セミダイブ!   作:小沼高希

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回転、反転、逆回転 6

今日のBar Panoptica(バー・パノプティカ)には人がいなかったので、かわりにちょっと広いワールドに行くことにした。

 

閉じていた目を開ける。見上げれば彫刻された柱に支えられている高い天井から吊るされた間接(アンビエント)照明がわたしを優しく包み込む。

 

あちこちから聞こえるささやき声。コップとソーサーの当たる澄んだ音。磨かれた石の床を歩けばコツコツという響き。光沢のある木と柔らかそうな布でできた椅子。

 

ここはCafé Kraton(カフェ・クラトン)。モデルになっているのは「世紀末ウィーン」と呼ばれた時代の喫茶店。そしてここはわたしの知る限り最も刺激的な知識の共有場所である。

 

Guten Tag Sonidori(こんにちはソニドリ様), es ist mir eine Freude, Sie wiederzusehen.(またお会いできて嬉しい限りです)

 

丁寧な店員が入ってきたばかりのわたしに声をかけてくれる。このあたりから雰囲気を作っていこうというのがひしひしと感じられる応対だ。

 

Guten Tag(こんにちは), es ist immer schön, hier zu sein(ここはいつ来てもいいところね).」

 

わたしもできるだけ頑張ってドイツ語を返す。ロールプレイのための言語取得というのは非常に重要なものだ。少なくとも、わたしはこの手の場所に通うにあたってそれなり以上に色々頑張っていた。

 

「それで、今日はいつものように議論に参加されますか?それとも、誰かとの待ち合わせや一人でのご来訪でしょうか?」

 

とはいえさすがに最初の一回以外はきついのですぐに翻訳を起動してしまう。悪いところだと思いますけどね。だって英語ならともかくドイツ語使えてもかっこいいだけじゃないですか。

 

ちなみにこの応対をしてくれる人は生身の人間らしい。つまりはこの人は完全に趣味でやっているわけである。本当にこのCafé Kraton(カフェ・クラトン)はどうかしている場所だと思うよ。一応はVRでの空間づくりに詳しい身としても完成度が高いワールドですしね。

 

「何か面白い議論の場所があれば案内してもらいたいかな。あとそうだ、何かおすすめのデザートがあればそれを」

 

みたいな会話をして、議論のテーブルに案内してもらう。かつてのウィーンのカフェよろしく、ここでは日夜哲学からスポーツまでいろいろな内容の話ががされているのだ。

 

「みなさま、こちらの方を紹介しても?」

 

会話が止まり、椅子に腰掛けてテーブルを囲んでいた人たちがわたしを見る。皆様しっかりとした格好のアバターである。

 

「ええ、お願いいたします」

 

ボイスチェンジャーだな、と慣れていれば察しのつくハスキーな声で歓談者の一人が言う。このワールドはけっこうアバターの制限があって、全体の雰囲気を崩さない範囲でという制限がかかっているのだ。

 

まあわたしも普段から使っているものから少しだけ髪を暗めにして落ち着いた感じにしている。このあたりのすり合わせというのは結構難しくて、ある程度明文化されていたり生成フィルターを通す事になっている場所も多い。アバターの特徴が消されることもあるので生成フィルター使っている場所は好きじゃないんですがね。

 

「ソニドリさんはVRワールドの構築の分野で活躍をしておられて……」

 

一応は紳士淑女の落ち着いた会話場所、というのがコンセプトなのだ。ちなみにこういうところでは少なくない割合の来訪者というか一緒に話す人がAIだなんて話もあるが、ここは結構生身の人が多い印象がある。

 

とはいえある程度のレベルを超えるとアバターの動きと単純な会話では見分けがつかないことも多い。なにせ十年前にはテキストでなら人間を完全に騙せる段階まで人工知能は進んでいるのだ。ここの騙すっていうのは人間か機械か混乱させるって意味ではなく、文字通りの詐欺にはめるという形で。

 

というわけで参加者たちの自己紹介が終わり、今までやっていた議論のまとめに移る。なるほどVR技術の発展のあたりね。こういう場所では結構オーソドックスなやつである。そもそもVR機材を一通り持っていてカスタムアバターに手を出していたりするような層ってかなり少ないですからね。

 

「それでだ、ソニドリさん。あなたはどんなデバイスを?」

 

「脳計測デバイスを補助で使ってますよ、とはいえこれは趣味の範囲で……」

 

他の人と前提の情報を共有していく。ここでの会話って結構一期一会のところがあるので自分のことを話すハードルが下がるんですね。とはいえそういうのを気楽に話せる場所として、あるいはちょっとした秘密を共有した仲間が集まる場所としてこのCafé Kraton(カフェ・クラトン)は作られている。

 

チーフもBar Panoptica(バー・パノプティカ)を作るにあたってここを参考にしたらしい。というかチーフに出会ったのはたぶんここだからな。とはいえBar Panoptica(バー・パノプティカ)はもっと少人数制の小さな場所になったが。

 

「古いSFに出てくるような、まるでどちらにいるのかわからないような体験ができるほどVRは進化していませんが、それがどこまで行けるか、みたいなあたりですよね」

 

「特に味覚と嗅覚は重要です、そうでないとこのチョコレートケーキも食べられない」

 

そう言って議論者の一人はわたしの前に置かれた茶色いケーキを手で示した。カフェの空気にふさわしい感じがするやつ。実際に一度こういう場所で食べてみたいのだけど本当に行ったら食べれるのかな、門前払いされないだろうか。

 

話のレベルはなんだかんだで高い。わたしの得意分野を全員が基礎教養として持っているレベルなのだ。案内の人がわたしのプロファイルを持っていなかったらもう少し大変なことになっていた。そうならないからこの場所への信頼があるんだけれどもね。

 

「ああ、いいですか?」

 

わたしはちょこんと手を挙げて言う。

 

「どうぞ、ソニドリさん」

 

「ある程度のレベルであれば実現できるとは思いますよ、ただ読み取りはともかく、書き込みのほうが問題に思えます」

 

「まあ、脳自体へ侵襲的にやる技術はまだありませんからね」

 

「そうですかね?最近のBMIの電極密度はかなりのものですよ?」

 

「とはいえそれでもせいぜい視覚や聴覚を部分的に補助するに過ぎませんよ、それにリハビリも苦労しますし」

 

わたしが一言話すと、すぐに資料つきでいろいろな議論が飛んでくる。

 

「……このあたりはいいですよね、技術開発の余地がある」

 

わたしが示すのは人工脊髄のあたり。事故での下半身麻痺をどうにかしようという試みの一つだ。簡単に言えば神経のラインが切れたのならバイパスしてやればいいというもの。

 

「この応用ができれば、少なくとも操作については行けるのでは?」

 

わたしの言葉に、また議論が始まった。

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