はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
「……リ……?」
機械の駆動音、断末魔の悲鳴、線路の反響。
およそ全てが耳障りな、赤黒い車内。
呆然としている。
目の前ではない、別車両で誰かが四肢を捥がれ、酸鼻極まる行為の果てに痛苦を吐き出していた。
「…イ…リー…!」
身体が動くのは何故か。
助けなければならないと思い上がったから故か、それとも逃避か、はたまた絶叫の正体を知る為か。知る由が無くとも身体は前進をする。
連結部の扉は開かない。
目を凝らしても扉の中は靄がかったかのように不鮮明なまま。距離自体はあるだろうに。悲鳴の音量だけ、間違えて引き上げ過ぎた様子があった。
見てはならないものを見る、これは人類には抗えぬ欲求なのかもしれない。
次の犠牲者は誰であろうとも。
「レイリー!!」
「っ!?」
しかし、夢の中断とは呆気ないものだ。
「もうすぐ着くぜ? …っていうか、めちゃくちゃ魘されてたし、汗も凄いけど…大丈夫か?」
「え…?」
何があったのか、疑問を取り残してなお目覚めの時は唐突である。
言われてみれば確かに、服が肌に貼り付き髪は湿っている。汗が凄いと言われるのは気恥ずかしい物があるが、旅の恥は掻き捨てというものだと納得させるしかなさそうだ。
「嫌な夢でも見てたのか?」
「……」
心配の色を浮かべた顔で疑問が投げ掛けられる。
「どう…なんだろ…」
夢を見たのは確実でも、それが思い出せるかは別の問題。何か良くない、それこそ魘されて然るべき内容だった気もする。有り体に言えば悪夢に相当する何か。
悍ましい何かを見た、ような?
泡沫のように消えた夢幻は、危機感だけを薄く残している。何か、放置してしまったら手遅れにもなりそうな恐怖があった気もする。
「疲れちまったか、何だかんだ遠出だったしな。家まで送るけど、着いたらゆっくり寝ろよ?」
「うん…」
本当に自分が疲れているだけだろうか。見落としてはいけない何かを忘れてしまっているような、嫌悪にも似た違和感がこびり付く。
その夜…。
───がたん、ごとん。
「…ッ!!」
今、どこに居る。
寝付いた場所は当然自宅の自室。
ならば聞こえるはずのない、この電車の駆動音は。
床に就く前は何をしていた。特に何も、特別変わった兆候はおろか変な行動はしていない。
両親が家に居たから三人で食事を摂り、ささやかな談笑をして入浴をした。ありふれた事しかない。
「これは…!」
頭が冴えてきた。就寝中の夢の中だというのに頭が冴えるというのも奇妙な事であるが、周囲の輪郭が判然としてくる。
そう、ここは夢の中。これは間違えもしない。
『…──ザ、ザ』
そしてこのノイズ。数時間前の電車でうたた寝をした時と同じ。であれば次は。
『…えー次はー…。
皮剥ぎ、皮剥ぎです』
『ぎ、ぃ…!』
前回よりも鮮明に聞こえる悲鳴、むしろ叫喚と言う方が相応しい。耳をつんざく絶叫が赤黒く空虚な箱を満たす中。混乱を来たしそうな脳の片隅、至極理性的な部分が最悪を推理する。
このアナウンスはつまり、拷問に似た行動を、誰かに行うという予告。
甲高い悲鳴はその暴虐に曝されてのもの。この夢の前は八つ裂きと確かに言っていた。その時と声の持ち主が恐らく違う。喉が枯れるどころか張り裂けそうな絶叫のトーンが違う、男性と女性の違いがある。
悪い想像が積み上がっていく。
「………」
それを聞くレイリー自身は小さな悲鳴の一つも漏らさない。恐怖が心を麻痺させているのではない。
冷静に、努めてただ冷静に、打開策を思考している。
断末魔の叫びが耳朶を震わせる中、集中して考える。
服装は…制服。現実の時期に合わない冬服。身体は普段通りに動く。法に触れる装備品はどうか。
「……一つ、二つ」
スカートの内側、制服の内ポケット。上着の裾、革靴の底面。本来必要のないスカートベルト。鞄が無いのは惜しいが、どうやら最低限の装備品はあるようだ。
どうする?
未だに連続する痛苦の声の主が危険なのは間違いない。装備は最低限。最善手は当然、ここから退避して装備を整え、誰かを呼ぶこと。もしも誰かを応援に呼べるとすれば、自身のアルバイト先でも『機関』と称される所に所属する人でもどちらでも現状を打破出来るだろう。しかし夢の中に誰かを呼ぶというのは正しく夢のまた夢。
どうする。
恐らく危機に瀕した人がいる。
彼ならどうする。
思考するまでもない。
「決めた」
これは決意の誓句。誰に聞かせるでもない、これから行うことへの鼓舞。
落ち着いて周りを見渡し改めて細部を理解する。この列車、後部らしき部分は何にも繋がっていない。ここが最後部、前方にある連結部は見えた。だが先の車両の内部は靄で見通せない。
時間が解決する事もあるだろうが、これはその言葉の範疇に無い。前へ、進む。
「ん…?」
電車らしく連結部に扉の取っ手はあるものの、施錠されているのか開かない。それが何だというのか。
「ふっ…!」
スカートの内側から取り出した物を抜き放つ。刃渡り数センチの鋭利な刃物。いわゆるナイフである、ちなみに法に触れる程度の能力大きさでもある。
体ごと体重を載せて一点にぶつかるように振るう。狙いは連結部の扉、その窓。
先端がめり込むと同時にビシともビキともとれる音。防弾の類ではないが、無駄に頑丈なようだ。
だが壊せない訳ではない。
「……!」
飛び上がる。比喩的な意味ではなく、跳躍をする。
続けざまの一撃、無機物が相手なのだから遠慮などない。手加減の一切もない飛び蹴り。
体重自体が軽いので、扉を拉げさせる事は困難である。しかしそれは織り込み済み。
バギリ。
これは透明で厚みのあるガラスが砕ける音。連結部を断絶していた扉が一枚役に立たなくなった証明。
体重の軽い女子であるレイリーが、力を込めこそすれ、ガラスを蹴り破るのを可能としたのは彼女の靴にカラクリがある。
「重くても、役に立つよね」
靴底に金属板、靴の前後には仕込み刃物。構造的には安全靴に近い改造を施されているが、実情としては危険物そのもの。それを叩き付ければ、厚みがあろうとヒビの入ったアクリルを粉砕するに容易い。
「次」
彼女の目線の先。連結部には二枚の仕切りが存在している。二枚目はどうするか、先程のように身体で破壊するのは困難極まりないと予想がつく程度の空間しかない。が、それは手札が尽きたという事とイコールではない。
バス、もしくはブシュっとしたガスが勢い良く漏れ出た音。次いで振るわれる刃物と続く破砕音。
答えはカード型携帯式拳銃、これも違法である。そのまま撃ち抜かれた窓の弾痕を効率良く拡げるように破壊したのだ。そうして作り上げた穴へ軽やかに身を投じる。
「…次」
壊せるとわかれば、同じ手順。否、手口と言って差し支えない鮮やかさで突き進む。
二つの窓を壊し、進む。
それを繰り返す事五つ。
現在元いた所から数えて六両目。飛び蹴りを繰り返すうちに脚の疲労感が微かに、しかし確実に残っていた。拳銃の弾薬も半分以下、内ポケットに隠し持っていた弾丸がリロードの度に無くなり、上着が軽くなる毎に不安が大きく重くなっていく。
もしもゴールなど無ければどうするのか。
あくまで夢想にすぎないこの状況、打開出来なければどうなるのか。本当は拷問を受けている人なんてどこにもいないとしたら。
赤黒の室内灯、か細い光が不安を助長させる。
どうあろうと前に進むしかないというのに。徒労であったらと、ただの夢かもしれないと、頭に反響する声があった。
「…ふー」
頭を振るう。
だから何だというのか。
やると決めたらやり遂げる。
それだけの事。
『…───ザ…』
「っ!」
この音、都度三度目にもなる雑音。聞き間違えようがない。またも凄惨な行為を発するのなら、速度を上げて先に進む。目視こそ出来てはいないが、被害者がいる事態になっているのなら、夢想のヒーローがいないのなら、私が助ければいい。
そう逡巡した直後。
『えー、車内でのトラブルはご遠慮ください』
「…?」
違う文言が、見当たらないスピーカーから聞こえる。
『また…』
物陰から、暗い室内より尚昏い、影が滲む。
『車内は大変混雑しておりますので、ご注意ください…キキッ…』
屈んだ人間程度の影の塊が、明確な質量を持って。レイリーの行く手に顕れる。
『キ…キキッ!』
「……これは…」
黒い何かから聞こえる鳴き声。
これは、日常からかけ離れた声。
「猿…!?」
「ウキャァ!!」
周囲の薄明かりを吸い込んで尚黒い毛むくじゃら。声からして、恐らく猿だとは思考が行き着く。しかし猿が何故ここに、夢といえども脈絡がないにも程があろうと思った。
「キ、キキー!」
「…くっ!?」
しかも明瞭に感じられる程の敵意を以て、飛びかかってくる。あまりの速度、野生が齎す素早い行動は狩りの本能によるものだろうか。
野生動物の中において、猿という存在はあまり脅威的なものとして映らない。だが実情は違う。
爪牙にまとわり付く細菌類は、人間にとって致命的な毒に変わる。何より特筆するべきは、樹上で生きるが故の握力である。
小型のチンパンジーでさえおよそ二百キロもの握力を備えており、加減無く触れられた場合どうなるかは想像に難くない。
「ふっ!」
「キ、ギ!?」
レイリーの手から振るわれる斬撃が影を断つ。
しかし…。
「キ、キー!」
「キキ!」
「これ、は…!」
猿の影は一体、また一体と数を増やす。
相対する影は、そこまで強力な握力を持たないニホンザルの形をしている。されども握力は三十キロ程、人間の平均的な握力と同じである。数値だけ見れば、脅威にはならない。だがそれは違う。
何が違うのか、それは器用さである。
「キャーォ!」
「キー!」
「うるさい…! こ、の!」
「キ、キキキ」
「キキキキキキ」
掴まれる寸前に切り払う、蹴り落とす、撃ち抜く。
終わらない。
「キキキキキキ」
「キキキ!」
「っ…はっ…はっ…!」
終わらない。
一匹は空中に飛び上がったかと思いきや軽々と手摺に掴まりフェイントをかけ、また一匹は背後から掴み掛かろうとし、別の一匹は牙を剥き出しにして食らいつこうとして。複数の暴力が次に、また次にと工夫を凝らして間断無く襲い来る。
体力が削られていく。一つ減らしてはまた一つ増え、何もせずとも影が増えていく。十匹以上仕留めても関係ない、影は波濤のようにひたすら襲い来る。
銃弾は少ない、装填の暇も無い。
靴が重い、手が上がらない。
ナイフで頸部を切断しても、靴の仕込み刃で致命傷を負わせても、弾丸で撃ち抜いても終わらない。
数の暴力そのものが、知恵ある動物の悪意が、異常に立ち向かう少女一人に向けられる。
助けは来ない。
これは悪夢が故。
終わりは無い。
それは悪夢の所以。
「キキッ!」
「しまっ…!」
あぁ、悪夢が追い付く。
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や、優しくしてね…!