はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
日本の六月頃といえば梅雨だ。
日夜降り続ける雨、それが不愉快な湿気を助長させる。この時期だと俺のバイト先である【愛に溢れる探偵事務所】の所員ほぼ全員、どことなく機嫌が悪い。
ほとんど微笑まない受付嬢のメリー・フォンセルランドさんは、その身体が人形だから、関節が軋んだり髪の毛が痛みやすくなるから湿気を嫌う。
普段から水気そのものを回避するように気を遣ってるからこそ、この時期は本当に神経質になりやすいみたいだな。服のあちらこちらに乾燥剤のシリカゲルを仕込んでいるらしいけど、その…焼け石に水なんじゃないかなぁ…。
猫又の環所長代理は、湿気そのものはどうでもいいらしい。ただ雨で濡れるのは嫌だそうだ。
タマさんは猫とは思えない程…と言ったら失礼か。とにかく意外なほどキレイ好きなので、シャワーや風呂を好んでいる。だがどうにも意図せず顔が濡れたりするのはイラッとするらしい。
何より梅雨の長雨を嫌がる理由は、四足歩行の猫形態で外をフラフラ出来ないからじゃねぇかな。流石に尻尾で傘は差せないだろうし。
一方の我らが探偵事務所の犬飼所長は別に雨が苦手じゃない。
おやっさんは買い物は誰かに頼んだり配達便でどうにかしたりと、あまり外に出ない生活を送っている。普段からして夜以外は大体そんな感じだ。健康に気を遣ってルームランナーで走る時間が長くしているが、むしろ不健康な気がするって言ってたから、特別梅雨が好きって訳でもなさそうだ。
そんで、アルバイト(雑用係)の俺はというと。ちょっと…いや結構嫌いかもしれない。
雨が降ってれば傘は差さなきゃならないけど億劫だし、低気圧と高気圧で関節が軋む。湿気も好きじゃない。 むしろ湿気が好きな人とか居る!?
そうこう考えつつ事務所の前を掃き掃除していると。
「おっ、事務所の小僧っ子じゃねぇか!」
居たわ、梅雨時期に元気百倍の人。
「喜八のおっちゃんじゃん」
「なんでぇショボくれた面してよ、そんなんじゃ客も逃げちまうぞ」
この人…ヒト? の名前は喜八甚九郎。
べらんめえ口調が非常に板に付いてる、気の良い江戸っ子気質なおっちゃんだ。
口は深緑色、肌は黄緑。頭には艷やかな皿を乗っけているこの人は、昔から東京に住んでいる方々の一人。きゅうりが好物で相撲好きな、昔ながらの河童。
合羽橋って場所がある。
あれは何も冗談でカッパ橋って言うんじゃない。
まず一つ目の名前の由来は。近場の屋敷や城にいた足軽やら侍が内職で作っていた合羽を、天気のいい日にこれまた近くの橋で天日干しをしていたから、そこから合羽橋と呼ぶようになった話。
二つ目。
隅田川のあたりに合羽屋喜八って人が住んでいた。
その喜八って人は。どうにも水はけが悪くてちょっとの雨で洪水を起こす、後に合羽橋となる場所を私財を投げ売って掘削工事をしていたそうな。
しかしどうにも工事の手が足りない。遅々として中々進まない治水工事の最中。隅田川に住んでいた子どもの河童が怪我をしているのを見つけた。
合羽屋喜八はそれを見かねて助け、また工事に赴いた。すると、明くる日からはどうしたことだろうか。朝昼の間だけしか進められなかった治水工事。何故か自分達が夜に眠っている間にも、不思議と進められた跡がある。
そう、助けられた子河童がその話を周りに広め、治水そのものに賛同した大人の河童達が夜な夜な手伝うようになったそうな。
それで人と河童が力を合わせて作った橋、だから河童橋ともいうってワケ。
つまりこれは、人と妖怪が力を合わせた優しい噂話。
それで、この喜八のおっちゃんは合羽屋喜八さんの名前から取って、名字を喜八に改めた河童一族の当主。
河童労働組合の理事も務めている凄い河童だ。野良の河童が回転寿司チェーンの✟闇の地下労働所✟にふらふらと仕事に行ってしまう前に、他の勤め先を宛てがって遠ざけることを主にしているそうだ。
他にも食器作りや色々な小物作り、大工に漁師と、割と手広く事業を扱ってるそうだが。江戸っ子は宵越しの銭は持たない、江戸の河童も同じで一気に散財してしまうらしく。会社と組合の資金はあるけど、私財はあんまり持っていないらしいぞ。
いつもは合羽橋に構えた自社ビルか、その周辺に居るはずなんだが、どうしたんだろうか。
「そういう喜八のおっちゃんは散歩してんのか?」
「いんや、おめぇの所の客よ」
「えっ、そうなの?」
「おうともよ、じゃあな坊主。店の軒先はいわば顔だぜ、丁寧に掃除しねぇとバチが当たるってぇもんだ、わっはっはっはぁ!」
珍しいな、いつもより威勢が良いのは梅雨だからだろうけど。うちの事務所に用事があるっていうのは滅多にあることじゃない。
ただの世間話って事も無いだろう。せめて穏やかな用向きならいいけど…。
───☆
「太陽、仕事だ。恐らく噂絡みの方のな」
玄関ホール、軒先、階段と出入り口との掃除が終わった俺に、所長がモニター越しに言う。仕事の依頼人は十中八九、喜八のおっちゃんだろう。
件の依頼人の様子といえば。
「…こいつぁ…うん…」
「……」
フォンセルランドさんに聴診器を当てたり髪に触ったりしていた。
念の為言っておくが、セクハラじゃないよ。
「どうでぇ、たまには髪色でも変えてみっか?」
「いいえ、これが良いのです」
フォンセルランドさんの身体は、ハッキリ言ってしまえばただの人形だ。ある程度防水加工もしてあるらしいけど、結局は定期的にメンテナンスをしないといけない。錆も軋みも綻びも彼女には悩みのタネとなる。
それで、普段は自分で点検しているんだけども、たまにこうして職人さんに診てもらってる。人間で言うところの定期健診みたいな物だな。
いつもは自分から出向いているので、今日はちょうどよかったからついでにって感じなんじゃないか。喜八のおっちゃん器用だもんな。
「…何ジロジロと見てるんですか、スケベ」
「なっ!?」
心外過ぎる…! 珍しいこともあるもんだと思って見てたらこれかよ。いつもはこっちにセクハラしてくるくせによぉ!
「坊主もそんな歳頃かぁ…」
「いや違くて!」
「バカやってにゃいで向こう行ってろ」
「あ、はい…」
こうやって徒党を組んだ大人達に子供の意見は封殺されるんだ! 大人って汚い!
「所長ぅ〜!」
「…あまり気にするな。それで仕事の話の続きだが」
「おっす」
そうだね、切り替えていこうね!
「そこにいる喜八からの依頼だ。ここ最近、時間帯は夕方から夜にかけて一人で歩いていた小学生から高校生までの子供を対象に、怪我人が多く出ているそうだ。お前の周りで何かそういった話はあるか」
「無いっすね、場所はどこら辺が多いんですか?」
「…ふむ、合羽橋道具街周辺だ」
「なるほどだから喜八のおっちゃんが…」
自分の身の回りで物騒な事件があったからここに来たってわけね、でも変だぜ。ただの通り魔や変質者なら警察に任せたり見回りの強化でもすればいいと思うんだが、所長は最初から噂絡みって言ってたよな。
「話はそれだけじゃねぇのさ、怪我したガキどもに細かく聞くことが出来やしねぇんだよ」
診察が終わったのか、喜八のおっちゃんがこちらに歩み寄ってくる。被害者について思い出すだけで辛いのか、それとも自分で解決出来ない歯痒さからか、黄緑の顔は悲痛に歪んでいる。事務所の前で見た陽気な顔つきはどこかへ失せてしまったようだ。
「それはどういう…」
「怪我はあの腕っこきの嬢ちゃんに治しもらったんだがよ。まだ大半は意識が戻ってねぇ、そのうえ起きても怯え切って話が出来ねぇと来たもんだ。ただの通り魔ってんならこうはならねぇやな。
今んとこ、ただ一言聞けたのはカッパって言葉だけ、おかげで阿呆な岡っ引きには俺たちが疑われる始末よ」
怪我を治して貰ったのか…こころさんに…!!
なんて羨まし…じゃなくて、話はだいたいわかった。
探しだすのは子供だけを付け狙う通り魔。俺もまだ未成年…っていうか子供だから、囮になって見つけて犯人を殴れってことね!?
喜八のおっちゃんが依頼して来たのは、被らされそうな濡れ衣を払拭する為だろう。本当は疑われてる自分たちの手でどうにか解決まで持っていきたいんだろうけど、まぁ大人だしな。犯人が子供しか襲わないというのなら、大人の前に姿を表さないからそれも叶わない。それでこうして高校生の俺がいるウチの事務所にってことか。
「危険を伴う仕事だ、拒否したければしても…」
「なぁに言ってんですか所長、ウチは普通の探偵業から妖怪騒ぎに噂絡みもお手の物が売りでしょう。相手が子供だけ狙うってんなら俺に任せてくださいよ!」
「…そうか、だが無理だけはするなよ。お前がもしも怪我をしたとなれば俺は…いや、喜八もそれは望まないだろう」
「そりゃあよう。本当にヤバくなったらケツ捲くって逃げてくれよ坊主。頼んどいてなんだがよ、おめぇが怪我しちまったらお天道様と犬飼と、おめぇの養父とおとっつぁんとおっかさんにも顔向けできねぇや」
本当に優しくて、いい大人たちだ。多少の無茶は織り込み済み、一つ期待に応えるとしようか。
「太陽ぅ〜ついでにビール買ってきてぇ」
「ビニール手袋もお願いしますね」
たまに思うんだよね。ひたすら甘やかしてくれる理想的な姉じゃなくて、現実的な姉が居たらこんな感じだろうなって。いい大人が高校生にビールとか頼んでんじゃねぇよ! これから囮調査だぞこっちはよぉ…!
───☆
囮調査と意気込んだはいいが、やる事は地味でパッとしない。相手の特徴、背格好、性別年齢…他にも色々とわかってない事が多すぎる。
目撃証言の一つでもあればまた話は違うんだが、被害にあった子供達に聞き込みでもと思ったんだけど。面会謝絶か意識が戻っていないので無理、結果はナシのつぶてだ。
結局残された手段は足で稼ぐって事だな。
合羽橋周辺では俺以外の未成年は保護者の同伴か複数人での登下校に教員の付き添いを義務付けたみたいだから、新たな被害者が出る事態には恐らくならないだろう。喜八のおっちゃんたちの推測が正しければ、今回の犯人は子供を一人ずつ襲うヤツだからな。
そんな卑怯卑劣極まりないクソッタレならこっちも手加減なんてしなくていいのも気が楽だ。でも急な雨だけは勘弁な! 嫌でもびしょ濡れになるじゃん!
「……あっ、クソ…!」
誰に向けてでもない悪態と同時に傘を差す。夕方から雨って今日の天気予報の通りだ、念の為に持っておいて良かったぜ。そうこう考えて歩き回ること実は二日目、初日は雨も降らなかったけど収穫も一切無しだったんだよね。お散歩だよお散歩、バイト代は出るけど。ただほっつき歩いてました、てへ! なんて言えるほど面の皮が厚くはない。有効な手段が自分って餌をぶら下げてひたすら歩くしかないってのも焦れったいもんだよ。
そんで今は夕暮れから夜に変わる時間、黄昏時ってやつだ。元は誰そ彼と聞く程度に薄暗いから、話しかけてきた通行人が人間か妖怪かもわからない逢魔が時、転じて大禍時だったかな。そこに更に雨まで降ってきたんだから悪態の一つも出るってもんだ。
視認性最悪、まさしく誰そ彼って聞きたくなるね。
「………」
「…お?」
遠目に見る。
雨が降っている。
背格好と肩幅からして女の人か? 傘を差してはいない、ただ真っ赤なレインコートを着て佇む人影。フードもすっぽり被っていて、灰色の風景から浮いているようだ。
その人影と俺以外には人気の無い路地。雨が地面に墜落する音と俺の傘を遠慮なく叩く音しかしない。いや、俺の呼吸音とあの女の呼吸音も聞こえる。息は普通の人より随分と大きいみたいだが。
『ねぇ、あなた』
「!?」
速い。
どう動いたかは傘に隠れて全ては見えなかったが、後ろを取られた。ファンタジー的な瞬間移動ってヤツか? 何にせよ話しかけて来るとは律儀じゃねーの。世間話でもしたいのか?
『わたし、キレイ?』
「…てめぇ『口裂け女』か!」
『口裂け女』
かなり有名な都市伝説の一つ。
学校帰りの時間帯、子供が一人で歩いていると「私、綺麗?」と尋ねてくる若い女性がいる。
その問いに対して綺麗と答えると、マスクを取って裂けた口を見せ、これでも? と更に言ってくる。その後の末路は多岐に渡る。が、同じようにしてやると襲ってきたりするなど基本は碌な目に合わない。
綺麗じゃないと答えれば、そのまま逆上して殺しに来る。理不尽だな。
対処法も有名だ。ポマードと唱えれば怯むのでその隙に逃げる。ベッコウ飴が好物だからそれを与えて、夢中で舐めている所を逃げる。
こいつは社会現象にまでなった、子どもたちへの恐怖の噂。
他にも普通って答えれば困惑するだの、褒めれば照れるだのといった対策もあるらしいが。場合によってはそのままブチギレるなんて話もあるので、対処法が実はあんまり当てにならない。ベッコウ飴? 俺が持ってる訳ねぇだろ! 大阪のおばちゃんとか釈先輩じゃねぇんだぞ!
『わたし、キレイ?』
「……あー…」
腹をくくれ、俺。
「…まぁ、綺麗なんじゃねーの。その自分の見た目について他人に訊くって態度は気に入らねぇけどな」
何より俺の中のナンバーワンは変わらんけどな、こころさんは殿堂入りもやむ無しだ。
さて、どう答えても現時点で複数人被害者が出てる時点で良くない結果が目に見えてるが。どう来る?
『これでも…?』
「悪いな、実は元から噂の連中は守備範囲外だ!」
『…あなたも同じにしてあげる…!』
「こちとら元からオンリーワンだぜッ! 一緒なんて御免だねッ!」
馬鹿にしたわけじゃないんだが、お気に召さなかったみたいだな。
相手の凶器は…鋏か? 何処で売ってんだってくらいデカいが、持ち手の部分と刃の形状からそう推測するしかない。
所々赤錆が付着したような銀色の刃物。寸分違わず、俺の顔があった場所を切り裂いている。
一気に跳んで距離を取ってもそのまま着地先まで悠々と着いてくる、そういや『口裂け女』には時速60キロで走れるとか空を飛べるなんて話もあるんだったか?
どうにも滅茶苦茶な速さをしてやがる、雨天のハンデが邪魔で仕方がない。
アッパー気味の斬撃が何度か振るわれる。回避が完全には間に合わず、服のあちこちの通気性が良くなっていく、いくら蒸し暑くてもこれは頼んでねぇよ。あえてボロくしたダメージジーンズなんてのもあるが、これ以上やられたらクリティカルダメージ服の出来上がりだ。
何が致命的かって? 露出狂ってレッテルが貼られかねないことだよ!!
いや待てよ、自分の顔と同じになるように口を裂いてくるって噂の通りなら相手の狙いは俺の顔面…?
振り回される鋏も、片手で扱うには結構難儀しそうな大きさをしてるが。開いてから閉じて切るんじゃなくて、まずは開いたまま振り回してバッサリと切るのが狙いか。
裁断鋏よりデカい物とか本当にどこで売ってんだかね…そういえばここは道具街だったな、そんな繋がりか…?
まぁいいや、狙いがわかればこっちの物だぜ。鋏の構造上の弱点と厄介極まりない速さを封じ込める為の、たった今思いついた俺の閃きを見せてやる。ただしめっちゃ痛いぜ、俺がな!
『…!』
俺の口に滑り込むように、横薙ぎに振るわれる鋏。
そこに開いた傘を閉じて、柄ごと刃に挟ませる。
ついでに、頑丈な俺の腕も。
「クソ痛ぇなぁオイ…!」
ガギリと金属の噛み合う音。勢いも込められた力も大したものだったようで、傘は数分前の、真っ直ぐと雫を受け止めていた形は見る影もなくひしゃげている。受け止められた鋏で障害物の全部を両断をしようとしているのか、閉じかけた鋏の刃は俺の腕に食い込んで肉を潰して骨まで食い散らかそうとしている。まったく呆れた馬鹿力をしている、が。
動きも止まったな?
「これがホントの肉を切らせて骨を断つ、ってな。破ァッ!!」
女性を殴るのは気後れするが、こういう場合は目を瞑るとしよう。顔は無しだ、ボディボディ。
───☆
「それで、本当に腕を切らせなきゃダメだったの?」
「いやぁその…はは…」
骨まで達する傷を診てもらう場所といえば?
そうだね、病院だね。頭のじゃないよ??
「か、確実な手段がこれしかなくって…」
「…うそつき…!」
「いってぇ!?」
応急手当の止血は腋下を切られた服で縛ってどうにかなった、あと当たりどころ…切られどころ? が良かった、尺骨と橈骨を挟む形で刃が当たったからな、動脈とかは無傷だ、ラッキーだぜ。
いや服がだいぶダメになったから総合でアンラッキーだわ。
目の前で怒ってるのはこころさん、俺の天使。今俺の腕をぶっ叩いて治してくれた女神様だ!
神ってのはどうにも見たことねぇけど、女神はいる、目の前に。自称転生した神や女神って奴等はノーカンだノーカン、こころさんほど優しくないしな。
それはさておき…いや、さておくなよ…女神の御前だぞ…!
じゃなくて、喜八のおっちゃんの依頼は無事に解決した。
俺が殴った『口裂け女』はそのまま消滅することもなく、普通の女の人の姿に戻っていた。ただ、人より口が少し大きいだけの美人さんの姿にだ。
何があって、どうしてこんな凶行を。そんな事情は考えるに難しくない。やっかみ半分で口裂け女と呼ばれた女性が噂の通りに人を襲うようになったってだけだろう。
事務所に連絡しつつ、後遺症がないか確認するために気絶した元口裂け女さんと病院に来たが。意識の戻った時には犯行時の意識は曖昧で、ただ襲ってしまった子どもたちの怯えた目が焼き付いて離れないとひたすら震えてたよ。
無理もないわな、流石にこういったメンタルの問題は専門家に任せるしかない。加害者側だってやりたくてやったって訳じゃない、法律的な責任能力もおそらくは無いんじゃないか。そもそも噂絡みで法が正しく機能するのかは知らんけど。
結局は彼女本人が震えながら話す被害者の人数と特徴が合致していたので、一連の通り魔事件の犯人と断定された。あとは警察とかのお仕事だ。
ちなみに俺の怪我は、本当に命に関わる部位の怪我じゃなかったんで結構後回しだった。まぁいいよ、優先順位ってあるだろうし。
「…んー…」
「どうしたの? 傷、やっぱりまだ痛い?」
「傷は完璧に治りましたよ! 痛みも無いし、さっすがこころさん! じゃなくて、二つ腑に落ちないんすよ」
カルテを書いていたこころさんが手を止めて心配してくれる。や、優しい…事務所の女性陣も見習ってくれ!
「まず、襲われた被害者の一人がカッパって言ってたこと。それと話も出来ない状態ってのも変だと思って…」
河童の喜八のおっちゃんが事務所に来た理由と、怪我が治っても被害者の証言が得られなかった理由。
このどちらも不鮮明なままだ。加害女性の何故そうなったかと同じく気にせずそのまま過ごしてもいいが、こちらはなんとなく気になる。合羽橋周辺だからカッパって訳でも無いしな…。
「ふふっ…気になる?」
「わかるんですかこころさん!?」
マジか、こころさんは女神じゃなくて名探偵だったのか…うちの事務所に就職してくれねぇかな、事務所のオアシスになりそう。現在進行系で俺のオアシスなんだけれども。
何だか得意気にこころさんが話し始める。ドヤ顔も最高に素敵ですね。
「口裂け女の噂には、白か赤のコートを着ているって話もあるよね?」
「そうっすね」
「じゃあ問題です、あの女の人が着ていたのはレインコート。日本での別名は?」
「あっ…!」
コートはコートでもレインコート。その日本での別名は合羽、あるいは雨合羽か。発音上はどっちもカッパだからって訳か。冴えてるなぁこころさん…。
「もう一つの方はね。口裂け女の話は江戸時代にもあったんだって」
「最近の、っていうか。口裂け女って昭和とか平成だけの話じゃなかったんですか!?」
「違うよぉ、そのお話はね。今で言う新宿での話で、狐さんが化けた女の人が口裂け女だったって話なの」
こほん、とわかりやすい前置きをして話が続く。
「ある男の人が雨の中傘を差して歩いてるとね、すっかり雨に降られてる女の人がいたんだって。それを見かねた男の人が傘に入りなさいって親切に言うと、振り向いた女の人の口が耳まで裂けていて。驚いた男の人は腰が抜けて、いつの間にかお年寄りみたいに歯が抜けてぼーっとした顔になって、話もできなくなって死んじゃったんだって」
「マジっすか…いやよく知ってますね!?」
「ふふーん」
は? かわいい、結婚しよ…。
違う違う、抑えろ! 真面目な話してくれてんだよ!
「じゃあ襲われた子供も危なかったって事ですか?」
「それは大丈夫。少しだけ関係あったのかもしれないけど、急激で変な兆候も見られないし、突然口裂け女に襲われた心理的外傷…ショックが長引いただけだろうから。噂が解決さえすればあとは時間の問題でそのうち治ってるだろう、って脳神経内科の先生と心療内科の先生が言ってたよ」
なるほどなぁ、俺が治療待ちをしてる間にそんな話もあったのか。あれ、でも意識が戻ってない被害者もいるって話には繋がらなくない?
「ずっと眠っているっていうのは、理由があるの」
気付かない内に怪訝な顔をしていたんだろう。続けて被害者たちが眠っている理由を話してくれそうだ。
「子どもたちが酷く怯えて錯乱しちゃってたからね、病院に務めてる人の繋がりで、政府の機関の人に助けてもらったんだ。あんまり人に言っちゃダメだよ?」
「はい!」
「よろしい」
口元に人差し指を当てるジェスチャーを交えて話を締め括るこころさん。
政府の機関員で、人を眠らせる…謎が謎を呼ぶ感じもするが。千々石さんに会ったら聴いてみるか、あの人一応謎の情報機関の室長とかだったはずだし。
「なんにせよ、無事に終わったって事っすよね」
「ううん、これから、だよ。被害者も加害者もトラウマが出来てたらそれと向き合わなきゃいけないもの」
「そっか…そうですよね…」
こういった噂が憑いたことにまつわる事件の場合、加害者さえある種の被害者みたいな物だ。望んでやったってケースでもなければ、心の傷ってやつは加害者にもついてしまう。
そして、心の傷を治す噂はどこにも存在しない。
「それにね、何度言っても怪我をしてくる男の子も怒らないといけないの」
アッ! なんだか嫌な予感がしてきた。なんだこのプレッシャーは…!
口惜しいがここは逃げの一手…!
「はぇ〜…そんな不届き者がいるんすね、じゃあ俺はこれで、いつも治してくれてありがとうございます!」
「うん、太陽くん。座って?」
「あ、あんまり長居するのも悪いかなって…」
「座って?」
「はい…」
女神様からのありがたいお説教は雨が止んで、急患が運ばれるまで続きましたとさ。
めでたしめでたし。
何もめでたくねぇよ! 俺に説教されて喜ぶって倒錯した趣味は無ぇんだよ!