Captain of Robbers 1
「……んー、まだいないかな」
日陰になっているベンチを探して座り、さっき自動販売機で買った二百円の麦茶のペットボトルの蓋を開ける。一応待ち合わせ場所にしている門を入ったら見える場所なので、大丈夫だと思いたい。
このあたりは桜盃の経済経営学部のあたりと雰囲気が似ている。もちろん夏休みなので学生がそう多くうろうろしているわけではないのだが、垢抜けた様子というか、青春を満喫している感じというか。環境生命学部では少なくて、情報科学部にはもっと少ない。情報芸術学部はなんかそもそも違うしな。
ここは東京総合大学社会科学域。長く歴史を持つ人文・社会科学系の大学をルーツに持つ、産業界に強いところだ。一方で政治や行政のあたりとはあまり噛み合いが良くないともっぱらの噂だ。あくまで噂なので実際にどうかは知らない。たぶん大学生の多くも意識しているわけではないと思う。
「オープンキャンパス参加の方ですか?」
声をかけてくれるのは大学生だろうか。髪を少しだけ脱色した青年。爽やかな笑顔。着ているTシャツに社会科学域と書かれているし、たぶんアルバイトのスタッフだ。大学名よりも社会科学域という文字が大きいあたり、くっついた大学の統一はあまり進んでいないようで。
「ええ、ただ少し人を待っていまして」
できるだけの落ち着いた声色を意識しながら、僕は言う。
「そうですか!もしよろしければ、パンフレットはあちらで配布しています」
「ありがとうございます」
笑顔で返してしまったが、そういえば僕はもう大学生だしいまさら東総大に入るつもりもない。偏差値的にも辛そうだし、なにより単純に、もう一年受験勉強をするつもりにはなれないというのもある。
あとここの工学域はあまりVR系の研究では強くないのだ。こういう大学ごとの偏りみたいなものが存在するなんてほとんど知らないまま大学受験をする層がほとんどだろうな、と考えると受験が詐欺か何かに思えてくる。入ってからしかわからないことが多すぎるし、たぶんあと何年かもっと早く言ってくれればよかったのにと僕は言い続けることになるのだろう。
「あの……ソニドリさん、ですか?」
そんな事を考えていると、僕に声をかけてきた人がいた。
「ええ」
わかりやすくするために被っていた赤いキャップを外して、眼の前の相手に一礼をする。この名前で呼んでくる人は三人しかいないはずだし、この声は直接聞いたことがないので一人に絞られる。概念同化機構さん。仮想世界での知り合いで、物理世界で顔を合わせるのは初めてだ。
「初めまして。あるいは……こんにちは?」
そう返すと、眼の前の相手は曖昧そうに頷く。少し見れば分かるように男性だったが、ファッションと髪型は中性寄りだった。いや、改めて思うが良くできているな。かわいい高校生男子の範囲にある。というか一瞬見ただけではどちらかわからなくても仕方がないな。ユミナさんとはまた逆の方向である。
「……大丈夫ですか?」
「ああいえすみません、
性徴が出やすいところを多少は隠してはいるが体系的な知識に基づくものじゃないな。半袖だとどうしても隠れないところがでてくるが、しかしこの暑い中でわたしのように長袖なのは純粋に馬鹿の類だ。譲れないものがあるとしても命よりは大抵の場合軽いはずだ。
「改めまして、概念同化機構……です」
そう差し出されてきた手をわたしは握る。声は高めとはいえ男性の範囲内。男の娘っていうのにキャラとしては近いのかな。喉は少しだけ出ているように見える。高校生ってあたりだとそんなものか。まあ可愛いな。男女問わずモテるのも納得といえば納得だ。化粧の気配がないあたりは元の素材の良さが羨ましくはある。
「跳華さんとかせくりさんは?」
「通知来てませんか?」
不思議そうに言われて、わたしはリストバンドの設定を切り替え忘れていたことを思い出した。普段は河辺
「ちょっと待ってね」
リストバンドの画面はそう大きくはないが、慣れていればXR端末を使わなくとも最低限の設定変更はできる。というわけでソニドリとして行動する時のモードに切り替え。おっと通知がいっぱい出てきた。慌ててXR端末を取り出して内容を確認していく。炎天下だと上手く表示されないから難しいのよね。
「あー、なるほど。遅延しているのか」
そういえば電車に乗るときに他の路線が止まっているとかそういうのがちらりと見えた気がしなくもない。メッセージアプリから切り替えて少し調べると、変電所あたりに問題があったようでかなり激しい遅延が起こっていた。とはいえ運転は再開したらしいし、元通りのダイヤになるのは時間の問題だろう。
「みたいです」
「あれ、概念同化機構さんは?」
「近くのホテルに泊まっていたんです。だから間に合いました」
「泊まっているのは一人で?」
「ええ」
別に高校生だろうが保護者が裏で話を通したりすれば大丈夫だろうが、珍しくはあるだろうな。泊まり込みの荷物を持っているようには見えないので、二泊して帰る感じか。
「それで、どうする?わたしと一緒にあと二人が来るのをしばらく待ってもいいし、あるいは先に入っちゃっても構わないと思うけど」
ホームページとかで軽く下調べをしたのだが、模擬授業とかは人数制限があったりするのではやくやったほうがいいだろう。詳しい時間までは覚えていないが、オープンキャンパスが始まってすぐに開講するものもあったはずだ。
「っ……あの、私は、ソニドリさんと一緒に行きたいです」
「わかった。あー……そっか、名前変えたほうがいいか」
「確かにソニドリって名前は、あまりありそうにありませんしね」
「ミドリって呼んでよ、本名だし」
個人情報を明かすことはリスクではあるが、信頼と引き換えみたいなものだ。
「えっと……じゃあ、私はセキにします」
セキ、ね。変換で赤ってなってわたしの名前と対になるな、なんて思ったのは内緒だ。
「本名?」
「秘密です」
「そっかセキさん、じゃあ行こうか」
わたしは立ち上がって、概念同化機構さん、もといちょっとぼんやりしていたセキさんの肩を軽く叩いて受付へと向かった。