「やっぱ慣れている人は上手だね」
表示されたテストスコアを確認しながらだろうか、研究員の人が言う。
「身体を動かした感覚がかなりありますね」
「それはどうしても仕方ないところがあるかな、外部から動力をあまり入れすぎると可動域を超えて動いちゃうことがあるから」
「なるほど」
ちなみにさっきまではお手玉をやっていました。手の微妙な動きがちゃんと投げたものの軌道に影響を与えるし、ボールが手にあたった時にちゃんと下向きに押し下げるような衝撃がかすかにあって正直驚きました。
「ところでまだ実質XRではないでしょうか?」
「んー、そうだね。まあでもいきなり知らない機体でやるのも怖くない?」
「ヘッドセットのディスプレイ越しのものは信用しないようにしているので」
XR端末は構造上透明のレンズがあるが、VR端末だと原則として完全に遮断されていることになる。いや、もちろん透明に切り替えられるようなディスプレイを持っている機種もないわけじゃないけど例外だって言っていいと思う。
「……椎葉もとかさんって知ってる?」
「宮先生のところの博士課程の人ですか?」
すっと名前が出てきた。たぶん椎葉さんは僕の中でクリエイターという扱いなのでちゃんと名前を覚えているのだろう。そうでないとかなり覚える気力がなくなってしまう。実際に高校の頃の同級生で名前を覚えずになんか雰囲気で流した人は少なくなかった気がするな。
「そうそう、あの人の作品を見たことある?」
「ありますよ」
「ああ、だから疑ってるのね」
そう言って研究員の人はなにかグラフを表示する。様子からしてリアルタイムの何かを測定した比較的生に近いデータとそれを処理して分析したものに見える。
「……Suspicion、懐疑ですか」
椎葉さんの卒業制作「Realities」はこの手のものに慣れている僕がはっきりと騙されたと思えた作品だった。あの演出はわかりやすかったが、もしあれをもっと洗練されて、普通に気がつかないような誘導とともにされたら信じられなくなるはずだ。
今でも視界の隅で自分のグローブをつけた手が動いているのを見れているからそこまで広範な視覚書き換えが起こっていないだろうと信じられているが、目の前にもうこの研究員の人がいなくて事前に設定された通りの行動をしている可能性だってある。それを確認するには、ヘッドセットを外すぐらいしか手段はない。
「解釈については何を見て何を聞いているかをベースに分析している大規模世界モデルと併用だけどね、それなりに当たってるでしょ?」
「こういうのって本人に見せるとあまり正確な結果が出ないと聞きますが」
操作みたいなはっきりとした正解のあるフィードバックトレーニングならある程度意味はあるが、感情みたいなものは上手く行かないと聞いたことがある。
もとは精神分析系のアプリだったかな。座禅を組んで今の脳活動を見ながらそれを落ち着けていくようなやつ。それで一見求めていた状態になっても、それは自己抑制のフィードバックありきの状態で真の
このあたりは十年ほど前、脳計測デバイスがある程度発展した頃に色々と有志が研究したらしいが結局仏典とかのあたりを参考にするのが一番ではないかというオチがついたそうで。
「まあ実際データとしても参考程度のものだからね、あまり気にしないで」
そう研究員の人が言うと視界からデータが消えた。
「なら、少し切り替えてみるよ。覚悟はいい?」
「できてますよ」
そう言って僕は目を閉じる。身体全体に吊られている重さがうっすらかかっているが、それでも体重の過半は両足の裏から逃げているように思う。
VRに集中するとこのあたりの感覚まで狂ってくるので、目を閉じてゆっくり呼吸した時には自分の身体の真の状態を把握することにしている。このあたりはかなり修行というか自分を調整していく作業の中で身につけたものだ。
目を開ける。見渡す限りの芝生。身体をぐるりと一周回しても、青空と緑の境目に山があったりとかはしない。
軽く跳ねてみる。足から感じるのは、さっきまでの硬い地面ではなく柔らさ。
しゃがむ。立ち上がる。視野に違和感はない。首をちょっと速めに振ってもちゃんと画面はついてくる。
さて、では次。両手を眼の前に出す。本来ならつけているはずの黒い
ふと足元にある同じ白色が目に入る。ああなるほど、ワンピースか。空を見上げると曇り。太陽の光を直接見ることができるか、というのはVRの中にいるかどうかの判定方法の一つだ、と読んだことがある。太陽光を再現できるほどの明るさを持ったディスプレイは発熱とエネルギーの問題でかなりの熱を持つはずだ、みたいな。実際にどうかは知らない。
しかし見上げられるぐらいには眩しくないあたり、調整はかかっているのだろう。VRのリアリティを担保する方法の一つは、リアルにやると起こる問題を上手く回避することだ。
服を触る。指先レベルで感覚は伝わってこないが、布を触っているという目からの信号と組み合わせれば十分納得できるような触覚が伝わってくる。
もし少し油断していれば、凄いリアルだと納得したぐらいの連携だ。さて、あとは移動かな。
歩いてみる。モーションプラットフォーム特有のその場で止まっている感覚は少ない。三半規管を調整しているのか、あるいは足場を傾けて擬似的に加速度を作っているのかのどちらかはこの状態からだと判別できないな。両方かもしれないけど。
少しだけ歩くペースを上げ、地面を蹴っていく。ちゃんと衝撃が地面へと逃げていく感覚がある。スキップのように走っても、かなり自然な感じに足が動く。
これはすごい。もちろんそこまで高級なモーションプラットフォームを使ったことはないが、高校時代に東京であったVR関連の機器展示会で試させてもらったやつより格段に上の体験だ。
「すごいですねこれ!」
僕の声に返答はない。かわりに視界の隅に終了までのタイマーが出てきた。
残り二分。とはいえもしどうしようもなかったら事前に説明されたとおりにVRヘッドセットか手につけているデバイスの緊急ボタンを長押しすればいい。そうすれば自動的に機械は停止して、手足は元の場所に戻り、ヘッドセットが開いて僕は開放されることになる。
もちろん、そこまでこの機体を信じられるかは別の問題だ。しかしこの完成度からすると、そう言う部分もきちんとできているのではないかと思ってもいいぐらいのことを体験できている。