はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
「レーちゃん!!」
「ッ!?」
心臓が早鐘を打つ。心配そうな母親の顔があまりにも近いから、という訳ではない。
「だ、大丈夫!?」
「あ…うん…? 朝…?」
「そうよぉ! 目覚ましの音がしても起きてこないし、パパが起こしても起きないし。しかもすっごくうなされてるから…」
「そう…なんだ…」
何か。
何か、とても、恐ろしいような。手遅れになる間際の、何かがあったような。寝ていた時と飛び起きた今のズレからくる猛烈な違和感と、冷房を効かせた部屋内ではありえない量の汗が寝間着の下の肌にまとわり付く。喉が貼り付いて口の中まで渇きが上っていた。
夢を見た。それは確実。でも、夢の内容が思い出せない。元から夢見は良い方で、ともすれば夢そのものを見ない日の方が多い。
「レーちゃん大丈夫…?」
「……うん」
曖昧な返事。それこそ夢みたいな、どこからどこまでが、という線引きのないもの。
快活な母親の不安そうな顔が、どうにもいたたまれない。自分でも原因のわからない、自分が引き起こした事態が、誰かを不安に陥れるのはあまり心地良くない。
「顔色も良くないし、ご飯は食べられる?」
「大丈夫、熱とかじゃないから」
「そう…」
心配させても仕方がない。嫌な疲労感が頭にも身体にもあるけれど、身支度を整えて登校しなくては。
そう思ってベタベタ貼りつく服、じゃなくて母親を部屋から追い出して着替えた。
「…痛っ……?」
長袖の寝間着の下にある、身に覚えの無い引っかき傷。姿見で確認しても血は出ていないし、どちらかというとミミズ腫れが近い。寝ている間にアグレッシブな動きでもし過ぎてどこかに引っ掛けたのだろうか。どうやら青あざらしきものもある。
背中、脚、腕に多いそれら。寝相が悪いと言われたことは無いけれど、何分寝ている時の事はわからないもので。家族はともかく、寝姿というか気絶顔を見られたのも彼一人くらいなものだ。乙女の寝顔を見るのは罪深いよ。
それにしても、どうも頭が重い。目の下にうっすらとクマもある。十分な睡眠時間を取れているはずなのに、まるで寝られていなかったかのようで。
「レイリー! そろそろ時間だよ!」
そんな事を気にしている暇も無さそうだ。時間にルーズな母親と比べるべくもない父親の大声が、そろそろ身支度を整えないと間に合わない事を教えてくれる。手早く済ませて早く出よう。
「おはよう」
「おう、おは……どうした、何かあったか?」
「うん?」
いつも通りの朝、いつもと同じ挨拶。いつもになった光景。そのはずだったけれど、彼からすれば疑問に思うような状態だったらしい。
「顔色めっちゃ悪いし、クマも出来てる。寝不足だったりとかするゥ? やっぱり昨日付いて来なかった方が」
「たまたまだよ。普段と同じ睡眠時間」
「お、おう」
結構ネガティブ人間だよね、太陽くん。とにかく自分のせいで何かあったら気にするし引き摺るタイプ。トメさん達から聞いた話で、それは確信に変わった感じ。うん、それだけ弱味を見せてくれていると思っておこう。
「悪い夢でも見ちまったとかは…」
「夢のことなんて覚えてないよ」
「まぁ確かにそうだけどさァ」
悪い夢、いわゆる悪夢。見た覚えは無い。そう伝えるとほんの少しだけ怪訝そうな、釈然としない顔で返事が来る。
夢は夢だから見たとしても覚えていられない。
でも、うん。もしかすると、昨日丸一日、寝ている時によろしくない夢を見たのかもしれない。だとしても当事者であろうと覚えていられないのは厄介だ。悪夢を見る心当たりも特に無い。
でも昨晩から眠りこけた後、必ず体調を訊ねられる程度には冷や汗をかいたりうなされている様子だったりするのも、事実。これはまさに五里霧中、というか五里夢中。上手いこと言いました。
何もかもわからなくても、まぁ、たぶん夢見が悪いのだろうから、ここは色んな人に対処法でも聞いてみよう。人脈も我ながら驚く程広がったし、活用しない手はないだろう。
「太陽くんは、寝付きを良くするために何かしてる?」
「え、俺ェ? 俺は普通に勉強…っつーか参考書だの読んでるよ、あと予習復習。それを数十分くらいやってそのまま寝てる。ま、起きた時もだいたい同じだな」
真面目過ぎて参考にならない!
そういえば成績トップでしたね!
というわけで。
「オレか? …そうだな…寝付きは悪くないんでね、それであまり気にした事は無いが。強いて言うなら、常温よりも少し温かい水を飲んでいるよ」
白湯って…流石モデル、美意識が違うね。
「んー…ストレッチした後に夜風に当たってるのん。あっ、その前にちょっと疾走ったりシャワー浴びたりもしてるのレイリーちゃんは?」
健康的。ところで走ってるって言ってたけど、字が何か違う気がしたよ。全力疾走的な字じゃない?
「某、夜こそ本番故。熟睡するに非ずでござる」
「普通に寝ちゃうかなぁ」
「部活でもうグッスリだ。ところでレイリーさん。今からでも野球部のマネージャーとかどう!?」
しません。
「あっ、レーイリーちゃん! どうしたのかな? そっちから話しかけてくれるなんて珍しい。この謎多き美少女立神 葵ちゃんに何か御用!?
えぇ? 寝付きを良くする…?
そういう時は、自分にバリッとやっちゃうからわかんないなー…レイリーちゃんも試してみる?」
「葵のそれは気絶…。
わたし? ん…とにかく米、米を食べる。」
「伊奈帆のそれも気絶じゃん!」
不健康極まりない案ですね、嫌です。
「あ? おれ…先生にそんな事聞くか?
…まぁ、酒だな。真似するなよ。っていうか体調でも悪いのか? キツかったら保健室に行ってもいいぞ」
どうやら私の担任は思った以上にアレです。
「それはもう! 夢でもあの人に会えればとっ! 枕元にマイベスト真中先生の写真を忍ばせ、星々のカルナバルに負けない笑顔を思い浮かべれば! 朝が来ることすら憂鬱な熟睡が約束され」
「る訳ないでしょう。というかいつの間におれの写真撮ったんですか、誰かに撮らせた覚え無いですよ」
「立神さんから買いましたっ!!」
「あいつ……まぁ、兎に角だ。体調が優れないなら保健室にな。何だったら仮眠してきてもいいから」
「はい」
なんらかの法に触れるんじゃあないかと危惧が過る話を聞いて。
「あらぁいらっしゃい」
「…失礼します」
意外な事に初めて訪れる保健室。消毒液のにおいと、ガーゼやテープのにおいを混ぜた、白いシーツ達のお出迎え。あんまりにも周りから体調について聞かれるので、いっその事本当に仮眠をとった方が良いのかもしれないと思ってのことだ。
部屋の主も身に着けた白衣と同じ色の髪の毛をしている。でも私や母親のように全部白くはない。その部分だけ染めたみたいに、白と黒がハッキリ別れた不思議な髪色。
「どうかしたのぉ?」
新任の挨拶以来、顔すらしっかりと見ていない相手。名前すらうろ覚えで…あぁ良かった、名札を首から掛けている。与田先生ね。
「体調が優れなくて…。少し寝てきてもいいって、間中先生から言われて来ました」
「そう…ってあらあらあら、ホントに酷いクマねぇ。一時間くらいで起こしてあげるから、ベッド使ってもいいわよぉ」
「ありがとうございます」
「子守唄とか必要かしら?」
「大丈夫です」
むしろ眠れなくなりそう。面と向かっては言えないけれど、面識のほぼ無い人の子守唄を聞きつつ眠れる程の豪胆さは私には無い。
それにしても、そんなに酷い状態なのだろうか。四六時中鏡を見る人種ではないので、自分がどれ程悲惨な感じを醸し出しているのかは想像もつかない。
普段より頭は少しだけぼうっとしている気がするけれど、そこまで酷い気もしない。後で鏡を見て確認しておこう。
それから、コンシーラーを借りるかどうかして目のクマも誤魔化した方が良さそうだ。
あとは…。
──……。
…。
──がたん。
この音は…。
───がたん、ごとん。
この、音は…っ!
「くっ…」
顔が引き攣る。
「キキキ!」
「キキ…?」
猿の声、そう、そうだ。
夢。悪夢と呼んで差し支えないこの夢。
猿達に捕まったその時、母親に起こされて目が覚めたと思い出した。
「…これ、は」
身動きが取れない。頭部以外には身じろぎ一つ、手の指一本も動かせない。テープのような物で隙間無く拘束されている上に、どうやら座席に転がされているようだ。いつの間に、と問うても無駄だろう。脈絡も際限もないのが夢だ。
混乱を来たしそうな、夢の中の脳で考える。そう夢だ、これはあくまで夢。
であれば、何故夢が連続しているのか。
最悪の考えがするりと浮かぶ。
起きた時に傷があった。夢の中の傷、決して現実には持ち越せないものが。猿によって手荒に捕まえられた時の傷が確かに背中や腕に。
ということはもしかして。この夢で負った傷は現実にも反映されるのではないだろうか。
「……」
拙い、これは拙い気がする。雑音混じりのアナウンスが喋っていた内容を思い出せ。あれは八つ裂きと言っていた、それでどうなるのかはわからない。だが引っかき傷が現実にミミズ腫れとなったという状況証拠だけで考えれば…。
───ザ、ザ。
来た。明確なノイズ、決して福音にはならない不愉快の塊そのものの音。嫌な予感がする。
起きろ。事が進んでいない今のうちに、もしかすると今どころかさっきまで保健室に居たことすら夢であってもおかしくない。夢の中は曖昧だ、少なくとも夢を夢と認識出来るのは起きた時だけ。
起きる、しかしどうやって。悪い夢なら醒めてくれと願うのは現実であればこそ、だというのにここは夢そのもの。私は明晰夢とやらを見る練習なんてしたことが無い。
『えー…、大変申し訳ございません。順番、前後致します。乗客の皆様は少々お待ちください』
さっきから本能的な部分が必死に喚き散らす、危機が迫っているという警鐘が鳴り止まない。
「キキ!」
「キキキキキキ」
猿達がニタニタと笑っているような鳴き声、そして器用に表情を作って私を持ち上げる。どこに運ぼうというのか、それはわからない。
身体をくねらせ、力を込めても事態は好転しない。
『えー…次はー…』
重々しいがらりという音、先頭車両を抜けて車掌室。途中でむせ返る程の血生臭い光景と、赤黒い光に交じる、これもまた赤黒い液体に濡れた車内が目に映った。頭の中の冷え切った部分が、地獄そのものと化した車両から逃げろと言っている。
『足爪剥がし、足爪剥がしです』
知識としては、ことばの意味としては知っている。
その名前は拷問。
現代日本で受けた事が有るかどうかで聞けば、おそらく1%にも満たない割合のそれ。
「──あ」
それはそうだろう。多少物騒だとはいえども、戦争状態にある国でもなければ個人としては軍属でもない。裏社会と直接的な付き合いだってない。どこにでもいるような、平々凡々の女子高生。それが私。
「あ───」
さっきから聞こえている何かがうるさい。
「ああ──、」
あぁ、そうか。
これは、私の…。
「あああああ!」
声に成り切っていない悲鳴だ。
御意見・御感想・御評価。質問疑問、誤字脱字等々ありましたら御指摘賜りたく存じます。
や、優しくしてね…!