「つまり、戦後の国際社会のあり方として……」
わたしと概念同化機構さん改めセキさんが座って聞いているのは体験授業。内容は国際政治。
「わかる?」
わたしは小声で聞く。机の上には諦めて開いていた学校紹介のパンフレット。こことは別にもうひとつキャンパスがあって、一つはここから北東、もう一つはずっと東に行った都心のど真ん中。
「面白いですね、内容自体は時事として押さえてはいるものですけど、こういうふうな説明はあまり聞かなくて」
「まあネット上でこの手の話題は避けられがちだからね」
輿論戦の悪影響として、この手の議論がまともにできるプラットフォームがほぼ壊滅的に失われたというのがある。いや、別に残ってはいるのですよ。でもそこは輿論戦を生き延びた、つまりは一般的な認知に対する攻撃戦略が通用しなかったってわけで、雑に言えば言葉が汚いんです。
ロムッテロは当たり前、その上で今ではAIに学習されないように体系化されたまとめがオンライン上からは破壊された
「セキさんはどういうことがやりたいの?」
思考が悪い方向に進みそうだったので、わたしはセキさんに声をかける。
「私は……経済か経営をやろうと思っています」
「起業とか?」
「いえ、文系なので、その中で比較的手広くできる場所をやろうかと思いまして」
「なるほど」
わたしはある程度狙う範囲を定めていたので、情報科学の方面に進むのはためらわなかった。そこで人工知能を選んだのは半ば偶然の側面はあるけどね。
でもそうか、お金の流れか人の扱い方か、どちらかをしっかり学んでおくというのはたぶんかなり広い場所で役に立つ技能だろう。一方で人工知能なんてやっても今の僕の流れだと特定AIサービス提供者になんか知らんけど大丈夫ですよって言う職しか手に入りそうにない。いや十分な気もしますけどね。
「現在の多極体制について論じているものとして有名な本の一つがエリック・ブロンスタインの『紛争の十年』。別にこれを読まないと解けない入試を出すことはないけど、大学入ってからでもいいから読んで欲しい。もし私のゼミに入ると、これを半年かけて徹底的に批評することになる」
先生が画面に本の表紙の画像を映し出して言う。というかそれ英語版だろ。日本語版の表紙はもっとキャッチーだったぞ、と思っていたら日本語版の画像も出していた。
「ミドリさん、知ってますか?」
「結構有名だよ、いわゆる紛争の十年って言い方を提唱した本だし」
高校の図書室にあって、流し読みではあるものの一応は目を通した。内容は結構難しかったし、特に東亜・南海戦争のあたりは僕でもわかるようなミスがあったのでそこのあたりは人間の知識や知性の限界みたいなものなのだろう。
っと、こういうふうにしているとちょっと自我みたいなものがごちゃまぜになってくるな。概念同化機構さん相手のときにはできるだけ
「なら、読んでみようかな……」
「今はいいんじゃないかな、……いや、あとどれぐらいで受験かは知らないからあまり言えないけど」
少し幼く見える顔つきもあって、年齢は読めない。ただでさえわたしはそういうのダメなんだけどね。
「そうですね、まだ少しだけ先です」
「今年度……というか来年ではない?」
「はい」
「なるほど」
高校二年生ぐらいだと思っておけばいいだろう。別にセキさんというか概念同化機構さんが高校生であるという保証はどこにもないからこういう言い方は良くないか。通信課程でいくつか授業を取ってそこから高卒認定を狙うなんてやり方も珍しくはなくなってきましたからね。特にやりたいことがあってそちらに時間を割きたい人はそういう選択肢もあります。
とかやっていたら手首が震えた。XR端末を取り出してこっそりかける。あまり授業中にこういうものを使われるのを好まない先生もいますからね。昔のスマートフォンみたいなものに比べればアイコンタクトできるんだから良いじゃないかと思わなくもないが、古い人の考えを尊重することも大切なのはわかっていますよ。大丈夫です。
「二人は今ついたって」
「……これ、聞き終わったら合流でいいですか、って言ってもらえません?」
「わかった」
ハンドフリックで手早く返信をすると、向こうも慣れているのか返事をくれた。先に他の展示とかをみてくるようで。
そういえば東京総合大学は学域・学群・学類という三段階での分類方式を取っている。桜盃情報工科大学なら学部・学科・専修という形になる。例えば今壇上で話している先生は社会科学域法学群法律学類というわけだ。
ただ学群と学類がそれぞれ学部と学科に対応するみたいなところもあって、少しだけズレているような感じがあるんだよな。これももともとあった複数の大学を無理にまとめた弊害というやつなのだろうか。
「待ってるって」
「よかったです」
そういう間にも先生の話は進んでいく。流れは結局専門分野である国際法のあたりにやってきていた。国連とかを支えている国際法と、それへの信頼が失われている現状。おっとこのあたり思想の匂いがしてきたぞ。
とはいえ何かを専門分野であると言えるぐらいに極めたほどの人はどこか芯が、悪く言えば狂気を持っている。そうするとどこか強い思いを持つことになって、結果として思想っぽいところがあるようになるのだ。それにぶつかった人を単純に減点するようならこちらも相手を値踏みさせてもらうんですけどね。
とかやっていると模擬授業が終わって、人々が三々五々に散っていく。見る感じ一人で来ている人と親と来ている人とでは後者のほうが多いかな。人数が違う分見間違いがあるかもしれないけど。
「行きますか?」
セキさんが声をかけてきた。
「そうだね、待ち合わせの場所は……」
僕は配られたキャンパスマップと頭の中の地図がうまく合わないのが方角が違うせいだと気がついてくるりと回し、先程メッセージで送られてきた場所を指した。