麻黄附仁子湯   作:春告魚

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前夜

 

「それは、ご自分の胸に尋ねるべきかと」

 

 仏のような顔で露骨なため息をつかれ、任氏は返答一番軽く面食らった格好となった。

 

「具体的に自分ではどうかわからない、と思ったから軽く聞いてみただけだ。そんなに呆れなくてもいいだろう」

 

 ぶーぶー、という形容がぴったりの膨れ面にさらに呆れた顔をされる。

 

「そんな顔は任氏という人物に似合いませんよ」

「良いだろう、誰もいないし、誰もいないからこんな事を聞いたんだ」

 

 なぜ俺はこれほどあの薬屋を気にしているんだろうな、いや気に入っているのはそれは自分でもわかる。理由だ。

 

 会話の発端である。

 

 問われた高順は二度ほど瞬目した。

 

(これは、良いところを話したがっているのか、それとも良いところを言わせたがっているのか。いや、そういう無駄を私に話すほど恥を知らぬ人ではない。まず今の所毛虫を見る目で見られているのであるし。しかし何故気になるかなどと問われたところで)

 

 主上の副官も務める明晰な頭はその短い間にこれだけのことを考えた。結果としてほぼ無駄であるが。

 客観的な美点というのは人を気にいる際に当てになるものでもない、その物差しはまさに人それぞれ個別のものだ。

 であるので、私には分かりませんの意を表した。そんなこと聞かれても知りませんよの意も盛大に込めて。

 幼い頃から世話役であったのだ、その程度の気やすさはある。

 実際、親子ほども齢も違えば位に依らない人生経験的先達としてはかなり立ててくれる。

 こういう時、彼は決して偉ぶらない。というより日頃からして体面を気にせねばならぬ場面以外で権力を翳し偉ぶることなどがないのは彼の美点であり、また権力者としては欠点だろう。

 この瞬間の任氏は歳の離れた兄に甘えているようなものだ。

 

(そう考えると、主上と乳兄弟であるというのは些か複雑な気持ちだな)

 

 では、その歳の離れた兄代わりとして何かしら返答を求める弟君に答えねばならぬか。

 話さないとおちつかぬであろうし。仕事が滞っても困るのだ。

 

「では任氏様、問いましょう。一番気に入っているところはどこですか」

「そうだな、あの毛虫を見る──おい最後まで聞いてくれ」

 

 高順の表情が初手から解脱の境地に達しようとしているのを察して、任氏はずいと身を乗り出した。

 

「要は、見目に惑わされず、媚びず、愛想で誤魔化そうともしない。そういうところが実直に感じられる。切れ者でもあるしな。あと、色が効かぬのが単純に面白い」

 

「ならばそれが理由でよいでしょう」

 

 その点、面白いという意味では同意する。どうもあの娘の尺度というのは一般的ではない。色恋というものにさほどの興味もなく、いわば薬と毒に恋をしているようなものだ。

 それにあの冷静さと行動力を見るに、主観はあまり当てにせず客観的に物事を見る力に秀でており、探究心も強い。且つそれがかなり常のものとなっている。

 優秀といって差し支えない。

 

「いや、だからそれだけならば面白くて優秀だということにしかならない。気になる、気に入るとはそれだけのものなんだろうか?」

「それは、それこそ人によりましょう」

「それでは結局答えにならない。そう言い出すと主観の問題ならいくらでもそういえてしまう」

「まぁ…そうですね」

「…魂魄の抜けそうな顔をしないでくれないか」

「ああこれは失礼を」

 

 当人がわからぬ基準を整理するのは骨が折れる。

 人それぞれ、が得心の材料にならないならば…。

 

「では私から見える良いところをあげてみましょう」

「それで?」

「他者から見える姿をあなたがどう捉えるか、どう評価しているかで、一般論で言えば客観と主観の違いが見えましょう。その差異から、見えるものがあるかもしれない」

「では」

 

 一つ、真面目です。

「そうだな、めんどくさがりが顔に出るが、一度手をつければやり遂げる努力を惜しまない」

 

 一つ、裏表があまりないかと。

「腹を簡単にさらけるわけでもないが嘘は言わない。それに表情が正直だ」

 

 そう、正直ですね。

「審美性は理解してもそれで流されないところなど特にな」

 

 色を使うのに、それに靡く人はお嫌いですからねあなたは。

「見た目が良いに越したことはないだろうが、中身とは関係がない事だ。ます中身を見るべきなのに上面を見て騒ぐのは好きになれないな」

 

 まぁその色で手早く片付いて助かる面もありますからそれはそれで。では次に。

 一つ、容易く態度を変えない。薬のことに関しては除きますが。

「表裏がないに通じるな。実直であり素直であると思う」

 

 一つ、探究心に優れます。

「好きこそ物の上手なれを体現するというか、度がすぎているところもあるがな。しかし、理で物事を見る力は大したものだと思う」

 

 まだ必要ですか?

「うーん、もう少しあいつならではのところが欲しい」

 

 なかなか難しいことを。

 では一つ。自分を過大評価しない。

「むしろ過小評価というか…隠したがっている節もあるが…、ともかく驕らないのはいいことだ」

 

 一つ、推測を当てにしない。

「あやふやな憶測でものを言わない、丁寧に一つ一つ見ようとするところは確かに。なんだか仕事のことばかりじゃないか?」

 

 ではもっと個人的なところを。

 一つ、無用に飾り立てず素朴、あるいは質実

「…飾り立てずとも、たしかに可愛らしいな」

 

 一つ、肌がきめ細やかで美しい。

「よく気がついているな。そばかすとくすみの仮粧をとっただけでも白粉をはたくより透き通った美しさがある」

 

 一つ、時折の飾り気のない笑顔が良い。

「そう、そうだ。一切媚びのないあの笑みは安らぐ。それに可愛らしいだけではない美しさも感じるぞ」

 

 ……すこしお待ちを。

「ああ。なんだ?肩が震えていないか?」

「いえなんでもありません。ですがひとまずこのくらいかと」

「なにかいまひとつ、これといった理由がないな…」

「今ので足りませんか…?」

 

 なかなかこの御仁は粘着質なところがある。命じるのを嫌う代わりに付き合わせて巻き込む手をとることもあるが、そのような話の仕方が少々染み付いてしまっている。

 それにしても、仕事を通して見た印象を並べてみても足りぬというので、仕方なく見目に関して並べてみたが。ものは良いようとも言うが、まぁ概ね事実であると思う。華美さは薄くとも自然体の美しさを備えているというのは同意できる。それにしても。

 

(気に入るどころでは、ない)

 

 肩を震わせて堪えたが、これで自覚がないのであればなかなかである。

 褒めも褒めちぎりベタベタと。まぁしかし話は進めねばならない。

 

「虚飾にたよらないところ、素朴さと可愛らしさだけでない透き通る美しさをも持っている。そして実直でその態度は相手の言動に対峙したものであり、そして驕りがない。まとめるとこうですか。まぁ好き好きですが、気に入るには充分すぎる材料があるとも」

 

 むしろ、そう評価したならば気に入って当然であるとすら高順は思う。

 

「いまひとつスッキリしないが、まとめるとそうなのだろうな…。しかしそれだけで簪を贈るような俺だったのかというのも引っかかってな」

 

 また話が戻ってきた。解脱しそうな顔になっているだろうが幸い目線はこちらを向いていない。

 何なのだろうか。事実に対する理解というより、己の心理的な動きに対する具体的説明が欲しいのだろうか。

 

「…それでは、その簪に込めた意味をよく考えてみては?」

 

 眉間をつまんでもみながら。

 高順は些か疲れた、今日の分の仕事が大体片付いていてよかったとまた仏の顔をする。

 

「そうだなぁ…簪か…」

 

 照れたぶっきらぼうな少年のように簪を自ら差したのはどこの誰なのでしょう?

 聡明な仕事人間ではあるが、これほど自分のことがわからないものだろうか。色恋についてはまるで子供というべきか。

 

 それはきっと惚れたのですよ。 

 

 と言ってしまいたいが、正直なところそれさえ説明を求められそうで面倒である。

 

「しかしこう…」

「はい」

「いや、園遊会の騒ぎの時、医務室に連れて行こうと声をかけてにこりとされたのが頭からまだ離れなくてな…綺麗だったんだ」

 

(それはもはや答えであろうに)

 

 つい口出ししそうになるわけであるが、まぁこれでも己に納得しなければその仄かな恋情もそのまま消えるであろうし…

 

(放っておこう)

 

 こんなに可愛らしいだとか美しいだとか綺麗だとか言っておいて。

 後宮にいる見目粒揃いの女たちの中にあってそばかすとくすみの仮粧で悪目立ちしないというのは、たしかに十分すぎる事だ。

 あとは好き好きであるが…この御仁は中身も見目もひっくるめて惚れてしまっているはずだ。あの園遊会の素顔に紅を載せただけの化粧で大きく心が動いたのであろうあたり、おそらく中身に先に惹かれている。

 …地虫を見つめるような目で見られて、なのかはさておき。

 

(ある意味厄介というべきか)

 

 おそらく、外見でなくその行動言動に対する反応が素直に帰ってきたことが新鮮であり、またうれしかったのだろう。この娘は、中身の方を見てくれると。

 しかし。

 

「任氏様、都合の良い駒に、特段の理由というものが必要でしょうか」

 

「む…」

 

 とても嫌そうな顔でこちらを見てくる。当初そのような扱いであった筈だ。それがどんどんといつの間にか深く食い込んでいる。少なくともそれは"気に入る"以上のことである、ということくらいはわかるようであった。

 それはさておき、いい加減仕事を終わらせて欲しいものだ。

 集中を切らさぬよう、もう幾分落ち着くまでの余地はとるけれども。

 

「…駒のはずだったんだがな」

 

「では理由らしきものは」

 

「おかげで、だいたいは」

 

 だいたい、か…。

 まぁ、それはそれで良い。

 はっきり認められない慕情より大事なのは目の前の仕事だ。

 気持ちは慌ててはっきりさせなくても良い、元々あやふやなものなのだから。

 また顔を合わせていれば、この色を使う癖に色恋には疎い様子の美丈夫にもそれが何であるか明確にわかる時がくるし、それもそう時間はかかるまい。

 

「では任氏さま、小猫の顔を見にいけるように前倒しで仕事を片付けましょうか」

 

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