「流体シミュレーター?」
「その分野は専門……でしたっけ」
かせくり氏は化学系の工場とかを作る仕事をしていると聞いている。なのでたぶんそういうの得意だろうなという雑な連想である。
「そりゃものによっては流体は普通に扱うが、たぶんソニドリさんが求めるような類のものじゃないぞ?」
「具体的には?」
「あー、例えば管を通る時にどれだけ圧力損失が発生するかだとか……」
そういう形で少しだけ説明を聞く。このあたりの知識は完全にないし、人工知能アシスタントは微妙な機微を拾えないので人間を通して学ぶのはやはりかなり楽な手段ではある。
「じゃあ結局具体的にどういう衝撃が加わるかまではやらないと」
「基本的に頑丈に作るからな、多少は動力学的アプローチも取るがそんなに考慮するかと言われるとしない……ただやらなくはないぞ」
「よかった」
幸い、わたしのやりたい方向とそれなりに違うもののなんとなく似ている手法については確認できた。結構な収穫である。
「はいはいなるほど、つまりソニドリさんのやりたいことは理解できたぞ?」
というわけで小一時間雑談をしたあとで、ようやくわたしとかせくり氏は共通の目的を持つことができた。時計を見て結構驚いたのは内緒。
「となると……改めて考えてみれば別にそんな難しいものじゃないな。むしろチーフのほうが得意だろ」
「描写用のシステムに特化しているから実際の挙動を反映させるならまずはかせくり氏に聞けって」
「ああ、まあそういうことなら妥当かもな」
頷くかせくり氏。チーフは人工知能なのか、この手の物理世界の話にはあまり絡んでこないのである。
「あとこれチーフが試しに作ったもの」
「作ってるんじゃないよ」
物理パラメータについては調べればすぐに出てきたらしい。密度と粘性というものを設定すればそれらしいものならすぐできるそうで。このあたりは流体力学とかいう人類にはまだちょっと早いんじゃないかなみたいな学問をやらねばならない。ミレニアム問題の発表から間もなく半世紀が過ぎようとしているが、解けているのは三つと半分に満たず、ナビエ=ストークス方程式の解の存在と滑らかさはまだ解かれていない方に入っている。
「色を付けると結構はっきりわかるな」
透明な球体の中に、青と黄色の液体が混じり合わずに入っている。上から見ると緑色で、横から見ると下が青、上が黄色。
「揺らしてみるとちゃんと中に波ができるんですよ」
「なるほど、ただこれがやっているのは描写だけか」
「それも回転要素の計算は入れていないらしいですよ、ガラスとの相互作用パラメータがわからないのと真球モデルだからあまり面白くないらしいですし」
実際の液体はガラスと引きつけあったりするし、凹凸があるとそれで波が生まれたりするのだがそのあたりをしっかりとは考えてはいない、比較的シンプルなものらしい。これでも見ている分にはそれなりに楽しいんですけどね。
「なんか騙されている気分だな、転がしても中身が回転しないっていうのは」
そんな事を言いながらかせくり氏はVR上で球体を掴んで回している。青い方から見ようと思ったら球体を丸ごと持ち上げて下から覗き込むようにしないといけないのだ。
「というより、本当に物理演算をする必要があるのか?」
「どういうことですか?」
「いや、手の動きをリアルタイムで追えるならそこまでパラメータ設定をせずともいいだろうし……、あるいは」
そう言ってしばらくかせくり氏は考え込む。
「どうしました?」
「ガラス球は複数注文すると言っていたよな」
「しましたよ」
中華人民共和国の業者に頼んだ中空のガラス球は依頼した翌日にはサンプルの画像が届いていて、OKを出したらなんか三つ頼んだところを四つにしてくれた。なんていうか大雑把というのかサービス精神旺盛というか。もちろん注文時点での評価は高くつけておきましたよ。
「なら、一つにこういう色を付けれないか?」
「目的は?」
「学習させるんだよ、パラメータを」
「ああ、その手がありましたか」
何かを少ない情報からモデル化して学ぶのは、今となっては人工知能の得意分野だ。かつてはそれこそが人間らしい知性であるとされた時代もあったのだが、どうやらコンピューターができるようになった途端にその作業は低級なものになってしまうらしい。
別にそうでもないと思うんですけどね。自動車ができたからと言って二本の走る楽しみが無くなるわけじゃないし、たとえ人工知能に勝てなくてもゲームは楽しいものです。
「基礎データとして既知のパラメータ入れれば悪くない精度出せるだろ、俺はそこまで専門家ってわけじゃないが無料で使えるやつとかがあったはずで……」
「一応人工知能学科なので大学のそういうやつ使うつもりですよ」
「うっわ許せねぇモラトリアムがよ……」
「いいじゃないですか社会人は経費で落ちるんでしょう?」
「経理の人と人工知能サマに認めてもらえればな」
事務系の仕事はそれなりに減ったけど責任を取る仕事は多くなった、ということは聞いたことがある。法改正が進んでいないのか、あるいは人間の食い扶持を守るためか人工知能がやった仕事であっても人間が一応目を通す必要があるようになっているのだ。
このあたりをしっかりやろうと思ったら人工知能安全管理士をちゃんと監査とかで雇っておく必要があります。おお楽しい利権というやつですね。あるいは専門家の人生を保証して若手をしっかりと労働力として業界に投入するための策でもあります。
「いやしかし、まだ大学入ってそう時間も経ってないだろう?」
「そうなるはずですね」
「よくやるよ本当に。それともあれかい、大学で面白い人と出会ったか?」
「たぶんそれですね、一緒にいると嫌でも刺激を受けるような人たちがそれなりにいるので」
わたしはそう言いながら学友の顔を思い浮かべる。ぱっと出てくるのは二人だけだけど。北尾のやつは……あいつは刺激を与えてくれるわけじゃないな。とはいえ彼みたいな肩肘張らない大学生活を送れるんだということは忘れずにいたい。