はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
くたびれたスーツ姿、深夜というには遠い時。電車の駅から遠ざかって、恐らくは帰路を一人項垂れて行く苦労を背負った男。
「き、き き、な、おお父さんだよ
クリスマス、ガラスをクレヨンだ、入学
あや、あや、歯が、美味しき、らん」
その顔には仮面だけを着け…。
───☆
【愛に溢れる探偵事務所】
名前は少々トチ狂った探偵事務所。愛、愛ってなんだ、躊躇わないことか。その名前の由来は、電話帳の一番最初に乗りやすいからと悪ノリを始めた受付兼事務員が決めた名前に対し。所長代理を務める者が、まぁ自分と自分の飼い主の愛の巣だから間違ってないか、とさらなる悪ノリを決めた形である。
所長代理の飼い主こと探偵事務所の所長も、電話帳に乗りやすいならいいか、とあまり気にした様子もない。害が無ければ気にしない方針である。
そんな一目見れば訝しむ文言の看板(彩色はショッキングピンクが基調)をすり抜けるようにして、一人の白っぽい女子高生が探偵事務所に入っていく。
白っぽい、と言っても服装の話ではない。頭髪等を含めた外見が、周囲から浮く程白いのである。
「こんにちは」
「レイリーちゃん、こんにちは」
女子高生の名前はレイリー・ケイス、このいかがわしい探偵事務所のアルバイトが一人。
働くきっかけ、動機は不純かもしれないが。早々に馴染んで今に到る。
返事をするのはメリー・フォンセルランドと名乗る金髪碧眼の受付兼事務員。
彼女は…。
「…何で腕を干してるんですか?」
「黄瀬さんに水をかけられまして…」
「あぁ…」
ゆらゆらと室内のエアーコンディショナーの風を受けて、白磁の腕が独りでに動く。何も知らない人が見てしまったら、ここはサイコの巣窟ではないかと恐れおののく事請け合いだ。
純粋な人間では早々ありえない行動、四肢の取り外し。そう彼女はカテゴリーとしては人形である。人形の中の細かな分類上、何に属するかはあまり大っぴらに言えない存在だが。
「その黄瀬さんは…?」
「日傘を持って屋上に行ってますよ」
「自殺行為を?」
「ふぅーただいまっス! あっレイリーちゃん!」
「普通に帰ってきた…」
「タバコ吸ってただけっスよ? うりうりー」
「タバコ臭……」
月光か陽射しなら太陽光の方が似合う女吸血鬼、黄瀬 ひより。煙草を吸うのは、本人の弁では大学時代からの癖といつか習慣だとのこと。今日も今日とて探偵事務所の従業員に水をぶち撒けたりと、ポンコツっぷりを晒す事に余念が無い。
また、レイリーに拘束されたりもしたが、本人はその時の恐怖を最早ほとんど忘れている。
何より人懐っこい性分らしく。自分よりも歳下かつ小さいレイリーを、吸血鬼の腕力を以て抱きしめてはグルグルと振り回す事が何となく楽しいらしい。
振り回される側のレイリーの感想は。
「殺……」
「えっ? なんスか??」
「なんでも…」
不愉快極まりないようだ。
しかし決して、煙草の臭いが移ることや三半規管へのダメージが苛立ちを加速させているのではない。
「もげろ…!」
「何がっスか!? メリーさんの腕は取れちゃってるっスよ! まぁうちが水をかけちゃったからなんスけど…いやー、にしてもいい抱き心地っスね。妹が居たらこんな感じなのかなって考えちゃうっスよ」
「爆ぜろ…!」
「えっ!?」
黄瀬は豊満であった。
黄瀬は豊満であった。
大事な事だ。豊満、何度繰り返しても惜しくはない。
大部分が小さく、モンゴルの青き草原を思わせる雄大ななだらかさを持ったレイリー・ケイスからすれば。山頂が二つ、正しくK2もかくやたる巨峰を押し当てられている。それもかなり無遠慮に。
探偵事務所に席を置いている者たち、その中の女性陣のスタイルは様々である。
自分の意志である程度可変を可能性とする化猫の環、彼女の基本状態はスレンダーで機能的な体型。
メリーは所々大きいがバランス良く、人の手の及ばない造形物としての完璧な体型。
この二人に対しては、そういう物として眺めては諦めていたレイリーだった。
だが黄瀬は違う。
探偵事務所で半ば匿われているとはいえ、タダ飯食らいは心苦しいと従業員の真似事としてお茶汲みをしている黄瀬だが。基本的に自分の足元が見えていないのか、高確率で躓く。しかも飲料物だけでなく、そもそも何かしらの物を持っている時程よく転ぶ。注意力が足りてない可能性が高い。
ちなみに唐突に降り注ぐ液体の犠牲者は、およそメリーか、探偵事務所所長代理こと環である。
距離感の無闇に近い同性、しかも驚愕の豊満さを惜しげもなく押し付けてくる。これはレイリーにとって恐るべき侵略者だった。
それはともかく。
「…そういえば、太陽くんは?」
黄瀬のスキンシップからの脱出を諦めたレイリーが言う。いざ真正面から力だけでホールドされれば、自称一般女子高生では吸血鬼の力に太刀打ち出来ない。
「教会に行きましたよ、所長と一緒に」
「そう、で」
「んんんーラブがコメしてる波動を検知したっス! あんまり隠してないっスけど、レイリーちゃんって太陽くん好きっスよね! 高校生で真っ当な恋愛! これだけでお酒が進むっスね!」
「……」
好意は隠さずとも、それを大声で騒がれるのはまた別のもの。囃し立てられている側の内心としては、吸血鬼なら簡単には死なないんだから舌でも切り取ってみようか、と少々物騒な物だった。
「黄瀬さんを教会に預ける話をしに行ったんですよ」
「そうなんですか」
「えっ、うち聞いてないっスよ!?」
「言ってませんからね」
「いやちょ、ちょっと。うち教会は嫌っス! 十字架は何とも無いっスけど、あのヤバいシスターさんと神父さんが居るのは怖いっス! 下手にドジこいたら死んじゃうっスよ!!」
「ドジをしないように、気を付けて歩いたりすれば良いんじゃないでしょうか。環が最近事務所に居ないのも、黄瀬さんがよく飲み物をかけるからですよ?」
「無理っスよぉ〜…足元見えないんですもん…」
「……チッ」
「レ、レイリーちゃん…? 舌打ちは怖いっスよ…?」
環が事務所に寄り付かない理由の一つとして、飲み物をぶち撒けられるのは確かだが。それだけが理由ではない、黄瀬が非常に多弁であるのも理由に挙げられる。
もちろんそれ以外の理由もあり、それは当然多忙が故。失せ物探しや人の身辺調査で外に赴く事も多い。やかましい黄瀬に対して警戒を解いていないのも、理由の内に入っている。何とも猫らしい理由と、まるで人間のような理由が混ざっていた。
───☆
日が翳ってきた。
街灯の影は私よりも大きく長くなって、夕暮れから夜に切り替わろうとしているらしい。
事務所の壁に掛けてある時計を見れば、そろそろ帰ったほうが良さそうな時間。
今日は出来る事なら早く帰りたい。
何故ならお母さんが…。
「今日はいつもより早く帰れそう! 普段二人にはご飯の用意してもらってるから、今日こそ料理作って待ってるからね」
と朝、仕事に出る前に不穏な言葉を残していたからだ。
自分の身内の事だけれど、忌憚なく端的に母親の料理を形容すると。美味しくない。はっきり言うと、味が薄い、薄すぎる。直球で言うと不味いと言って過言じゃない。
母親本人からすれば、私とお父さんの料理の味が濃すぎるだけだそう。いや、そんな事は無いけども。えぇ。塩分量に気を使って出汁を使ったり、酸味を効かせたりと工夫はしていますが、普通の味です。
まぁでもお母さんは酸っぱいものが苦手ではある。腐ってるんじゃないかと匂いだけで警戒する。なるほどこれが、あちらを立てればこちらが立たずって事かな。あ、それと苦い物も苦手だ。毒じゃないのって言いながら口にしない。だから野菜ならピーマンとトマトが苦手な母です、子供かな? 子供の私は好き嫌い無いのに、不思議だ。
ひょっとしたら味覚が鋭いのかもしれない、だとしてもレシピから塩分を無くすというアレンジはやめてほしい。レシピがあるならまずはその通りに作るべきじゃないでしょうか。
「……」
ちら、と。無味で恐怖の晩ごはんの心配をしながら、メリーさんを見る。決して変な意味は無く、ただ、いつ帰ることを切り出そうかタイミングを見計らってるんです。
早く帰りたいなら、さっさと言えば良いと思っているそこのアナタ。それはコミュニケーション苦手な人間を侮ってます。
メリーさんはパソコンに向かって、集中して何かデータを打ち込んでいる。取り外した腕はすっかり乾いたようで、片手で資料を掴んでは、もう片方の手でタイピングをしている。
もう一人の大人、黄瀬さんはぽけーっとした様子でお茶を飲んでいる。口が半開きだよ、大丈夫なのかなこの人。
えっと、まぁつまり、誰も喋っていないこの瞬間。
沈黙を破って自分から声を上げる事の難しさ。わかりますか、私はコミュニケーション強者じゃないんです。これが太陽くんだったら、そろそろ帰りまーす、何て言ってさらっと帰るでしょう。
…というか、たぶん私以外の事務所の人たちなら普通にそれくらい言えるかもしれない。あっ、でもこの前知り合った千々石さんならどうかな…うん、普通に言えるか。もしくは人の仕事を手伝ってから帰るとかかな、私には出来ない事ばかりですね。
「んー…お腹空いたっス!」
「…あぁ…そういえば夕飯時ですね。レイリーちゃんは帰っても大丈夫ですよ、所長達には言っておきますから」
「あ、はい」
おいおいおいおい、おやおやおやおや…。ひょっとして黄瀬さんって空気とか読めちゃう人?
その無駄に大きい胸がレドームみたく人の考えとかをキャッチ出来るのかな、その無駄に大きい胸が。略して無駄な胸が。
人類における無駄な資産についてはさておき、これはチャンス。早く帰って母親の虚無料理を阻止しなくちゃ。何が虚無って、やる気じゃなくて味の事ですよ。
「じゃあ帰ります、お疲れさまでし」
「うちが途中まで見送るっス! ついでに自分の晩メシの材料も買うっスよー!」
えぇ…?
「いーじゃないっスか! 今日は太陽くんも居ないし、暗くなってる中を女の子一人で帰らせるのは危ないっス。ちっちゃいレイリーちゃんが襲われでもしたら、おねーさん悲しいっスよ!」
ちっちゃいは余計ですよ。その余計な言葉と一緒にもぎ取ってやろうか、その胸を。
───☆
「やっぱり外は良いっスねー。ていうか、人間お外に出なきゃダメっス。体に悪い気がするっスよ」
「…そうですか?」
めちゃくちゃグイグイくる黄瀬さんに、結局見送られる形で帰路に就いています。私は弱い…!
そんな私のコミュ力ではなくコミュちからが貧弱な事は置いといて、いくつか気になる事がある。黙ってても黄瀬さんは喋るだろうけど、先に聞いてみよう。
「黄瀬さんは、逃げないんですか?」
「えー?」
黄瀬さんの扱いは、保護と言えば保護。だけれど、やっぱり窮屈なんじゃないだろうか。
よくわからない相手から追手が差し向けられている、なんて事も現在はない。だったら、私以外に誰も居ないうえに夜の今が好機と逃げ出すのは簡単だろう。
「んー……正直、うちは逃げても仕方ないんスよ」
「そう…ですか?」
「好きでこんなんになった訳じゃないっスよ? それで、元の生活に少しも未練が無いって訳でも無いっス。ふつーに働いて、ふつーに遊んで、ふつーにお酒飲んで。社会人ってのも悪くないっス…でも」
「でも?」
ちょっとだけ、真面目な顔つきで黄瀬さんが話す。
「現実的に考えると、うちはもう戸籍とか社会的には死んでるらしいじゃないっスか。じゃあもう会社には戻れないっスよね、死んでる人が会社に来たらパニックっス。ってか、こんな体だからもしも戻れても働けないっス。んで、おかーちゃんにも会えないっス。娘が怪物になって帰ってきたってのも怖いと思うし、追手が来たら巻き込んじゃうし」
「それは…まぁ、確かに」
「だから、逃げても仕方ないんスよ。それに」
冷たく、遠くを見るような目。
「紅屋ちゃんがいるなら…いっそ…」
「黄瀬さん…?」
何か仄暗い光が瞳に映っていた、ような。
「ま、ま、いいんスよ! 本当に戸籍とかじゃなくてガチで死ぬのは怖いっス! だったら守ってもらうのもやばさかでないってヤツっス」
「やばさかじゃなくて、やぶさかですよ」
「あれぇ!? レ、レイリーちゃんは賢いっスねぇ!」
「黄瀬さんって本当に大学出てるんですか?」
「いやぁ〜勘って凄いっスよね」
「黄瀬さん??」
色々な意味で不安になる人だ。
いつの間にか、さっきまでのほんの少し暗くて、いつもより真面目な表情はどこかに行っていた。人には人の、それぞれの悩みとかがあるんだろう。今はそう考えておくしかない。
「さぁ! レイリーちゃんを送ったら、所長さんに貰ったご飯代で食材を買うっスよ! あとビールとトマトジュース、これ大事っス」
「トマトジュース…?」
「血の代わりに飲んでるっス」
て、テキトーだなぁ吸血鬼…。
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や、優しくしてね…!