「ところで、最近気になることがあるのですが」
所用を伝えに来た高順であるが、要件はそれだけではなかったらしい。
気になる、とは何か依頼内容についてなのか。いや、ならばもっと直接的に言いそうなものだ。その割にわざわざ人払いをしたあたりは訝しい。
「なんでしょう高順さま」
「近頃、小猫の表情がとても硬いように思うのです。何か心労などないかと老婆心ながら」
ああ、そのことなのか。
なんのことだろうとわずかな間に頭を捻ってみたが、割合意外な方面のことで猫猫はその大きめの青みがかった目を余計に丸くした。
「特段、心労ということはありません。ただなんというか…一応気を使っているというか」
少し説明しづらいような面倒なような理由を話すべきだろうかと、珍しく曖昧に頬など掻きながら。
「少なくとも私に対してはそうではないように見えます。ということは」
「あー、任氏さまにだけですね」
事実の通りであるので、素直に白状しておく。
再雇用の際に、娼館からの身請けの手土産に贈られた冬虫夏草がある。
まだ何に使うか決めきれず大事に保管しているのだが。
先日桐箱と上等な絹の上に収められたそれをチラと思い出し
「薬酒にしようか、丸薬にしようか」と、うふうふ桃色に染めた頬に両手を当てて考えていたわけである。
ちょうどそこに任氏が戻って来、つい浮かれたまま
「おかえりなさいませ」と言ってしまったのであるが。
思えば胸の前で両の掌を組み合わせ乙女な格好をとっていたのも良くないかもしれない。
気に障ったのか何かよく分からない。たた数秒ばかり呆けたように見つめられたと思ったら、任氏が柱に幾度も頭突きをしだして少し騒ぎになったのだ。
それは流石に忙しい高順も忘れてはいまい。
私のにやけ顔はそんなに気持ちが悪いか…?なども思ったものだが。
「あの柱に頭突きの件でちょっと…」
(私のせいじゃない)とは思いつつ、気になっていた。
「…つまり、にこにこと出迎えたのがいけなかったと思ったのですね」
そこまですぐに話を噛み砕けるあたり、よく覚えているようだ。というより、ある程度そのようにあたりをつけてはいたようだ。
(そのための人払い、か)
「よくわかりませんが、気に障ってしまったのなら」
笑いかけて気に触られてはこちらも不快だが、雇用主の気に触るのもよくはないだろう。まったく器用さはないが、猫猫にも何かしら配慮せねばならぬのだろうと気を遣うことくらいはある。
「妙に心を乱す要因となるのならば、控えるべきかと」
冷やりとつめたい能面が張り付いた。
水蓮にも「とびきりの笑顔は薬にも毒にもなるのよ」と慰めなのか励ましなのかよくわからないことを言われたのだが…思えば引いた態度のつもりが自分は落ち込んでいるようにも見られたのだろうか。
はじめは何事かと怖い目をした水蓮に状況を問われ、出迎えの様子を顔面の筋群総動員して再現させられたわけであるが。再現してみせるとそのように。(どちらも馬鹿ねぇ)とでも言いたげな呆れが染みた視線があったことには気づかないふりをしつつ。理由がわからないし、わかろうとする気にもならなかったし。ただまぁとびきりの笑顔と言ってもらえたのは、それだけは良かった。流石に気持ち悪いにやけ顔と言われたなら猫猫も少しは気落ちする。
「えっと、それはどちらととれば…?」
「…劇薬かしらね、坊ちゃんには」
…やはりそれなりのことを言われたような。
「そうですか」
声色の落ち着きようも、予測の範疇にあったことを思わせる。
「差し出がましい真似ながら、私がわかることを一つ釈明させてください」
「…はい」
釈明、といわれると、ほらやはり私は悪くはないじゃないかという気持ちが頭をもたげる。あれ?とこんな程度の筈の気持ちをまだ覚えていることに違和感も覚えつつ。
「任氏様は決して、あなたの態度が気に障ったわけではありません。むしろ全くの逆です」
キッパリと断言する高順であった。
むしろそれが一番の老婆心ではなかろうかなど猫猫は密かに突っ込むなどしているが。
「逆ぅ…?」
逆、ということは嬉しい…?それで柱に頭突きを…?わけがわからん。いやまず笑顔の出迎えくらいでそこまで嬉しいか…?
胡乱な目でうむむと考え込もうとする様子に高順は言葉を足した。
「あなたの笑顔がとても嬉しく、それで、心を無理にでも落ち着けるため、といったところでしょう。あの方は出来るだけ平静であることを心がけているので」
なるほど…なのだろうか。それにしても大袈裟な話であるとは思う。
いやというか、笑顔だけでそこまで舞い上がれるとは…
「…任氏さまは友がいないのですか?」
「…そういう、話ではありません…。大変疲れていたので、小猫がニコニコと可愛らしく出迎えてくれるなど、幻かもしれないとでも思ったのでのしょう。…ともかく、近頃小猫が表情を固くしてから、任氏様も元気がないのです」
眉間の皺を深くしつつほんのり青ざめる様を晒しながら高順は話の筋を訂正する。少々不敬であったろうか。
ただ「ウッ」と小さく呻いたあたりあっているのかもしれない。
いたとしてもあの容姿では多感な年頃に友を失っていでもおかしくはない。利用する割に華美さにこだわりなくむしろ仕事は実に実直なあたり、そういうことがあったのかも知れず。…何気に酷いことを言われた気がするが流しておこう、無愛想なのは事実だし。
「わかりました」
まぁ嬉しかった故のことが本当なら、もう頭突きのことも余計な気遣いのことも忘れておこう。私の笑顔くらいで劇薬になるくらい寂しいのかもしれず、ああなるほどそれで特殊趣味に…とちらりと思わないでもないが考えないでおく。
薬のこと以外についての笑顔というのは、我ながらさほどないような気もするし任氏もそれはわかっているだろうに。元々さほどの笑顔もないつもりでも、どうやら任氏さまは元気がでないというし…しかし
「この鶏ガラの
はぁ…というため息とともにポツリと漏れ出す。
だいたいまたそばかすとくすみの仮粧をしろとわざわざ言ったりとよくわからないのだが、もしかしてその方が好みなのだろうか…?
「やはり特殊趣味…?」
猫猫は納得を捨てそういうことならと落とし所としたが、高順はほんとうに肝心なことはわかっていないというような小さなため息を堪えて仏のような顔をしている。
「と、とにかく…気を遣わずとも、ということだけわかって貰えれば十分です」
「とにかく、私はいつも通りで良いのですね」
「そう、あるがままで良いのです」
それが、あの方が一番愛おしむあなたでしょうから。
それにしても我ながら老婆心が過ぎる、あの薬を長年服用したせいだろうか、と高順はそそそと掃除に戻る猫娘の背を見つめた。