麻黄附仁子湯   作:春告魚

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Just ask the axis

 

「さて、任氏殿」

「…なんでしょう?」

 阿多の何かいいだけな物言いに、ついキラキラしい笑顔を貼り付けてしまった任氏である。

 

 

 酒が溢れちと騒いた後。

 

「すまんな、これでは落ち着いて呑めないだろう。また改めてゆっくり席を設けさせてくれ。召物はこちらの従者に洗って付け届けさせる故。ところで行くはずであった森とはどこだ?」

 

 何故だかちょうど良いあつらえの動きやすい平服を与えられ、本来の目的地を聞かれ。まぁつまり帰ってよいから散策してこいということだ。

 予定外のことで色々と狂ったが、阿多も驚かせようとしたのが裏目に出てしまい後ろめたく思うところがあるらしい。

 気を遣って貰ってしまった、と多少の申し訳なさを覚えた任氏は、だがその気遣いをありがたく受けることとした。

 ああも露骨に「ああすまんこぼしてしまった」とからから笑われては、気にせずに帰れというのと似たようなものであり。流石にそこまでされて無碍にするのは失礼なくらいであった。

 

 猫猫は酒と肴の余りをもらいいくらかのほろ酔いも相まってホクホクとしており

「任氏様にお任せしますが、散策に行くならばお供しますよ」と上機嫌の笑顔を振り撒き阿多におやおやと揶揄われるなどしていたが、さていざいくとなれば酔いはしっかり覚ましておかねばと鼻息荒く厠にむかい、任氏さまは着替えがあるでしょうとそのまま庭をぷらぷらと。

 で、もとの四阿で待っているところである。

 

「惚れているのだろう?」

 

 その言葉は思いがけず揶揄や悪戯でなく、まるで小さな子供の宝物を問いかけるような慈しみを多分に含んでいた。

 

「な…」

 

 これが明らかにおもちゃを扱うような態度であったなら、任氏の仮面は決して崩れなかったであろう。けれどもその声の温もりに思わずきらきらした仮面を霧散させてしまい、露骨に狼狽えた。

 阿多はしてやったりと口の端を歪ませた。

 

「分かりやすすぎるだろう」

「そう、かもしれませんが」

「あんなに良い顔をしていてはな」

「…私ですか」

「猫猫はあの調子だ、お前以外誰がいる」

 

 任氏は額を抑えて「そんなに分かりやすいか」と小さく呻いた。

 

「なんだ、隠しているつもりなのか?」

 

 問われて、殊更隠しているつもりはないと首を振る。

 

「いえ…ただ高順から、外向きでないあまり親しげな顔を見せるなと小言を貰っているので」

「何のためだ?」

「薬…猫猫が要らぬやっかみを買わぬように、と」

 

 なるほど高順も大分女の園がわかっている、と阿多は頷いた。

 色を使わぬ、自然な振る舞いを一人の女だけが受けている。

 となれば、それがどのようなものか──つまりそれは悪意的ないしは無関心によるものか、でなければ好意的なものか、ということになるが。

 

「どう見ても、気に入っているようにしか見えない。部下としての可愛がりでもないぞ。まぁ噂好きなものは大したことのない女をお前が可愛がっている、などというかも知れんな」

「自分では、仕事の顔を使っていないだけのことだと思っていたのですが…」

 

(殊更隠しているわけではないという割に)

 

なぜこの男はこうも自信のないような、ともすれば気落ちすらしたような顔を見せるのか。

 

(惚れているなら胸をはればよいものを)

 

 当人へは明らかにすぎる態度は取らないつもりでいたのだろうか。

 思ったよりはるかに自信を持っていないように見えるな、と阿多は曇ったその顔を眺めた。

 

「その様子からすると、こんなにあっさり指摘されるとは思っていなかったか」

「気をつけているつもりでこうも分かりやすいとなれば、仕事の仮面の使い分けも自信がなくなりますよ」

 

 まぁ、それだけではなかろう。

 偉ぶらないがやはり坊ちゃんではある月だ。そこまで気を遣わねばならんことに納得がなくても別におかしくはないような立場にはあるのだが。むしろ、そのあたり律さねばならんとも思っているようで。

 

「随分と気を遣っているのだな」

「色々と、問題解決に手を借りたりもしていますし」

 

 あちこち飛び回る好奇心旺盛な娘だとは思っていたが、この多方面に忙しい男にしてその手が欲しいというのは、なるほど聡いだけでなくなかなか有能であるのだろう。猫の手も借りたいどころではない。この猫の手が良いらしい。いや、あの猫猫でなければならないのだ。

 

「世話になっているということか」

「それに、何かと率直な反応を返してくれるので」

「なるほど、そうだな。お前にしてみれば、それは安らぐだろう」

 

 その整いすぎた姿故に、外面で騒ぐ者ばかり相手にせねばならん場面がこの男には多すぎる。与しやすく容易い欲の利用、という面では役に立っているのだろうが、その内面に向き合うような人間は僅かだ。そとづらの張りぼてばかり気をつけねばならんとなれば、それは疲れる。

 

「本人からは、嫌そうな顔をされますが」

「仕方がないだろうな。嫌な反応でも喜ばれてみろ」

 

 阿多は笑い飛ばすが、任氏は首を垂れてみる。まぁ、確かにこちらは嬉しいくらいなのであるが、向こうからしてみれば気分が悪いところはあるだろう。 

 

「あれは、聡い。よく見ている。それに誰かに凭れたいなど思うような性根でもないだろう?」

 

 そうして、おそらくそういう者だから、惚れているのだろうとも。

 媚びず阿らず、表面的なことに左右されず。

 

「口説こうにもなかなか手強いに違いない」

 

 頬をこわばらせながら目を逸らす任氏に、おかしそうに、だがあくまで柔らかな目を阿多は向けた。

 

「命になっては意味がないので」

「まぁお前なら、そうだろうな」

 

 管理者・雇用主としての権限以上のことは口にしないようその身を縛っているのだろう。身分差が故に、少なくとも高貴高位に位置付けられる者が平民に色々と要らぬことを言葉にしてしまえば…。

 あくまでも相手を縛らず、基本的に自由意志の範囲で自分のそばに止め置こうとしているように阿多には見える。

 件の解雇の話も、命にはならぬ程度でさえ引き止める言葉を控えたようだし。どうしたい?では、たしかに引き留めたい気持ちなど伝わらぬだろう。

 

「どうなのだ、そばにいて欲しいと思うのか」

 

そば、とは勿論仕事のみの話ではない。

 

「そもそもそういう関係でもありません」

「その気になればそばに置いておくことも出来るだろうに」

 

 阿多の言葉はやや挑発的な意が含まれていたが、それは月に十分に伝わったらしい。勘弁してくれ、とでもいうような、しかし怒気の匂いがする目がじろりと阿多を捉えた。

 

「言ったでしょう、命では意味がない」

「そう怖い顔をするな」

 

 なかなか伝わらぬ、伝えられぬ、そんな中で近くにありたいと思っているようなこの月である。その月が魅了された自由で強い意志と好奇心に走るたくましく可愛らしい姿、それを自ら損なうような真似はしまい。自分の道を得るために奮戦する坊やが、大事だと思った者を望まない道に巻き込むことは、おそらく。

 

 月の目は、しかし既にまっすぐとなっている。

 

「命では意味がない。そうかも知れないな」

 

 呑むか?と瓢箪をあげてみせるが、結構ですと割合冷たい返事が帰ってくる。

 

「では、頑張らないとな、まず自分の道を得ることだ」

 

 半ば溶けた氷の残る玻璃の杯に、酒を指一本注ぎ構わず月に押し付けた。

 

「まともに惚れるなど初めてだろう?祝いの杯を空けさせてくれ」

「…お受けします」

 

 自分の使わぬままに氷水の溜まった杯を庭に返して並々と注いだ阿多は、乾杯の意で杯を掲げた。月も合わせて杯を掲げる。

 

「夢が増えたな?」

「まだ夢とも呼べませんよ」

「良いではないか、夢としておきなさい。自分に願いを問え。その方が叶う。愛するとは大胆な事だ」

 

 ぐるりと一週して戻ってくる件の人の姿が見えた。手に何か緑を持っている。

 ちらほらと生える野草にまじり薬草もあったか、まったくよく見ている。

 

「お、想い人がきたぞ」

「勘弁してくれませんか。まだ昼も回っていないというのに、酔っておられる」

「頑張れ、得難い娘だ。あれはきっと色恋に興味がないだけで、愛は深いぞ」

「…毒と薬には敵う気がしませんが」

「はは、違いない」

 

 阿多は心底おかしそうに笑い飛ばした。人と物は違う、それだけのことだった。敵う敵わぬでも、叶う叶わぬでもない。薬と毒に首まで浸かって生きているような者でも、それはたった一つしか選べぬ道の上にいるわけではない。もちろん、尋常ではないのたが。

 尋常でないのはしかし任氏も同じことだ。尋常でない者同士、自然と交わることは余りない。何らかの力が働くかどうかせねば。

 それは阿多にとってはつまらぬ記憶であり、友であってそれ以上ではなかった者への憐れみさえ含む。

 そうして、この目の前の実のところ自信をそう過大に持ってもいない実直さが取り柄の男が命を嫌うというのならば。

 

「しかし薬も毒も、愛ではできても愛でてはくれないものだ。そなたが、人の縁の奥深さを教えられるまで追いかけられるか、だろうな」

 

 好き勝手に言ってくれるなぁ、などという不貞腐れた顔をしているが、なるほどそんな顔をできるというのは、まだすこしは酔いが残っているか。しかしまだ固いな、これでは出かけても面白みが薄いだろう。この男、意識してしまい堅くなるに違いない。

 

「…もう一つ置いておく。二人で呑んでからいきなさい」

 

 阿多は月を待たずして一息に杯を干し、椅子に凭れる。

 

「厄介な女に惚れるのは、さだめというものかな」

 

 口の中で小さく呟く。

 まぁ、少なくとも私とは違う結果になるであろうよ。

 奇妙な確信があった。

 もういっそ杯でなくて盃にすれば良かったか?などと適当なことを考えつつ、こちらに一礼する猫猫にひらひらと手を振った。

 

 しかし、馬車が必要な距離の名もなき森などあやつは知るまいに。

 気が付かぬだろうか。少なくとも、そのくらいは受け入れられているようだが。利用だけなら、わざわざ戻ってはこぬ、自分でどうにかするのが当たり前の人間があんな面倒な場所に。

 

 向かいではくすみと痣の仮粧を施している。

 

「勝手に動かないでください」

「…ん。こうか?」

「いえこちら。いやだからこちらですって」

 

 ──さすがやるならやる女、職人のような気質だな。

 微妙な角度をぐりぐりと調整されて、任氏の目が×印になりそうである。しかし、その柔い手を顔に感じ嬉しくもあろう任氏より、この猫猫は生き生きと楽しそうに見えるはないか。何故最低限の道具を持っていたかは、敢えて問うまい。

 

「やはり盃にしておけばよかったか」

 

 それにしても、今日はちょっと酔ったな。

 

 大輪である必要はない。肥やしをやらねば枯れるものより、飾り立てねば映えぬものより、余程良い。

 阿多は日向で早々と綻びはじめた黄色い野花を見つめた。

 

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