「うーむ」
今回僕が二つ借りたVR機材は隣あっている。さらにその隣では既になにか操作しているらしい先客がいた。しっかりした防音設備をしているので多少は大丈夫とはいえ、あまりうるさくしないほうがいいだろう。
大学の機材としてセットアップされているVR端末は、色々と制限がかかっている。入っているソフトには面倒なフィルタリングがかけられているし、毎回再起動するたびにリセットされるらしいから個人記録データも使いにくい。
一応大学の共有クラウドにアクセスできるらしいからその中にプロファイリングデータを入れといて、毎回コマンドで実行のたびに自動読み込みすればいいはずだがそこまでのコードを作るだけの余裕がない。
今どきはちょっとしたソフトならAIにさくっと作らせることも多いが、それでも操作の対象についてちゃんと理解していないと予期しない問題が起きたりするのだ。操作対象のリストを動的更新させたせいで無限ループに入りつつ指数関数的にメモリが食われて再起動に苦労したのは今となっては懐かしい話になるが。
「ミドリちゃーん!」
入ってきたユミナさんに、僕は少し怒気を込めた視線を向け、立てた人差し指を自分の唇に当てる。すぐに意図を読んでくれたようで、ユミナさんはゆっくりと忍び歩きで近づいてきた。
「……ごめん」
「大学システムのログインアカウントは覚えてる?」
「……会っていきなりそういうこと言う?もっとさ、色々あるでしょ?」
「きちんと足元の安定する靴選んできたのはいいと思うよ、かっこいいね」
「でしょ?」
自慢げなユミナさん。これでいいんだ。ノリが良くて助かるというか、向こうが合わせてくれているのか。たぶん後者だな。自分のコミュニケーション能力を僕はそこまで過信するつもりにはなれない。
「一旦起動まではやろうか?パスワード入れるところはやってもらうけど」
「……自分でちょっとやってみる。あのさ、見たいものがあるって言ったよね」
「言ってたね」
「授業で先生に教えてもらったんだけど、今博士課程にいる人が大学四年生のときに作った卒業制作がかなりいいらしくて、それがVRのやつだったから見てみたいなって」
「……そう、わかった」
VR空間でアート表現をするというのは昔から色々試されているが、どうしても色々なハードルがある。例えば様々なVR機材の機種への対応だったり、慣れない観覧者への配慮だったり。僕はチーフからこの部分の知識を多少は仕込まれているが、実際に手で作れるかと言われると難しい。
「ええと、たぶん入れた」
「メニュー開いて、指示通りに操作してもらえる?」
「わかった」
ユミナさんが素直すぎて正直怖くなる。今させているのは外部から操作できるようにするためのコマンドだ。うまくやると相手が仮想空間で体験している内容自体を追いかけることもできるのだが、XR系SNSの
僕はかなり色々やっていたのでバスの中でも平気で本が読めるし、相当ぐるぐるするようなアトラクションでも耐えられる。ただ、他人の扱うVR機材を直接覗き見るというのはその僕が少し辛くなるぐらいなのだ。一応設定を変えればマシになるけどね。
「……これでいいの?」
「大丈夫、そっちが操作しているのが見えるようになった」
「……ウチの方からはミドリくんは見えないけど」
「後ろから見ているような感じだから、気にしないで」
「……ちょっと怖いかも」
「わかる」
基本的に、僕たちは監視されているということを気にしないで生きている。XR端末のカメラは常に撮影モードになっていて、その過程で得られた映像はほとんどの人がどういう処理をされているか知らないのに、録画はされていないと思っている。
VR空間だってそうだ。システム上はアクセス記録はほぼすべて残っているはずだし、ワールド管理者はその中で起こった行為について細かいログを取れるようになっているのだが、ほとんど誰もそういう事を気にしない。
「で、そこに大学のアカウントを入れればいい。VRシステムと連携しているから、これでConligoに入れるはずだよ」
「わかった」
「じゃあちょっとパスワード入れてるところ見ないために抜けるね。入れ終わったらさっきみたいに操作してまた呼んで」
「はぁい」
ユミナさんの操作中に僕の方もやってしまおう。Conligoのログイン画面を見ると手が勝手に馴染んでいるソニドリのアカウントを使ってしまいそうになるが、落ち着いて学生番号をいれる。
ああ、懐かしいデフォルトアバター。これを使っている人は何もわからない新人さんか、相当気合の入った変態である。あとこのデフォルトアバターに似ているが改造済みのやつを使っている人も見たことがある。このアバターのデータは公開されているし、改造の素体にできるようによく考えて作られているので改変入門にはちょうどいい。
「で、ここからどうするの?」
「その卒業生の名前とかはわかる?」
「うん、ええと……」
大学の記録保管サーバーにアクセスして、卒業年度から記録を確認していく。こういう情報がきちんと残されて公開されているというのはとてもいいことだ。特に試行錯誤の跡が残っていて、ちょうどそこが自分の悩んでいる場所だったりするときには大きな助けになる。
生成AIの問題の一つは学習データの枯渇であり、これを解決する方法の一つがきちんと行動を記録として残しておくことだ。そういうものを他人に勝手に利用されることを嫌う人もいるし、別にそれはある程度までは権利として認められているので僕もとやかくは言いたくない。
ただ、あくまで僕個人の意見ではあるけれども、今まで様々な技術に助けてもらってきた以上、そういった分野に対して何らかのお返しをするべきだと思うし、それが自分のやってきたことを形にして公開することだというのは、筋が通っているとは思う。
「これかな?」
「そう。で、起動するためには一旦ダウンロードして……いやその前に作業用のフォルダ作ったほうがいいか」
慣れない人と慣れないシステムに苦戦しながらも、僕はなんとかユミナさんの手元に環境を作ることができた。もしここを定期的に使うことになるとしたら、ここまで自動でセットアップするように自動化しておくのは必要だと思う。