木のテクスチャが貼られた扉を開け、ちらりと入口のところにある姿見で自分のアバターを確認する。翡翠色の髪に翡翠色の目、黒いシックなドレスを着た童女。ここしばらく、必要がなければ
「おや、ソニドリじゃないか。夜ふかしかい?」
わたしを含めて低身長のアバターが多いConligoの一部界隈が集まる空間の中で、年季を感じさせる背の高いアバターを用いているのはこの空間の管理人。
「明日も早いからあまり長居できないけどね、チーフ」
そう言ってわたしはよじ登るようにしてカウンターの椅子に座って目線を合わせる。一応アカウント名はガレーナというのだが、ここに来る人はわたしを含めてほとんどがこの人のことを「チーフ」と呼ぶ。
幸い、今は人が来ていないようだ。このワールド「
「いい子は早く寝るものだよ」
そう言って出されるのはテキーラ。より正しくはそう見せかけた
殺伐とした世の中で「ときめき」みたいなものを感じさせる、そういう空間としてここは設計されている。照明のパラメータ調整から音響反射、椅子や机のデザインに至るまでチーフが作ったものなので、アセットの組み合わせで作られたよくある空間や隙間をAI生成させたようなものとは違った統一感がある。
「……いつ来てもチーフはいる気がしますけど、寝てるんですか?」
わたしの質問に、チーフは無言で微笑むだけだ。歳を重ねているのだろうとは推察できる外見だが、うまい調整によって余計な情報が削ぎ落とされているかのような──性別を気にさせないような風貌になっている。
「それはそうと、大学はどうだい?」
「なんと友達が遊びに来ましたよ、家に」
「それはいいことだ」
VR上では、個人情報を明かさない人も多い。わたしだって基本はそうだ。ユーザー名の「ソニドリ」だって本名に由来していると言えばそうだけど、それでも年齢や居住地、職業や性別については伏せている。
しかし、チーフに対しては別だ。何なら住所も知られている。これは以前頂き物をした時に教えたのだ。一方でわたしはチーフの情報を何も知らない。もし人工知能だと言っても信じられるぞ。
「VRを遊んでもらったんですが、普通の人の家にある設備だとアトラクション以上のものはできませんよね」
「君みたいな人からすれば、身体を動かさないといけない人たちは制限多く見えるだろうね」
「それでも大学で話せる人ができたのは嬉しいものですよ」
そんな話をしていると、来店者を知らせるベルの音が部屋に響いた。
「やっほ、チーフにソニドリ=サン」
「なんだ、かせくりの兄さんじゃないですか」
わたしが両手を合わせてお辞儀を返す相手は、同じく両手を合わせてお辞儀をする茶色のグレーハウンドを模した頭をしたケモノ系のアバター。ちなみにダボダボの半袖Tシャツを着ていて、胸に書かれている文字は気分で変えているらしい。今日は「週末は近い」だった。まだ火曜日だぞ。
彼は
「隣、いいかい?」
「どうぞどうぞ」
ひょいとかせくり氏は椅子に飛び乗って、お通しのテキーラを呷った。
「そういえばLogisticaの新作が間もなく出るんだったね」
慣れた手つきで空のグラスを回収しながらチーフが言う。
「Logistica
「名前だけは知ってる」
「おっやってみる?」
「考えておく」
「ギフトにしてもいいからさ」
「……そこまでのものなんですか?」
「そりゃもう、自動化ゲームの元祖と言われたLogisticaだよ。今回は確か設定がスチームパンクだし、そういう面も期待している点になるかな」
そう言ってかせくり氏は滔々と話していく。なかなかトークが面白い人なので聞いていて苦ではない。
「基本プレイは一回五十時間ってところかな、大型連休があれば行けるだろ」
「そっか、そういう時期か」
大学に忙しくて、長期的な予定を見ることができないでいた。宿題も結構あるんだよな。ええと、線形代数と微積分の映像授業を倍速で見てワーク出して、計算機科学概論の導出手書きレポートとかいう事実上の必修でなければ誰が取るかみたいなやつをやって、ああそうだ、明日の身体運動科学実習の着替えを用意しないと。
「ソニドリさんも新生活慣れてきた頃か?」
「……まあ、ね」
詳しいことは伝えていないが、去年の末は受験でVRを封印していてあまり顔を出していなかったので新生活が始まったことは伝えてある。ただそれはそれとして、仮想世界で物理世界の話をするのは少しだけ警戒してしまう。
なおチーフ相手にはわたしも口が軽くなるんだよな。たぶん話術だ。VR空間を作れて話術も凄いあたり、我らがチーフは恐ろしい。その上多趣味だしね。
そんな事を考えていると、またベルが二連続で鳴った。
「お、人が集まってる」
「いいのかいソニドリくん、こんな夜更けまで遊んでいて」
最初の丸っぽい浮遊ロボの人はちょっと見覚えないが、少し遅れて来た長いスカートとセーラー服の人は
「ソニドリさんと言うのですね、初めまして?」
「かもしれません」
「三月に招待いただいた概念同化機構といいます、よろしくお願いします」
そう言ってロボは物騒な名前をホログラムっぽく表示させた。声から性別が読めないが、ちょっと引っかかるところがあるのでボイスチェンジャーとか使っているのかな。特に嫌な声というわけではないし、何も言わないでおこう。
「よろしく、ソニドリです」
握手をしようと思ったが手がどこにあるのかわからなかったので、たぶんお腹に当たる部分に触れることになった。