「よし、シャワー浴びる」
アキさんが開かずの間を開けて出てきた時、僕とユミナさんはARトントン相撲で遊んでいるところだった。いやこれシンプルなように見えて絶妙な戦略性があるし、運要素も多少は絡むのでかなり時間が溶けるんですよ。
具体的には叩く時のリズムとかを相手とずらしたり裏拍にするとボーナスが乗るので相手がいつ叩くかを見越したり、ただ連続してリズムを刻むとそれはそれで強くなるので相手の挑発や駆け引きに乗らない事自体も戦略の一つになったりする。なかなか面白い。対象年齢は三歳以上となってたけど三歳はXR端末つけれないでしょ。
「解けたの?」
「全然!」
ユミナさんの質問にアキさんは力強く答えた。彼女の表情は今まで見たことがないぐらい怒りというか興奮混じりの笑顔というか、形容しがたいものであった。なんかドキドキするな。これはたぶん捕食者に狙われた時の獲物の感情とかだと思います。
そしてシャワーの音。おい服脱ぐ様子がなかったぞ。気になって駆け寄った僕とユミナさんの横で、アキさんは浴槽に頭を突っ込んでシャワーの水を頭から浴びていた。襟どころか胸のあたりまで濡れている。色気よりも理解できないものへの恐怖のほうが大きい。なんだこれは。
「……大丈夫だよ、着替えは持ってきているから」
冷静なようにこちらを見て言っているが、この様子が冷静だとは思えない。
「なるほど、頭を急いで冷やすことを優先したのか」
納得しているようなユミナさん。あれこれ正常なのは僕だけ?アキさんが異常側なのは仕方がないとしてもユミナさんがそっち行かれると困ります。いやもしかすると異常なのは僕なのかもしれない。そうだよな。世界で自分以外がおかしいと考えるよりも自分だけがおかしいと考えるほうが理にかなっている。
「終わったら僕もシャワー浴びていい?」
「どうぞ」
「……ってそうだ!他人のシャワーを覗くなんて良くないよね!ごめんねアキさん!ごゆっくり!」
ユミナさんに曳かれて僕はリビングに連れ戻される。なんだこれ。いえ確かに覗きは良くないと思いますけど心配して見に来たわけですから。結局は別の所を心配することになったけど。
さて、どたばたしながらも頭を拭くアキさんを見ながら現状整理。今のところ、全体の構造を把握して最低限の応答をするプログラムを作ることはできたらしい。とはいえ、介入というのも大雑把なものだ。
「実際のところ、処理側のレイヤー数を増やしてもあまり効果がない気がするのよね。アルゴリズム側で改善できる可能性もあるけど、やっぱり量子アルゴリズムっぽい糸口が見えそうで見えないあたりが難しい……」
アキさんがバスタオルで髪を拭きながらするそれなりに専門用語が混ざったぶつぶつとした発言を要約AIも併用して整理すると、量子アルゴリズムの問題なのに量子アルゴリズムっぽい問題の構造がでてこなくて困っているらしい。量子コンピューターは特定分野の計算には強いが、そうでないと正直普通のコンピューターのほうが汎用性も高いし計算速度も上だ。どんな切れる包丁でも何かを割るためにはちょうどいい持ち手のついたハンマー以上の効率を出せないのと似ている。
「ところで、晩御飯っていつできる?」
少し落ち着いて正気を取り戻したらしいアキさんが聞いてくる。
「ミドリちゃんが作ってくれてるローストビーフができるのが一時間後ぐらいかな、もしすぐ食べたかったら他のもの出してもいいけど」
「ううん、それを食べたい。一時間とは言わないけど、二時間ぐらいでできる?」
「はいはい任されましたよ」
そう言って僕は立ち上がり、キッチンの方へ向かう。この部屋のコンロは自動温度調節機能付きなので、低温調理がやりやすいのだ。IHだから火力がそこまで出せないのは難点ではあるが。
ご飯は二合炊いておいて、明日の朝は冷凍したのを食べればいいかなどと頭の中で計算を回していく。一応は家を出るときに最低限は仕込まれたものの最近やっていないちゃんとした料理だ。時々XR端末でレシピを確認しながらやっていく。
「ミドリさんは、料理ができるの?」
「最低限はできるけど、そこまで上手な方ではないと思う」
「なるほど」
「ミドリちゃんは料理を食べるものじゃなくて作るものとしてやるほうが好きなんじゃないの?」
「確かに実験とか工作っぽいから料理は好きだけど……」
家でやっていたのは時間と手数に制限がある状態でいかに効率よく作るかという練習だった。確かにそれは今暮らしている中でそれなりのもの、と言ってもほとんどが冷凍食品だけどそれをすばやく調理するという方法で役には立っている。
ただそれはそれとして、時間と手間をかけて色々するのも楽しい。今みたいなローストビーフは特にそうだ。家ではたまに作っていたけど、引っ越してからコンロの温度調節機能がなくなったのでやっていなかった。
「ところで、その温度ってどういうふうに維持されているのかしら」
ちょっとぼんやりしていたアキさんが変なことに興味を持ってしまった。まあいいか、ちょっと調べてみよう。こういう時の方法はちょっとは知っているのだ。
「一応コンロの型番をそっち送るね」
XR端末のこめかみ部分をいい感じにトリプルタップでビジョンショットを撮って切り抜き。宛先を送信して投げれば、見える範囲であればいい感じに届いてくれるはずだ。同時に僕の方でもいくつか検索ワードを入れて連想的に調査を自動で進めさせる。
「……よし、アクセスできた」
アキさんの声がカウンター越しに聞こえる。
「アクセス?」
「同じネットワークに繋がっているからコンロの温度のログとか使用履歴を見れるのよ」
「へぇ、そうなんだ」
なんか向こうの方の会話が面白そうだが、僕の方の収穫はあまりなかった。そりゃ中身の詳しい仕様とかって修理には必要ないでしょうしあまり公にするものでもないでしょうからね。
「お肉はたぶんいい感じだよ、あとは表面焼いて少し冷まして切る」
「あっウチ、ローストビーフ丼にして食べたい!」
「サワークリームとか買ってきてくれたら作るよ」
「わーい!」
そう言ってユミナさんは元気に走り出していった。このあたりにスーパーがあるのかを良く確認していなかったが、たぶんユミナさんなら大丈夫だろう。