セミダイブ!   作:小沼高希

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偶像は踊る、されど舞台は回らない 8

一旦頭から色々なものを外してお風呂に入り、綺麗にしてからベッドに向かう。寝る間にちょっとチーフと話すか、とヘッドセットを下げる。

 

ここしばらく脳計測デバイスを使っていなかったので、仮想空間内での身体の軽さを感じる。手や指をほとんど動かすことなしに狙った操作ができるのはこういうものあってこそだ。

 

「……チーフは?」

 

「出かけてるそうですよ」

 

そう言いながらふわりと浮くのは概念同化機構さん。今日は一人だけか。

 

「珍しい」

 

「だから仕事をソニドリさんに任せたって言ってました」

 

「なるほどね」

 

そう言ってわたしはこのワールドの設定画面を開く。本来は管理者が全て制御できるのだが、場合によっては管理者がいない場合には来訪者が一部設定を触れるものもある。

 

「何してるんです?」

 

「ちょっと乗っ取ろうと思って」

 

そう言って標準の設定画面──照明とか音響とか──の奥に潜ろうとすると、一気に警告が出る。

 

「ちょっ」

 

わたしが言う間もなく、世界が全部真っ黒になった。やられた、ある種の能動的サイバー防御、あるいは古いオタク風のいい方なら攻性防壁ってやつだ。

 

ただ、これは脳を焼いたりはしない。あくまでVRの範疇で相手の感覚を狂わせるだけだ。落ち着け。外の世界が白んで、背筋を引っ掻くような音が響いてくる。

 

音量を下げる。空間識失調(ヴァーティゴ)を引き起こすような映像は目を瞑って回避する。深呼吸。普通はテキストとかでアクセスできないと表示させるところに、たぶんオーバーライドして映像を流しているのだろう。

 

意地の悪い行為だ。もしこれを立ったまま食らっていたら転んで怪我をしていたかもしれない。薄目を開けるとまだ白黒の世界は回転し続けていたが、なんとか見れるようになっていた。深呼吸をする。

 

落ち着け。別に五感すべてが乗っ取られているわけではない。背中に当たるベッドの感覚を手放すな。メニューを開いてシステムを再起動。そして再接続。アクセス時に一瞬さっき飛ばされたような場所に行こうとしていたが、タイムラグを利用してメニューを叩き、なんとか回避する。

 

「それで、乗っ取れたんですか?」

 

概念同化機構さんにはわたしが一瞬去ってまた現れたように見えたはずだ。あまり暴れていたところを見られていないといいけど。

 

「チーフのおちゃめに引っかかったよ」

 

ため息をつくわたし。まったく、普通の人はこういうのを見ないだろうから攻撃者か、あるいはわたしかってところだろう。そしてたぶんログも取られたな。あとでからかわれることになるはずだ。今からちょっとだけ憂鬱である。

 

「それは……大変そうですね」

 

「こういうのがあるって知っていなかったら今ごろ吐いてたよ」

 

多くのVRシステムで今は標準搭載となっている補正機能なしだと、ほとんどの人は酔う。訓練によって見ているものと肉体が感じているものを切り離す訓練をすればある程度は軽減できるが、それでも攻撃的な映像を見せられれば人間の脳はすぐに屈服してしまう。

 

そういうワールドに行った経験がなければ直ぐに目を閉じることはできなかっただろう。ミュートにはしたが、音声の方にも碌でもないものが仕掛けられていた可能性は高い。気持ち悪くなる周波数とか、ドップラー効果にも似た形の音とか、狂ったリズムとか。何もかもがわからなくなって、床に倒れ伏すしかできなくなる。

 

もちろん、これらを楽しむ人もいる。上手くやれば向精神作用を引き起こしてドラッグのように使えるらしいが、この種の電子ドラッグは効き目にかなり個人差があるし、個人的にはもっと精神を揺さぶるサービスを知っているのでもしやるとしてもそっちでいいかな、となる。この種の興奮はそこまで趣味じゃない。

 

結局最低限の設定調整ならできるようなので、少し明るさを調整して暗くしておこう。なんとなくムーディーな感じになった。どうせこのあと寝るしね。

 

「いい雰囲気ですね」

 

「なんとなくね、でも概念同化機構さんはもう寝ないといけない時間では?」

 

そろそろ日付が変わるころだ。明日は日曜日とはいえ、良い子はお布団に入っていなくちゃいけない頃である。悪い子なら仕方ないが。

 

「んー、今日はちょっと夜ふかしします」

 

「そう」

 

「久々にソニドリさんと話せるので」

 

そう言って概念同化機構さんはくるりとその場で身体を回した。一体どういうふうにトラッカーの動きと連動させているんだろうな。前にSWARMで遊んでいたときは人間のアバターで普通に動いていたからトラッカーは持っているのだろうけど。

 

「そう」

 

なのでわたしは語れる範囲でここしばらくやっていたアルバイトの話をする。一応業務上の秘密とかは特にないはずだが、お金を払ってくれた人にわざわざあなたが見たものは実は裏で失敗していたんですよと言いふらす必要もないから、そのあたりは適当にぼかしておく。

 

「まだそこまで詳しくは理解できませんけど、やっぱりソニドリさんはすごいんですね」

 

「違うよ、チーフの下手な真似をしているだけ」

 

「チーフのマネができたらプロ級じゃないですか?」

 

「そうかもしれないけどさ……。そういえば概念同化機構さんは最近どう?」

 

「あまりないですよ、こっちでもあっちでも」

 

あっち、というのは物理世界のほうだろう。高校生だっけ。あまりこういうのを覚えていたくないんだよな。あくまで相手を演じていることだけで見ていきたい。

 

「そうなんだ」

 

「……やっぱり、VR世界は心地良いです。狙ってくる人がいないので」

 

「狙ってくる?」

 

「……恋愛とかですよ、そういうの、わかんないのに」

 

「……そっか」

 

他人に感情を向けられるというのが苦手な人がいる。それは悪意でも好意でも関係ない。そもそも他人とのつながりを求めていないのに、向こうから繋がってこられるというのは怖いものだろう。

 

VR空間では、ある種の約束のようなものがある。もちろん物理世界にもそれはあるし、ルールが違うだけだ。それでも、こちらのほうが過ごしやすいというのはあるだろう。

 

「どういうふうに辛いのか、聞いてもいい?嫌なら、別の話をするけど」

 

「……そうですね、ちょっとだけ、愚痴を聞いてください」

 

こうやってお願いができるのだ。たぶん根はとてもいい人なのだろう。だからこそ、相手から投げかけられた好意を扱いきれないのかな。そういうこともある。

 

それからぽつりぽつりと、概念同化機構はわたしに語り始めた。

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