「ねーねー、あなたは食べてもいい人間?」
「な、なんだ!?」
「前がっ、前が見えない!」
「どこだ、みんなどこにいるんだ!」
「これは……!」
シスターフッドと救護騎士団を襲った妖怪、それは真っ暗な球体だった。
正確に言えば、今現在襲われているであろう者の周囲を光も紅い霧も何もかもを漆黒に染め上げる闇が、混乱を招いていた。
「サクラコ様、これはどうしたら……!」
「落ち着いてください。あの妖怪からは特段強い力を感じません、偶々ここに居合わせた妖怪なのでしょう。それならば対処は容易いです」
「ひっ、か、畏まりました!」
ひどく動揺し、震えあがる一同をいつも通りの声色で宥め、落ち着かせたのはシスターフッドの長、歌住サクラコ。
彼女の態度こそがシスターフッドの気品の証。
シスターフッドたるもの清廉であれ。
普段通りの口調でありながら、シスターフッドの部隊はサクラコの言葉を聞いただけで冷静さを取り戻した。
「闇の中にいる者は伏せてください!」
「はいっ!」
「ん、あれー? どーしたのだー? おまえら死んじゃったのかー?」
「妖怪、お前は包囲されている!」
「行為を諦め投降しろ!」
「お前は今、我々シスターフッドの銃口を向けられている!」
「え、なに? なんなのだー?」
この行動力の早さこそが、シスターフッドの長である歌住サクラコのカリスマ。
彼女の言葉はシスターフッドの全てを貫くように部下のシスターを機敏に行動させた。
「サクラコ様、ご命令を!」
「……そこにいるのは低級の妖怪。身体の強度はあなたたちと大差ないくらいです。ならば……総員、マガジンの三分の一程度を闇に向かって一斉斉射「待ってください」──はい?」
サクラコの命令を止めたのは、救護騎士団の団長、蒼森ミネ。
蒼い翼を持つミネは、哀愁を抱きながらも確固たる意志を宿した瞳で、闇を見据える。
「──何をするのです、ミネ団長。このまま正義実現委員会に後れを取るわけにはいかないのですよ?」
「わかっています、サクラコさん。あなたのご意見は重々承知しています。ですが……サクラコさん、あなたは気が付かないのですか? この闇の中にいる妖怪が、どんな顔をしているのか」
「はい?」
「『幻想』から急にこのキヴォトスへとやって来て、右も左も分からぬまま、ようやくありつけた食事……この妖怪は今、飢えているのですよ」
その言葉の通りに、暗闇の中からぐう、と大きな腹の音が響いた。
そして、ぽたり、ぽたりとよだれの滴る音と、じゅるりと舌なめずりをする音。
「ええ。この妖怪は今、ようやくご馳走にありつけたのです」
「だからといって、このまま仲間を見捨てるわけには──」
「ですが! この妖怪は今、人肉という栄養配分の偏った食事を摂ろうとしている。しかも、飢えに飢えて胃の弱った体にっ! それはっ、それは許されざることです!」
「は、はあ……?」
「たんぱく質、ビタミン、炭水化物、ミネラル、脂質! そして何より身体の状態っ! ──たとえ妖怪であろうとも、人外であろうともっ!」
ミネの翼が、大きく広がる。
その手に握る、大きなライオットシールドの持ち手に強い力が加わる。
──その姿、まるで獲物を狙う鷲のようで。
「その身体に適した栄養を摂ることのままならない者には、救護が必要なのです!」
「いっただっきまー「救護ぉっ!!!」ふぎゃーっ!!!」
ミネは、飛んだ。
真っすぐと、暗闇の中でシスターを大きな口を開けて食べようとしていたその瞬間に、まるでミサイルか何かと見間違うようなスピードで、妖怪に突撃した。
そのまま、ミネはシールドに妖怪を押し付けられながら森の木々と妖怪とシールドのサンドイッチを作り……いくばくかの木をなぎ倒すほどの速度の突進を妖怪に与えて、ようやく一本の大木とシールドとのミルフィーユに作り上げて、妖怪はその暴力的なダメージの計算を終えたのだった。
「……」
サクラコは、唖然とした。
人命を救うはずの、トリニティの医術チームであるはずの救護騎士団が、このような暴挙に出るとは──いや、これをするのがミネ団長なのは分かりきってはいたが、いざ見てみると口が開いて止まらなかったのだ。
ミネは自らが押しつぶした妖怪の姿を見る。
気絶したことで妖怪が周囲に纏っていた暗闇はあっという間に消えていったことで、その姿が露わとなった。
なんともまあ、見た目だけはかわいらしい幼女なのだろうか。
ブロンドヘアーをして白いブラウスに黒色のスカートとベストを身にまとうその女の子は、見た目からは人を喰らうなんてことをするとは到底思えなかった。
だがしかし、それが妖怪。
可愛らしい女の子の姿なのは、そっちのほうが人間を効率的に食べられるから。
妖怪とは、目的のためならいくらでも残酷なことを行える。
それが妖怪なのだ。
「…………あばら骨5か所の骨折、背中数十か所に軽度の擦り傷と軽度の打撲、胴体をはじめ全身複数個所に内出血の恐れあり、虫歯8か所、口内炎2か所、軽度の歯肉炎、そして極度の空腹による栄養失調です。──至急この妖怪に応急処置を行います!」
「は、はい!」
しかし、ミネはそんな妖怪に対してきぱきと診察を終えて治療を始める。
彼女の部下であるハナエとセリナ、他の団員たちはミネ団長の応急処置の援護を行い始めた。
そんな救護騎士団の下に、サクラコが急ぎ足で駆けつけた。
「ミネ団長……この妖怪を、どうするつもりで?」
「質問を返すようで恐縮ですが、妖怪が人を喰らうのはどうしてかサクラコ様はお考えでしょうか?」
「はい? ……人間から、恐怖を得るためでしょう?」
「はい。妖怪が人間を襲うのは主にそれが理由です。しかし私は、それが妖怪たちにとって一番生きるために手っ取り早いからだと推察しています」
「……本当に、何をするおつもりですか?」
サクラコからの疑念は尽きない。
まるで、いや、まさしくミネの行動は木の下で目を回しながら気絶している妖怪を助けている。
妖怪は人間を食べる悪い生き物、そう調べられ、話され続けているキヴォトスにおいて、その行動は異端もいいところだった。
「私がやることなんて、決まっています」
しかし、ミネの口調は一切変わらず。
サクラコの無意識ながらに迫力あるその一言にミネは怖気づくどころが先ほど以上の意思と信念をもって、その答えを説いた。
「救護です。妖怪の怠惰の暴食という因習を壊し──節度ある健康的な食生活を作り上げるための!」
紅い館──紅魔館には無数の妖精がメイドとして召し使われていた。
紅魔館へと攻め込んだ正義実現委員会の過半数はこのメイド妖精への迎撃に専念を始めて、その隙をつくように作戦通りにマシロ、イチカ、ハスミは館内の捜索を開始した。
「ここが紅い館の図書館……トリニティの中央図書館といい勝負ですね」
マシロは館の廊下を進んでいき、館の他の扉とは雰囲気の異なるゴシック調の大きな扉をそっと開け、その中へ入る。
そこは話にあった図書館だった。
その規模は我らがトリニティの誇る中央図書館とどっこいどっこいと言ったところ。どちらも迷子になるほどに広い本棚の迷路だった。
とはいえこの紅魔館の図書館はトリニティの図書館に比べてかなり暗い。
照明自体はシャンデリアから発せられているが、その灯りはほのかなもので、全体を照らしているかと言えばそうではない。さらにはカーテンもかかっていてその雰囲気はどちらかというと古書館に近かった。
「このあたりに魔法使いがいるはず……ん?」
物陰に潜みながら、マシロは周囲の索敵を開始した。
今自分がいる場所はこの図書館の暫定2階。一番下の本棚から見て一段上の足場にいる。
この図書館は見る限り3階造りで、どの階層にも本棚がこれでもかというほど所狭しと敷き詰められていた。
魔法使いがいるのはどこか。
祭壇があるのはどこか。
マシロはこの中に少なからずいるメイド妖精に気付かれないように移動しながら見て回っていく。
すると、他の妖精とは背丈が1.5倍ほどありそうな少女の姿を確認した。
「あれは……悪魔?」
「小悪魔さん、この本はここでいいんですよねー?」
「あ、はい。そのアラビア語版アルマンダル3巻はその位置です。それでそちらのポルトガル語訳ヘプタメロンは向こうのコーナーです」
「はーい」
マシロが見たのは妖精たちのリーダー的存在として指揮をしている、司書の服を着た少女。
その少女からはまるでゲヘナ生徒のような悪魔的な雰囲気を感じ取ったマシロは、あの少女を小悪魔だと看破した。吸血鬼の住む館なのだ。小悪魔ぐらいいてもおかしくないとマシロは把握した。
しかし、だからといってあの小悪魔を撃つかと聞かれたら、答えはノーだ。
撃ったところで状況が好転するわけでもない。
ましてや侵入していることを含めた居場所がバレてしまう可能性を考えると、関わらない方が良いまである。
「そういえば、パチュリー様はさっきからなにをしているんですか?」
「えっと、紅い霧の魔法を効率上昇と安定化させるための術式を組んでいる最中ですので、奥の書斎には近づかない方がいいですよ」
「ええっ、でも、その近くにこの本を片付けなくてはいけなくて……」
「それは……確かにパチュリー様の書斎近くの本棚ですね。わかりました。これは私が代わりに持って行ってあげます」
「いいんですか!?」
「大丈夫ですよ。任せてください!」
物陰に隠れながら妖精たちと小悪魔の会話を聞いていると、とても重要なメッセージが出てきていた。
「魔法使いは、今は祭壇の傍にいる……!」
そして、小悪魔がその近くへと行くというのだ。
これは後を追わなければならない。
マシロは1階へと静かに飛び降りて、逸る気持ちを抑えながら、いつでも自慢の対物ライフルを撃てるようにしながら、至る所に仕掛けられた魔法製の罠を避けつつ小悪魔を追っていった。
魔法製の罠は良く目を凝らさなければ見えないレベルで透明にカモフラージュされた魔法陣式の地雷のようで、そこを踏むか手を触れるかすれば発動するようだった。
この暗い場所でそれを見分けるのは難しいものだが、一流のスナイパーたるマシロにとって目の前の遺物を見つけることは1キロ先のサクランボを見つけることと同じくらい容易いものだ。
ひらり、すらりと罠を避けながら、小悪魔の後を追っていく。
「……ん? 誰かがいるような……?」
「(いないですよー)」
「……いませんか。気のせいですよねー、妹様が暴れているわけでもないんですから」
「(……妹様?)」
その最中、さすがに奇妙な雰囲気を感じ取ったのか、小悪魔が周囲を見渡したが……マシロはすっと身を隠したので、小悪魔は気づかなかった。
その時に気になる言葉をマシロは聞いたが──いくつかの本棚の向こう側で膨れ上がる魔法の気配に意識を奪われてしまった。
「あれっ、今の魔力──どうしたんですかパチュリー様ー!?」
「…………行かなきゃ!」
まるでその気配は風の吹かない爆発のようで、衝撃波だけが触覚を静電気のように刺激した。
マシロは魔法使いでもないので、魔法のことは何も分からないが、あそこで何かが起きていることはよくわかった。
今の衝撃波の位置に、魔法使いがいる。
それを悟ったマシロは、良い感じの狙撃位置として3階の足場がちょうどいいと思い、そこに移動した。
この図書館は2,3階が吹き抜けになっていて、1階を見下ろせる形になっている。
この構造ならば、衝撃の発生源的に考えて1階にいるであろう魔法使いを射抜けるはずだとマシロは考えたのだ。
「パチュリー様! 今の魔力の衝撃は一体……」
「おちつきなさい。ただの魔力の過反応よ。すぐに収まるわ」
小悪魔が急いで駆けつけた書斎では、複数の本が無造作に散らばっており、その中央では紅い霧のようなスモークをモンモンとため込む透明なボールが魔法陣の上に優しく置かれていた。
どうやら先ほどの爆発で本が散らばってしまったようだった。
「(あれが魔法使い……)」
そこにいた魔法使いはずいぶんとラフ、というか外出を想定していないような恰好だった。
分かりやすく言うのなら──パジャマ、に非常に近い寝やすそうな紫色の衣装に身を包んだその少女は半目で周囲の魔力を調節していた。
マシロは静かに銃口を魔法使いに向けた。
魔法使いはマシロのスコープの中央に収まっている。すぐ後ろに小悪魔がいるが、マシロに気付いている節はない。
いける。
──深呼吸。
──すう、はあ。
──…………引き金を引いた!
「小悪魔、防御よ」
「えっ、何──ぎゃっ!!?」
「っ!?」
その瞬間、魔法使いは小悪魔を盾として使い、マシロの弾丸から己を守った。
そこまでは理解できたが、今の小悪魔の挙動はなんだ。
まるで無理やり動かされたような、それでいて魔法使いは今の会話中一切動いていない。
ただ、小悪魔と話していただけだった。
「これが、魔法……」
「そんなものじゃないわ。契約よ」
静かに唇をかむマシロに、魔法使いはそっと視線を向ける。
居場所を看破されてしまって、自分の位置をわかっていたのかとマシロは冷や汗をかく。
「小悪魔は私の契約悪魔なのよ。そして、私の傍にいるときには一回だけでも私を守るようにと、そういう契約を結んでいるのよ」
「吸血鬼のいる屋敷だから、小悪魔なんて普通にいるものだと思っていましたが……当てが外れた」
「レミィは悪魔ではないわ。まあちっぽけなことしか習ってない生徒からすれば、大して変わらないでしょうね」
「……私の位置を分かったのも契約ですか?」
「それは魔法。魔法と契約の違いも分からないなんて、やっぱり生徒なんかでは私の相手にはならないわね」
そう言いながら、魔法使いは足元に魔法陣を手を使わずに描き、それにより跳躍する。
軽々と飛び上がった魔法使いの身体は、ふわりとした滞空の後にすとんとマシロにいる3階に着地した。
「それにしても、私を狙うだなんて一体誰の入れ知恵かしら?」
「教えると思いますか? トリニティを紅い霧で埋め尽くしたあなたたちに」
「ずいぶんと敵意を見せてくれるわね。そんなに私、迷惑なことをしちゃったかしら」
「シラを切りますか。まあ、あなたがどんな態度を摂ろうとも私の対応は変わりません」
そう言って、マシロは再び銃口を魔法使いに向ける。
さっきはダメだったが、こうなる可能性だって予測できなかったわけではなかった。
そうなれば次に行うのは──射撃戦。
自分の扱うアンチマテリアルライフルは小回しが難しいが、それでもできないわけではない。
「その銃、ずいぶん扱いずらそうだけど……やるの?」
「それが私の正義ですから」
「……そう。なら、私も正義のために戦うわ」
「異変を起こすような人に正義があるものですか!」
マシロの言葉に、魔法使い──パチュリー・ノーレッジはむっとした顔で言い返した。
「あるわよ。どんな人にだって、守りたい正義の一つや二つぐらい。私にも、レミィにも」
「周りの人を迷惑にして得られるものが正義だと思うのなら、私はそれを正義だとは認めません!」
「……分かり合えないようね。残念だわ」
「あなたたちが直ちに紅い霧の発生を停止させれば、分かり合うこともできるでしょうけど」
マシロの発言に、パチュリーは少しの間目をつぶり、そして近くの本棚から自身の周囲へといくつかの魔導書を取り寄せて浮かばせ、魔法陣をそれぞれの魔導書に構築した。
そして目を開ける。
「なら無理よ。それでは、レミィの正義は守れないもの」
今の一瞬に、パチュリーは何を思ったのだろうか。
マシロは考えない。誰かを傷つけるだけの行為に正義は名乗れないから。
だがしかし、仮にそれでも名乗れる正義だったとするならば。
きっと、パチュリーは今の一瞬で、誰かの何かしらの強い意志をくみ取ったのだろう。
思い出して、受け入れて、そして戦う姿勢になったのだろう。
その瞳は、先ほどまでの眠たげな瞳から打って変わって冴えた切れ味のある目となっていた。
「一応名乗るわね。私はパチュリー・ノーレッジ。この図書館の持ち主なのよ」
「……トリニティ総合学園1年、正義実現委員会の静山マシロ」
「この図書館に、硝煙の香りなんてものを付けるのはやめてほしいのだけど……」
「──正義を実現します!」
「ま、無理よね」
「──奇妙です。この館、外観と構造が合致しない」
ハスミが館の廊下を走りながら、感じた違和感についてイチカと他の正義実現委員会の部員に呟いた。
ハスミの感覚が正しければもうすでに数キロは走っており、館の壁にぶつかってもおかしくないはずなのだ。
それなのに今なお自分たちは廊下を走っており、道の先は未だ見えてこないのだ。
「さっき、窓の向こうを見てみたんすけど……私たちのいる位置が数分前の窓の向こうと変わっていなかったっす」
「変わってない? ……空間が、誤魔化されてる?」
「こっちにいたぞ!」
「迎え撃ちます!」
考えを巡らせるハスミたちの道中に、妖精が現れるが、それは自分たちが知っている妖精の姿ではなかった。
背が伸びているのだ。
具体的に言えば、小学生程度のこじんまりとした背丈が、高校生ぐらいのすらっとした体形になっていた。
この紅魔館の環境が、妖精をメイドとして成長させたのだろうか、彼女たちのお家事能力は高く、戦闘能力も高い。
正義実現委員会の一般部員が数人がかりでないと倒せないレベルの難敵だ。
「妖精メイドたちです!」
「迎撃します!」
「ハスミ先輩、考察はいったん置いといてあいつらに対処を──」
「ええ!」
だが、彼女たちはそんな敵を相手にすることは難しくない。
妖精たちにはチームワークがなければ連携もなく、ただ不思議な力で弾幕を撒いたり突進してくること以外にできていないのだ。
物陰に隠れて弾幕の間からきちんと狙い撃てば、対処できない相手ではなかった。
むしろゲヘナからやってくるテロリストの方が厄介まであった。
「──対処完了。敵メイド妖精、周囲に確認できません」
「ハスミ先輩、このまま進むんすよね?」
「はい。肝心の吸血鬼は未だ見つかっていません。先ほど軽く取り調べた妖精によると、屋敷の奥にある階段を昇って行った先の紅魔の部屋にいるとのことですが」
「階段……この先にあるんすかねえ……」
イチカは若干諦めが入った口調でこの道の先を見つめた。
走れど走れど同じ景色。正直進んでいるのか全然わからない。
ひょっとしたら、同じところをぐるぐる回ってしまっているのでは──と、考えてしまうのも無理はなかった。
他の正義実現委員会の一員たちにも同意見の者たちが少なからず現れ始めていた。
「そう思うのも無理はありませんが、ここまで時空をゆがめて道を作っている以上、この先に階段がある可能性を見逃すわけにもいきません」
「それはそうっすけど──」
「残念だけど、この先には階段はないわ」
瞬きの間に、その女は現れた。
まるでマジックのように、パッとイチカたちの目の前にそのメイドは現れた。
先ほどまで、数秒前まで、そこには誰もいなかったはずなのに。突然、唐突に現れたのだ。
「ここが空間をゆがめて作り出した空間だと、気付けたのは良かったけど……引き返そうとしなかったのは減点ね」
「(……この気迫、この人がチルノちゃんの言っていたメイドっぽいっすね……!)」
「その姿……あなたはまさか、人間ですか?」
ハスミがまさかもしやと思い、恐る恐る問う。
他のメイドと異なり、その女には羽が付いていなかったからだ。
それでいて、妖怪特有の気配を感じず、まるで自分たちと同じような雰囲気しかハスミには感じられなかったのだ。
「ええ。私はお嬢様に仕えるメイドたちの長を務める人間、十六夜咲夜」
「いったいなぜ、人間が妖怪の手下に……」
「別に何でも何もいいでしょう? メイドが誰に仕えても──私が、あなたたちの敵になっても」
「ハスミ先輩、彼女は『幻想』の……」
「わかってます。ですが……そんなことがあるのですね」
人間と妖怪は分かり合えない。
そう思って、戦ってきた。異変に向き合い、対処してきた。
何重もの妖怪を撃ち倒してきたハスミにとって、妖怪の理屈に合わせられる人間はいないと、錯覚していた。
どんなに人間の振りをしようとも、妖怪は妖怪。
最終的に人を喰らうことは決まっている。そう思っていた部分があった。
しかし、目の前にいるのは人間。妖怪に仕える人間だったのだ。
目の前にいるのは、自分の価値観を変える存在なのかもしれないのだった。
「……咲夜さん、あなたはここで働いてどれくらい経つのかしら?」
「なんで見ず知らずの人に私の職歴を話さなくてはいけないのかしら」
「それはそうっすよね」
「うっ……」
「私は生まれてからメイドとしてしか生き方を知らないわ。だから、お嬢様のためならなんだってしてあげるつもりなの。──あなたたちの排除も、お嬢様が喜ぶでしょうね」
そう言いながら、咲夜はスカートに隠したナイフホルダーから銀のナイフを何本も手に持つ。
正義実現委員会もまた、銃口を咲夜へと向けた。
「あらかじめ言っておくけど、あなたたちの弾丸は私には届かないわ」
「言ってくれるじゃないっすか。私たち正実の弾幕、舐めてかかると痛い目みるっすよ」
「咲夜さん、投降してください。私たちの弾丸があなたに着弾する方が、あなたがナイフを投げるよりも早い」
数秒間の硬直、その末に、咲夜は笑いを零した。
「ふふふ……」
それはあくまでヤケクソだからとか嫌な気分を笑って誤魔化すとかそう言うことではなく、ただただ可笑しくて、可笑しくて笑ってしまったのだ。
「……何がおかしいんすか?」
「“早さ”を言うのであれば、この場にいる誰よりも、私が一番早いのですけどね……──」
その言葉の一瞬後に、複数のナイフが投げられていた。
幾つもの銀色の閃光が、自分たちへと向かってすでに向かっていた。
まるで突風のように、ナイフが飛んでいた。
咲夜の手元からはナイフはとっくのとうに消えていた。
すでに投げられていた。目の前にあるのがそれだとすぐに気が付いた。
だが──いつ投げられたのか。それだけが本当のい分からなかった。
それに対し、半数以上のメンバーは銃を盾にしたり、躱したりしてナイフの突風を耐えることができたが、少数でもない人数がナイフを喰らい軽くない傷を負った。
「今のは一体──」
「冥途の土産に教えてあげるわ。私は時を止められるのよ。その力で、さっきは止まった時間の中であなたたちに向かってナイフを投げていたわ」
「時間を、止める……無茶苦茶な能力じゃないっすか!?」
咲夜は再びナイフを構える。
「ええ。止まった時の中で、あなたたちは倒されたことすら理解できずに倒されるのよ」