日付が変わる。アキさんがキーボードを叩く指はかなり滑らかで、一瞬だけ止まってもまたすぐに動き出す。
「まだいける……諦めるな……」
そう呟くアキさんの手元には溶けかけたアイス。睨みつけるディスプレイに出てくる今のアキさんのスコアは、残念なことにここしばらく更新されていない。一方で試合全体のランキングは十秒単位で変動している。
残り一時間。最終盤はいろいろなところから成果が一斉に提出されるから計算に時間がかかる。運営が用意できている量子コンピューターの数は限られるので、どうしても待たされる場合が出てくるのだ。
たまに呟いた言葉はAI側で処理されて擬似コードの形で提示され、その裏では評価が行われる。悪くないようなら採用されてプログラムをバージョンアップ。それと同時にどんどん肥大化していくプログラムをどうにか切り詰めつつ高速化させるという微妙な問題も解決しなければならない。
現在のアキさんの順位は38位。去年はそもそも規定のスコアを超えることができなかったために入賞することもできなかったようだ。そういう意味では、今の時点でも大成功である。
動かしていた手が止まる。どうやら考え事に入ったようだ。
「大丈夫かな」
ユミナさんが聞く。襖の隙間から覗き見る僕たちはどう考えても怪しい人たちだ。少し眠いが、アキさんが終わらないと和室で寝れないから仕方がない。嫌でもあと一時間で終わるし、その後の悔しさを抱えたアキさんをどうにかするのも一応は仕事というか依頼に入っている。
「たぶん」
僕もこういう時がある。色々とデザインの案を見て、その中でどれがいいかを絞るための時間。それとどこまでアキさんの状況が同じかはわからないけど、それでも、なにか重要な決断をしようとしているのはわかる。
アキさんが手元の半固形になったアイスを口に流し込むようにして頭を押さえる。あっキーンってなってるやつだ。それでも背中から集中は伝わってくる。
「よし。D7方法を採用。残り三十分でベースモデルを仕上げて十分でチューニング。時間設定表示して」
アキさんを取り囲む画面の一つにタイマーが表示される。それを一瞥して、作業再開。
「便利だねああいうの」
「XR端末にもついているよ」
「あまり使わないから……」
そうだよな。確かに今はいろいろな技術がある。けれども、それを使いこなせている人は少ない。そもそもXR端末は欠陥ばっかりで物理端末のほうが便利だって意見もある程度の道理はあるわけだし。
「僕も使わない機能は多いよ」
「アキさんってどうなのかな……」
ユミナさんの言葉に、僕は少し考える。ステレオタイプ的には事前に全部説明書とかを読んで一通りの機能を試していてもおかしくはないけど、必要な最低限の機能しか触っていないとかもありそうだ。
「終わったら、聞いてみようか」
「……そうだね、それがいいと思う」
直接言葉にしたほうが伝わるのは人間もAIも同じだ。与えられた情報が少ないほど推測の精度が下がるのはどうしよもないし、もし双方向にやり取りして必要な知識が共有されていればかなり効率よく問題を解くことができる。
アキさんが使っているAIは、たぶん大学で契約している
方針が決まったからなのか、さっきまでよりも作業が早い気がする。展開されていくクラス図に修正を入れながら時折呟いて修正をかけていく。一人だけなら下手したら数ヶ月とかかかる複雑なものでも、適切に方針を定めてうまくAIと共同作業をしていけば数時間で組み立てることができる。
しかしそのためには多くの準備が必要だ。年単位で自分の打ち込んだコードと思考パターン、そしてインターネットからかき集めた知識。そういうものの積み重ねによって、アキさんはもう一つの頭脳を手に入れている。さすがにここまで言うのは妄想混じりかもしれないが、そう大きく間違っているというほどでもないだろう。
計算結果画面の最高スコアが更新される。すぐさま送信。とはいえここで動かしているテスト環境と採点時の環境が同じ訳ではない。言ってしまえば、採点に使われる数百の世界にだけ合わせたプログラムを組めば高得点を取ることができるのだ。
そしてアキさんは、その戦略すら採用している。採点時のスコアは全ての世界の合計になるが、そこから得られる情報を分析するシステムを作っている。邪道かもしれないが、取れる手段をできるだけ取るという考えからは別に非難されるようなものでもない。一般的にはあまり得るものがないのでされないらしいけど。
「……よし」
アキさんの小さな声とともに、僕のXR端末に映されている順位表も変動する。Ayabe Aki、13位。
「んー、もう時間がないかな」
そう言ってアキさんはヘッドフォンを外し、後ろを見て僕たちを手招きした。
「諦めるの?」
少しだけ、悲しさというか残念そうな声で言うユミナさん。
「いや、最後の最後まで調整は続けるよ。でも、それをやってもさっきの点数を超えられるとは思えない」
そう言っている最中にも順位は下がっていく。14位。
「こういう調整って、目隠しをして山登りをするようなものなの。一旦見つけた頂上から、遠い場所の頂上を見つけるのは難しい」
最適化問題。ある課題で最もいい点を取るような条件を探すもの。さっきのアキさんの例で言うなら、今いる場所が条件で、標高が課題。
頂点にはどの方向に行っても下り坂であるみたいないくつかの特徴がある。それを利用して、チューニングをしていうわけだ。
制限時間が迫っていく。期限までに送信されれば採点はされるが、そのせいで終了後も結果が出るまでには時間がかかる。
一か八かの人もまとめて送ってくるので、採点中の提出物が増えていっている。中にはそもそも条件を満たせていないものもあるあたり、本当に当たれば儲けものぐらいのつもりで投げられているようだ。
アキさんもダメ押しで送って、そして午後一時になる。中央の画面が切り替わって、試合の終了を知らせるとともに残りの採点に必要な推測時間を表示する。
「十三分……」
アキさんが言う。順位は17位にまで下がっていた。あと少しだけ、終わり際に自分を超えるものを送った人がいませんようにと、アキさんは祈るように手を組んだ。