はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
いつもの朝。痛飲一歩手前でどうにかなって、その時々によっては仕事着のまま寝てたからか、サラシで巻き潰した肺が重たくて起きる。そんな普通の、どこにでもある朝…。
「あー……」
我ながらゾンビみたいな声だ。それに鏡なんぞ見なくとも髪の毛もボサボサで、人前に出られないような状態なのは想像に難くない。早速シャワーでも浴びてしまおう、そう考えた時。ふと自分に夏用のタオルケットが掛けられているのに気付く。
「…ぁんだこりゃ…?」
昨夜は毛布も探さずそのまま寝たはずだ、だとしたら寝ぼけて自分がひっぱりだしたのだろうか。
「グッモーニンアイちゃ…マナカちゃん!」
「……マジかぁ…」
夢だけど!
「ちょっとお寝坊さんむるね、シャワーでも浴びるむる」
「マジかー…」
夢じゃなかった!!
っていうか待てよ、ここはおれの部屋だぞ。何を我が物顔でシャワーを勧めてんだ、このお喋り珍奇生物は。ペットショップにぶち込むぞ。
まぁ…言われるがままなようで少々苛つくが、とりあえずシャワーを浴びるとしよう。冷水で寝汗を流せば頭も少しは冷えるだろう。
「脱衣所! 脱衣所で脱ぐむる!!」
「お前が見なけりゃいいだろ…」
ここ自分の家だよな?
…まぁ。そうと決まれば早い、元からシャワーに時間を掛ける方じゃない。頭も体もパッと洗って、サッと拭き上げて出る。そしてスーツ類のアイロンがけが待ち受けると思うと面倒で少々憂鬱になる、ビジネスホテルにたまに置いてあったりするあの壁掛けアイロンが欲しいな。絶対に楽だ。
「はぁーあ…」
「ちゃんと服を着るむる!?」
「いいだろ別に…自分ちで何しようが…ふぅー」
「半裸でシームレスに喫煙はやめるむる!!
っていうか未成年じゃないむる!?」
ごちゃごちゃうるせぇ、こちとらアラサーだよ…!
人が寝起きにニコチンを染み込ませている時に文句を付けてくるとはいい度胸だ。第一なんだ、コイツは。猫とも犬とも豚とも鼠ともつかない不可思議生命体、昨晩床で寝る前に言っていた事が本当なら、コイツはそもそも生命体なのか?
「で、だ。お前は何なんだよ…昨日は魔女の使い魔? だか言ってたけど…」
一本分の鎮静剤をもみ消して、半裸のまま居間に座り直す。気温が無駄に高いのだから風邪も引きはしないだろう。あぁ、そう、やっと頭がはっきりしてきた。
猜疑的な目線と疑問を変なのに向けると、待ってましたと言わんばかりに意気揚々と喋りだす。
「むるはムールムール! 魔女の使い魔むる!」
「あぁ、うん。そりゃ昨日聞いたよ」
魔女。
そして、その使い魔。
傍から聞けば夢想・妄想で片付けられる単語でしかない、科学の発達した現代では空想上の存在。
時に人を呪い、時に魔術を行使して混乱を齎す、不可思議なモノ。存在しえないと証明された遺物。
生憎にも自分の専門は国語、地理・歴史はレイフマン先生程明るくない。だが現在の、この狂った歴史上の扱いは知っている。
「…デリカシーが無い質問かもしれないけど、使い魔って事は飼い主が居るんじゃないのか」
「死んじゃったむる、みんな…」
「…悪い」
あくまで事実確認でしかない。
飼い主と喧嘩別れでもしたなら帰れと言うつもりだった。しかしやはり、何処とも知れぬ所から来たであろうこのムールムール。その飼い主も…。
「別にいいむる!」
「…魔女狩り…か」
努めて明るく振る舞う眼前の使い魔に、聞こえない程に小さく、口の中だけで消える音量を溢した。
魔女狩り。
言い方を変えた異端審問。
考えた事はないだろうか。
何故あいつだけ裕福なのか。
思った事はないだろうか。
何故あいつだけ幸福なのか。
厳密に言えばキリスト教とは異なる考え、違う解釈をした人々を正しい教えに改めさせる行為。恭順が適わないならば、異端が広まらぬように。故に感染源とも成りかねない遺体や服飾品、血の一滴、骨の一片すら聖遺物とならぬように火を以て灰にした。
しかし長く続けば歪む。
いつしか人は、他者に責を負わせた。
神の教えを護っている我々が苦しいのは何故だ。
村が不作なのは、あの魔女が呪ったからだ。
生活が良くならないのは、あの魔女が悪いのだ。
僻み、妬み、嫉み、恨み。それらを向けられないように、領主から裁判官さえ見て見ぬふりをして刑の執行に印を押した。
魔女は持っていた財産の全てを剥奪され、見世物として利潤すら生み出した。寡婦や老人が多かったのは、他人よりも細やかながら富を持っていただけ。魔女というのはあくまで翻訳の都合、誰も彼も風評次第によっては灰にされた。
これは、夢想ではない。現実の話。
そしてその歴史はおよそ同じものである。『噂』が現実となる混沌とした世界、この日本においても。
「でもお前がここにいる事と、歴史が合わなくないか? 少なくとも日本じゃそんな物騒な事は無いぞ、ましてや西洋でもないし。魔女っていうのもここ最近じゃないなら…」
「本当の魔女は実在して、少ない生き残りが居たむるよ。日本だと急に別の種族が出ても、噂でしかなかった歴史も真実になるむるよね?
つまり、魔女は本当に居て、日本に落ち延びた。そういうことむる」
「あぁ…チッ、また『噂』かよ…」
苦々しい、否、いっそ忌々しい。唐突に生えてきたよくわからないモノたちの正体。自身の身体すら変えてしまった超常の力。おぞましい何かは、こんな所にも影響を及ぼしているようだ。
「迫害された魔女は、言い方が良くないけど持ち直せる程の個体数が無かったむる。魔女は純血でないと力が使えないむるからね、緩やかに魔女は消えたむる。でもでもありがたい事に『噂』と共存している日本では穏やかな暮らしが出来たむる」
「お前、あっさり話すな…」
「過ぎたことむる、時間はどうこう出来ないむる」
「…確かにそうだな。質問いいか?」
「ドンドコドイむる!」
「どんと来い、な。じゃあお言葉に甘えて直球で聞くが、お前はなんだ?」
「俺の中のお…おっと危ない危ない。これはお前は誰だ、だったむる。
むるは魔女の使い魔むる。簡単に説明すると錬金術と魔術の粋によって生まれた人造生命体むるよ!」
「はぁ…はあ??」
魔女と聞いてそれだけで驚きだったが、更に錬金術と魔術と来た。今日この時間だけで途方もない疲労感がある、やっぱり酒を買ってくれば良かった。
「そんなむるには機能があるむる。大きいものは魔女の力の貸与むる、これは簡単で…」
「おう待てや、待て待て…」
「ざっくり言うと、日本人が高校くらいでお勉強する程度のスカラーを増やしたり強めたりするむる。これが魔女の力むる。出来る人なら、感情とかの目に見えないモノも増やせるむるけど…」
「待てって…!」
「むるぅ〜?」
「お前後で殴るからな、タバコ持ってくるから待ってろ」
「ちょっと暴力のトリガー軽いむる…やべぇむる…」
ヤバイのはお前の来歴だよ。更にヤバイのはその能力だよ、スカラーを増やす? つまりそれは、傍から見れば魔法になんら変わりない。
「むるむるむる…エアコン最高むる…」
ということは、あのエアコンに感動しているトンチキ生物は、誰かを魔女にしてしまえる存在だということ。なんたる厄介、なんたる厄ネタ。もう今更だとしても即刻この場から叩き出した方がいいんじゃなかろうか。タバコ吸いながら、灰皿を片手に現状では最後のつもりで質問をする。
何で最後かって?
場合によってはリリースするからだ。問答無用で。
「マナカちゃんって未成年じゃないむる? 不良さんむる?」
「まぁ落ち着けよトンチキ野郎、その前に確認させろ」
「なにむる? むるはトンチキじゃなくて、ムールムールむる」
「ここまで聞いといて…説明されといて今更だけど、お前の目的はなんだ、おれに何かやらせたいのか」
「決まってるむる! マナカちゃん、魔法少女になってむると一緒に戦ってほしいむ」
「うっし帰れ、早く、帰る場所が無くても出てけ、出てかねーなら追い出してやる」
「むるー!?」
言うに事欠いて魔法少女とは驚いたね、どうやら魔女の使い魔っていうのは、無駄に喋れるクセに頭の中身は素晴らしく残念なようだ。
「イヤむるイヤむる! そもそもむるに帰る場所は無いむる!」
「嫌じゃねーんだよおふざけ生命体! 第一おれは男で、三十手前のオッサンだ馬鹿野郎!!」
「ひょえー!? むるよりマナカちゃんの方がハチャメチャむる! どう見ても十代の女の子むるぁあっつい!? ちょっ根性焼きはダメむる! BPOとかPTAが黙っちゃいないむる! これは、きゃ、客観的事実むる! むるのスキャニングにもそう出てむるァー!?」
人の神経逆撫でする機能が付いてるとは、中々ハイテクだなクソ生命体。胸らしき部分に北斗七星でも描いてやるよ、火でな。世紀末に放り込んでやる。
「落ち着くむる! 落ち着くむる! むる達は知的生命体むる! 話し合えば相互理解が可能なはずむる!」
「交渉が決裂してんだから残るは戦争だよ、歴史を学んでこい謎生物!」
「お願いむる! 本当にお願いむる! 話を最後まで聞いてほしいむる! むる達は友達むる!! マナカちゃんマイフレンドむる!」
「こんな珍奇な友達は願い下げだ馬鹿が! っていうかちゃん付けすんじゃねーよ!」
まったく助かった。この部屋が防音のしっかりしている部屋で。じゃなければ、このぎゃあぎゃあとした言い合いも隣人に筒抜け。喧嘩かと思われる所だった。
───ピッ、ピッ。
「なっ、何の音むる!?」
「ただの目覚まし時計だよ…もうそんな時間か、話は帰ってきてからだ。仕事の用意しなくちゃな…」
「むるも着いてくむる」
「ウチはペット持ち込み不可だ」
「ペットじゃないから平気むる!」
「ペットじゃないから問題なんだよ!」
と、まぁ。朝っぱらから頭の中がごちゃ付くような出来事の目白押し、混乱を来して強制退出をさせないだけ十二分に理性的だろう。
本当は軽く入力の仕事をしておきたかったが、合間合間に隙を見てやるしかない。ため息の一つも吐きたくなる。
「お前、朝飯は?」
「何でも大丈夫むる。マナカちゃん何だかんだ優しいむる? ツンデレってキャラクタむる?」
「テメーが自分の足で食肉加工工場に行って、皆さんの朝食になりたいとは殊勝な心掛けだな?」
「昨日のミルクでいいむる!!」
珍妙極まりないこの自称使い魔。
「そ、そんな…!」
「なんだ…よ、ふぅー…」
「おっぱい潰してるむる!?」
「うるせぇ」
「むるァ!」
こいつを作ったヤツに文句を言いたい、一般的な社会常識くらい教えておけよって。さもなくばひき肉だ。
「じゃあな、大人しくしておけよ」
「むるぅ〜」
「何だそれ…返事のつもりか?」
「無言の抗議むるぅ」
思いっきり口に出てる。
対抗手段は無視、これが正しい無言の抗議。
「行ってきます」
「気をつけるむる!」
……あまりにも摩訶不思議な物体相手でも、挨拶が返ってくると嬉しく感じる。いや待て、落ち着け自分。相手は如何にも拙い事に勧誘してくる危険生物だぞ。
あの変な生き物についてはひとまず置いておこう。今日はバイク通勤だ、天気は晴のち曇。不愉快な湿度も少しだけおとなしい、つまりは良い日和というもの。蒸し暑くなる前の朝の風を浴びれば気分も晴れやか。そうして鞄と着替えをバイクに積んで、いつも通りの通勤となる。むしろ普段より早いくらいか。
「おはようございます」
「なんたる僥倖なんたる至福! どうなさったんですか真中先生、普段より些か早く顔を見せていただけるとは。私としてはこの幸福について歓喜の歌を諳んじ」
「いやたまたまですよ…」
たまにいるよな、会うだけでこっちの元気を持っていく人。自分の場合は坂本先生、少し失礼か。事実だから仕方ないか。
「ふむ…どうやらお疲れの様子ですが。昨夜は寝付きが悪かったりしましたか?」
「え?」
毎度驚くことだが、この人は妙に目ざとい。しかもテンションの緩急が異常だ。細かな変化に敏いのは女性らしさだとして、気性の高低はなに由来だろうか。ミ○四駆ならコース外に吹っ飛んでる程だ。
「昨日、寝床じゃなくて床で寝たからですかね」
「なるほど? ですが、動物のような匂いもしますよ。野良猫でも見つけましたか? 撫でられるほどに人馴れしてる猫なら何処に居たのか是非御教授願いたいです」
「そういえば猫好きでしたね…。昨日の帰り道に捨て動物を拾ったんで、それですかね」
「捨て動物…?」
坂本先生が首を傾げるのも無理はない、というか自分で言っておいて無理があるのはわかりきっている。捨て動物と一口で言ってもカテゴリが広過ぎる。だとしても、あの犬とも猫ともつかない喋るアイツが何なのか、自分でもどう扱ったものか判断がつかない。
「まぁ…その…薄汚れ過ぎてちょっとよくわからないというか、太り過ぎてて判断出来ないというか…」
「それは…不思議ですね…?」
許せムールムール、坂本先生の中でお前はでっぷりとした薄汚れ動物だ。
不可解に満ち満ちたこの世の中なら、いっその事、本当の事を言ってもいいんじゃなかろうかと思う。が、あのナマモノが何を仕出かすかわかったもんじゃない。ここは曖昧にしておくが吉と見た。
「じゃあおれは時間まで打ち込みやってますんで」
「え、えぇ。わかりました、ところで何か私がお手伝いする事はありますか!?」
「ありませんよ…」
自分の仕事は自分でやる。
これも一つの男らしさ、だな!
それからは通勤風景と同じくいつも通り、これといって目立つ出来事があるでもなく。通常授業とホームルームがつつがなく終わっていった。
子どもたちっていうのは良いものだ、決して変な意味じゃなくて。活力に満ち溢れていて、大人がムダと切り捨てる事にも全力で。
教師として接しているだけでも、庇護翼とでも言うのだろうか、そういった感情が湧く。そうでもなければきっと、教員なんて耐え切れないと思う。
まぁ、中には生意気だったり危なっかしいのも居るけれど。それもご愛敬というものだ。
「ふー…」
そして殆どの仕事が片付いた放課後。何だかんだでテストの打ち込みも終わった、顧問の仕事も今日は無い。テスト前だからだ。そのせいか校舎内から漏れ聞こえる元気な生徒の声も聞こえない。
自分も後は帰るのみで、その前に一服をしておこうと喫煙所に立ち寄った訳だ。鞄が妙に重いのは疲労感からか、今日は早めに寝たほうが良さそうだ。
「………」
この学校の教員でタバコを吸う人は少ない。自分を含めて片手の指で足りる程度だ。人間が真似しちゃいけないが、レイフマン先生はタバコを食べる…それはいいか。だから今、この校舎裏の喫煙所は虫の音がするだけの空間。伴奏には心許ない、自分のタバコを吸っては吐く音。それと耳を澄ますと聞こえるタバコが火に侵食される音だけ。
思考を薄っすらと巡らせる。
思い出すのは今朝と昨夜の事、あの謎生物ムールムールと名乗る自称人造生命体についてだ。
出会ったのは偶然、それは疑いようがない。
魔女の実在についても飲み込もう。
肝心なのは、自分に何をさせようとしていたかだ。協力してほしいなどと言っていたが、それは魔法に準ずる力を使わなければ解決出来ないことなのか。
「……」
考えても無駄か、直接本人…生物に聞けばいい。返答如何によっては、数日分の食料と一緒にそこらに置いておけばいいだろう。知り合ったばかりなのだから、そこまで親身になる義理もない。
その時、不意に鞄が動いた気がした。
「……ん?」
「…む…む…」
「まさか…」
不規則かつ自発的に鞄が動くという異常事態。
思い当たる節は一つ…!
意を決して鞄を開く。
「むるぅー…あ、暑いむる…」
「お…お前…!」
「やー…マナカちゃんってば仕事はすっごく真面目だから、全然むるに気付かないむる。本当はお昼に驚かせようと思ってたむるけど」
「何してやがんだよお前は!?」
「しっ…声が大きいむる…」
「声もデカくなるに決まってんだろ! ヒト型でもないのに勝手に校舎まで付いてきやがって、さては馬鹿かお前、もしくは阿呆か!」
何ということでしょう。謎生物は傍迷惑なことにおれの鞄に入り込んでいやがったのです。借りぐらしのあり得ざるべし、こいつは須らく滅びるべし。
職場にペットらしきものを連れてくるとか前代未聞だぞこの野郎、騒ぎになったら減給だの謹慎だの面倒が待ち受けてるに決まっている。何してくれてんだコイツ。
「どうかしたんですか真中先生! 絹裂くような悲鳴に非ずとも、危機に瀕する貴方の声がたしかにこの耳に届けましたがッ!」
「むる?」
「ちょっ、バカ。あ、いやその、坂本先生、な、何でもないんですよ。ただこの変な動物が紛れ込んで…」
最悪だよ。些細な変化にも敏感なこの人を上手に誤魔化せる程、おれの嘘は上手じゃない。何か上手い手は無いか、咄嗟に言った変な動物云々もかなり無理があるぞ。いくら変人の多い東京といえど、変な生き物については流石に管轄が…。
「動物…?」
「え?」
「むるー」
この時は流石にヤバイと思った。
が。
「何処かに動物がいたんですか?」
まさかまさか、だ。
「いやいやいや何でも無いですよ! んじゃおれは帰りますんで坂本先生も気をつけて帰ってくださいねじゃ!」
「へ? はい?」
「むるー!?」
「さよなら!!」
ここでアクセル全開、インド人は関係ない。とにかくまくし立てて、ついでに鞄ごとクソ生物を引っ掴んで逃げるように走った。外履きに履き替えるも何もない、全力でバイクまで走ったね。これから走り込みでもして体力を上げとこうかな。
鍵を回してエンジン点火、覚えてろ珍生物。
後で殴る。
「むるっ! 待つむる待つむるマナカちゃん!」
「待ってられっかクソボケェ!」
「落ち着くむる! むるの姿は誰にも見えてないむる!」
「…は?」
は?
頭の中も同じ言葉一色に埋め尽くされる。
姿が見えない? コイツの? 無駄に喋る動物なんて、嫌でも目立つのに?
一旦の危機は恐らく去った所、学校から数百メートルは離れた場所で、ひとまずバイクのエンジンを切った。幸いにして道路というよりただの住宅街混じりの路地、周囲に人影もない。
「おいクソ生物…説明しろ」
「いいむるよ、何から話すむる?」
「全部だよこのタコ!!」
「全部も何も無いむる! 今朝話した魔女の力はむるにも使えるむる! だから、むるの周りの空気中の水蒸気、それの光の屈折率を増強しただけむる」
「は、なんだ…そりゃ…?」
おれは物理の専門家じゃない。しかも、コイツの説明は恐らく全部じゃない。
だが、現状知っている事と理解した事だけでも、今言われた事が可能だろうことに予想がついた。
「言ったむるよ、魔女はスカラーを増やしたり強めたりは出来るむる。逆に弱くは出来ないむるけど…」
「は……」
本当に、めちゃくちゃだ。
世界の、特に日本において『噂』は具現化される。
それは誰もが知る事実。
最も身近な所で言えば自分の身体、教え子には自称転生者もいればエルフもホビットまで居る。
今日も今日とてニンジャを見かけたりもするし、天変地異に魑魅魍魎にと、変な出来事は枚挙に暇が無い。そして、それがもう一度自分に降りかかるとは…。
「それより大変むる!」
「何がだよ…おれは何かもう疲れてきた…」
「このままだと危ないむる! 人が襲われるむる!」
「はぁー…?」
「引き返すむる! 早く!」
「チッ…!」
バイクにもう一度火を入れて急旋回、曲乗りは得意じゃない。
でも、急ぐ理由がありそうだ、だからそうした。
そう、理由があった、だからそうした。
それだけだ。
───☆
黄昏時のこと。
家路を急ぐ子供らは、明日が無事に来ると疑いもせず道路に身を踊らせる。ただの帰宅風景、幾度も繰り返される平穏の一つ。
「でさー」
「えぇ? それってダメじゃん、それより…」
平凡な光景。近隣の学校から生徒が帰宅していた。何も起きるはずがなく、明日が繰り返される。
「……ぐ…ま…」
「え…?」
「どしたん?」
「なに…あれ…」
その筈だった。
「マイナスゥゥー!!」
「ひっ…!?」
「え、きゃっ!」
不可思議な掛け声と共に、下校中の学生を襲うソレ。
黄昏から浮き上がる黒、影そのものを霧散させたかのような靄。辛うじて人型に見えるそれは、まさしく今、濁流の速さで生命を脅かそうとしていた。
猛然と差し迫る命の危機、目の当たりにしてしまえば体は硬直する。
震えも表出し得ない時間。何をされるのかはわからなくとも、無事ではいられないことだけは悟る。
死とは、呆気ないものだと。
「あー! クソクソクソクソ!!」
「本当にいいむる!?」
「マイナァ…?」
否、断じて否。
来たる鉄馬の唸り。
帰宅に向かうはずの生徒達は最早腰を抜かして一歩の逃走もまま成らない。
「良くねーよ! 良くねぇけど!!」
「けど、何むる!?」
「目の前で危ない目に会ってる奴がいて、それを助けない程、おれは人間が腐っちゃいねぇんだよッ!!」
オートバイの排気音に負けないがなり声。
それは…。
「変身ッ!!」
光。
目を焼くほどの閃光が周囲の影を切り裂いた。
バイクの搭乗者が被っていたヘルメットは粒子となり、輝かしい髪飾りに。
面白みのないスーツは、白い花を連想させるドレスのような服に。
靴も服の為に誂えたような純白のヒール、手袋もまた白く。いくつか目立つハートのあしらいが、衣装各部に取り付けられていた。
「名乗るむる!」
不思議な生命体は綺羅めくステッキのような何かに変わり、周囲に喧伝する。持ち主の声を待っているのだ。
「あふれる愛を心の中にッ!!」
その名は。
「セント☆ラヴァー!!」
魔法少女はここに生まれた!!
「マイナ…マイナスゥゥゥゥ!」
黒霧は眼前に煌めく光の主を己が敵と認めたのか、未だ震える子供らには目もくれず。暴力の矛先を急旋回させる。黒そのものが、風になって迫る。
「『衝撃』『硬度』『速度』ッ! まとめてくらいやがれッ!」
「マイ゛ッ…!?」
迎え撃つ魔法少女。悍ましい侵食速度の黒風を、手にしたステッキで叩き伏せた。
純粋な人体では不可能な速さ、振るえば砕ける筈の剛力を無視する硬度、アスファルトを抉る衝撃力を以て。悪しき何者かの一部を散逸させた。
「トドメむる!」
「応!!」
勢いが削がれれば即ち好機。
魔法少女は夕日より眩い杖を、闇に差し向ける!
「エール・フィナーレ!」
「マイ……!」
単色の光が、ただただ力強い奔流と化し。
「マイナスゥゥ……!」
闇を、かき消した。
───☆
さて、何があったかは聞いてくれるな。
ただちょっと不幸な事故があった、そういう事にしておけば誰も傷つかない。というかおれが傷つかないからそっとしておいてほしい。
「…ずらかるぞッ!」
「ああっマナカちゃん! それだと悪役っぽいむる!」
「ごちゃごちゃ言うな! 早く逃げんだよ!!」
ところで、どう思うだろうか。
二十代後半の男がさ、フリッフリのお洋服着て、昔あったらしい変身ヒロインみたいな事やってるの。
自分でやりたいんだったら誰も文句は言わないだろう、じゃあ自分でやりたい訳じゃなかったらどうかって事だ。
答えは単純明快、割と死にたくなるぞ。
あぁ、申し遅れた。
おれの名前は、真中 愛之助。
「なぁんかとんでもねぇ音したんだけど、怪我人とかいねぇよな? ってか爆発か? ガス漏れ? 臭いはしねぇけどレイリーは少し離れて置いたほうがいいぜ、たぶん」
「太陽くん…ちょっと急ぎ過ぎ、まずは通報とか…あっ」
「大丈夫むる! その状態はマナカちゃんの正体を隠してくれる機能が付いてるむる!」
どこにでもいる普通の社会人で、年齢は二十代後半。
性別は男性。
結婚相手どころか付き合ってる相手も居ない。
「なんだよお前…それを早く言えよ…。死ぬ程焦ったじゃねーか、よりによってウチのクラスの生徒が」
職業は公立校の教員…それと……。
「真中先生?」
「え゛」
「むる!?」
「えっ、アイちゃん先生居るの? マジで?」
それと…魔法少女だ…。
……いっそ殺せ…!
※ちなみにこちらの続きはありません。気が向いたら書きます。
御意見・御感想・御評価。質問疑問、誤字脱字等々ありましたら御指摘賜りたく存じます。
や、優しくしてね…!