「……まあ、悪くない代物だね」
いつものBar Panopticaで跳華さんと近年の国際情勢について駄弁っていると、チーフが隣に立っていた。
「で、どうだったんですか?ソニドリくんが頼んでたやつでしたっけ?」
跳華さんが身を乗り出して言う。ちなみにさっきまではナイジェリアにおける今度の大統領選がどっちに動くかみたいな話をしていた。完全に両方ともネットで適当に知った知識をぶつけているだけなので与太話の域を出るものではない。
「ちょっとした顔見知りが作成者の師匠だね。ソニドリは
チーフの言葉にわたしは首を振る。ミヤ、ミヤねぇ。どこかで聞いたかもしれないな。でも思い出せないってことは重要な人物ではないのか?あのXR作品を作ったのは確か椎葉という名前だし。
「っと、すまない。こっからはこいつのための個人的な話だ。しばらくプライベートで会話させてもらうが、良いかい?」
「はいはい」
そう言って、跳華さんは席を立ってくれた。ありがたい。隣に聞こえていない人がいる状態で二人きりで話すというのは少し悪い気がするので。
「改めて、本当にないかい?」
設定が切り替わったのが音の響きでわかる。こういうところをきちんと設定してあるワールドって良いですよね。チーフの語る名前には最初は心当たりがなくて首を振ろうとするが、そのちょっとめずらしいなと思った名字には引っかかるところがあった。
「ああ、これの作成者が出してた論文の共著にいました」
「というか彼女の指導教員だよ、それぐらいは調べてなかったのかい?」
「……調べきれてませんでした」
「まあいいけどね、今後そういう腕は磨いておくんだよ」
チーフは軽く息を吐きながら、わたしの前に画面を並べた。明らかにわたしがお昼に調べたよりも詳しい情報だ。いくつかを手に取って確認していくが、その宮という人についての情報が多い。ぱっと見たところあまり表にはでないような資料があったことからは目をそらしておこう。
「元ミツハマ情報研究所主任研究員。Conligoを含めたVR系の規格を定めてISOにもなったやつの策定委員会の委員長までやった、政治屋としての側面も強いやつだよ」
「……それ以外は?」
「私よりVR空間作るのは下手だね、一枚か二枚かは私が上だ」
自慢げに言うが、このチーフの能力から一枚か二枚引こうが相当なものである。というより世間一般ではわたしでさえ仮想空間の構築技術では最低限の素質があると評価されてしまう程度には人が少ないし技術の高い人が珍しいのだ。参考までに、わたしは一切専門的な訓練を積んでいません。ちょっとチーフに教えてもらいながらワールドの補修とかをしたことがあるぐらいです。
「あれ、教員ということは今はわたしの大学にいるんですか?」
チーフはわたしに答えるかわりに大学のホームページを見せる。白が混じって入るがしっかりと髪のある、四角い黒縁眼鏡越しに目を爛々と輝かせる細い初老の人物。様々な学会のなんか偉い感じの人をしている。あと色々な大会の審査する側になってる。つまりはすごい人ということだ。
「……なるほど、わかりました」
「私も使ってる手法のいくつかを開発したって意味じゃ、この界隈の先駆者の一人だよ」
そう語るチーフは少し不満げだ。関係が悪いのかな。しかしあのチーフが実力を認めているとなれば相当な人なのだろうな。
「で、例の椎葉さんだったか。彼女が作ったものだがおそらくは宮のやつとは別系統にやってるな。思想的なものは受け継いでいそうだが、技術的にはかなり新しいものを使ってる」
「どういうことです?」
「宮はGAI嫌いで有名だからな。一方でもらったやつは相当その分野に詳しくないとできないチューニングがされてる」
GAI、生成人工知能。今の主流にして、生まれた当初はその学習のために必要な膨大な情報の存在が物議を醸したらしい。最終的に便利だからと受け入れられていったが、それが許せなかった人も多かったとは聞く。
しかし、それはもう歴史となってしまった。わたしの生まれるより前の話なんだから歴史でいいよね。織り機によって、電話交換機によって、あるいはコンテナ船によって仕事を奪われた人たちのリストにそれなりに多い、とはいえ決して過去に例がなかったわけではない程度の人の名前が並んだだけだ、とわたしから言ってしまうとそうなる。
もちろん、当時を生きた人たち──もう老人になりそうなものだがまだインターネットにはいっぱいいる──からすれば、それは屈辱の時代であり、希望の時代でもあったようだ。ああそうか、この年齢なら現役時代に思いっきりGAIに関わった世代になるのか。
「とはいえ、知識と好き嫌いは別では?」
「こいつに限ってはそうじゃない。好き嫌いが激しすぎるんだよ。まあ教員という立場ではあくまで自分に分かる範囲、支えられる領域で手を貸しているらしいが」
「わかるんですか?」
「コードを書き換えた時期みたいなもんが読み取れるんだが、そのタイミングの前後で作成者のイメージが固まったというのが読み取れる」
「……相当なものですね」
「あたしはそりゃ学ぶために散々
こう言うとかっこいいが、この行為自体はけっこう倫理的には危なかったりする。もちろん高速に読み込まれなければならない以上、完全にシステムを暗号化することはできない。それでも市場に乗せたりするとなるとある程度の復号阻止はする必要はあるわけで。
一方で全てをオープンソースにすべきという派閥も存在する。これはこれで過激すぎるとあらゆる知的財産権を否定する赤い主義になりそうだ。重厚なCコードがどこからともなく聞こえてくる。
「そういうわけで、あたしは古い知り合いを思い出したってわけだ」
「……報酬は、必要ですか?」
「……そうだな、伝言を頼めるか?」
ちらりと浮いた画面に目を向けるが、メールアドレスは普通にあった。つまり直接連絡したくないとか、あくまでわたし経由であることが重要である、とか。まあ昔色々あった関係ならチーフにも恩はあるしそれぐらいはやるけど。
「この宮という人にですか?」
その言葉に、チーフは頷いた。