pixivで毎度お世話になっているTK様より、
ウマ娘のアイルトンシンボリを描いていただきました。
【挿絵表示】
たぬき(ウマ娘)に登場した娘のデザインが個人的には「ウマ娘アイルトンシンボリ」のイメージとして定着しているのもあって、一からデザインを引き直すよりも、等身大にする際にデザインを襲来させていただきました。
ただ、元々のたぬきのデザインでは、右の耳に飾りやマークらしきものがなかったので……TK様との相談の末、白の3本線を右のイヤーカバーに追加してます。
※本作品は本編にて2023/05/30 21:30に投稿したものを再掲載したものでございます。
───あれはボクが小学生だった時。
塞ぎ込みがちだったボクを伯母さんが船橋レース場に連れ出してくれた。
そして、さざんかテレビ杯を現地で見て、ウイニングライブで盛り上がって。
夜遅い家路になったものの、ボクの興奮は冷め止むことはなかった。
「伯母ちゃん、すっごく楽しかった!!」
「うんうん、良かったよ、アイリがそんな喜んでくれるなんて伯母ちゃんもビックリだぁ」
帰りの電車は終電で、ギリギリ乗れた。
家に着いたら午前様になっていたと思う。
そうして伯母さんに手を繋がれながら家に戻ると……。
「……おかえり」
待っていたのは……鬼の形相をした母。
「一体どこ行ってたの!!!?」
夜はもう午前1時になる時間だったと思う。
伯母さんは「ちょ、声抑えて」、「近所迷惑」と、母を必死で宥めていたのだが、「どこ行ってたの!?」という母の問いに伯母さんは、
「ちょ、ちょっと、さざんかテレビ杯を見にレース場へ……」
と歯切れ悪く答えた。
……これが火に油。まるで、燃料に引火、大爆発したかのように、母は激怒した……。
「はぁ!? 何してくれてんの!!?」
「だ、だって、アイリの気晴らしになればと思って……」
「あんた、私の夫、その子の父親が何で死んだのかわかってたはずじゃないの!? なんでそんな無神経なことをわざわざ!?」
母は父が亡くなって以来、「レース」というものを嫌うようになった。
車のレースに限らない、自転車、ボート、ヨット、航空機……果ては、駅伝やマラソンなどの陸上競技に至るまで「レース」と名前のつく競技から母はボクを必死で遠ざけようとしていた。
……それは、母もボクも、父が亡くなった時の大クラッシュを生で目撃してしまったせいでもあったのだから。
母は時々、あの時の父の亡くなり方を夢に見て魘されていた。
それはボクも同じだった。
だから、母の気持ちは嬉しかった。
……だけど、この時、ボクは伯母さんを味方した。
「ママ。待って。叔母ちゃんは悪くないよ」
「……」
後で伯母さんから聞いて、今ではボクも知ってる常識ではあるが、あの時見た「さざんかテレビ杯」の格付けはG2、しかも、ダート戦は人気がない。
それでも実際に船橋レース場の観客席から見たレースは、今でも心に深く刻まれている。
それはあの時も今でも同じ。
あのレースでボクの何かが変わった感じがした。
それを母に、足りない言葉でも必死に伝えようとすると、先ほどまで怒りの感情を露わにしていた母は沈黙し、伯母も含めて周りがシーンッと静まり返った。
「そ、そのね、今日見たレースね、すごかったんだ! 伯母ちゃんが応援していたウマ娘さんが一着でゴールしたときね、ボク、目の前がとっても綺麗に見えたんだ!」
「……そう」
そんなボクの言葉に、母は冷たくそんな一言を放って、
「……アイリ、さっさと寝なさい。それと、
その後、母と伯母が大喧嘩になったのは言うまでもないことだった。
でも、母はそんな姿をボクに見せたくなかったんだという。
それはボクもよく分かっていた。
だけど……人間の母と異なり、伯母はボクと同じウマ娘だった。
だからかもしれない。
あの夜の出来事があってから、ボクは「母を悲しませたり、怒らせたりするのはもうやめよう」、「二度とレース場には行かないようにしよう」。
そう固く誓ったはずだった。
自分でそれを紙に書いて、壁に貼るほどだった。
少なくとも、ボクの
……なのに、ウマ娘としての本能は、それから数ヶ月後、ボクを
───アイルトンシンボリがチーム[ライジェル]にやってきたその日の夜。
「……って事があったわけだよ」
「……それをわざわざ僕に相談するんですか?」
時計はそろそろ午後9時を指す頃。
トレセン学園にほど近いラーメン屋台「自主練」*1で、醤油ラーメンを食べてる男性2人。
正確には、1人は青年、もう1人は少年と言っても差し支えない風貌であるが、お互いに服に「中央トレセン学園のトレーナー」の証であるトレーナーバッジを見えやすい位置につけていた。
服装もまさに正反対であり、青年はTシャツの襟にトレーナーバッジを付けている簡素な雰囲気である。
一方の少年は、中央のトレーナーに支給されるようなスーツ姿であり、その襟にトレーナーバッジが付いている。
「信頼されているんだか厄介払いなのか……前者だと思いたいが、まさか「クラシック三冠を獲りたい!」って切望する
「矢萩さん、だからといってそれ、僕に押し付けないでくださいね?」
「失礼な。いつも他人に仕事を押し付けてる、みたいな、人聞きの悪いこと言うなよ射手園くぅ〜ん?」
「日頃の行ないでしょうに……」
青年の正体は矢萩トレーナー。チーム[ライジェル]のチーフトレーナーでもある。
一方、正装姿の少年は射手園トレーナー。矢萩の同期だが、彼より年下なので、一応矢萩には敬語で接している。
丘部トレーナーは、矢萩や射手園トレーナーらの大先輩であり、六平トレーナーとは双璧をなす中央トレセン学園所属の古株トレーナーの1人だ。
「大体、ルビーのトレーナー役を僕に投げたのも矢萩さんだったじゃないですか!」
「……まぁ、そうだな」
射手園トレーナーの言うルビーとは、「ダイイチルビー」というウマ娘のことである。
この世界において「華麗なる一族」と名高い名門一家からの出自であるお嬢様。
矢萩の担当ウマ娘であるダイタクヘリオスとメジロパーマーたちとは同期であり、特にヘリオスはルビーのことを「お嬢」と呼んでいる。
「そもそも、僕、
「おいおい、お互いに
「……それは……まぁ、確かに」
「だろ? だったら、マヤノちゃんのデビューを待つよりか、デビューが早いルビーちゃんを担当して経験を積んだ方が理に適ってるだろう? その方が
「そ、それは、まぁ、その……そうですけど……///」
この射手園トレーナーはそもそも年下の幼馴染のためにと必死に勉強して、史上最年少でトレーナーになった経歴を持つ、
ちなみに、彼の家系はウマ娘系の血が強いためか、本人は一応人間だが、前髪に流星のメッシュが入ったウマ娘の特徴も受け継いでいる。……これについてはまた別の機会に述べることにする。
そんな彼はマヤノ、という幼馴染のウマ娘一筋……であることは、射手園本人は無自覚。
対して矢萩や他のトレーナーたちにはそれがよく分かっている。故に矢萩に
なお、2人とも飲んでるのはただの烏龍茶である。
「で、でも、そのお陰で僕、今大変なんですけど!」
「そぉか? そのルビーちゃんにうちの
「阪神JFと秋華賞の直接対決ではルビーがヘリオスさんに負けてるんですが?」
「福島ジュニアステークスではルビーちゃんに妹が出し抜かれたぞ? 桜花賞でも先着されてるし」
「そもそも先輩がフィリーズレビュー*2を見てた時に言ってたじゃないですか。「ルビーを先行で走らせた方が勝てるかも」って。そのアドバイスに従っていなかったらどうなっていたか」*3
「俺はただ「言っただけ」。それを実行して先行で勝たせたのはお前の腕があったからだろ。実際、それを
「だって、ルビーの圧がすごいんですもん……彼女のバックにいる華麗なる一族も。いくらマヤノが本格化する前に実績を上げるったって、いきなりハードモードじゃないですか。しかも、彼女、レースのセンスもちゃんとあるし、余計にこれで結果出せないとどうなるか分かったもんじゃないですよ」
「だが、ルビーちゃんの出した試験を無事突破したのはお前だけだったんだから、お墨付き出てるじゃん」
「それは、先輩が早々に戦線離脱したからでしょ? しかも、ルビーを褒めればマヤノに拗ねられるし、逆も然りだし……」
「良いじゃねぇか。よっ、モテ男!」
「あぁん、もう! 僕とマヤノはそういう関係じゃないですよーだ!」
あまりのいじられっぷりに思わず矢萩をポカポカと叩く射手園トレーナー。
無自覚に幼馴染の名前が出てくる辺り、本当に無自覚なんだなぁと。やはり秀才で天才の飛び級トレーナーとはいえ、まだまだ子供だな、とも矢萩は思ったが、(俺も自分が子供っぽいところは人のこと言えないなぁ)などとも同時に思っていた。
「まぁ落ち着けよ。……俺、そもそもトレーナー業は、次の仕事が見つかるまでの腰掛け仕事のつもりだったんだよ」
その話を出されて、射手園トレーナーは咳払いして落ち着いてラーメンを再び啜りながら言う。
「……そんな人が、担当2人を同時デビューさせてて、しかも合計でG1を4つも勝利させてるんですよ? それも
「わかってる、ついでに周りからのやっかみもあるってのは重々承知してる」
「……それも辞めたい理由の一つ?」
「そうだな。それもある。……それだけだったらどんなに良かったことか」
射手園トレーナーは瞬時に矢萩のこの言動から、(あ、これ、面倒臭いやつだ)と直感した。
矢萩からしたら、
ここはその「面倒臭い部分」には敢えて踏み込まず、話題の軌道修正を試みた。ついでに、無くなった烏龍茶のお代わりを屋台の親父さんにお願いしておく。
「……だから、出来ればアイルトンシンボリ……っていう、そのウマ娘ちゃんの担当はやりたくない、と?」
「そうだったんだけどな。俺は。ところが、妹とパマちゃんの圧力の前に屈した。で、アイル……その娘の愛称な? アイルはさっくりと入部届けを書いて俺に提出してきた。それが今日の夕方だったんだが……」
「それをまだ、たづなさんに提出してない、と? ……」
それでジト目で射手園トレーナーが睨んでくると矢萩は問いかけた。
「……んだよ、何が言いたんだよ?」
「……はぁ、いや別に。悪足掻きが過ぎると思っただけです。そも、入部届けがウマ娘ちゃんの手から直に手渡されたなら上層部にそれを提出しないと就業規則に違反しますよ?」
「それは、分かってる。分かってるが……」
学園の生徒からチームへの入部届けの提出がトレーナーにあった場合、それをトレーナーが上層部に提出しないと、トレーナーの怠慢と見做されて何らかの処分が降る場合がある。
最悪は「書類の揉み消し」と見做されての、中央トレーナーの資格停止処分もあり得る。尤も、これは一番酷い場合であるが、幸いにして、中央トレセン学園が発足してからそこまでの重い罰則が適用されたトレーナーは片手の指で足りるほどしか出ていない。
(この人はホント……豪胆な時は勢いがすごいクセに、一度考えのループにハマると面倒臭い人だよなぁ……)
などと烏龍茶のお代わりをもらって啜りながら、内心で毒づく射手園トレーナー。
ここは一つ、トドメの一撃を叩き込んでみることにした。
「……それって、ヘリオスさんやパーマーさんが一番悲しむ結末にしかならないのでは?」
「ぐはぁっ!?」
ぐうの音も出ない正論が矢萩の心にブッ刺さった。
「……はぁ〜、そうだよな、わかった、覚悟を決めたわ。親父さん、お勘定」
「はいよ」
矢萩はそう言ってラーメンの代金2人分を支払った。
「え、矢萩さん?」
「やっぱりお前にはかなわんよ。忠告をくれた礼の代わりだ。明日、朝イチで入部届け出してくるわ。……1人で帰れるよな?」
「……全く。子供扱いしないでくださいよ。これでも
「冗談だよ。おやすみ、また明日な」
そうして矢萩は足早に屋台を後にした。
それから数日後。ある晴れた日の放課後。
授業も終わり、チーム[ライジェル]のメンバーら───といっても、チーフトレーナーの矢萩を除いてもウマ娘3人だけだ───がトレーニングを始めていた。
ヘリオスとパーマーはいつも通りに併走トレーニング。
元気よく「ウェーイ!⭐︎」という声が聞こえてくるのを尻目に、矢萩はアイルトンシンボリのタイムを測っていた。
実にシンプルに、芝とダートの直線のみで1000mを走らせていた。
これは単に、矢萩としては「軽く流すためとはいえ、それでも直線の方がスピードを出しやすいだろう」という考えと、距離適正の見極めるために行なった計測である。
しかし、計測を始めてすぐ、矢萩はある種の
(……ん?)
まず、芝の直線1000mを走ってきたアイルトンシンボリの走る姿を見た矢萩は、目を疑った。
なんと、まだデビュー前でそこまでトレーニングをしていないはず、それにも関わらず、走行フォームが驚くほど綺麗だった。
それに目を奪われそうになるが、ゴールラインを超えた瞬間は見逃すことなく、すぐにストップウォッチを止めた。
それをノートに書き留めて、ちょっと時間を開けてから、今度はダートの直線1000mのタイムを計測し始めるのだが。
(嘘だろ?)
再び矢萩は自分の目を疑った。
芝で走っている時綺麗だった走行フォームは、ダートでもそれは変わらなかった。
むしろ、ダートの方が走り慣れているようにも見えた。
そして、走り切ったので再びタイムをノートに殴り書きする。
その両方を見比べて……「何か見間違えたか?」と首を捻って一瞬だけ天を仰ぎ、再び、タイムをメモしたノートに視線を落とすと……。
(……見間違えじゃなかったか……)
「トレーナー、タイムはどうでした?」
「いや、その、なぁ……」
一瞬これは見せていいものか悩んだ矢萩だったが、
「……やっぱ、ちゃんと見せた方がいいな」
そう独り言を呟くと、先ほどノートに記録した芝とダートでのタイムをアイルトンシンボリに見せることにした。
「これは……」
それを見て、アイルトンシンボリは察した。
直線1000mの芝とダート、どちらのタイムが良かったかというと、
「どっちもほぼ同じ……?」
「そうなんだよなぁ……」
ただ具体的には、芝とダートのタイム差は僅か0.05秒。それも、ダートの方が僅かに早いという計測結果だった。
「芝とダート……この距離ではどちらがスピードが出るかとか、そういうのはまだわからないかもな」
これを超える距離となると、確実にカーブも使わなければならないが。
「……もう一本お願いします」
「……そうだな、わかった。じゃぁ、ちょっと休憩したら、次は……マイルの王道距離で行こう」
「1600m?」
「あぁそうだ」
そうして次のタイムを図り始めると。
「……うーん?」
矢萩はさらに頭を抱える。
「トレーナー、どうでした?」
「……アイル。お前さんの目標はクラシック三冠レースだったよな? 今なら軌道修正も出来るが……どうする?」
「……」
そう言われて1600mのタイムを見せてもらうと、どちらのバ場が速かったかといえば、
「え、ダートの方が速い……?」
「そうなんだよ」
「……今度は、距離2000mで」
「やるのか?」
「は、はい」
「わかった。クールダウンが終わってからまた2本走ってくれ」
そうして、2000mを芝・ダート共に走ってみる。
その結果は……。
「……トレーナー?」
「……うーん……こんな感じか」
そう言って、矢萩はアイルトンシンボリのタイムと走行距離から時速を割り出した。
ここで、矢萩が気付いたことは、2000mの距離を2本走ったにもかかわらず、アイルの消耗がそこまで激しくないことだった。
ヘリオスの時は2000mを2本走ってバテバテ、しかもダートでは砂に足を取られてかなりの消耗ぶりだった。
パーマーの場合は、普通に芝だけを走っていたなら問題なかったかもしれないが、やはりダートを走ってみると消耗が激しくなり、芝よりもタイムが遥かに悪かった。
なお、足元の条件は、(パーマーが途中加入だったことを差し引いても)2人とも今と同じである。
対して、アイルの場合は、バ場が違う上に2000mという距離を2本ほぼ連続で走られたにも関わらず、あまり息が上がっていなかった。
この事から、アイルはパーマー並みのスタミナを潜在的に備えている予感と、足の使い方を何処で覚えたのかは分からないが、ダートを走れる足が何故か出来ていた。
それが幸いして、実際のレースとほぼ同じ感じでスピードを出せたようだが、
「平均時速は……流しだが、芝で50km、ダートで50.5km、ってところか」
「た、たった時速0.5kmの差……?」
「あぁ、だが、この違いは小さいようで結構大きいぞ」
そう言うと、目の前で併走中のヘリオスとパーマーが通りかかったので、虹色のメガホンを手にした矢萩は二人を呼び止めた。
「ヘリオス、パーマー、ちょっと来てくれ!」
そう声が掛かると、2人はスピードを緩めながら矢萩の目の前まで来た。
「兄貴ぃ、どったの?」
「トレーナー、呼んだ?」
「あぁ。ちょっと休憩したら、アイルと追い切りして欲しいんだが?」
「え、えぇ!? いきなり追い切りを……?」
「敢えて余裕を持たせた状態で走ってもらってたからな。今度はできる限り全力で走ってもらう。距離は……1600mにしよう。先にダートを走ってもらうが……併走役はじゃんけんで決めろよ?」
「「最初はグー、じゃんけん……ポンッ!」」
「……よし! トレーナー、私芝ね!」
「ウエェぇぇ……」
さすがに勝負事となると、親友同士の爆逃げコンビとはいえ、容赦が無い。
というのも、この2人にとってダートを走るのは苦手分野だったからだ。
そうして決まった役割分担。
距離はマイルだが、メジロパーマーにとっては走りやすい芝。
1600mは得意距離だが、ダートは走りにくいダイタクヘリオス。
それぞれでアイルトンシンボリは追い切り運動を経験することになった……のだが。
「ちょ、ま、待ってぇーっ!?」
先にダートを走ることになったアイルトンシンボリとダイタクヘリオス。
しかし、その差は歴然としていた……ある意味、予想外の形で。
ヘリオスはダートに足を取られて思ったようにスピードが出せない。
一方のアイルトンシンボリはというと、悠々と加速していき……───。
「ゴール!」
ダートコース1600mのゴールをアイルトンシンボリが超えてメガホンでそうコールした矢萩。
涼しい顔をして駆け抜けたアイルトンシンボリに対して、レースだったら大差がついてる状態でようやくヘリオスがゴールを通過した。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ダートコースで疲弊したヘリオスだったが、すぐに矢萩が駆け寄る。
「すまんな、ヘリオス。よく頑張った」
そう言ってタオルと、冷えた麦茶を手渡した。
「トレーナー、それでタイムは?」
「……」
「……トレーナー?」
「それは後で教える。ちょっと休憩したら、今度はパマちゃんと芝で走ってみてくれ」
タイムは後のお楽しみだと言わんばかりに、冷えたスポーツドリンクをアイルに手渡しながら休憩を促す。
ヘリオスに肩を貸して、ベンチに座った後、矢萩はスポーツドリンクを一口飲んだ後のアイルにこう言った。
「……ちなみに、芝の上のパマちゃんには要注意。めっちゃ速いから置いてかれるなよ?」
「そ、そんなに?」
「ゴク……ゴク……ゴク……、はぁっ……と、当然! 芝の上のウチとパマちんなら、逆にアイルーなんてぶっちぎっちゃるんだからぁ!」
600ml入りの麦茶のペットボトルの中身を飲み干してからヘリオスはそう宣言した。
そうして間も無く、その宣言は現実のものになった。
「はぁ、はぁ、はぁ、……は、パーマーさん、は、速い……」
今度は、パーマーとの追い切りの併走で芝1600mを走り切ったアイルが、先ほどのヘリオスと同じように息切れしていた。
それから息が整ったのを見計らって、チームルームに移動。
「
どこぞの青い猫型ロボットの口調*4っぽく、アイルの芝とダートでの追い切りタイムをいよいよ明かす矢萩。
チームルームのホワイトボードに書かれたアイルのタイム、
芝1600mでは、
1分40秒8
そして、ダート1600mでは、
1分38秒8
という結果になっていた*5。
「平均時速に換算すると、芝では時速約57km。ダートでは約58km出ていた計算に大体なるなぁ。……さて、どうする、アイル?」
この結果に、肝心のアイルトンシンボリは落胆を隠せない様子だった。
「フォームの改善は……?」
「それなんだが……あまりにも完璧で、直しようがない。もしかしなくても、丘部トレーナーの仕込みだよな?」
そう問われたアイルは、頷く他無かった。
「やっぱりな……お前さんの狙いはクラシック三冠路線だったんだよな? そっちは芝だ。だが、ダートの方が速い」
「それは一体何故ですか?」
「うーん……簡単に言うと、お前さんの足はダートでパワーを出すには向いている。問題は、芝だとそのパワーが持ち腐れになってしまうことだ」
「どういうことですか?」
「短距離では、スピードとパワーが重視される。つまりは、瞬発力の勝負による世界だ。だが、問題があるとしたら、お前さんは短距離には向いていないことだ。精々芝でパワーが使えるとしたらマイルぐらいだろうか……」
「中距離以上は?」
「そっちだと、スタミナと根性とスピードの世界になってくる。パワーが不必要とまでは言わないが、特に長距離ではスタミナとスピードと根性、これらの三要素が必要になってくるだろう。パワーが必要になるとしたら、バ群に囲まれてしまった場合だ……が」
ここで矢萩、自身の
(しまった、俺そういえば、パマちゃんとヘリオスに逃げしかさせてない……よな)
逃げウマ娘が馬群に囲まれてしまう場合、それは、走るスタミナが底をついて垂れてしまうパターンぐらいでしか起こり得ない。
……そういえば、ここまで来て一度として
「……ところで、アイル。長距離のレースを走る場合、丘部トレーナーからはどう教わってる?」
「え、えぇと、大伯父さんが言うには……中盤までは逃げているウマが垂れてくるのをそれより後ろのポジションで待って、終盤で一気に差し切れ、と。……ボクとしては、逃げウマが見える範囲から行きたいなぁって」
「逃げで走り切らずに?」
「そこまでボクはスタミナが持たないだろうって大伯父さんは言ってました。それに、逃げは後ろのウマ娘たちを気にしながらレースを走らないといけないって聞いてますし……猛スピードを出してる時に後ろを振り返ってられないです。やっぱり、前と後ろに他の走者がいる方がわかりやすいし、ボクなら落ち着くと思います」
「……わかった。それを考慮して、レースを組み立ていこうか」
「はい」
「あとの問題は、芝路線でいくか、ダート路線を行くか……俺としては、ダートを走らせたいところなんだが……そこまで器用な真似が出来るかどうか……」
ギリギリ、「(出来る)保証がない」という後ろ向きな言葉を矢萩は飲み込む。
ヘリオスやパーマーならともかく、目の前にいるアイルトンシンボリはチーム[ライジェル]に来たばかりの新人で、一応は矢萩のトレーナーとしての腕を頼りにしているのだから。
「ねーねー、アイルぅー。ウチらも
「そうそう。私たちをいつでも頼って良いから!」
「……よろしくお願いします、先輩!!」
ヘリオスとパーマーの必死のフォローに、アイルトンシンボリは頭を下げる。
彼女にとっての夢は、まだ夢としては諦められないのだから。
矢萩にとって、チーム[ライジェル]にとって、思わぬ収穫と外からの風を得られた反面、波乱を感じさせるスタートとなった。
……ただ、先に言っておくが、アイルトンシンボリがこれから直面する世代は強敵揃いだ。
一体彼女は何度心を折られることになるのか。
まだこの時は、誰として知る由はない。
今週は色々とあり過ぎましたね……。
実は5月28日は、船橋競馬場で日本ダービーの中継を見ていたんです。
その時には、まさかレースが終わった後にあのような悲劇が起きていることなど知る由もなく、家に帰って、YouTubeで日本ダービーを見直していた時、そこで初めてスキルヴィングの最下位と心不全による予後不良を知りました。
そして、先ほどYouTubeで、ナイスネイチャが亡くなったという知らせを受けて……まだ、現実だと受け止めきれていません……。
スキルヴィング、ナイスネイチャ、どうか共に安らかに……。