はい!こちら『愛に溢れる探偵事務所』です! 作:枯華院 清日
仕留めた虫の名前は何ともシンプル。
ダンジョンオオドクガ。
名前からして物騒な、地球上の一般常識からは考えられない程に大きくなったトンデモ迷宮生命体。
後から聞いた話では。花の蜜の代わりに、他の動物の血を主食としているそう。
致死性の強い毒である鱗粉を周りに散らして、少しずつ動けなくなった所を、針みたいに尖った口…吻と言うんだったか、あのストローみたいな部分を刺して吸い上げるのだとか。
これはその危険生物を仕留めた直後のこと。
パサパサと、簡易的なマスクをして刷毛を振るう。
「…いやあおじさんも普通の人だからさぁ、やっぱり気になるものは気になるって」
「私も普通ですけど」
「普通の女子高生が鉄砲をパンパン撃つなんて聞いたこと無いよぉ!!」
「チヒロ。過ぎた詮索は無礼ですよ」
三者三様。竹塚さんと私は布をマスク代わりにして、オークさんが背負っている大きなリュックサックから取り出した刷毛で先程の蛾、ダンジョンオオドクガの鱗粉を採取しています。オークさんは私達の護衛、太陽くんは見つけた犬と一緒に離れた所を哨戒してくれています、わんこが二匹って感じだね、微笑ましい。
ところであの黒いゴミ袋は一体何なのか。他のみんなは気にしていないから、あまり私が気にしても仕方がない気もしますけれど。
そうそう。何でもこの蛾の鱗粉は、とんでもなく高額で買い取られるらしいですよ。
竹塚さんいわく。
「オブトサソリって知ってる? 別に虫マニア的なマニアックな話じゃなくてね、サソリの毒って貴重なんだよぉ。なんとお値段! 一リットルあたり十億円以上!
こいつらの鱗粉も同じで、もしも一キロ採取出来たら都心でマンション建てられちゃう。これを採らないってのは金をドブに捨てるのと同じだよ、えぇ? どうだい、取りたくなって来ただろぉ?」
そこまでお金に執着はありませんけれどね。万が一の時のために色々と積み立てておくのは、出来る女の嗜みだってお母さんが言ってた。
「一匹の羽一枚で、この小瓶一個…持ってて良かったわぁ色々。僕らはねぇ、今金粉を採取してるようなもんなんだぞぉ。こいつで一件分は完済出来そうで僕ァ嬉しいよ、お金が余ったらパーッと使っちゃおっかなぁ!?」
「…一件分?」
「ウッ…」
「総額は教育に悪いので言えませんが、チヒロは多大な金額を複数件に借金しているのです。まったくお恥ずかしい…レイリーさんは、こんな大人にならないようにしてください」
「総額以外ほとんど言ってんじゃねぇかオーク野郎!!」
竹塚さんの借金は触れたらキリがなさそうなのでさておき。個人的に気になる所は、この準備の良さだ。
メイク道具よりも一回り大きな刷毛、何かを入れていたであろう小瓶類。白衣の裏側に増設したらしき内ポケットからは、糸や包帯の端もチラ見えしていた。
せっかくなら聞いてみようか。そう、ここでコミュニケーション能力を鍛え上げるんですよ。千里の道も一歩からって言うでしょうが。
「迷宮探索には使わなそうな物を色々持ってますけど、竹塚さんって本当にデザイナーだったんですか」
「あっ、気になっちゃう!? そっかぁ気になっちゃうかぁ…ふへっへっへ、しょうがないなぁ」
うわぁ…めちゃくちゃ話したそう…。これは藪蛇だったかもしれない。一瞬の隙を見せた私が悪いとはいえ、こうも易々と自分語りの隙を見せてしまうとは。コミュニケーション能力一日して非ず、気をつけよう。
「元医者の卵だったそうですよ」
「なぁんでお前は先に言うんだよぉ! お前あれかぁ!? 推理小説で後ろから読むタイプのかぁ!? これから話そうって時に台無しじゃねぇかっ!」
「結論を先に言った方がスムーズでしょう、わざわざ勿体振る程のことでもありませんし。それと私は推理小説はちゃんと推理しながら読みます」
「そういう事を言ってんじゃ無いんだよぉ!
…ったくぅ。まぁね、オークの言うとおり、勿体ぶるまでもない普通の人生だったよ。普通の…」
遠い目をして、ぽつぽつと。
竹塚さんの話が始まった。
───☆
本当に、普通の人生だったんだよ。
両親は普通の人。って言っても、母さんは結構な家柄の人で親父は医者。いわゆる裕福な家に僕は産まれたのさ。強いて言うなら幼稚園で受験をさせられたのは、普通じゃなかったかもしれないね。
両親は特別教育に力を入れてる人たちじゃなかった。普通に、誰かに迷惑をかけずに元気よく育ってくれればいい。そんな人達だよ。受験用の学習塾には通わされてたけどね、おじさん勉強が大得意ってタイプじゃないからさ。ちょっとずつ努力しないと追い付けないのなんの。
…両親はね、普通で構わないって言ってた。
でもね、父方の祖父は違った。
そう僕は、本当は最初からデザイナーになりたいって夢があった訳じゃなかったんだよ。
ああ、それで、あのジジイはいつもこう言うんだ。
「我が家系の男子であるなら」
ってね。
時代錯誤も甚だしい、そんな前時代的どころか封建的な事を言うなんて昭和どころか明治以前の人間みたいだろう? 小学生くらいの時に知ったんだけど、おじさんの家は代々医者だったらしいんだ。親父もそうだったからね。
…つまりさ、どうしてもおじさんを医者にしたかったんだよ。
「お前はどうして不出来なのだ」
「何故お前の父のように出来ない」
「お前は……」
幼稚園の受験もそう。もう少し名が通った所に通わせたかったんだろうね。まあでも? お受験の結果入った所でも、あのジジイの思い通りの立派な成績は取れなかったよ、自慢にならないけどね。あぁでも体育とか音楽なんかの副教科は良かったんだけどねぇ。
ま、それでも普通のちょい上程度は出来たんだ。親はそれだけでも褒めてくれたよ。親はね。
中学校のある時ね、副教科だけじゃなくて他の教科も軒並み九十点以上が取れたんだ。両親は凄く喜んでたよ、その為に頑張ったと言っても過言じゃないね。
でもさ、ジジイに見つかったんだ。
「満点が一つもないが?」
「で、でも…」
満点は確かに一つも無かった。でも、たまには頑張って良い結果は残せたんだ。いつもより良い点数なのは間違いないし、褒めてはくれずとも、ちょっとは見直したりするんじゃあないのかと思った。
「なるほど、あいつの教育が悪かったのか。他の生徒の幾つかには、お前より点数が高い者。ひいては満点を取った者も居ると調べがついている。
わかるか? お前は負けたのだ。いくら高いとされる点数を取ろうと負け犬に違いあるまい、その程度で満足するような負け癖は不要だ」
両親は、普段の僕の点数を隠してくれていたんだよ。ジジイに見つかったら何を言われるか、それを知っていたんだろうねぇ。でもジジイはそんな事はお見通し、最初っからテストの点数なんて調べてたのさ。
何をしようとも、一番じゃなきゃ意味がない。
そんな事しか言わないジジイだったよ。
だからそういうテストの点数で小言を言いに来る時でもなく、どぉーしても顔を合わせないといけない行事、正月とかで親の実家に戻らなきゃいけない時は苦痛だったねぇ。僕は普通だってのに、完璧じゃないとダメだったんだから。
そうそう察してるかもしれないけど、両親も結局はジジイに逆らえてはいなかったんだ。幼稚園の受験から、名の知れた学校にエスカレーター式で進ませるのもジジイの指示。珍しくもないけど学習塾に通わされてたのもジジイの指示。
まったく息が詰まって死ぬかと思ってた。今となれば大したことじゃないってわかるけど、子供時代なんて家庭が全てじゃない? 何としてでも医者にならなきゃ死ぬかもって、馬鹿みたいに思ってたんだよ。
そんな時にさ、学校の修学旅行で海外に行ったんだ。海外文化に感動した…って事でもないけど、大きく言えば同じか。ある絵に会ったんだ。
ベラスケスって人の『アラクネの寓話』…織女たち、ともタイトルが付いてる絵でね。凄いんだぁ。生きている人がそこに居るみたいな存在感で。きっとその時代を生きていた人達を盗み見たんじゃないかって思う絵なんだ。機会があったらレイリーちゃんも、當真くんも見に行ってほしい。
もっと有名な『ラス・メニーナス』もとんでもないよ、見る人の視線まで計算され尽くした美術で写真よりも生々しくて、遠近方まで使いこなしてて。細部にこそ神は宿るって言うけど、その細部に宿る神っていうのを信じたくなる、そんな凄い絵だったよ。
あっと、長くなったね。簡単に言うと、その凄い絵たちを見た時がおじさんの転機だったって訳だよ。
こんな素晴らしい絵が何百年も後に残っている。その絵画からは人の生きる道を、何も言わずとも動かすだけの力を感じた。
それと比べて、あのジジイはどうだい。ジジイが過ごした、たったの数十年そこいらの人生で、僕のこれからの時間を思い通りにしていい理由なんて無いだろう?
それからは早かったよ、医師になる勉強の傍ら、美術の勉強までし始めちゃったのさ。表向きはジジイに従うフリをして、裏では美術の努力。我ながら若い情熱に溢れてたなぁ。
それでまぁ、そこまで有名じゃない大学の医学部には滑り込めたんだ。ジジイには大層嫌味を言われたよぉ、その程度の大学で首席入学じゃないとか。旧帝大にさえ入れない面汚しとかね。
で、そのクソジジイはおじさんの大学在学中に死んだんだ。何だったかな…老衰だったか心不全だったか、とにかく急逝だね。やぁー…びっくりしたさぁ、死因が何だかわからないと、とりあえず警察って来るんだもん。動機も証拠も無いし、ただの自然死だから何も無かったけどさぁ、驚かせんなって思うよねぇ。
ま…そんなこんながあって。あっさりクソジジイもいなくなったから晴れて自由の身になったおじさんは、大学を美術系の大学に転学。そこからトントン拍子に卒業からパタンナーとして菱先グループの子会社に就職できて、そのデザイン事務所で重役になれたと思ったらこれだよ。人生ってままならないねえ。
───☆
「おじさんが包帯だのを持ってるのも、昔取った杵柄ってもんだね。あんまり器用じゃないけど、緊急で縫ったり貼ったりなら今でも出来る。
人生何が役に立つかわかんないよぉ、この刷毛だって妹からのプレゼントだもん」
失礼な言い方をすると、ちゃらんぽらんにも見える竹塚さん。それでも誰しもが持っているようなドラマはあったようだ。というか凄くエリート家系だったんですね、人は見かけに…うん、やめておこう。
「…? 妹さん…?」
「あ、そうそう。おじさんにはちょっと歳の離れた妹が居てね。これが気が強いしおじさんには似てないし…高校卒業したら政略結婚させられそうだったから、卒業と同時に家を出てっちゃったのさ。
それから直接会うことも無くてさぁ、その刷毛とかの画材道具の贈り物は郵送だし、名字も母さんの旧姓を使ってるし。あいつは思い切りが良過ぎるんだよ。
今は…んー…転職してなければ製薬会社で働いてるらしいけど、連絡が取れないしなぁ。僕ァ心配なんだよぉ、あいつも三十過ぎてるんだから、そろそろ結婚しないとヤバいって」
「怒られますよ」
「そうかなぁ!?」
余計なお世話ってものじゃないでしょうか。というか、どの口が言ってるんですかこの人。竹塚さんだってどこからどう見てもいい年した独身男性そのものじゃないですか。
結婚云々を人に言うのって何て言うんだっけ。えーっと…あ、マリッジだからマリッジハラスメントか。略してマリハラ、人の名前みたいだね真理原さん。
「妹さんのお名前は…」
「ああ、母さんの旧姓だから今はささ…」
「ぬぅ! このニオイは!?」
えっ何ですか急に。
「…ーい!」
ズシン、ズシン…と地響きに近い音と、何かを引き摺りながらの土煙を蹴立てて、聞き覚えのある声が。
「これ食えるのかなァー!?」
「…うわ」
「これこそ怒られそうだけどさ、若者の人間離れっていうフレーズが浮かんじゃうよ。最近の高校生ってこうなのかい? おじさんの時はもっと大人しかったよ?」
「あれは…グリンブルスティですね」
「グリン…?」
「おっとぉ…おじさんの台詞は無視する感じだねぇ?」
グリーンピースだかグリンダだかわからないけれど、とにかく大きな金色のイノシシ。
「あとは脱出するだけ…なので、ここで休憩としましょう。焦りは禁物ですからね」
と、いうわけで。
「まずは離れた所で血抜きをします。ダンジョンオオドクガを始めとした迷宮生物が血の臭いを嗅ぎ付けてくるかもしれませんからね。これは迅速丁寧が肝要です、味に多大な影響を及ぼしますから」
「水場が無いんで吊り下げますか。頑丈な木とかツタなら幾らでもあるし」
「そうですね。しかしトーマくん、中々手慣れてますね? こういった経験があるのですか?」
「中学生の時にちょっとやってましたよ。自給自足出来れば食費が浮くでしょ?」
「なるほど…」
いや、その理屈はおかしい。
野生動物とかって、狩猟免許が無いとダメじゃなかったかな? 気のせい? それとも彼は文明とは対極にある、自然に親しむタイプの野生児だったのか。
「枝はこんなもんでいいかなぁ。歳を取るとさぁ薪拾いってのも意外と腰に来るんだよ、あの二人みたいにクソデカイノシシを運ぶよりは楽だけど」
「そうですね」
私は現在ほんの少し周囲よりも開けた場所で木の枝を積み上げています、出来るだけ乾燥して軽い物を選ぶ事がコツだそうだ。そうすると火がパチっと跳ね難いとか。これはお母さん譲りの知識です。
「ぬ…やはりこの大きさでは血抜きも難儀しますね」
「時間かかりそうっすねぇ」
「ふむ…チヒロ! 水のスクロールを一つ使いますよ!」
「あーい! …ま、イノシシの毛皮と牙でペイ出来そうだからいいか、安くはないんだけど」
水の…スクロール…?
おいおいここに来てファンタジーな物が出て来ましたね、ダンジョンに身を置いている現状も十二分にファンタジーですけれど。
…そういえばオークさんもファンタジーですね、あと銀の爪を持った大モグラに、大木並に成長し過ぎたミミズも。そう考えると金ピカな毛皮と滅茶苦茶な牙を持った数メートル級のイノシシも同じかな。
やだ、世界ってとってもファンタジー。そろそろファイナルになりませんか、私の常識が揺らいで来てますよ。常識を疑えってオークさんが言ってたのはこういう事だったのかな?
そこで動いてる気がするゴミ袋はファンタジーに入りますか? 入らない?
「おおスゲー! 魔法みてぇ…いや魔法なのか!?」
「これは水分剥離・相転移札と言いまして。主に周囲の固体や気体から水分を集め、最も利用しやすい液体である普通の水として排出。そして濾過に近い作用も持っていまして…」
「原理が気になるゥー!」
「ワッフ!」
「ふふふ、そうでしょうそうでしょう」
向こうは盛り上がってますね。そういえばオークさんは紳士であり教師だと言っていた。
称号として認められる程に紳士的なのは言動から察せられるとして、なるほど教師。教師は教えたがりの人が就職する、という風聞は間違いなさそうだ。
見つけた迷い犬も向こうに居ますよ。生肉のニオイというか食べ物の匂いに釣られたのか、もしくはあの二人のどちらかに釣られたのか。
「グリンブルスティかぁ…本当に彼が何者か聞きたいところだねぇ。あぁいや、本人からしても言い難いタイプの話でしょ? 言わなくて大丈夫さぁ」
「…はい」
君のようにカンのいいおじさんは…嫌いでは無いけど、好きと言うには語弊があるよ。
それよりもグリンなんとか。あの車やトラックみたいなサイズの馬鹿デカイノシシだ。片手間程度でハントしてきた太陽くんに対して、竹塚さんは引き気味で感想を漏らしていた。何か知っているんだろうか?
「あのイノシシって…」
「うん? あれかい? もちろん本物じゃないよぉ、流石に本物だったら人の手に負えないもん」
「本物?」
急におじさんの察しが悪くなった!
本物だか偽物だかじゃなくて、そのイノシシが何かすら知らないんですよ!
「もしかして北欧神話とか知らない系女子?」
「知らないです」
一般的な女子は北欧神話に詳しくないです。そもそも北欧ってどのあたりを指すんですか、ノルウェーとスウェーデンくらいしか知りませんよ。
…合ってる? ノルウェーとスウェーデンの周辺で。
「神話は意匠、あー…モチーフとして使いやすくてさ。おじさんは多少勉強したのよ、勤勉だろぉ?」
「はぁ…」
「ねぇそれため息? それとも感心?」
二対八くらいの割合ですね、ため息が二ですよ。ため息ブレンド感心吐息です。感心成分の内訳として。言われてみれば確かに、という所が大きい。
国旗には紋章があったりするし、特に各国王室の紋章などは不思議な生き物が描かれていたりする。サッカーのユニフォームとかでも、実在したのかわからない動物が刻まれている。
それが神話由来とするならば、確かに神話とデザインは関連が強い気がする。竹塚さんって意外と真面目な人なんですね。
「あのグリン…何とかって、何なんですか?」
「ざっくり言うとだ。ドヴェルグの作った神様の乗り物で、水の中でも走れて、しかもどんな馬よりも速くて、金に輝く鬣を持っている。別名恐るべき歯を持つ者なんて名前もある、とんでもないイノシシってことさぁ。ドヴェルグってのはドワーフのことね。短くまとめると、ドワーフ製のすんごい人造イノシシってのが本物。
でもあれはあくまで、その特徴が似ている偽物。探索者がそう呼んでるだけのイノシシで、沢山居るんだよ。もしも本物だったら流石に誰も勝てないんじゃないかな?」
神の乗り物…の、偽物。されど確かに特徴は合っている。眩しいくらい金色の毛皮と、無秩序に生えた鋭い牙。速さはわからないけれど、恐らく凄まじい素早さだったのは地面と接していた脚の太さと大きさから推して知るべしだろう。
「あとねぇ、あんな怪物はおじさんみたいな普通の人が戦ったらほぼ負けるでしょ? 負けるっていうか死ぬっていうかだけど」
「それはそうですね」
私だって不意に遭遇したら死にますよ、あんなビックリドッキリイノシシ。銃弾・刃物・罠、手札の全部を切ったとしても暴走する車みたいな生物を止められるかという問題だ。まぁ無理でしょうね、逃げるが勝ちってものです。
「だからって逃げても、足が速いんだよぉ? 馬よりも速いで有名なイノシシの名前が付いてるのは伊達じゃない、一回逃げ回った事もあるけど、ありゃあ時速八十キロは出てるね。運良く見つけたドアに飛び込んでなきゃ死んでたかも、まっ入ったドアの先も安全じゃなかったけどねぇ」
「怖…」
逃げられないっぽいですね。大自然のパワーには参りました、遭遇しなかった幸運に感謝しよう。
ん? でも、今までの話には変な所がある。
「迷宮って、もっと多い人数で入れば良いんじゃないですか」
「あー……」
素人質問というか素朴な疑問。軍隊みたいに装備を整えて、それこそ数十人もの隊列を組んで探索すれば、あのイノシシだって倒せるんじゃないだろうか。
「それがねぇ…迷宮って面倒なのよぉ」
あっダメですか、素人質問で申し訳無いです。
「例えば自衛隊が入ったとしよう。というか入った事あるらしいんだけど。もちろん装備もガッチガチで屈強な方々がね。
そうしたらさ、迷宮の床が抜けたんだって。底も見えない落とし穴にボッシュート、それで生きてるか死んでるかも不明、もし死んでいたとしても、遺体は今日に至るまで戻ってきてないってさ。
案外、エレベーターみたいに重量制限があるのかもしれないねぇ。レイリーちゃんも見なかったでしょ、外で車ごと突っ込んだり大人数で入ろうとしてる人たち」
そんな面倒な制限があるんだ…。
うーんダンジョンって大変。なるべく関わらないほうが良さそう。くわばらくわばら、と。うんうん頷きながら傾聴していると、まだ補足があるようだ。
「ちなみにダンジョンごとぶっ飛ばそうって案があって、これも軽く爆破して試した事があるらしいよ。
そしたらねぇ…」
意地の悪そうな顔で、にやっと笑いながら言う。
「爆破しても何故かビクともしないし、何かの合図と勘違いでもしやがったのか、ダンジョンから超大型のバケモノが外に何匹も出ちゃったんだってさ。新宿で建物がいくつか壊れかけてるのもそれが理由ってね」
「最悪ですね…」
「そ、そ。だからみんな大人しく、なるべく少人数で仲良くダンジョン探索するしかないって事よ。人数だか重量超過で行方不明ってのも、残された方からしたら溜まったもんじゃない」
傍迷惑というか、至極面倒というか。とにかく迷宮というものは、そう簡単に攻略させる気が無いようだ。
「ただ、わかってると思うけど、その分の恩恵はある。迷宮のいやらしいとこだね。
例えばお粥が無限に出て来るデカい鍋。あれのお陰で探索者はお粥だけはタダで食えるし、鍋を見つけた奴は物を国に買い取られて一生働かなくてもいいって額を貰ってる。
アメリカンドリームならぬダンジョンドリームは叶うって訳だぁ。そうでなくても怪物達の素材やらは高値で売れるんだもん、死なない限りは大儲けさぁ」
「借金を普通に働いて返すよりもいいんですか?」
「うんまぁ、結構ね…額が凄いんだよ…おじさんの借金。普通に働いても返せない額なの…」
どこか朗々と語っていた竹塚さんが一気に落ち込んでしまった。ごめんね。悪気は無かったんです、本当です、信じてください。
「そんでオークと組んでるのは利害の一致って奴よ。おじさんはコツコツと多額の借金をチャラにしたい、もう一回美術の仕事とか事務所の設立が出来るような金額の貯金もしたい!」
たしか破産というもの一度でもしてしまうと、数年は新たに借金をする事が出来ない。と所長さんが言っていた。環さんの補足では、原則再就職には響かないとはしているけれども、やっぱり信用が落ちるから難しいとも。
同時に、自己破産をすると返済義務が消失するとも教えてもらった。つまり竹塚さんは、返さなくてもよくなった借金を返す為に努力している事になる。対外的にはテキトーな第一印象を与える見た目と言動、その実義理堅い人…なんだろう。
となれば竹塚さんのような実直な夢追い人は、それを叶える為にリスクが高くとも迷宮に入る事が一番の近道なのかもしれない。うん、借金は出来るだけしないようにしたいね。
「竹塚さんって、結構欲張りですね。
そういえば…オークさんの目的って?」
竹塚さんの夢はさておき、オークさんはどうしてこのおじさんと組んでいるんだろう。種族的なやむにやまれぬ事情とか?
「へっへっ。欲張りの自覚はあるよぉ? じゃないとこんな所に来ないって。
オークは…まぁ隠してないからいいか。アイツはオーク達の王様にお願いされてるんだよ。種族的に大食らいだから内紛に発展する前に食糧問題の解決策を探して来いって、さっきの鍋のぉ…レプリカ? みたいな物を見つけたいのさ。
何だかんだ、外面も種族もどうあれ迷宮探索者はみーんな強欲って事だぁ。欲の皮が突っ張って、まだ行けるって思った奴から死ぬのも一緒。キミたちはこんな大人になるんじゃないぞぉ」
「気をつけます」
種族的に大食らい…なるほど大変そうだ。人間が主食以外の農耕を始められるほど余裕が出来たのは、たしかハーバー・ボッシュ法が確立してから。
と、社会科担当のレプティリアン、レイフマン先生が言っていた。私が通っている高校の先生方は妙に個性的で紹介する時に困る。
王様も存在するようなオーク族が、どこに居を構えてらっしゃるのかは不勉強故存じ上げませんけれど。ハーバー・ボッシュ法などの農業革命が無ければ、人類であっても食糧事情は厳しかった訳で。
あのオークさんの燃費の悪さを見るに、想像もつかない程過酷な環境になっているのかもしれない。
「迷宮は誘惑が多い。ですが上手く付き合って行くしか無い。それが私達オークです。ちなみにですが原型たる聖杯こと、無限に食べ物が出て来る鍋を見つけた際にはオーク・キングより新設された称号『勇者』を下賜されます。他にも『探索者』や『救世主』等の称号を追加する事も提案されていますよ」
「それは…凄そうですね?」
「ええ、凄いんです。人間に通ずる例えで言うなれば教科書に載って伝記が出版される存在になります」
「おぉいなんだよぉ…! 急に出て来てビックリさせんじゃないよぉ…! ちょっとお茶の間に出し難い見た目してるって自覚が足りないんだよお前は!」
そうかな? 竹塚さんはオークさんの外見を厳しく言うけれど、じっくり見ていると愛嬌のある顔をしていると思う。ゆるふわ系って感じだね。
「さ、それはさておき。二人とも、食事の用意が出来ました。行きましょう」
「いつの間に…」
「トーマくんが手伝ってくれたお陰で、普段より早く出来ました。チヒロ、彼にも感謝するんですよ」
「言われんでもわかっとるわぁ! お前ってのは隙あらば母さんみたいな事を言うんだから…こちとらいい年した大人だよぉ? 手と手を合わせていただきますなんて義務教育で済ませてるんだよぉまったくぅ」
「いい年した大人がグチグチと言いますか? 言わないでしょう。ほら手を洗いなさい」
「いい年した大人だから愚痴るんだよぉ!」
いい年した大人の愚痴を聞き流しつつ。いざ参ります、迷宮の料理。
…引き合いに出すのは憚られる気もしますが。お母さんの料理よりは…お母さんの、料理よりは、普通の食べ物が出て来るでしょう…!
どこから切り出したのか、はたまた持ってきたのか。巨木を横に薙ぎ倒して上部を削り取ったであろうテーブルに、丸太を輪切りにしたような椅子。
男の子ってこういうDIYに溢れた物が好きなイメージ、ログハウス風というか何というか。
載っている料理は、本当に有り合わせで作ったのか不思議に思う程カラフルかつ本格的。太陽くんってあれだよね、家庭的だよね。私より。
小さな敗北感が胸に染み込む前に、さっさと着席しました。ちなみに丸太椅子には彼のハンカチが敷いてありましたよ、持って帰っていい? ダメ?
「よっ、お待たせ!」
「うん」
「何かすげぇんだよ、オークさんのカバン。っていうか迷宮の植物。ハーブ・スパイスに野菜でも何でもござれって感じ」
「解毒草に薬草も揃えてますからね。場所が密林だったのも幸運でした」
「目利きと鼻が利けば食える物も探せる。迷宮の良いところだよ、おじさんも食費が浮いて助かるし」
サバイバルだなぁ…。
探索者は逞しくないとダメなんですね、ちょっとか弱い私には厳しい感じがします。まぁ探索者にはならないので大丈夫、普通の女子高生だもん。
「じゃあ手を合わせて、いただきまーす!」
「いただきます」
「いただきます…やー…キッズと囲む賑やかな食卓だよ。見てるこっちが元気になってくるよなぁ、家庭を持つってこういう感じなのかな。ハハ、ちょっとおじさんの分の料理、塩を入れ過ぎじゃないかい?」
「調味料が垂れてますよ、眼から」
まずはこの…ニンジンらしき物のサラダから食べよう。ニンジンだよね? 信じてるよ?
「…ちょっと苦くて酸っぱい?」
「ダンジョンマンドラゴラのサラダです、地中でトドメを刺すと被害も無く簡単に食べらるんですよ。薬効は延命長寿、滋養強壮。それと恋愛成就なんていう話も」
「はぇー…面白いっすね」
「おじさんは延命長寿と滋養強壮だけでいいかな…」
「おかわりありますか?」
「早くね!? おかわりは無ぇよ!?」
へぇーすっごくファンタジーな効能ですね。ボウルに山盛りで持ってきてください、むしろ直で齧るから生えてた場所に案内してください。早く。
味は結構山菜っぽい、ほろ苦くてシャクシャクしてる。酸っぱいのはたぶんドレッシングかな? 柑橘類の匂いがある、これも自生してたんだろうか。
隣に並んだスープは、周りの森林全体が鍋に身投げしたのかと思う程緑色。具材は紫と赤の何か、ちょっと刺激的過ぎる見た目ですね。
「カヤクカズラの未熟花とイヌナスイモのシチューです、トーマくんが狩ったグリンブルスティも入っていますよ」
「血抜きが大変ったらなかったですね、重いし。でも…柔らかいっすね、獣臭も控え目で。一旦焼いたのが良かったのか?」
「捕れたてってのもあるかもねぇ、うん。うまいうまい」
極彩色シチューでしたか、小学生が誤って三原色の絵の具をぶちまけたような色合いですね。そして割と物騒なネーミングも聞こえる、それは聞かなかった事にしつつ意を決して一口食べ…食べよう。これで卒倒する味わいだったら責任取ってもらうからね。
「…ん、美味し…い!?」
「だよな。見た目より美味いよ」
ビシソワーズってあるじゃないですか。そう、あのジャガイモのポタージュ。あの味わいです。むしろ上品な豚骨スープというか、野趣を感じるコンソメスープの味をそこに足した風格があります。
きめ細かい粒子感のあるスープと、蕩けるような花の蕾。お肉も覚悟していた程固くなくて、普通に噛み切れる柔らかさ。しかも…何だろう、バナナみたいなニオイがある。肉汁ってこんなのだっけ。
「ツリガネバナナを好んで食べていた個体なんでしょうね、奥行きのある甘い香りがします。家畜が餌によってその肉の味わいを左右するとは知っていましたが、迷宮でも同じとは思いませんでした」
「腹が減ってない時は語るよなお前」
「ふふっ、食材と向き合うのも紳士ですよ」
「そりゃあ真摯だろ…いや間違ってないけどさぁ」
養殖のお魚は柑橘類を餌に混ぜると身から爽やかな香りがするって話がある。このイノシシもそうなのかもしれない、だって口の中にトロピカルが存在するから。そういえば周りの風景も南国の密林みたいですね、迷宮はジャングルだった…?
ところで意図的にスルーしているんですが、聞き馴染みの無い迷宮産食材の名前を言うの止めてもらっていいですか。大丈夫、名前で味は決まらない。ところでイヌ何々って毒性が有るものが多いって聞いた事があるんですけど。
「サクランジャガイモのパンも上出来です。本当は窯が欲しかったのですが、スキレットでも何とかなりますね」
ねえ錯乱って聞こえたんですけど?
「甘くないパンってのは日本だと珍しい感じもしますね。そうでもないか? いやでも菓子パンに惣菜パンもパン本体は甘いしな…」
「ポテトパンは昔の旅行の時以来だなぁ、素朴ぅ〜…」
気にしてるのは私だけですかそうですか。太陽くんもこちら側だと思っていたんだけれど、とんだ見当違いだったようだ。もしかして最初から錯乱してたりするのかな? 正気が狂気ってこと?
一蓮托生、太陽くんを一人にはさせないよ。内心のキメ顔をおくびにも出さず食べてみましょう。
「…カルトッフェルブロート…?」
「えっ何語!?」
「ドイツ語…で合ってるかなぁ、おじさんも自信が無いや。むかーしに第二外国語でやっただけだし」
「ほう、レイリーさんはドイツ語を嗜んでらっしゃる?」
「いえ全然」
まるで喋れませんよ。自分で見た目に言及したくは無いが、どこからどう見ても外国人なのに魂から骨の髄まで日本人ですよ。一日に一回はお米を食べないと落ち着かない程に日の丸が染み付いてます。
ちなみにドイツ語どころか英語も無理です。両親は私に内緒の話をしたい時、流暢な英語で喋りますよ。
けれどもドイツ語の変な単語とか、食べ物の名前くらいは何となく覚えている。先程私の口からまろび出たのは、ドイツ語でのポテトパンの呼び名です。
各家庭によってレシピが違うらしく、我が家ではジャガイモ八割、小麦二割程度の割合で作られたカルトッフェルブルートが出ます。作るのはお父さんですよ、お陰で普通に美味しいパンとして名前と共に記憶に残っている訳です。
「へぇ〜…ドイツ語…。うん、響きがカッコよくていいよな、ドイツ語。ボールペンのことをクーゲルシュライバーって言うんだろ?」
「でも『深紅の死神』をドイツ語で言うと『プルプルゼンゼンマン』だよ?」
「悪かった、俺の負けだ…!」
「精進してね」
外国語なら何でもかんでも格好良くなると思ったら大間違い。そういえば英字プリントシャツとかに『sexy』って書いてある物とかあるじゃないですか。あれって英語圏の人が見たら『艶めかしい』って書いてあるような感覚なのかな。ちょっと反応に困るよね。
彼の若気の至りを軽く往なした所で、思った以上に美味しくいただけるサクランジャガイモのポテトパンを口に放り込む。勝利の味はポテト味、素朴。
補足として小さなポテトパンはカルトッフェルブロートヒェン、ポテトパンケーキはカルトッフェルプッファーと言うそうな。ポテトパンケーキ自体、ドイツでは屋台で焼き立てが食べられるんだって。私はドイツに行ったことありませんけれど。
「うん…カルトッフェルブロートだね」
日本のパンの特徴は外カリ中フワで甘い物が基本だと思う。一方カルトッフェルブロートは外カリ中モチ、ほんのり塩気が効いている事が特徴。
日常的に甘い物を好むのは日本人の国民性なのだろうか。よくよく考えてみると、果物からお米、場合によってはカボチャの煮付け等々。お米はよく噛めばという条件はあれど、全部が甘い。この国は…糖分に支配されている…!?
「肉も美味いっすねぇ! やっぱり直火焼きってのは一味違うぜ。いや…このオークさん秘伝のスパイスのおかげか…!?」
「ワフッ!」
「おっと、お前はこっちな、味付けしてない方をよく噛んで食べ…犬には無理か」
メインの一皿はケレン味の無いイノシシ肉の串焼き。シュラスコとかケバブ的な物が、そのまま己を誇示するかのように置かれています。
「これも美味しい…」
「フフフ、これは私の特製スパイスを丹念に刷り込んであります。シナモンとクローブ、オールスパイスを始めとしてローズマリーにタイム。ナツメグとデッドペッパー、爆汗生姜と王冠トウガラシにゲドウ瓜の種の燻製と…」
「長いよ長いんだって! お前は無趣味なおっさんかよぉ、たまの休日にスパイスからカレーを作るみたいな凝り方してさぁ。コーヒーの焙煎とか蕎麦打ち何かに手を出したら終わりだぞぉ」
スープの時以上に肉の臭みが無い、トロピカルな匂いはほんのり香る程度になり。今にも滴り流れ落ちそうな肉汁と脂が、口の中いっぱいに香ばしく広がる。不穏な名前の香辛料たちは、お肉を美味しくする為に手を取り合っている様子だ。
うんうん、どれもこれも美味しい。量はそこそこ多いけれど、他の男性陣の方が多い。どこかの生徒会副会長な彼こと淋代くんのお姉さんと違って、私は少食気味ですからね。きっと太陽くんかオークさんが気遣ってくれたんでしょう。
でもやっぱり男の人って食べるの早いよね。身近な例外としてお母さんも滅茶苦茶早いけど。最近お昼ご飯を食べるようになった朝倉さんとか、のんびりしている時ののんちゃんとかは平均的にゆっくり食べていると思う。私も遅い方なので、少しずつ味わうように食べますよ。
「いやぁ…やっぱり歳かなぁ…。昔はカルビとかの脂っこぉい肉なんていっくらでも食べられたんだけど…」
「た、竹塚サン…!」
「残った分は保存食と買い取りに回しましょう」
「もうさ、焼肉でもね、良い肉を一枚二枚でいいんだよ。そこにビールとかねウーロンハイとかね。うん。白米だって丼一杯は辛いものがあるしさぁ、そろそろ血糖値とか気になるじゃない」
竹塚さんの愚痴スイッチはどこにでもありそうですね。地雷原もかくや、恐らくスルーが一番賢い冴えたやり過ごし方。ふふふ、お肉おいしいね。
そうそう、スルー。日本語的にはシカト、これが時には必要な場合もある。
「……」
「…う…うう…」
それは明らかに蠢いているゴミ袋を目にした時だったり、その中身が何か呻いている事に気付いてしまった時にも必要ではないだろうか。
じゃあやっぱり、私には無理だ。
さて、やっと食事を胃の中に納め終わった、千里の道も一本から。シカトなんてされてもまったく面白くないもんね。他人にされたら嫌な事はするなって普通は教わるでしょ?
御意見・御感想・御評価。質問疑問、誤字脱字等々ありましたら御指摘賜りたく存じます。
や、優しくしてね…!