「階層パラに合わせてこっちも処理を階層化……いや違う、ブラックボックスだからいっそのことそのまま扱うべきか?」
ぶつぶつと話しているアキさんの声が聞こえている。ノイズキャンセリング機能付きのヘッドフォンをつけていたからこちらの音はあまり大きくなければ聞こえないと思うが、それでも静かにしておこう。
「何を言っているの?」
そう聞いてくるのはお皿を洗い終わったユミナさん。じゃんけんで僕が勝ったのでやってもらった。かわりに晩ごはんのときは僕がします。
「問題を見ないとなにもわからない……」
「公開されているのかな」
「どうだろ」
というわけでちょっと確認してみよう。XR端末を僕とユミナさんがつけて、キーワードをぶつぶつと呟きながら調べていく。この部屋の通信の契約は梶本さんのものだが、許可はもらっている。パスワードを教えるってそういうことですからね。
「んー……えいごわかんない……」
机に突っ伏すユミナさん。折れるのが早い。どうせ自動翻訳を噛ませるからとかなんとか言って英語から逃げてきたのかな。別に悪いとは言わないけど。僕は受験やってきたのでそういう方面は少しはできる。
「一応小中高とやっているはずなんだけどね……」
公式ウェブサイトに既に課題内容は公開されていた。というか本当に技術文書みたいな書き方だな。僕が読むのはVR系のマニュアルとかと、あとは海外のくだらない会話とかなのでそれなりにスラングとかは使えます。実践的英語ってやつですね。流暢に愛を囁くまではいかないが世の中には片言のほうがいいという不思議な人もいる。わからなくはない。
「んーと、ちょっとモデル化してもらうか……」
家のパソコンと繋いで、ちょっと説明用のCGを作ってもらう。こういうのを数学とかの授業で使えるといいと思うのだが、そもそもこれを使いこなせる人は少ないし大体の場合は見栄えに目を取られてわかった気になるだけだ。プレゼンテーションではそれが大事なのかもしれないが。
「モデルにしているのはこの世界そのもの。最終目標は、規定回数以内の介入でスコアを良くすること」
僕の説明に合わせていい感じに机の上に展開されたモデルの上に小物が置かれていく。立方体を五階建てに分割して、それぞれの階層で情報のやり取りがされる感じだ。下の方の階層は気温とか天気とか。中間の方には自然環境があって、一番上には街がある。それぞれが影響を与えていくので、実際の振る舞いはかなり複雑になるはずだ。ちなみに全てイメージです。
「介入可能な要素と測定可能な要素があって、それと部分的な世界の情報が与えられている」
「例えば魚をいっぱい釣ると魚が減る、みたいなことやっているの?」
そう言いながらユミナさんが指を置いた場所に釣り人が出てくる。
「たぶんそう。ただ、実際にはこれらは全部数字で、どの変数が他のどの変数と関連していそうかを示すパラメータがあるんだけど……かなり多いな」
ちょっと類似の例を探してみる。こういう世界全体をシミュレーションするやつってあるはずだよな。小声でつぶやいて検索すると2020年代のものが出てきた。おい、それと大して容量が変わらないじゃないか。ムーアの法則を加味しても大変なことになっている。
「ダウンロードまではしなくていいから容量比較モデル作って」
僕のちょっと無茶な注文に、家ではファンをかき鳴らして計算が進んでいるのだろう。しばらくするとブロックが組み上がるように先程作ったミニチュアの箱庭みたいなモデルの隣に古いやつが出てきた。
「作りが違うね」
「あくまでそのあたりはイメージだけど」
新しく表示されたほうは、一回り大きくはあるが糸で編まれたみたいな姿をしている。いや、細い針金細工と言ったほうがいいのかな。キラキラと光っている。思ったより抽象的だな。いやさっき作ったやつのほうがイメージ重視で、こっちは実物のファイルがあるからこういうふうになってしまったのかもしれないが。
「これってどうしてこうなったの?」
「一応計算モデルのニューラルネットワークを参考にしたらしいけど……デザインやっている人ってそういうの他人に聞くものなの?」
あくまで僕の偏った印象ではあるが、そういうのを聞かれたくないものだとは思っていた。もちろん嬉々として話す人はいるけど、感覚でしか作れない人もVR系では見てきたし、そういう人はあえて言葉にするのを避けていた気もする。
「ウチは聞くし、聞かれることも多いよ。拡張現実学科だって言っても、その世界のデザインをするためには感覚だけではどうにもならなないことがいっぱいあるし、なにより他の人と仕事できなくなるでしょ?」
「真面目だ……」
趣味の範囲のVR界隈では、一人か多くても五人以下のグループで何かを作ることが珍しくない。前の鏑音マトのライブみたいなものはむしろ例外なぐらいだ。建築みたいな多くの人が必要な作業と違って、仮想空間ならどんな巨大な構造物でも一人で作り出すことができる。
「でもなるほど、実際の世界をもとにしているなら実践的な問題なんだね……」
「そうかな……」
ユミナさんの言葉に僕は首を傾げる。
「どうして?」
「実際の問題文がこれなんだけど」
そう言って共有するのはPDF形式の文書。この形式は読み取りが面倒なくせに広く使われているので困ったものだ。画像処理みたいなものを挟ませるとどうしても処理時間が跳ね上がるので、早く人類はAIに優しい情報システムを広く採用してほしい。
「かなり抽象的なモデルになってる」
「そうなんだ」
ユミナさんは納得したようである。よかった。
「だから、問題としては数学的に解くとかもできると思うよ。対象自体がかなり複雑だから、どういう方針で行くかはわからないけど……」
「ミドリくんだったらどうするのさ」
「そうだね……。あくまでイメージだけど、どういう風に繋がる可能性があるかは公開されている。中のパラメータ自体は乱数で決められるっぽいけど、パラメータがどこに対応しているかは固定だから、いくつか類似の世界を作って色々試してみる、とかかな……」
そのくらいのことは既にアキさんならやっていそうではある。なにせ世界トップクラスと言ってもいいような人だ。ただ少し怖いのは同級生であのアキさんに並ぶ人がいるらしいってことなんだよな。僕たちの世代にはなんとも恐ろしいやつばかりである。