概念同化機構さんに見られているというのを考慮する余裕すらない。一般的に、上位同士になると相手のアバターへの攻撃がかなりの有効打となってしまう。ダメージはないが、視覚を奪われるということは均衡した戦況をひっくり返すには十分だ。
精密な攻撃をしてくる敵と、手数でどうにかするわたし。防御の側面ではわたしのほうが多少は有利かもしれないが、守勢に回るとじりじりと削られてしまう。本当によくできたゲームだ。
ただ、わたしの方には色々と切り札と呼べるものがある。その一つを提示してみよう。
「
そう呟くと首の後ろ側の感覚で操作していた腕の位置が瞬間移動するように顔の前で祈るように合わせられる。本来は操作中に積み重なった誤差を修正するための手法なのだが、こういうふうに手の位置を変えることもできる。
そしてこうすると手をふりほどくように揺らして群れの制御を解くよりも素早く連携を切ることができる。この操作は使いこなすのが難しいし群れが無防備になるのであまり使われない手法ではあるが、わたしのような四本腕であれば一対の腕から制御を手放しても、残るもう一対の腕でそれを受け取ることができる。
四つではなく二つになった塊に、相手の防御計画は狂う。思ったよりうまく群れを分断して喰らうことができた。全体の様子を示すゲージはなんとか逆転したところだ。
とはいえ余計なことを言えるほどの余裕はない。相対的な狙うべき群れの位置を確認しながら自分の群れを突っ込ませて目隠しに向こうが使っている分だけ有利になっている状態を利用したり、ということを相手は読んですぐに対応してきてさらにわたしが目隠しをされている間に群れをわたしから見て重なるように配置して距離感を惑わせてきたり、と頭が焼けるような速度で状況が変化していく。
決着を決めたのは、相手のミスだった。わたしの群れに攻撃させる時、速度と集合度と……あと何か、ともかく全てが揃っていた状態ではなかった。大きく向こうが戦力を削がれ、一方のわたしが一気に有利な状態になる。
そこからゲームが終わるまでは短かった。群れを広げて相手を包み込むようにし、自律制御で数の差を活かして封じ込める。
「Good Game.
負けを認めた相手には、あまり言葉をかけることはできない。
「Good Game.」
わたしはただそう言って、向こうがログアウトしたのを確認してからクローズドモードに切り替える。
「……すごかったです」
ふよふよと浮く球体に戻っていた概念同化機構さんが待っていてくれた。ああそうか、わたしもアバターを戻しておこう。
「少し待っていただけるかな」
「あ、はい」
改めてわたしは黒いドレスを纏ったソニドリの姿で戻ってくる。うん、やはりこちらのほうがしっくり来るな。
「色々と質問があるんですが、いいですか?」
概念同化機構さんの質問に、わたしは制止するように手のひらを向けた。
「いいけど、一旦パノプティカ戻りません?」
「ですね」
そんなわけで帰還。横目でまだ議論しているかせくり氏とチーフを見ながら適当な席に腰を下ろす。
「ええと質問はいっぱいあるんですが、まず一つ。三本目と四本目の腕ってどうやって動かしているんですか?切り替えなのか自律なのか……」
「ちゃんと自分で動かしているよ、切り替えでもない」
「なら、足で操作しているんですか?」
「脳計測を使ってる」
わたしはそう言って頭に指を向ける。
「脳の電位や血流、顔や首を動かす筋肉の動き……そういうものを読み取って、反映させるようなプログラムがある」
「本物の手と同じ程度の繊細さが必要ですよ、それに見る限り指の操作もしていました。指五本分、ああいえ合計十本分の処理をするとなると相当大変だと思いますが」
「相当大変だったよ」
「なるほど」
概念同化機構さんは納得してくれたようだ。あるいはただ大変であるというハードルさえ乗り越えれば解決できる問題だと認識したうえでなぜそのハードルを超えたのかの理解ができないと判断したのかもしれない。
「具体的には、どういう訓練をしたんですか?」
「……チーフに教えてもらったんだけど、さ」
わたしは数式を壁に並べているチーフの方を見る。なにやってんだろあれ。
「わたしがやったのは、瞑想みたいな訓練。チューニングっていうのかな、合わせ方を訓練するの」
「うーん……、たぶんそれって無意識レベルの偏りとか動きとかを統計的に抽出したりするやつですよね、いわゆる感情読み取りとかにつかわれているのと同じ」
概念同化機構さんはこの分野にはそれなりに詳しいようだ。わたしは小さく頷く。
「ただ、もう少しはっきりしてるかな。慣れてくると表示されている点を自由に動かせるようになっていく。最初は点を左右に動かすだけだったんだけど、慣れてくると上下左右になる。もっと進むと仮想の手を動かせるようになって、ここまで来るとあとは……繋がる、感じがある」
「赤ん坊が歩き方を覚えるように、あるいは英語で考えられるように、ですか?」
「そうだね、そういえば概念同化機構さんは英語ができるの?」
「ぜんぜんできません、自動翻訳のほうが上です」
「自動翻訳に勝つの、確かに無理だからね……」
今どきは自動翻訳が色々なものを学び、自ら翻訳に挑んでいくようになってきている。事実上のマルチモーダルAIの一種だ。翻訳特化でチューニングされている場合、技術書や論文のような分野であれば精度・速度の双方で人間は絶対に追いつけない領域に到達してしまっている。
一方で小説とかミームとかの文脈では未だ困難も多い。例えば闇のインターネット文化と呼ばれる差別と偏見と嘲笑を煮詰めた物理世界での法も秩序も無視されたような空間で生み出された多くの忌まわしきコンテンツは、学習の際にフィルターが作動して読み込むことができないなんてことがある。特にAI条約をちゃんと守っているきちんとしたところのソフトはその傾向が強い。
結果として、そういう分野では未だ人間の力が有用なのだ。ただセーフティを外したグレーゾーンAIであってもオンプレミスで回して個人利用する分には大丈夫という事になっているので、一部の人はそういう方面に手を伸ばしているのだけど。