「まだいたのか」
戻るなりの第一声、あえて待っていたのだからそれはいるに決まっている、も聞くなり半目となった。湯上がりほかほかでなにを言っているのだこの男は。
「いつもなら引き止めてばかりなのはそちらでしょう」
「それはそうなんだが」
もう帰るのか?とはよく言われるが、それで待ったことなどほとんどない。帰りたいのだ、仕方がない。
曰く、もっと早い時間ならば玉葉妃に一言ことわりを入れておけた。幾らのんびりすると言っても、湯浴みが終わる頃には煎餅と人参をからげてほくほく帰っているだろうと思っていた。馬閃には送ってやってくれと頼んでおいたのだが。ということらしい。
「馬閃はどうした?」
控えているはずのその馬閃がいないので、帰ったものとばかり思っていたと。
「医局に行ってると思いますよ」
どうも急な代打に伴っていろいろと調整もしていたらしい馬閃は、有り余る体力を持ってしてもままならぬ気疲れに苛立ったらしい。
控えて待つ間にやってきた眠気を払うべくというか、苛立ちをぶつけるべくというか、ともかく、灯篭台を殴りつけることになった。虫を払おうと加減しなかったらしい。
ごん、という音に表を覗くと、左手からだらだらと血を流す男がおり。
「この程度問題ない」
と言い張っていたが、どう見ても派手に皮が擦り切れ一部裂けている。
「流石に、これは行かない方が怒られると思いますが」
誰からともどこにともいう必要もない。そんなことくらいわかるだろう。
この具合だと裂傷部分は縫わねばなかなか癒合しないだろう。水蓮が綺麗な手拭いを持ってきたので、さっさと傷を洗い簡単に被覆してやった。
ちらとみると羞恥か己への怒りかすごい顔をしていたが知ったことではない。任氏に仕えるなら加減知らずの莫迦では務まらないだろうに。
水蓮が淡々とそれを任氏に話して聞かせた。
「馬の者ならばもっとしっかりしてくれないと困りますわね」
慣れぬ疲れや怪我を心配していないわけでもないが、それよりも口をついたという感じであった。
髪を拭く婆やを見つつ、坊ちゃんも私生活をしっかりさせた方が良いのではないかなどいらぬことを思ったが言わないでおく。
「急に慣れぬことをさせたからな。…加減は覚えてもらわないと困るが」
なんだかんだ甘いというか優しいというか、莫迦なことをしたのに怒る様子も特になく。ただ心配せずとも、明日にでも高順に絞られるさだめ、であるらしい。なるほど高順の末の子、と。多分高順の気遣いは血筋ではないな、と冗談半分に思う。
「ならば、俺が送ろう」
「まだ帰るとは言ってませんよ」
湯上がりの部屋着姿に一枚外着を羽織ろうとして、任氏は目を丸くしている。別に帰りたくないわけもないが、任氏を待つ間に二枚目の煎餅に手をつけてしまったのだ、これは上等なのでゆっくり食べないと勿体無い。茶も淹れかえてくれたのだし。
しかし帰ると言ってない、という言葉に任氏は一瞬目を丸く、次の瞬間にはまたすこし嬉しそうにし、また表情を変える。
何を一人で百面相しているのかと心の中だけで突っ込んでおくが、それにしても一言でころころといろんな感情が出てくるのが不思議だ。
「ゆっくりは構わないんだが…、断りなくあまり遅くなるのはな」
「いえあの、そこまでは」
困った、という顔をしていた。それならば先に言っておいたのに、という顔も。
呼び出した手前遅くなるとわかっているなら、というのはまぁ上級妃に対しての礼儀ではあるものの。
(それはいいが話を聞けよ)
はじめゆっくりしていけ、とこちらに言った時には嬉しそうだった癖になんなのだと思うのは少し勝手だろうか。
門限はまだ大丈夫です、とそのまま言えばよかったなとも思うが。
「そうねぇ…きっと任氏さまと何かあったのか根掘り葉掘り聞かれるわねぇ。玉葉様にも侍女たちにも」
水蓮はにやりと冗談のように笑うが、任氏は面白くないぞ、という顔をしている。
「少しでも瑕疵ととれるものがあるとすぐに噂する者もいるからな。そうするとまた薬屋が絡まれそうだ」
おや。という顔をしたのは二人ともであった。水蓮も同じように反応したところを見るに同じ感想を抱いたのだと思う。
「…俺だって人の心配くらいするぞ」
天女のようなかんばせでさも心外そうな表情をするが、二人が思ったのはそこではなく。
(本人の前では言わないのか)
水蓮には"猫猫"と話したようであるが。なんだろうか、気恥ずかしいのか?こちらとて呼ばれたいわけでもないが、変に使い分けられるのも心地良くはない。
「いえいえ、猫猫のことならよく心配されるのはわかりますよ坊ちゃん」
(おおわざわざ猫猫と)
「噂で済めば良いが、実際絡まれているのを見たことがあるとな」
しかし当の任氏は至極真面目に言っており。とぼけているわけでもなさそうであった。坊ちゃんはやめろ、という定型的な突っ込みすら忘れている。
「でもそう急かさずに、せっかく猫猫が茶菓子に手をつけてくれてるんですもの」
猫猫呼びを続ける水蓮を任氏が怪訝な様子で見るが、どうやら意図がわかっている様子でもない。
水蓮は気は回す癖に鈍いわねぇ、とでも言いたげにこっそり呆れ顔をつくると、煎餅の紙箱を人参の風呂敷に一緒に包んでくれた。
まぁしかし、美味しい茶も煎餅も頂いたことであるし、送ってくれるのならその時に聞くのが一番良いか。呼んだ手前、思ったより遅くなったのできちんと送らねばなるまいということであるし。水蓮の前で聞くにはちと気まずいものがあるのも確かであった。高順の前でも、毒でも食べ過ぎたのかという顔をされそうな予感がある。
「ではお言葉に甘えて、送っていただきます」
というわけで、のんびりと残りの煎餅を食んだ後にゆるく薄暗くなり始めた宮廷を二人てくてくと歩くことになる。
道に火が灯りはじめる残照の中を連れ立って歩く。
身の丈六尺と五尺一寸余りではその歩幅も随分違うが、あくまでこちらの歩みに合わせるかのようにその歩調はゆったりとしている。
「ところで任氏さま。つかぬことをお伺いするのですが」
「なんだ?」
「任氏さまはどのような女性がお好みですか?」
「はぁ、俺の好み?」
そんなもの聞いてどうするんだ?と問われて、正直に「いや、いろいろありまして、頼まれまして」とかくついた口調で言っておいた。
変わったやつがいるな、という顔をしているが、女の話しとはそういう部分も多分にあるのだ。意外と知らぬのだろうか。たとえ宦官だろうと、その良すぎる見目は憧憬以上の感情を持つに十分であるし、それをいろいろ噂して黄色い声で騒ぐのが女というものではあるのだ。猫猫のような外れ値の者もいるが。
(その顔で言うかな)というツッコミは心に留めておいた。
利用はしているが、単に見目で騒いでるだけとしか思ってないのだろう。
かんばせが良すぎる事に案外笠を着ない御仁なので、なんだか悪いような気もした。頼まれごとがあるので機嫌を損ねてもいけなかった。
「誰に頼まれたか知らないが、そんなもの知ってどうするのだろうな」
「世の中には、聞くだけでも楽しいという人もいるのですよ」
そんなものか、と任氏はこちらに目をやりながら、しかしこの娘がそんな暇な頼み事に興味を持つだろうかと言いたげに訝しげに眉を顰めた。
「…良い条件でもあったか?」
びくり、と肩が跳ねたところを見ると、そのようなことらしい。
「…医書を貸して貰えることになりまして」
声をかけてきた下女、元は市中の医家の生まれらしかった。ただ幼い頃にして医師であった父が死に、母は貞淑を貫き以後慎ましやかに暮らしてきた。無理が祟って体調の芳しくないことの多い母親をおいて嫁にいけるか、と後宮で良い仕事の縁を見つけるために身売りしたのだという。
なるほど育ちが良いわけである、と妙に納得した。
誰が継ぐわけでもないが原著や脚注の加えられた写本を大事にとっており、写本をお守りがわりに持ちこんである。それを貸してくれるというので、私としては悪くない取引であった。
(おやじには何度も隠されたしなぁ…)
好奇心が強すぎてあまりにも過ぎた知識を得ると何をするかわからない、という危惧をもたれるのもまぁ、数々の毒実験の失敗からすると致し方ないのではあるが。よって医学薬学の本を読めるというのは猫猫にとってなかなか、いやかなり刺激的且つ魅力的であった。
「しかしよくちょうど本をもっていたな」
「どうも、目をつけられていたようです」
後宮に召し上げられたと思ったら今度は任氏さまのお付きをしている地味な薬師がいる。という評判は案外広まっていた。今はまた後宮にいるのだがまぁ、それは良い。
ならば捕まえて任氏さまのことを聞いてみるか。噂には薬学医学について並々ならぬ、尋常でない関心があるというから、この本が取引材料になるかも知れない。と考えたらしい。
果たしてそれは正解であった。うん、大正解。
「なるほど、お前らしい」
任氏は苦笑まじりに笑ってみせる。
医局の薬棚や冬虫夏草に喜び舞った時を見ている任氏からすると、それは納得の域にあるのだろう。
らしい、と言われてはてこれは喜んでいいのか?思うが、その力みのない笑い顔を見るに他意はなさそうだった。
「ということでして、請け負ってしまったものですから」
さくさく答えて終わらせましょう、という目をした。
なんだかんだこちらもかなりの仕事人間ではあるのだ。
「そうだなぁ、しかし、考えたことがないような」
きらきらしい笑顔で後宮の女を御するこの男、お偉い男色家のお手つきかとも思ったこともあるが、紅を移して照れるなどするあたりそうではないことはわかっている。
きらきらしい以外の振る舞いを見るに実直であり、かなり高いであろう位に負けぬ仕事ぶりなのも知っている。要は、案外真面目なのだ。幼い面で悪戯を仕掛けてきたりするのは勘弁願いたくはあったが。
(まぁ宦官でもあるしなぁ)
齢を考えれば18.19あたりで処置されたのであろうので、考えたこともないというのは一般的とは言い難い。去勢していても男色女色簡単に消えるものでもないのだ。ただまぁ、この男の場合鶏がらの醜女を面白がって気に入っているあたり、考えたことがないとしても、その好み一般的ではないのかもしれない。
「そうですか、何でも良いとは思うのですけど」
「とは言われてもな」
なんでも良いと言われてかえって難しそうな顔をした。どうも真面目に考えてみているらしい。べつに、本当になんでも良いと思うのだが。
もし特殊趣味であっても、それを正直に話すこともない。それっぽいことを言っておけば良いのだ。妙なところまで真面目だ、と変な感心もしたが、何かしら答えてもらわねばならない。捏造するわけにもいかないし。それで噂が広まればこの麗しい目に睨まれるであろうし、面倒なことになるのは目に見えている。
「強いて言うなら」
つと歩みを止める。
「健康であること、とかか」
「強いていうことですかそれ」
もっとこう、花も咽せるような美人が良いとか、豊満な方がとか、胸周りは三尺は欲しいとか、見目のことについて言ってもらわねば。話の種になるようなことを言えば良いわけであるので。
「あまり真面目に考えずとも、下女達の楽しみに毛を生やすくらいのものですから」
逸脱しないくらいのくだけた内容で構わないくらいですよ、と任氏を見上げる。
「そんなものか。まぁ考えると却ってわからんのかも知れないな」
ふむと顎に手をやりちらとこちらを見てくる任氏は、数秒遠い目をした。
「あまり適当に冗談めかすと変な評判が立ちそうだなぁ」
「それはご自分の匙加減で」
「となると考えねばならん」
「適当に浮かんだものが変でなければ、それで良いのでは?」
なんだかんだと言い合っているとよくわかるが、堅物ではもちろんないがやはりこの男根が真面目だ。真面目なのは良いが。
(変に真面目なのはモテないよなぁ)
しかし大事なものを失った宦官にモテは特に必要もないかもしれない。
第一宦官任氏は度が過ぎた美貌で男女問わず付け狙うものがいるので、本人としても更に必要ないだろう。全く余計な世話であった。
「ならば、話の種にちょうど良い類のことを聞いてくれた方が早いな」
それで良いならば、確かに話は早い。
…ものの尋ね方を考えていなかったな。頼み事をするにはちと迂闊だった。
「それでよろしければ」
ということで早速、つらつらと考えながら尋ねてみる。
「では単刀直入に、胸周りは大きい方が良いですか?」
「そこからか」
はじめの質問としてはどうやら不適切だったらしい、少々呆れた顔をされた。
「まぁいい。…大きければ良いというわけでもない」
「なるほど美乳派と」
「何故そうなる?」
「違うのですか?」
「別に、好いた者ならば…いやもうそれで良い」
任氏は多少ゴニョゴニョと不服そうにしたが、ふいと目線を外してしまった。
うーむ何派だとかないのかもしれない。どうでも良いが、話の種としては少しわかりやすくさせてもらう。
とりあえず、気配りかどうか知らないがこちらの胸を見てこなかったあたりは合格だった。慎ましい方が好きだという線もあながち捨て切れないが、小姐ちゃん達のの豊かな果実が好きな私にはそれは特殊趣味としか思えないので余計なことは聞かないでおく。
「では美人と可愛らしいではどちらが」
「…敢えて言うなら可愛らしい方だろうか」
(ん?)
やけにちらちらと視線を投げられた気がするが、まぁ気のせいだろう。
つづけて豊満さ、背丈、髪なども聞いてみたが、別に特段のこだわりはなく、とにかく好いた者が健康ならばそれが一番良い、というような答えであった。
「なるほど、わかりました」
「面白みはないだろうなぁ」
面白みがないなぁ、という顔をしていたのだろう。
任氏は目をじろりとさせると、うむと顎に手を当てもう一捻り考えようとしている。
「これはどうだ?肌が美しく、しっかりと自分を持っている者が良い、というのは」
「それはいいですね、話の種にはなると思います」
そう返すと、そうかと少し満足気な顔で任氏はにこりとした。
「…?どうして嬉しそうなんですか?」
「どうせなら薬屋の役に立った方がいいからな」
不思議な男だ、という顔で見ると、ふいとまたそっぽを向かれる。なんだろう、不機嫌というわけでもないし、照れているのだろうか。
「お前はどうなんだ?」
よくわからない御仁だ、とそのまま眺めていると、急に任氏が問うてきた。なんだかきらきらしているが、あの美しさを利用する煌びやかなものではなくもっと単純な、好奇心めいたものがその顔には浮かんでいる。
「はい?」
「好みというのは何かしらあるんだろう?」
ついさっき、変わったやつがいるなという顔をしていた癖に何故わたしの好みなど聞いてくるのだろう。しかもこの貧相な醜女に。この男こそ本当に変わっているんではないだろうか。
「はぁ、私の好みなど聞いてどうするんです?」
本当によくわからない人だ、と思う。率直に、任氏の言葉をそのまま返すことにした。
「それは、自分のことを聞かれたなら相手のことも気になったりするものだろう?」
「私ではないのですが」
だがどうやらその返事はお気に召さないらしい。ぷいぷいと不貞腐れた顔などしている。
まったく、子供のような顔をする、と微かな苦笑が頬に上った。
優秀な副官なしに仕事を回しながら気も回し、代わりの副官のことも気にかけるなどしているらしい最近の姿を見ていると、なんという差だろうか。
心を許している姿なのかも知れないが、もう少しくらい格好をつけても良いというか、そのくらいの見栄は普通ある齢だろうに。高順がいたなら、もっと威厳を持つように、と眉間の皺を深くしただろう。
「わかりました」
ふぅ、と小さなため息を漏らしつつ。面倒なことを聞いてくるのはやめてもらいたいのだが。
特段の好みというのはない。妓楼育ちで色恋を醒めた目で見て来た身であるので、こんな人が良い、などときゃいきゃい言わすことも勿論なく。こんな人間なら都合が良いだろうか、というのはあるが、それは好みというものでもない。
「とは言っても、任氏さまと同じであまり考えたことがないのですけど」
ちょっとばかり考えてみる。
「健康で子供好きなこと、くらいですかね」
「なんだ、俺と変わらないじゃないか」
任氏は拍子抜けしたような、それでいておかしそうな顔をしている。
それは最低要件のようなもので、そしてそうでもないと言える。
人の気持ちなぞ、どこでつながるのかわからないものだ。繋がりを持ったとして、それをさらに強めたいと願うか動くか、自分が決めることであり。どんな人だから心を惹かれる、というのは半分は後付けのようなものなのだ。だから不確定で曖昧でうすらぼんやりとしか見えない。
「まぁ気持ちと行いが大事、ということにしておいてください」
「それは、確かに間違いない」
意外な感触の同意だった。個人の好み云々の前に政治的な捉え方が主なのだろうと勝手に思っていたが。
「意外と、色恋派なのですか?」
そう問うと少し嫌な顔をされる。
「もう少し言い方というものがないか」
そう言うならばお前も色恋派ということになるだろう?と珍しくも半目で見られた。
だがすぐにおかしそうに破顔して、任氏は何故だか楽しそうに笑った。
「まぁたしかに、俺は政略には向かないがな」
どこか晴々として薄暗くなり行く道を見ている。
かなり位が高いのであろう貴人であるが、政略というものを重くは見ないのだろうか。
何者か、というのは詳しくは知らない。聞いたこともないし、聞くつもりも知るつもりもなかった。ただこの主人は一面においては大人として冷静に物事を判じ、一面においては子供のように無垢に一つ事を追うようなところがある。
「割り切れれば楽なんだろうがな。妾を娶る、というのも俺には理解できん」
「浪漫派なんですね」
「浪漫ではない、ただできるかできないかだ」
するかしないか、ですらないらしい。
なるほどするとこの御仁はたった一人大事にしたいと思う人間なのだろうか。もしかすると、虫のようにかんばせに群がる者達に余りに辟易しているのかもしれない。
やはり顔が良すぎるというのも考えものだな、と猫猫が少しばかり気の毒に貴人を見上げると、ちょうどこちらを見ていてなんだか居心地の悪い思いがした。
「そういえばもう一つあった」
ふと思いついたらしい。
「相手の見た目に踊らず、内面をみてくれること」
どうやら、大筋そういうことなのだろう。
「やっぱり真面目ですねぇ」
まじまじとその横顔を見てみる。
「派手なのは見た目くらいのものだ」
「後宮では役立てているでしょう」
「…場を御するのが楽なんでな、少しは恥ずかしいとは思っている」
きらきらと色を使うのは誰だよ、とまで言わないが。ありゃこりゃ不敬か、と舌を出しそうになった。任氏は少々複雑な顔で続けた。
「何もしなくても見た目ばかり騒がれる。ならば使えるものは使うさ」
いつも麗しい貴人の顔をしている割に、随分と余裕のない考え方だ。
ふーんと見返すと、任氏はおおよそそのようなことを思っていると読み取ったのか肩を落とした。
こういうのを嘆息というのだろう。力のない浅いため息が混じる。
「どうせなら、もう少し他に才が欲しかったがな」
特異な才もなく、見目ばかり与えられたという嘆き。
ため息と表情から、そのような印象を感じる。
だが、世の中は特異な才のないものが大半で、自分とて幼い頃から羅門の教えを受けてきたことや、薬学に邁進してきたことによる系統的思考の癖が身についているだけで、特別な才があるわけではないと思う。あるとすれば探究心の強さということになるか。
任氏でいえばそれは実直さにあたるのだろう。
「実直というのも一つの才だと思いますよ」
だからそのように言った。
「…そういうふうに言われると、存外嬉しいものだな」
目を少し丸くしてこちらを見返すと、任氏は頬にわずかな照れを浮かべてにこりと微笑んだ。
最近は嫌いなあの煌びやかな顔を向けてくることはあまりないが、代わりに少年のような青年のような顔をすることが多い。好奇心を浮かべたり、楽しげに笑ったり。
かんばせの良さはおいておいて、歳の割に幼さも含むその表情は嫌いではない。むしろとっつきやすくて好感が持てる。
つと、ちょっと揶揄ってやりたい気持ちが頭をもたげた。
「私ももう一つありました」
「なんだ?」
こころなしか、任氏の目がきらきらと光を反射しているように見える。それは好奇心の表れというよりは、もっと物理的なことにも見えたがよくわからない。
「こんな風に、笑顔が可愛いらしい人です」
しっかりと目を合わせてにっと笑って見せると、任氏の歩みが止まる。
きらきらしていた目が泳ぎ出し、困ったように眉が下がり、ぎゅっと瞼と口元が閉じる。照れくさそうな頬の色がまた濃く広がっていった。
「…照れているのですか?」
こんな風に、であって任氏とは言ってない。
少しでも自惚れるような素振りがあったなら、そう言ってやろうと思ったのだが。こんなにもわかりやすく、まさかそんなことを言われるとは微塵も思っていなかったとすぐにみて取れるような顔をされると、揶揄を重ねるのが虐めているかのようで憚られてしまう。
「あまり揶揄うな」
ぷいと前を向いてつかつかと歩き出すその背中には、だが不機嫌さは見えない。
それにしても、自分を例えの引き合いにされるだけであんなに照れた顔をするとは。
(案外可愛いところがある)
薄暗い中赤く染まる耳が随分とまた子供っぽい、とひっそり微笑んだ。
こんなちびに揶揄われたくらいで照れるとは本当に変わった御仁である。
その変わった御仁が、少し先で立ち止まって肩越しにこちらを見ている。どうやら私を待っているらしいその背中を、小走りで追いかけた。