人で仲良しこよしってよぉ〜!!」

 

 切歯扼腕。嫉妬に駆られるのは、自分の孤独が身を焼くが故。

 

 端的に言って非モテの僻みである。

 

 しかし、非モテが醸し出す負のパワーを舐めてはいけない。

 近くに腕を絡める男女が居れば舌打ちをし。遠くに破局するカップルが居れば破顔する。

 夜ごとの東奔西走かくあれど、行く先々の男女ペアを見るだけで般若の形相となり、おまわりさんのお世話になった回数は幾星霜。コンビニエンスストアで避妊具だの酒だのを購入している姿を見てしまえば、それはもう妖怪に変化するが如き憎しみに苛まれていた。

 

「俺があくせく働いてるってのに、世の学生時代サマはよぉ…!」

 

 男は社会人であった。

 一般的な会社員、しかも営業職。

 

 朝から出社をすれば、上司の嫌味。出世をする事と人格の良さはイコールではないと、社会人になって数ヶ月で気付いてしまった。そして、そんないけ好かない人間に頭を垂れるしかない現実。

 

 昼間は会社の取引先でまたも平伏するような態度。靴を舐めてでも契約を取り、胃に穴が開く思いでアスファルトを闊歩した。だが、自分より成績が良いのは得てして顔が良く、人当たりだけが良い人間。

 

 夕暮れも夜も変わり無く。疲れた身体を引きずって、何処かで酒を買って一人で晩酌をする、変わらない日々。新たな出会いなどという希望を持てるほど、活力の残量が残ってはくれなかった。

 

 男は、あの頃は良かったと思わない。

 高校時代、同性の友人がいて、何となく明日を楽しみにしていたのは事実だとしても。女友達は居らず、知り合い程度が精一杯だったからだ。

 

 しかしどうだろうか。眼前にある光景は、正しく自分が無意識に希求していた青い春。

 

 身を焦がす物と錯覚する嫉妬の炎。

 何がアオハルだよ、普通に青春って言えよ。よくわかんねー付加価値をつけてんじゃねーよ死ね! 

 そう思えば行動は理性を超える。寄りかかっていた電信柱から身を乗り出し、リアルが充実していて、キャッキャウフフと戯れる連中への裁きを下してやる。

 

 嫉妬の心は父心。醜い炎の魔の手が、深夜に出歩く二人へまさに襲いかかろうとしたその時…。

 

「すみません、ちょっと手荷物を拝見させていただきたいんですけれど…」

「…ハッ!?」

 

 職務質問である。

 おのれ公務員。いつもご苦労さまです。

 

「クソが!」

「あっちょっと…!」

 

 時は一刻を争う、手錠が自らの手に回る前にランデブーを決める浮かれた学生に正義を執行せねばならない。本来であれば自身こそが悪人であるというのは、この際どうだっていい。

 

 今ここにある恨み辛み、長年熟成された僻み嫉み。恨み骨髄に徹し、怒髪は天を衝く。おのれリア充、目にもの見せてくれようか。

 

 どこかほのぼのとした様子の警官を振り払い駆け出す男。如何に下らぬ理由とて、走り出せば止まらない。

 一歩、もう一歩。怨念の焔で動く体はさながら機関車と錯覚していた。

 

 狙いは頭の軽そうな金髪。

 隣にいる白くて小さい女子もきっと誑かしたんだろう、最早許せぬ。滅びろチャラ男。

 

 隠し持っていた凶器を抜き放つ。首筋から鮮血を撒き散らしてしまえ。

 

「ファッ○ンチャラ男!!」

 

 掛け声は盛大に、この世の悪は滅びる可し。

 降り掛かる正義になす術は無し。

 

「…あのさぁ、声がでけぇんだよ。今何時だと思ってんだ? ご近所さんの子供が起きたらどうすんだ、教育に悪そうなハンマーなんざ持ちやがって」

 

 瞬間、金髪が消えた。

 比喩的な表現としてではなく、そうとしか思えない現象が起きた。

 

 だが、幻ではない。現に己の腕を掴み、凶器を手から引き抜いた実体が、目に見えない動きで目前に居た。

 

「っ…太陽くん!」

「向こう行っといてくれ、こわーい警察官が来るぜ」

「ぐ…は、離せ…!」

「オハナシはしようじゃねぇの、暴力はナシでな」

 

 太陽と呼ばれるチャラ男の握力は、人外のそれを思せるに相応の物であった。振りほどこうにもビクともせず、意思を持った鉄塊に絡まれたとさえ思う。

 これでは正義の執行も成せない。世界はいつだって厳しいとでも言いたいのか、いいやそんな筈はない、未成年のクセに女子を引き連れて深夜に練り歩くコイツらが悪いに決まっている。

 

「急に走り出すなんて、何かやましい物でも…おやぁ?」

「うわマジか…どうも、お久しぶりっす。多賀さん…」

「當真くんじゃないか! 高校生がこんな時間に出歩くなんてダメだぞ!」

 

 このどこまでいっても穏やかそうな見た目をしている警官の名前は、多賀と言うらしい。そして、自身が攻撃を加えようとした相手は夜に出歩く不埒な高校生。ならば余計に自らの正当性が目立つというもの。

 

「それはそうっすけど、それよりも現行犯でしょコレ。どっちが目当てか知らねぇけど、少なくともハンマーを振りかぶってたんだから」

「未成年が夜に出歩くのも駄目だよ、そっちの女の子も一緒に、なんて。尚更だよ。いいかい、学生たるものちゃんと夜に寝て、朝から元気良く学校に通うべきで」

「今日はたまたま、偶然ですって…」

「太陽くん、また知り合いなの?」

 

 内容から察するに、男二人は知り合いなようだ。

 不良高校生と現職の警官、よくある組み合わせに違いない。やはり、この高校生はやられて然るべきなのだと思う。何よりの僥倖と男が思ったのは、ほんの少しだけ、自分の腕を掴む力が弱まった事。

 ここは、一か八か。

 

「は、な…せぇっ!!」

「うおっ」

「あっ」

「ちょっと…!」

 

 男は駆け抜ける。一瞬の油断、隙を突いて當真と呼ばれる高校生の拘束から脱する事に成功した。

 

 今回は失敗したが、次は別人を狙えば良いだけのこと。日々溜まるフラストレーションの捌け口は、それこそ掃いて捨てるほどいるのだから。

 そう思ったのは、正しく運の尽き。

 

「いやダメだって…今なら未遂で済むんだから大人しくしておきなよ…余計な事口走っちまうとヤバいぜ」

「なぁ…っ!?」

 

 またも、である。

 男は高校生に走り出した速度よりも速く、見えないまま追い抜かれ、今度は御丁寧に両腕を掴まれていた。

 

「きゅ…急に走り出すのは、ダメですって…これじゃあまるっきり悪い事をしたみたいな…一回の、ちょっとした間違いなら、情状酌量だって…ふぅ…」

 

 一寸遅れて追いつく多賀。男の唐突な行動に間に合わせる為に走ったので、少し息切れをしていた。

 女子の方は特段急ぐ事もないと判断したのか、ただでさえ小さな背格好が、もっと小さく見える程度に遠くにいるようだ。

 

 情状酌量、間違い。悪い事? 

 

「…ちゃんとね、悪い事をしたのなら責任を持って償わなきゃダメなんです」

「俺は悪くなんてない! 何が責任だ! 深夜に出歩くようなガキどもの教育に失敗した親が取るべきだろ、そんなもん!!」

 

 男は啖呵を切った。溜まりに溜まった社会への苛立ちが、とうとう噴出した形だった。逆ギレとも言われようが、言わずにはおれなかったのだ。

 

「あ?」

「やっべ…!」

 

 金髪の高校生、當真が焦る。

 

「てめぇー…今、何て言った?」

 

 この言葉は、口さがない當真から出た物ではない。

 

 話は変わるが。現実でも存在する、精神疾患の一つで特に有名なものを知っているだろうか。

 

「責任を取らねぇで、他人に転嫁するだとォ〜…?」

 

 名を、解離性同一性障害。

 

 多重人格とも呼ばれるそれは、古くは『ジキル博士とハイド氏』や『二十四人のビリー・ミリガン』と、著名な作品の題として扱われる。

 

 ──…メキ…。

 

 人格がまるで別人へと変わる事、時に精神性、時に扱う言語さえ変化してしまう。更に……。

 

「おっさん! 逃げるぞ!」

「えっ、なんっ、はぁ!?」

 

 ──メキ…ブチ…! 

 

「許せねぇ…コイツは許せねぇよなァー!!」

 

 肉体さえ変貌を伴う。

 

「てめぇーは私刑だッ!!」

「ギャー! マッスルゥー!?」

「走れって!!」

 

 肉、それはもう筋肉である。

 

 何がスイッチかは知らないが、多賀の先程までの穏やかな風貌はどこへやら。目が血走り、身体は皮膚がはち切れんばかりに隆起し、警察官としての制服に付いている筈のボタンは弾け飛んだ。多賀の出身は世紀末かもしれない。

 勿論だが、警察官であっても私刑は厳禁である。念の為。

 

「死ねやァー!!」

「死ねって言ってる! 死ねって言ってる!?」

「口動かす前に足を動かせよ! あぁもう!」

 

 迫る警官(筋肉)を見て、相手は見境無しと判断を下した當真は、混乱、あるいは恐慌を来した男を片腕で軽々と抱える。いわゆる米俵を抱えるような態勢。

 ある種屈辱的なこの運搬方法にて運ばれる男は。

 

「や、やだ…! 男らしい…! キュンっ!」

「キュンじゃねぇよ、ぶん投げるぞオメー!?」

 

 嫌にチョロい上に意外と余裕がありそうだった。死人と見紛う顔色にも朱が差している、それでいいのか。

 ただ、細かくツッコんでいる暇などない。當真が人を抱えているとは思えない速度で走っているとはいえ、背後に迫る狂気の筋肉も、あり得ざる脚力で肉薄してくる。

 

「おぅるァッ!!」

 

 多賀の目的は追いかけっこではない、裂帛の気合を込めた掛け声と共に飛翔する。

 

「跳んでるー!?」

「喋んな! 舌噛むぞおっさん!!」

「フゥン!!」

 

 多賀はただ高く跳んだのではない、それは肉塊と化したマッスルの齎す恩恵。空中を蹴って軌道を変え、落下速度を上げたのだ。

 暴力そのものが弾丸へと姿を変え、拳を振り上げる。

 

「しっかり、掴まってろォ!」

「え!? ええ!?」

「死んどけやァ!!」

 

 保持させる為の掛け声、その後の瞬きの一瞬、全てがスローモーションになった。

 いつの間にか背後の遠くに、地面を、アスファルトを削岩せしめた暴走警官がいる。

 

「ぜぇ…ふ…はぁ…! よし、レイリー回収してから逃げんぞ!」

「え、な。に、逃げるって何が、何と、どこへ!?」

「いいから運ばれてろ! レイリィー!! お巡りさんっていうか、おさわりマッスルが来るぞォー!」

 

 高校生が、夜に、成人男性を抱えて、警官から、逃げる。これはこれで犯罪的な絵面、具体的に言うと拉致にしか見えないが。

 

 

 

 さて、それはともかく。

 

 

 

 デンジャラスなマッスルからの逃走。あるいは法の支配からの卒業。盗んだバイク並の速度で夜を駆け終えたが、窓ガラスは割っていない。

 

「…なにこれ…」

 

 多賀を振り切ったと判断して、當真から解放された男が独りごちる。この感想は今までの顛末についてではなく、目前の。

 

【愛に溢れる探偵事務所】

 

 いかがわしい看板を見ての事だ。

 キツめのピンクネオンが目に厳しい。

 

「行くぞおっさん」

「え…!?」

 

 入る!? これに!? 

 

 先程より幾分か冷えた頭で男は思う。自分が殴りかかった相手、當真という高校生は、素行悪気な高校生と考えていたが、もしかしたらちょっと裏社会的な。今日からヤの付く自由業さんなのではなかろうか。

 ドが付くほどピンクの看板が眩しい何か変な店に入れられようとしている事実、いわゆるお風呂だったり石鹸だったりがある場所ではないのか。男は恐怖した。つまり、自分はこれからドラム缶の中で、コンクリートと仲良く東京湾で眠るのではないかと。

 

「…レイリー、そろそろ降りてくれよ…」

「意外と快適だよ、お米様だっこも悪くないね」

「お痒い所はございませんか? って感じの意味で言ってるんじゃなくてね? 階段登りにくいって事ね??」

「お姫様だっこでもいいけど」

「抱え方を変えさせてくれって意味でも無くてな?」

 

 …あまりに能天気な会話、杞憂かもしれない。

 不安が先立つのは事実なれど、この場で逃げ出しても即座に捕獲されるであろう体力と脚力を目の当たりにしては、逃げ出す気も起きない。何より、あの警官のほうが余程恐ろしい。だが怖いものは怖い、當真に着いて歩く階段がさながら絞首台までの道程と重なる。

 事ここに到っては、運否天賦である。

 

「ただいまっす」

 

 拍子抜けする程平凡な入口の扉と、當真の声。受付らしき場所に怪しい店を思わせる椅子なども無い。ただいまの言葉を聞くに、ここに通っているのは明白だ。もしかして…もしかすれば、ここは普通の探偵事務所で、當真はアルバイトか何かなのかもしれない。

 

「んむぬぬぬんむぬぬ……っん、ハァー…!」

「……」

「……」

「…タマさん…!」

「あ? …あっ、やっべ…」

 

 黒髪の女性がビールを飲んでいる。

 主に猫が喜ぶ、スティックタイプかつ液状のおやつを舐めながら。

 

 何かもう色々末期じみた光景であったが、即座にドアが閉められた。無言のまま、何も見なかった事にするようだ。

 

「……よし…! 」

「えっ、今のは…?」

「……」

 

 何も見なかった事にするよう、ではなく。何も見なかった事にされた。

 

「たっだいまァー!!」

「おう、おかえり。そちらさんは?」

 

 再び扉を開けば、女性の机に置いてあったビールの缶や猫用おやつの形跡が無い。件の女性はまるで今、當真達が戻った事に気付いたように振る舞っている。

 

「…今、あの人ビール飲んで…」

「いやァ大変でしたよ、このおっさんと色々あったかと思ったら多賀さんが来ちゃうんだもん。しかもぶち殺しに掛かってくるし」

「あの…ビール」

「そりゃ大変だ、怪我とかは?」

「多賀さんの服が大ダメージでしたね。いつも考えちまうんですけど、あの人、制服の替えとか何着持ってんでしょうね」

「怪我が無ぇならいいか…お疲れさん」

「ビール…」

 

 ビールについて触れてはいけないらしい。室内にはアルコールの臭いか漂って鼻孔を刺激するが、気の所為ということにしておけといった空気が醸し出されている。

 これが同調圧力、男は普段の仕事を思い出して悲しみに打ちひしがれそうになった。

 

「おじさん」

「な、なんだい?」

 

 諸行無常の哀惜に襲われた直後。小柄な女子高生、當真が呼ぶにレイリーという名の娘に呼び掛けられる。返事が挙動不審気味なのは、男の対女性経験値が欠損しているからである。

 

「頑張ろうね」

「…ありがとう…!」

 

 突然の励まし、なんの事かと思考すれば。間違いなく目の前の出来事にツッコミを入れようとしたが、無視された事についてだ。

 

 男は泣きそうになった。

 男はチョロかったのだ。

 

 これだけで何か報われた気がした。サンキュー世界、これからも人生生きていけそう。

 

「んで、ソイツは誰で、何でここに連れてきたんだ。通常業務は営業時間外だぞ。今日は珍しくメリーも帰ってる」

「うっ……」

 

 そんな優しさとは打って変わって、冷たい翠緑の瞳が男を射抜く、まともな理由ではないと察しているが故だ。ほんのり浮かれ気味だった男は、あっという間に萎縮する。

 一過性の嫉妬性熱量はとうに鎮火していた。

 先んじて當真が言う。

 

「さぁて、実は俺にもわからないんですよ。ここに連れてきたのも、安全な所で色々と聞きたいからですし」

「…うぅ…」

 

 男にとっては考えずとも当然の事、未遂に終わりはしたものの、よりによって殺人未遂をやらかしたのだから。こうなれば全てを洗いざらい話すべきだろう、外に逃げれば警官と出くわすかもしれない。黙秘権を行使してこの場から逃げ出したとしても、當真に捕まえられるのは目に見えていた。

 

「……その……」

 

 自分が何故こんな凶行をしようとしたのか。男は、赤裸々に語る以外は無いと観念した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うだつの上がらない男、そして未遂なれど暴行の現行犯である男。名前を沢樹 (えんじゅ)

 

 沢樹が言うには、普段の生活でのストレスからついつい今回の件を行動に移してしまった。もしも上手く行ったとしたら、現在巷を騒がせているらしい吸血鬼騒動の一つだと思わせるようにしてしまえば、自分が犯人であると、世に露呈することは無いのではなかろうかと思ってのこと。

 

「じゃあおっさんは…」

「…普通の会社員です…」

 

 絞り出すように、後悔を滲ませながら沢樹が話す。

 いわく、同僚達と比べ会社での業績が思わしくないこと。仲睦まじそうな男女への嫉妬。上司の性格が悪く、ハラスメントの標的になっていること等々…。

 

「ただの模倣犯かよォ…」

「はい…」

 

 とどのつまり、吸血鬼が人を襲っているらしいので、それに乗じた模倣犯に過ぎない。計画性も薄い衝動的な犯行だった。

 

「本当に、申し訳ありません…」

 

 沢樹にとって、最早身に馴染んでしまった謝罪の言葉。昨日も上司に言い、一昨日は取引先、身体に染み付いてしまった習性だ。しかし口先だけの物と違い誠意が込められているのは、案内された探偵事務所の来客用ソファから外れ、床に額を擦り付ける、いわゆる土下座している事から見て取れる。

冷静に、頭が冷えていく程に。自分が一体、何をしてしまったのかがのしかかってくる。

 

「…あー」

 

 自らが害そうとした高校生、當真の声。それ以外は静まり返っている。

 怖い、と思った。決して報復に怯えているのではない。時間が経つに連れて色を濃くしていく罪悪感が、内臓に重く、言いようのない不快感として胃を圧迫しているからだ。空気が淀む気配がする。

 人を殴ろうとすれば、しかもよりによってハンマーで殴ろうとしたのならば、最低でも間違いなく暴行罪、はたまた殺人未遂か殺人罪が適用される。つまり今回の顛末が明るみに出れば会社はクビで、これからは臭い飯と仲良くせねばならないのだと。

 

「ま、いい…いや良くはねぇけど。いいよ」

「……え?」

 

 重苦しい空気の中、あっけらかんとした声が當真から聞こえる。

 

「たぶんだけど、おっさん、出身はここらじゃねぇだろ」

「あ、うん…東北の…」

「で、しかも…っていうか。だから、友達も居ねぇ。地元には居ても、就職先では中々出来ねぇって言うし」

「……うん」

 

 言い当てられる。言い難い事をつらつらと並び立てられていく。

 

「そんで上司のパワハラだ何だってのが積み重なってコレ、だろ? 俺たち学生なら、友達に愚痴るなりしているってのにそれも出来ない」

 

 そう、たとえ人そのものが多くとも。心通わせる友人など、この都市では出来ようもない。

 當真が一つ、落胆ではないため息を交えて続ける。

 

「つまり、さ。一人で抱え過ぎたんだよ。アンタ」

「………」

 

 妬みはどこから来るのか。それを指摘されたようだ。

 

「社会人って言っても、やりたくでもねぇ仕事をしてればストレスだって溜まる。それでもダチの一人でも居て、タマさん…そこの所長代理みたいに酒でも飲みながら有ること無いこと馬鹿話にでもして。不満をぶちまけてれば、また明日も頑張れた。

 でも、おっさんはそうじゃなかった。昔は居た友達とか、彼女とかがいるような奴が恨めしくなっちまったんだろ?」

 

 ああ、そうだ。自分が学生の頃は、些細な事でも話す相手が居た。変な物が落ちていただの、不可思議なUFOが飛んでいただの。何であれ話せる相手が居た。

 

 会社に務めてからは、朝に重たい体を引きずり起こし、昼には味のわからない燃料じみた食事を取って、夜は泥のように、死体のように眠る。誰にも気を許さず、朗らかに話すことの無い日々、その繰り返し。

 

 あの時とはもう違う。指摘される度に浮き彫りになる郷愁か悲しみが當真の言葉で照らされていった。

 

「…だったらさ、話せる相手を作っていこうぜ?」

「そんな…今更…」

「今更じゃなくてこれからだよ。じゃあ、自己紹介からいこうか。俺は當真 太陽、この探偵事務所の雑用ってかバイトで高校二年生…よろしくゥ! …おっさん、アンタの名前は?」

「俺は…俺は、沢樹…沢樹 槐…」

「オッケー、これでもう知り合いだ。何かあったら…何もなくても、見かけたら話しかけてくれよ。この話はこれで終わりだぜ、沢樹のおっさん」

 

 太陽。今は見えない天体と同じ名前。まるで本物の星のような暖かさがそこにあった。

 

「…ありがとう……ありがとう…!」

「おいおい泣くなよ…」

 

 沢樹は泣いた、人目も憚らず、嗚咽の混ざった感謝の意とともに。あの頃の、子供だった時のように。

 

 

 

 

 ───☆

 

 

 

 

「…振り出しかぁー」

 

 沢樹のおっさんを宥めすかしてから送り出して、いつものメンツのみになった事務所で、口から落胆の声が漏れ出た。

 いやさぁ…結局、あの沢樹は模倣犯でしかなくて。肝心の吸血鬼は今も何処かでせっせと人を襲ってるかもしれないんだろ? いい感じに一件落着かと思いきや、これってただの振り出しに戻る、って事じゃん。

 

「でも、嬉しそうだったよ」

「…寂しいヤツなんて、どこにでも居るってコトさ」

 

 レイリーが慰めの言葉を投げかけてくる。嬉しそうだったかぁ…まぁうん。今回はたまたま俺だった、だから怪我人も出なければ沢樹も刑務所に入らずに済んだ。

 っていうか、下手したら多賀さんに殴られてたかもしれないからな。そうなったら…良くて全治数ヶ月だな、うん。あの人本当に警察官かよ、怖過ぎるだろ。

 

「そういやさ、さっき何か名刺っぽいの渡してたけど」

 

 沢樹を送り出した時、レイリーが何やら紙切れを渡していた。何だったんだろうか、連絡先とか? 流石にそんなわけ無いか。

 

「お父さんの店の名刺、夜はバーだから」

「レイリーさんってば意外と商売上手…ッ!」

「任せて」

「何を!?」

 

 父親の店で知り合いが出来るか、はたまた父親が話し相手になってくれる事を見越しての事だろう。結構抜け目が無いなレイリー。

 

「お前ら、イチャついてねーでさっさと帰れよ。明日も学校だろ。ってかさぁ…メリーが居ないからアタシがこうやって事務所開けてんの、わかる? 営業時間外に、もしもの為に残ってくれって、まぁた面倒な事を…」

「イチャついてる訳じゃ」

「ありがとうございました代理、すぐに外でイチャつきますから」

「レイリーさん??」

 

 ありがとう働き者キャット。お礼はビール六缶入りを一つで手を打ってもらう。そしてレイリー、お前の積極性が俺は怖いよ。

 怖いといえばそうだ。相手は吸血鬼でなかったけど、成人男性がトチ狂って襲ってきた訳だが。

 

「レイリーは怪我とか無いか? あと、普通の女子にはトラウマモノの恐怖体験だったと思うけど平気か?」

「…んー」

 

 何だそのリアクション。何か考え込んでいるような、言おうか言うまいか迷っているような感じの。

 こちらに向き直して自然と、何でもないようにレイリーが言う。

 

「太陽くんが守ってくれるでしょ? だから、平気」

「…そうかい」

 

 よく覚えてるもんだ、まったく。

 

「いいからさぁ! イチャついてんじゃねーよ! 帰れってのガキども!!」

「うす…いやね、イチャついてはいなくて…」

「じゃかあしいわボケ! 何が悲しくて主人との時間を削られてボーイミーツガールなキャッキャウフフを見せられなきゃいかんのじゃい!」

 

 タマさんが怒っちゃった…怖…泣きそう。でも言う事はごもっとも過ぎて何も言えねぇ。

 

「送ってくよ、帰ろうぜレイリー」

「うん」

「けーっぺっぺっ! ビールが進むにゃー!!」

 

 酒の肴になってんじゃねーか! 

 こういう大人はいいのか!? 

 

 …いいのか。

 思い詰めるよりも、辛いことでも酒の肴にして飲み下した方が、きっと。明日の活力になるって事だろう。

 

 

 

 





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