アイルトンシンボリ編 ⓪「馬主さんの裏話」
「なるほど……まさか、馬主様の関係者からストーリーを持ち込まれるとは」
202x年のある日。
東京に本社を置くとあるソーシャルゲーム運営会社。
その会社が展開しているゲームタイトルの一つに、『ウマ娘プリティーダービー』がある。
昨今、日本のサブカルチャー文化において、特にメディアミックス業界には、例えば戦艦が人になったり、銃器が人になったりという、いわゆる「擬人化モノ」が日本の人気コンテンツの一角を占めている時代である。
その中でも社会現象(もちろん良い意味で)を巻き起こし、時代を変えるような存在へと昇華するコンテンツとなると、日本の一般人が思いつくモノといえば片手に収まるほどに留まってしまう。
『ウマ娘プリティーダービー』は、まさにそんな化け物コンテンツの五指に入る存在と言えるのだが、先ほども述べたようにこの作品も大枠で見れば擬人化モノ作品の一つに過ぎず、この作品では日本を始め競馬で時代を彩った競走馬たちを女の子のイメージに当て嵌めて描いているのだが、これが社会現象を引き起こすことになろうとは、生み出した本人たちですらアイディアを思いついた最初は想像もつかなかっただろう。
ちなみに、その某ソシャゲー運営会社に直接プロットを持ち込んだ本人はこれについて、
『笑○といい、ウマ娘といい、酔っ払った勢いで出てきたはずのアイディアがとんでもなくバズってやがる! これでうまぴょい伝説が酔った勢いで歌詞を作ったもんじゃないってのが色んな意味でやべーな』
と、某青い鳥のSNSにて呟いたことがあるのだが……まぁ、ここで言う必要もないな、と唾と同時に自分の心の奥に飲み込んだ。
「えぇ、まぁその……曲がりなりにも同人誌を描かせて頂いてる分際でこんなものを持ち込んで恐縮ではありますが、父に試しに見せてみたら、「……良いじゃないか。これを本社に持ち込んでくれ。このシナリオが完成したら見てみたい」とまで言われてしまいまして」
「お父上が?」
「はい」
「なるほど……なるほど、馬主様公認、ですか……うーむ……」
対応をした社員たち─── その『ウマ娘プリティーダービー』にてシナリオ監修とキャラクターデザインを担当している部署の課長や部長クラスの人たち───の目の前にいる若干20代の青年。大学を来年には卒業する身分で、同人活動はあくまでも趣味の範疇。
それ故に、彼が持ち込んだシナリオは彼らや彼らが雇っているプロのライターたちの腕前に比べるとあまりにも拙い。拙いが、ウマ娘のストーリーコンセプトには合致する部分も多々あったことも事実であり、彼が持ってきた「可能性」は、彼らの興味を引くには十分だった。
「このキャラクターデザインはどこかで見た覚えがあるような……?」
「あ、わかります?」
「「……」」
キャラクターデザインについて、何処かで見たことがあるような、という社員からの指摘に青年は頭を掻く。
実を言えば、彼らもネットに転がっているウマ娘の二次創作コンテンツを多少なりとも目を通している。故に、その「ネットで転がっていたもの」とデザインがほぼほぼ一致していて、それを等身大に引き伸ばしたようなデザインのキャラクターを持ってきたため、これをこのまま使うわけには行かないだろうな、と2人は悩ましい表情を浮かべた。
だが、
「実は……あのキャラクターって、僕が元々作ったモノなんです」
「……え? 今なんと?」
「あ、はい。このキャラクターですが、元々自分が作ったキャラクターでして……ほら、これをどうぞ」
「「?」」
青年は自身のスマホでとあるサイトにアクセスしてあるものを見せた。
「日付は……2018年12月31日?」
「はい。ウマ娘のアニメの第一期を見て、実家のお馬さんを試しに擬人化してみたんです。それを父に見せたらすぐにどの馬かわかったと言ってました。で、そのデザインの勝負服をもっとそれらしく仕立て直したのがそのカラーイラストになります」
「ほう……」
例のネットミームが「ふ○ば」で流行り出したのは、アプリがリリースされた直後の2021年の中頃だったはずだ。しかし、この青年が持ってきたイラストはそれよりも2年半も前に某イラストサイトに投稿されていた。
彼らもこのサイトを利用しているので、再投稿をした形跡が無いことはすぐにも分かった。
「父はこの子……の元になった馬が危うく廃用になりかけたのを、慌てて札束を叩きつけて連れ帰ったそうです。僕がまだ子供の頃からいたお馬さんたちが、実はそこそこ名の知れた競走馬だったと教わったのは父と一緒にテレビでウマ娘を見た後のことでした。そこからでした。僕も競馬に興味を持ち始めたのは」
「ということは……」
「はい。この子の元になった馬の戦績を見た時に僕が真っ先に思いついたのがこのシナリオでした。ただ、義姉からは笑われましたけれども……」
「そ、そうですか……」
そういえば、この目の前の青年が実はとんでもないVIP関係者だったことを再び実感した。
そもそもまず、彼の持ち込んだ彼の父の名刺と、その父が書いたとされる紹介状を見ただけで事情を知っている社員なら道を譲ってしまうだろう。
何せ、
(あの黒松義隆氏の息子さんで、MITSURUさんの義弟さんだぞ……失礼があっては今後ウマ娘に出してもらえなくなってしまいかねない……)
あいにく今日は社長や重役が会議のため出張中であり、たまたま本社に居残っていた幹部クラスがこの2人だけだったために応対する羽目になったのだが、本来であれば自分たちが対応していいような範疇ではない。
しかし、青年は、
「あ、いいえ、むしろシナリオとキャラクターデザインの担当部署のお二人とお話ししてみたかったので」
と、はにかみながら、やや緊張した状態ながら、彼は持ち込んだシナリオとイラストを2人に見せて今に至る、というわけだ。
しかも、先ほども言ったが、この青年が描いたシナリオはど素人の産物であり、とてもこのままでアプリ版に組み込むのは無理があった。
本人も「それは仕方ない」と述べていた、いたのだが、肝心の馬主様本人が「これ」をアプリ版で是非見たいと言ってきた。
実際に紹介状にも青年が拙いながら書き上げたストーリーについて賞賛しており、さらには文末に「馬主権限を傘に着るようでご迷惑かもしれませんが、出来ればこの方向性でストーリーをお願いしたい」とまで言葉を添えてきた。
これはクリエイターとしても、会社の評判を考える立場としても激しいジレンマを伴う。
もしも突っ返したり見なかったことになんてしたら、今度は国を相手にする羽目になるかもしれない。
この青年、見た目は貧乏学生でどこにでもいるような凡人だが、その実は、とある戦国武将をご先祖様に持ち、彼の親族親戚は九州を中心に支持基盤を持つ実業家兼政治家一家の実力者、今の日本を明るい方向に動かすべく奮闘してきた人々の血を引いている。
下手な対応をすれば会社ごと潰されてしまいかねない。……青年の父や彼の一家はウマ娘というコンテンツを気に入っている上に、その親族や義理とは言えそのご家族が今のウマ娘の世界観の構築に一枚噛んでいるため、恐らくはそこまで極端な行動に出てくる可能性は低いだろう(ただし、いざ潰しに入ってきたらそれが出来てしまう力を持っている)。
「このシナリオ、実は父がこの馬に見ていた夢なんです」
「……というと?」
「この馬───アイルトンシンボリですが、父はデビューした時から応援していた馬だったそうです。しかし、この馬がデビューした当時の中央競馬の環境……きっとご存知かと思いますが」
「「……ああぁー」」
「確かに」
「そういう意味での「If」というのも、確かにウマ娘ならでは。ですね」
「はい。改めて考えてください。アイルトンシンボリがデビューしたのは
青年の言わんとすることは2人にも理解でき、頷いた。
……理解できていない方がいるかも知れないので、その方のために改めて説明しよう*1。
アイルトンシンボリ。
別名「ブルーエスケープの1989」。
生涯戦績は25戦6勝。内G1挑戦は7回だったが、それらG1で競った優勝馬を調べるとウマ娘でほぼ必ず聞いたことのある名前に突き当たるはずだ。
アイルトンシンボリがデビューしたのは1992年だが、この年の三冠レースで活躍した名馬といえば、青年が述べたようにミホノブルボンとライスシャワーのようなクラシック三冠を勝利したG1馬を始め、ライスシャワーの
さて。ここで、青年が口にした「ダートは?」という話の意味であるが……。
今でこそ、中央競馬にもダートの重賞が多数存在し、G1ではフェブラリーステークスやチャンピオンズカップ*2がある。また帝王賞、東京大賞典、かしわ記念に浦和記念にさきたま杯、ジャパンダートダービーに川崎記念、JBCのクラシック・レディスクラシック・スプリントに2歳優駿、さらにはこの青年の世界には存在するJBCステイヤーズも含めたJBCシリーズなどの交流重賞も存在する。
きっとそのほとんどが、ウマ娘をやって競馬の知識を齧った程度の人ならば聞いたことのあるレースばかりだろう。
だが、1992年当時はどうだったかというと。
実は交流重賞という概念はまだ存在せず、フェブラリーステークスもG3止まり、ジャパンカップダートも無ければJBCシリーズも存在しなかった時代である。ついでに言えばジャパンダートダービーすらもまだ無かった頃だ。
だからウマ娘のアプリ版みたいにダート適正をAに上げたマルゼンスキーでジャパンダートダービーを勝たせたり、シンボリルドルフでJBCクラシックに出走したり、なんて芸当も、実は現実の世界では全く出来ないような時代であり、中央で活躍するダート馬にとっては長らく試練の時代が続いた。要は「ダートを走りたければ地方へ移籍しろ(意訳)」という、そんな時代だったわけだ。
ちなみに、フェブラリーステークスのG2昇格が1994年であり、G1への昇格は1997年まで待たなければならず、そのG1格上げ時の初代勝利馬がシンコウウインディである。
やっと交流重賞という概念が登場するのが1995年からであり、この時アイルトンシンボリは5歳。競走馬としての全盛期は既に過ぎてしまっていた時期だった。
そして、青年がアイルトンシンボリの戦績を調べていて気付いたことといえば───。
「未勝利戦がダートで勝利していて……もしもあの時代にダートの中央重賞がもっとあったり、あるいは交流重賞が存在していたなら、アイルトンシンボリの馬生もまた大きく違ったものになっていたかもしれない。その点、実は父と意見が一致してまして」
「まぁ……
「ハグロフォルゴーレ……そういえばあの馬といえば有名な『
「あ。あはは……父がご迷惑を……」
「い、いえいえ、そういう意味ではなくて。むしろ話のタネを提供して頂きまして、こちらが感謝したいぐらいです」
「同室がダイタクヤマトですか」
「なるほど……ハグロ牧場さんに買い取られた馬同士という繋がりですか?」
「あぁ、それにあの動画みたいに?」
「あ、はい。実際、二頭は仲が良いんです。だから2人を同室にするアイディアは割と早く決まりまして。ダイタクヤマトのシナリオも今作っているところなので。完成したらお見せしましょうか?」
「あ、いや、今度はメールで送っていただければ読ませていただきます。ところでこのアイルトンシンボリの育成シナリオですが、もしかして……?」
「あ、はい、イナリワンを参考にさせていただきました。あの育成シナリオをやってみてさらに解像度が上がったような感じです。それに……」
「それに?」
「……アイルトンシンボリ。実馬の方は、僕の実家の牧場という安息の地に辿り着けましたけれども、ウマ娘のアイルトンシンボリにも、これを反映させたい思惑があったんです。テーマもあります」
「……テーマ、ですか?」
「はい。それは───」