独り言というには声が大きすぎる。
口元に手をやり考え込む様子の薬屋に苦笑いを浮かべるが、まぁまずい場面でもなし今更あえての指摘も要らないだろう。
頬に登る苦笑を少し堪えつつ、やはりこれほど面白く可愛らしい者そうそういない、と胸中ひとりごちた。
麗人の仮面が効かぬどころか、容易く剥がしてしまった者である。
さて麗人貴人などという、すくなくとも明らかな奢りのようなものは己の中にはないつもりだが、奇人変人の類ともされたくないものだ。
というのも、麗しいかんばせの割に変わったものが好きらしい、という目を副官からさえ向けられる事があるためである。
心外であった。
任氏は例え己が奇人変人扱いされたとして、それがこの少々変わり者の薬屋を殊更気に入り大事にしていることが原因とされるのは到底納得がいかないとも考えている。
華麗な花弁を身につけ蜜を香らせ、より目につくようよく丈を伸ばす花など珍しくもない。人が望み手を加えることでそのように作り上げられる大輪の花もあるが、しかし半ば象徴的に一般化された理想像に過ぎないのだと。艶やかさや嫋やかさばかりが美でもない。
いわば四季に耐えながらしたたかに咲く、小さくも凛とした
「…野花のような」
「はい?」
その行動は問題の解決を優先し責任の在り処を責めたり罰されるべきであるというような思考はなく、むしろ一度足を踏み入れたならば義や情に篤くさえある。
雀斑や肌のくすみを
しかし今は(いきなり何を言ってるんだコイツ)という目をしている。
思考の末尾が声に漏れたらしい。が、意味を悟られるわけでもないし特段の問題はない。
というよりうつったのだろうか。
「いや思い出したことがあってな」
「そうですか」
どうでもいいですけど別のこと考えてたんですか、とは言わないが目はそのように。
不躾なまでの態度を持っているこの娘を殊更気に入った、というより心を惹かれたのは、任氏自身がこれまで利用してきた容姿に惑いを持つこともなく、その行動や言葉に対していることが明らかにわかるからでもある。
「邪魔をしたならすまない、そう怒ってくれるな」
「別に怒ってはいません。戻ってもよろしいですか?」
そのつんとした様子に苦笑いしてみせると、猫猫はふいと目をそらす。
怒ってはいないのだろうが、少々気に入らなかったのはそうだろう。
こちらとて忙しくはあるが、仕事中に呼び出したのだから他の考え事は良くない。
その冷静さとは似合わない、抑えながらも幼く見えることさえある感情の表れは、だが嫌われでもしない限り任氏には心地よくさえある。
「そうだ、この間の約束の生薬原料が手に入る目処がついた。だから励みにしてくれ」
目の色でこうして多少なりとも読み取れることが増えたのは嬉しく思うものの、もっと気楽に言葉を交わしたいとも。
言葉が足りないのはおそらく互いにそうなのだ。
任氏には任氏の、猫猫には猫猫の立場と考えがあり、容易く言葉にできることもできないこともある。砕けた間柄のような軽口も時にはあるが、貴人と平民、雇用主と雇われ人という関係にあってなんでも好きなように話せるわけでもない。
「おぉお、本当ですか?いつですか?」
ぱっと顔を明るくして頬を緩める猫猫に、任氏もまたつられるように頬を緩める。
「早ければ数日の内には。届き次第渡すか? 報告ついででも良いが」
「いえ、いつでも」
頬を染めそわそわしているのを見るに、いつでも呼び出してくれ、ということなのだろう。
「わかった。できるだけ身をあけておくので、気になることがあったら随時また報告を頼む」
最後だけは雇用主の顔でしめておく。が、幾分頬は緩んだままであるし、そわそわがおさまらない猫猫に結局笑みを深める様子は。
「はい、楽しみにしておきます」
「小猫、嬉しいのは分かるのですが、受け答えが少しズレている気がします」
控えていた高順がそっと。
ずいぶん慣れたというか、関わりが増えるにつれ近頃こういう小さな指摘をしてくるようになった。嫌味でも指導でもない突っ込みであるが、案外お茶目なおっさんなのだなという評価が強まりつつあることは知らない。
(綺羅綺羅しいものではない笑顔が増えたのは喜ばしいが、外では気をつけてもらわねば、な)
痩せこけて貧相でそばかすまみれの鶏がらのような生き物を自称する猫猫という娘だが、外面用でない任氏の笑顔を受け取っているというほぼ唯一の女である自覚などあるまい。なれば、というか故に無駄に嫉みなどを余計に買わされては不憫だと高順は思う。
女の園は恐ろしいということを数年来実経験的に見てきた身としては。
猫猫による評定はおおよそマメ且つお茶目なおっさんであることなど知らない高順、そのうちお人好しという評価も追加されそうである。
「任氏様、最近は自然と笑っておられることが増えましたね」
猫猫が退室すると、高順は早速話をしておこうと向き直る。
「そうだな、あの者には色を使っても無駄だとわかっている分、気が楽だ」
猫猫の話であるとすぐに察するあたり、自覚はある。
「そうですね。気持ちも和らいでいるようで、嬉しく思います。ただ」
ただ…? とは何だろうかと「なんだ」と促した。
「色を使う以上に、他の者から見れば貴方様の安らいだ笑顔を受け取る者は妬ましく思われましょう」
敢えて小猫と限定的な言い方はしないが、その本当の笑顔を向けられるものというのはこれまででもほんの一握りであり、明らかに突出しているのが猫猫だ。
「そんなものか……?」
「色ではないからこそ、です」
偶像として騒ぐだけのものもいれば、件の媚薬入り点心をつけとどけるような熱狂的なものもある。心を許した顔というものも抑えねばならぬ立場であるというのは、この仕事人間の苦労を増やすかも知らないが。
「そうか、では外では気をつけておこう」
ふむと軽く頷く。
心を許した表情をみせない方が良いことについては、おそらくあまり合点がいってないであろうが…任氏自身が価値をそれほど感じていないところがあるのは高順もよく知っている。優れているところはあるが、自信や実力の裏打ちになどなるものではないという認識なのだと思う。道具として利用しているに過ぎない。
表情を調整しなければというのは一つ面倒ではあるが、こうしてあっさりと聞き入れるあたり、やはりかの娘の存在はとても大きいようだ。
地虫を見るような目で見られたからと興味を持ち、その思考や行動に驚かされ、素顔に見惚れ。
心惹かれるとはそういうことだろう、一族のさだめたところにより番うことが大半の自分たちの世界において、そこまで執心することはそもそもあまり見ないものだ。
民を管理せねばならぬ仕事において、支配の立場を捨てることを望み、そうして人と同じものを見ようとする。
聡く優しく、そしてそれが必ずできる己でなければならないという半ば自惚れのようなあるべき姿に悩み。
そこにあの娘である。初めてあたたかな恋をしているのだろう。しかし管理官他政務も務めるほどの仕事人間をこうも蕩してしまうものだったろうか。高順は若い日の仄かな気持ちなど思い出してみたが、とうに掴めぬほど薄まってしまっている。
「……若さって恐ろしい」
書類の処理に戻った任氏の机に追加分を運びながら、高順は懐かしみと喪失感を含んだため息を漏らした。