はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
レイリー・ケイスは困惑していた。
目を離した一瞬で、人が一人消える。
あり得るだろうか、否、まさか。
凡百と言って差し支え無い一般人である自分なら、慮外の何かによって可能性は有る。
しかし相手は伝え聞く限り、個人で広範囲を殲滅出来る人。そして想い人の改造人間。
両者とも体重は成人男性の標準は有るであろう、それを誘拐か、あるいは掻き消したかのように消失させる事は出来るだろうか。
二人共悪戯で人に心配を掛けるような人柄でもない。つまりは、超常的な手段で消えたと考えるしかない。
「……ッ」
考えろ、思考を早く、あり得ざる事を考慮しろ。
どこかに何か違う物は無いか。
電灯は日常の続きと煌々に、ブロック塀は静かに沈黙を保って。路地そのものは嘲笑の風を受けて微動だにしていない。曲がり角からは足音も息遣いも、ささやき声すらない、耳が痛くなる程の静けさ。
何か、何かが違う筈だ。
「……!」
地面の一部、金属の蓋。人が入っても尚余裕のある、都市の地下への入口。
下水道への入口。
傾いている。
ほんの些細ながら、視線を下に向けていなければ転びかねない傾き。蓋がまるでヒトの口蓋のように、だらしなくズレて開きかけている。
当然だがあり得ない事だ。マンホールの蓋はズレる事なく、落ちることもないように丸い円形の型をしている。そして持ち上がる事もない筈だ、サイズにもよるが一般的な重量はおよそ四十キログラムもの鉄塊、そう簡単に動かす事もままならない。
ヒントはあった、しかし四十キログラムを単純に持ち上げられる腕力が無い。時は一刻を争う可能性が高い。有効な道具があればまだしも、自身の細腕、独力ではどうにもならない。
「…独り?」
周囲の人気の無さ、それは正しい。
だが、孤独を誰とも知れぬと言うのなら否、今は違うと断言出来る。
か細い線なれど確かに有る物。
見えなくともそこにある繋がり。
遠隔地の人と会話が出来る、そんなある種魔法じみた事を可能とする電子機器。
つまり、携帯電話。
すかさず手を伸ばした。小さな画面に表示される連絡先は少ない、友人と言える者の連絡先が片手の指で足りる程度。そして両親のもの。
使用する連絡先は最近追加されたカテゴリ、仕事先。
頼っていい大人の一人に電話をかけた。
数回の電子音。
『はい、もしもし。私メリーさ』
「メリーさん!! た、太陽くんと千々石さんが…!」
『最後まで言えない…!?
ま、まぁいいでしょう…どうしましたレイリーちゃん。凄く焦っている声ですが、まず落ち着いて、深呼吸を。それから、いつ、どこで、誰に、なにがあったのかを教えてください。
はい、吸ってー…吐いてー…』
深く吸う、吐く。繰り返すこと数回。
自覚の無いまま混乱を来していた頭が、幾分か冷えていく。
『は〜い、ひっひっふー…ひっひっふー…はーい息んでー、頭が見え…冷えて来ましたよ〜』
「……」
油断しているとこれである。
下手に触れるとそのまま下ネタに向かう事は知れているので、普段から黙殺する事に決めている。
「たった今、かっぱ橋からの帰り道で、太陽くんと千々石さんが姿を消しました。まだ消えてから数分です。近くのマンホールがズレていたので、地下に行ったのか引きずり込まれたのかなって思います」
『あ、はい』
レイリーは極めて冷静に現状報告を行った。
電話口からは何やらブツブツと、やれ冷たいだの、メリーさん悲しいだのといった世迷い言が聞こえる気もするが、恐らく気の所為だと処理をする事にした。
『大まかな場所を教えてください、所長も代理もそちらに向かいます。それから、あまりマンホールには近付かないようにしてくださいね。あの二人が一気に消えるというのは、尋常な事じゃないですから』
「…はい…。場所は…」
言われるまでもない事ではある。
しかしどうにも気が逸るのも人の性、想い人でなくとも、知己に何かあれば何かせずにはいられない。これが人の善性による物かは知る由もないが、とにかく本来の意味で安堵する事は遠い。
『では、所長たちに向かって貰いますから少し待っていて下さい…電話はつけっぱなしでも良いですよ?』
「はい、待ってます…」
保留音が聞こえる。今すぐにでもマンホールの蓋に近寄って、何か行動を起こしたい。その衝動への自戒を込めて電話は切らない事にした。落ち着き払った声色の、電話先に居た頼りになる大人の一人もあえて電話を切らないようだ。
それでもやはり落ち着かない。
もしも。彼に何かあったら、彼等は無事だろうか。
取り留めもない嫌な思考が頭を駆け巡る。肺腑は重みを増し、胃と下腹部には鉄綿を埋め込まれたような異物感と不愉快さがあった。
気を紛らわせる為に、気分と同様に落ち込んでいた視線を持ち上げて周囲を見る。
人通りはほぼない。繁華街とは遠く、夜も更けているから当たり前といえばそうだ。暗夜は不安の色を濃くしていく。曲がり角から通りがかって出てくる誰かも、不思議そうな顔をしてこちらを見るばかり…。
そう、この誰か。風に優しく靡く焦げ茶色の髪、そよ風を纏う細身の体。足の指先から頭まで誂えたかのような整い方。手指も誰かがそう誂えたような鋭利さで、美形とはこれこの事。そう言っても問題にならない男性がこちらを覗き込んでいた。
「……あっ」
「…やぁレイリーさん。見たところ何かあったようだが…どうだろう、オレで力になれるかな?」
「淋代くん…!?」
そこに居たのは、自身も通う高校の生徒会副会長であり。それと同時にモデル業にも勤しむ男。
淋代 颯だった。
───☆
いつの間にか、ふんわりと寄り添うように近くに居た彼が。不安を溶かすような笑顔を見せている。
「…そうか、慰めにならないかもしれないが。君が無事でとりあえずは一安心だな」
掻い摘んで事情を話すと、そう言ってくれる。努めて落ち着かせようとしているのも伝わる受け答えだ。
穏やかに、目線を合わせて、じっと聴いていてくれていた。メリーさんに話した時もそうだけれど、人に話して落ち着く事もあるものだ。
「淋代くんは、心配してないの?」
「ん…?」
我ながら要らんことを言ったと思う。でも些細な疑問をつい言ってしまった。
彼は間違いなく太陽くんと仲が良い、学校やプライベートを問わず話したり遊んだりもしている。
どうしてそこまで仲良しなのか知らないけれど、少なくとも友人と言える間柄の相手が消えたと聞かされれば、狼狽したり心配する素振りを見せるものじゃないのかと思う。
私の不躾極まりない発言に、彼は少し考えてから返事をした。
「まぁ実はそこまで心配していないんだ。あいつの身体の事はオレも知っているからね」
「でも、怪我だってするし…」
「そう、その通り。當真は人並み外れて頑丈だが怪我自体はする。でもレイリーさん、これだけは覚えておいてほしい」
地面が揺れる。
これは彼の言葉に衝撃を受けたからとか、そういった類の比喩的な表現じゃない。本当に地面が小刻みに揺れている。
「あいつは諦めが悪いし…それに、何より」
「何より?」
地面が隆起した。
黒い何かを引き連れて。
「どんな形であれ、必ず事件を解決する奴だよ」
「だァー!! くっせぇんだよ! 歯磨きした事ねぇのかワニワニパニック野郎がよ…あっ新鮮な空気ィー!」
マンホールの蓋が弾け飛んで、家屋の外塀に叩きつけられる。周囲のコンクリートごと飛び出して来た何かの正体は、黒っぽくて、大きな口に、恐竜みたいな皮膚を持った爬虫類。
どうみても巨大ワニです。
いや大き過ぎるよ。全長十メートルとか超えてるでしょこれトラックみたいな大きさしてるもん。都会の下水は栄養豊富で育ち過ぎたのかな? 将来的にはジュラシックな映画からオファーが来そうな、元気で立派なワニさんですよ。
「ってかここどこだよ! 下水ウロチョロされちゃあわかんねぇじゃねーか! そもそも前が見えねぇ! だ、誰かァー!? 誰か居ませんかァー!?」
「ほら、な?」
「いや、な? じゃなくて」
何かいい感じの空気が台無しだよ。いいのかな淋代くん、君の友人が思いっきり叫んでるよ。生来のツッコミ気質が溢れ出ちゃってる感じの叫び方だよ。
「アッ!! 見えねぇけどレイリーと颯の声がするゥー! 助けて二人とも! 千々石さんもいるけど気絶してやがんだよ!」
「全力で殴ったらどうだ」
「もうやったよ! 効かねぇんだよ! っていうかオレの現在地わかるか!? ワニの口の中だぜ!?」
うーん、必死な声が響きますね。
激しいツッコミをする太陽くんが本当にワニの口の中に居るかどうかもわからない。何故かと言うと、地下から飛び出したワニはそこそこドッタンバッタンと暴れているし、それに連動して頭の部分も左右にブンブンと動くからだ。
よく観察してみると、ワニの口は半開きになっている。太陽くんが噛み潰されないように、つっかえ棒になっているんだろう。国民的夕方アニメの、白猫が果物の間で腰を振っているアレみたいな感じなのかな。
それにしても、事ここに到っては意外と冷静な自分がいる。千々石さんは気絶しているらしいけれど、太陽くんはかなり元気だからだろうか。もしくは目の前の非現実っぷりに驚きを通り越してしまっているのかもしれない。
「と、すれば普通のワニが大きくなっただけか? うん…流石にワニの生態は詳しくないな。レイリーさんは何か有効な手立てを知っているかい?」
「え…」
それはキラーパスじゃないですか淋代くん。一般的な女子高生はワニについての造詣浅めですよ。精々が昔に読んだ動物図鑑の記憶の断片程度、それも噛み付く力が人間の何倍とかそういったもの。
いやいやいや、ここで諦めるのも良くない。時は一刻を争う、たぶん。
何か、何か考えよう。
しかし相手は巨大生物、パニック映画なら間違いなく太陽くんも千々石さんも一口。最初の犠牲者はキミだ! っていう事ですね。
…じゃなくて。
手持ちの武器から考えよう。
そもそも何で武器を持っているのか?
護身用で両親が持たせてくれただけです。
銃は…無し。淋代くんが居るし、そもそも今日は持ってきていない。
爆発物類、あるにはある。でもスタングレネードなので、巻き込みリスクがあります。一か八かでやってみて太陽くんだけ倒れてしまったらと考えると、おいそれとできない。
ワイヤー類、ある。確かワニは口を開く力だけ極端に弱いらしい。でもワイヤーで口を閉めさせたら本末転倒どころの話じゃない。
刃物、ある。けれども、岩みたいにゴツゴツとした表皮に刃が立つのか。というかワニの大きさから考えて、ほんの少し刃物でキズ付けられてもわからないんじゃないだろうか。
普通サイズの生き物ならどうにかなりそうなのに…あっ、そうか生き物なんだ。
「太陽くん!」
「ナイスアイデアあったかァ!?」
「喉の奥を叩いたら吐き出すよ!」
「はァ!?」
専門的に言うと咽頭反射。簡単に言うと、喉に手を突っ込むとゲーっと吐き出してしまうあれの事。
大抵の生き物にはある、というか丸呑みをしない生き物なら大概は備わっている反射行動だ。
「あっそういうこと!? 押して駄目なら引いてみろってコト!? ゲロみたいに吐かせろって事だな!?」
「そうそう」
「成程…素晴らしい発想だな、レイリーさん」
「おっしやってやろうじゃ…揺らすな揺らすなバカワニ野郎! 財布かバッグにしちまうぞ!?」
「離れておこうか」
「うん」
「吐けオラ……ホギャアー!?」
──ビチャ、ビタァン!
太陽くんの語気強めの掛け声とほぼ同時に上がる悲鳴、それと水分をたっぷり含んだ何かが景気よく叩きつけられた音が二つ。
「いや参ったぜマジで…マンホールが開いたと思ったらワニの口の中でやんの。しかも丸呑み直前。千々石さんも服が歯に挟まったまま気絶してるし…」
「くっさ…」
「レイリー? 言われなくてもわかってるからやめてね?? その言い方だと俺が臭いみたいじゃん?」
「事実大分臭うぞ…」
「さっきまでワニの餌一歩手前だったから当たり前だろうがよ! ヨダレでビッチャビチャなうえに下水道に居たら臭うんだよ、普通は!
あぁっやめて! 静かに距離を取らないでッ!!」
うん…奇跡の生還を祝福したいところだけど、今はちょっと近づかないでほしいかな。千年の恋も冷めるタイプの刺激臭が凄いよ。今日は是非念入りに入浴してほしい、本当に。
「激臭の當真はさておき…」
「抱きしめてやろうか親友」
「遠慮しよう。さておき、どうする?」
「どうって言ったってお前…」
「あっ」
「あ?」
「ワニがこちらを見ているが…」
「……」
ワニの表情がわかる程何度も足繁く動物園やワニ園に行って観察している訳じゃない。けれど殺意や敵意とはまた違う、嫌な気配をひしひしと感じる。
これは何かというと?
はい、餌を見る目付きってヤツですね。
「…全力で逃げんぞッ! 俺は千々石さん抱えるから、颯はレイリーを!」
「そのつもりだ…臭いしな…」
「何で今そんな事ボソッと言うのォ!?」
「一人で走れ…ひゃっ」
「あまり喋らないようにしてくれレイリーさん、ワニは直進するだけならかなり速い!」
わぁお姫様抱っこ、何だかロマンチックだね。モンスター級のワニに追い掛けられていなければシチュエーションもバッチリ。
シチュエーション的にコメディかパニックホラーの一幕にしか見えない?
大正解ですね。
───☆
さて、パニックホラー映画のオチというのは意外な程単純なもの。
即ち、全滅バッドエンドはほとんど無い。
ということ。
「やぁ〜太陽くんも大変だったっスねぇ。あと少しでワニのご飯になってたなんて、あんまし無いっスよ?」
「あってたまるか…って言いたいところですけど、こんな変な話が多いんで困ったもんですよ。というかね、巨大ワニが下水に潜んでたってのも珍妙な話ですけど、アンタも吸血鬼ってトンチキ側の変な存在ですからね?」
「うちは普通っすよぉ、どこにでもいる普通のOL……だったっス、うん」
あれから…淋代くんに抱えられて逃げた後の顛末について、簡単に。
淋代くんは私を抱えながらも、外塀に跳び乗ったり民家の屋根を軽やかに跳び移ったりして。本当に私と同じただの人なのかと訊きたくなるような動きで逃げ回ってくれました。都心の高校生はひと味違うね。
そうこうしている内に所長さん達が駆け付けてくれて、ワニの動きを止めようということに。それで、ワニは口を開く力が弱いからどうにかして口を閉じさせようとしたら、私のワイヤーの出番。
所長さんと環さんの息の合った動きで、あっという間にワニの口をグルグル巻きにしちゃいました。
それでも結局暴れるから。いつの間にか気がついた千々石さんが人を呼ぶまで、所長さんと環さん、太陽くんと淋代くんが抑えつけたり避けたりの超人バトルというか、凄まじい大乱闘。
民家への被害少ないけれど、アスファルトを含めて砕けたり壊れたりはしたから、千々石さんがお詫びに行く事になったそうだ。偉い立場の人なのに、凄く苦労人なんだなぁと思う。
で、千々石さんが呼んだ人。マリーさん…? が、ワニの首辺りで何かすると、そのままワニは眠ってしまった。マリーさんが首筋に触ると眠くなっちゃうみたい…ということにしておこう。
それにしても…どう見ても金髪に染めた日本人っぽいけど、何でマリーって呼ばせてるんだろう?
「…よし、行ってきます」
「気ィつけてなー」
「昼間じゃなきゃ、うちも行きたかったっス…」
結局皆、怪我をすることもなく。非日常から日常へ。
日常といえば最近…というよりも、この探偵事務所で働きだしてから気付いた事がある。それはとっても単純なこと。
非日常なんて、案外どこにでも転がっているのかもしれない。そんな発見。
この前初めて会った商店街の河童の喜八さんもそうだし、彼に酸素ボンベをキャンセルしに行った、一見して穏やかそうなだけの千々石さんもそう。この世は意外と、不思議で一杯なのかもしれない。
というか私以外、とんでもない人たちが多過ぎる。
一般女子高生の私には驚くような人や事ばかりだ。
「……」
「……」
ちなみに件のワニは、動物園に保護されている。
そもそもが動物園から逃げ出したワニが都市部の下水に隠れていた、という話。それがあんなに大きくなるとは…まさかだろう。
ただ数日、普通に動物園で過ごしていたら元の大きさに戻っていたらしい。やっぱり餌が違ったのかな。それとも人は襲っていなかったそうだから、空気が違ったのかもしれないね。
「……じゃあね」
「………」
ここは動物園、話しかけても無口なワニに別れを告げる。元の大きさに戻った彼は、何だかんだのんびりとプールで泳いで過ごしていた。大きくなった原因は結局わからない。けれど。
「……」
「……」
やっぱり普通が一番、だよね。