「カレーできたよ」
「はーい」
僕の呼びかけにアキさんはヘッドフォンを外して素直にこちらに来る。提出締め切り時間までは残り五時間。つまり今は日本時間で午後の八時だ。
僕とユミナさんは明日の朝の一限がないので片付けとレンタルした布団の返却を担当することになっている。一方のアキさんは授業が入っているらしい。必修ではないのに。
これは非常に凄いことである、ということはわざわざ説明するまでもないだろう。これなのに遅刻もなくきちんと登校しているのだ。僕は一回だけ寝坊してちょっと途中から授業参加したことがありますが幸いにも出席にしてもらえていました。ユミナさんは時々ふつうにサボっています。
「いただきます」
静かに言って手を合わせて食べ始めるアキさんは満足そうだ。ちなみにこのカレーはカレー粉から作っています。香りがしっかりしているのはそのためですね。でも手間を考えるとレトルトやルーとどっちがいいかは正直悩ましいところです。お腹に入った満足度はあまり変わらない気がするしね。
「それで、今の様子は?」
ユミナさんが聞くと、アキさんは少しだけ考え込んだ。
「今の方針は二つあって、パラメーターを増やすのと、アルゴリズムを改良するのとの両方で進めている。最適化自体はできているんだけど、送れる容量の上限が10メガバイトなのもあって」
「……どれぐらいの量なの?」
「16Kの画像一枚より小さくなる」
16Kといえば今のカメラのよくある解像度である。このあたりはこれ以上精度を上げても人間の目で良さがわからないので純粋に分析とか処理速度の方を良くしていく方向に技術が進んでいる。
「そこまで圧縮しないといけないの?」
「最低限の情報を決めて向こうで処理しながら最適化していくなんてこともできなくはないけど、そのアルゴリズムを組む時間があまりない」
今のプログラミングの改良はかなりAIに依存している。ある程度の方向性が決まれば、膨大な量のトライアンドエラーを短時間に繰り返すことができる。それに加えて今までのプログラマーが作ってきた膨大な前例があれば、大抵の人間が自力で作れるものを超えることはできる。
なのでプログラマーというのはAIを活用しつつAIが解けるように世界の問題を整理するか、あるいはAIが思いつかないような手法を提示できるかのどちらかになる。アキさんは両方ともできるようだ。僕は正直どちらもできている気がしない。
「そういうわけであとは……」
アキさんが綺麗になったカレーのお皿を持って立ち上がる。
「最後まで足掻くのが大事かな。なのでおかわり食べるね」
そんな感じでアキさんは僕から見てもよく食べていた。しかしある意味ではここからが本番だし、ストレスの溜まるところなのだろう。
自分が何位にいるかがリアルタイムで表示されて、それが少しづつ下がっていくというのは精神的にもかなりきついはずだ。伊達に
とはいえ、専門家でもない僕たちが応援できるのはせいぜい環境を整えることぐらいだ。それに一位を取らないといけないわけではないし、別にこの大会で上位を取って得られるものがそう沢山あるわけでもない。
「アキさんはすごいよね」
彼女が和室に行ったタイミングで口を開くと、ユミナさんが満足そうに頷いた。
「そうだよね」
「いや、たぶん言いたいことと違う」
「じゃあどこが凄いって言うの?」
「……目標を決めた時に、それを疑わないことと疑うことのバランス、みたいな」
「なにそれ」
僕もきちんと言語化できているわけではない。それでも、言葉にしておいたほうがのちのち自分がなにかする時には役立つだろうなと思ったので頑張って口に出す。
「別にこの大会ってアキさんにとってそんなに重要なものじゃないよね」
「年に一回しかないやつだけど」
「でも、別にそれをやらなくても死ぬわけじゃないし」
「それを言ったら何だってそうでしょ、それでも真面目にやるのがアキさんだけど」
僕はそこには同意したので頷く。でも、それが全てじゃない。
「プログラミングって僕は専門じゃないけど、いろいろな答えにたどり着く方法があるっていうのはわかる?」
「数学の問題で、本来はベクトルのやつを図形問題にするみたいな?」
「そうそう」
答えが一つだとしても、そこに行く経路はいくつもある。しかし出発地点から見えた経路の全てが、答えに繋がっているわけではない。
「アキさんが凄いのは、目標をちゃんと持った上で、そこまで真面目にやるって決めた上で、途中経路を変えられること」
「……普通じゃないの?」
「少なくとも僕はできないよ」
視野の広さと、自分の能力についての正確な把握が必要に思える。僕は受験期にそれができる人を少しだけ見た。
「高校の頃の塾の先生がさ、受験プランをいくつか作ってくれたことがあって」
「その時のミドリちゃんはどれを選んだの?」
「……高いところを目指して、その上で桜盃を安全圏に入れるって方法」
チーフからおすすめされていたとはいえ、別に当時の僕にとって桜盃情報工科大学はそこまで思い入れのあるものではなかった。偏差値だけで言うならもっと上がいくつかあるし、やりたいことが定まっていたわけでもないのでモチベーションみたいなものもなかった。
「そっか、ミドリちゃんは……」
「いや、普通にここが志望度高かったよ?」
「あれ、そうなの?」
「立地とかもあるけどさ、別に行ける中で一番難しいところに行く必要もないわけだし」
「今は学ぶだけなら色々できるもんね……」
僕は同意する。なんならAIを使いこなせれば自分で学ぶことができるし、一人でも相当のことができる。もちろん学校に行けばそれは身につきやすいし、何人かでやればもっと効率的に色々できるかもしれないけど。
「僕はプランに沿って比較的まっすぐ頑張っただけで済んだけど、アキさんは全部考えなくちゃいけなくて、臨機応変に動きながらも、今の大会に全力を出しているでしょ?」
メタ的な視点を持ってしまうと、世界が平べったく見えてしまう瞬間がある。価値あるものなんてなにもなくて、自分さえ諦めれば色々と楽になるって思ってしまうときが。
「それでも進めるアキさんだから、ここまで来れたんじゃないかな」
「なんかミドリくんがそれっぽいこと言うの、ちょっと意外」
「何で!?」
「ミドリちゃんはさ、結果がすべてを示すとかいいそうだと思ってて」
「そこまで途中経過に無頓着じゃないよ……」
特に頂点とかに行くと、結果しか見てもらえない。そういう場所から逃げたと言われるかもしれないけど、僕は途中を楽しんで、そこから学ぶことをゆっくり考えられる程度の雰囲気のほうが好きなのだ。