背に負ったカンテラから零れる僅かな光に切り取られた影が、狭い坑道の中心で鹿威しの様に同じ動作を繰り返す。
まるでシネマトグラフで切り取った光景を巻き戻しては繰り返すような代わり映えのしない挙動の都度に、サクリ、サクリという無機質な擦過音が足元から響いては木霊する。
そんな耳障りな不協和音の一応の主にあたってしまうぼくとしては、もう少し静かにしてほしいものなんだけど、まあ、人間なんて天変地異には勝てないものだし仕方ないと思わないでもない。それに、いい加減仕事を済まさないと、
つらつらと埒もないことを考えながら、大詰めを迎えた代わり映えのしない掘削作業を終えて、ぼくは等間隔に大地への反抗行為を繰り返していた円匙の穂先を肩に置く。その拍子に鉄製の刃に貼り付いてきた土くれが零れて、パラパラと久方振りの擦過音とは別のそれを鳴らした。
足元に築いた大人一人分ほどの一穴を確かめ終えたぼくは、その異音を追い掛けて、背後へと軽く目を向ける。
とたんに押し寄せてくるきつい臭気に、あまり意味がないのは分かっていても、反射的に目を細めてしまう。
ぼくの背に転がっていたのは、一人の冒険者……の成れの果てだった。
―落ち窪んだ眼孔の中心でぐずぐずの粘液に浮かんでいる、白濁した眼球―
―腐敗と侵食でぼろぼろに食い荒らされて、青茶色くなった真皮を曝す頬―
―既に生前の面影も伺えなくなった横顔に開いた大穴を、てろんと突き破って地面を舐めるどす黒い舌―
人相はおろか、生前の出で立ちすら判別できそうにない崩れた躯は、けれど、この状態でも頑なに纏った長い
そんな先人の躯を跨ぐと、肩に担いでいた円匙を使って、死体が崩れないように注意しながら、腐敗した肉塊を大地に開けた大穴へと向けて転がしていく。
円匙の柄を伝って、両手にぐずりと薄紙で雨水をくるんだような慣れ親しんだ感触が響くのを感じながら、その水袋が破れないようにゆっくりと丁寧に……。
ビチャッ……
やがて傍らで口を開いていた大穴に転がしていた死体が墜落すると、その拍子に無数の肉片を飛び散らせたのを最後に、物言わぬ死体は本当に何も奏でようとしなくなったのだった。
「……」
人一人分広くなった坑道には、ついさっきまで躯が寝ていた部分に粘りけのある人形の痕が出来ていて、作業用のカンテラに照されて、ぬらぬらと黄色い光を反射している。
そんな消えた死体の残滓もついでにこそぎ落として、遺体を納めたばかりの墓穴へと放り込む。その上で軽く周りを確かめるけど……うん、残りは無いね。
円匙の穂先を大穴の壁面に擦り付けるようにして、軽くへばりついた死体の残りを落とすと、今度は掘削した墓穴の横に積んでいた土砂の山を崩すようにして、傍らの一穴へと流し込んでいく。
開孔とは逆に直ぐに埋め尽くされて満たされる大穴。そして幾ばくもしないうちに覆い隠された遺体の上には、僅かな土くれの膨らみだけが遺された。この膨らみも、後からやって来る
そんな冒険者の成れの果てを上を軽く円匙で叩いて固めると、ぼくは最後に瞑目して軽く両手を合わせて
、ほんの少しだけ頭を下げるのだった。
◆
江戸幕府が開国をして百年ほど。西洋列強と呼ばれる大国に対抗するため、幕府が発布したダンジョン開拓の奨励は、途中で政権に関わるゴタゴタを経たものの、その都度方針は継承されて今に至っている。
そんな方針を受けた市民の方はといえば、実力さえあればその腕一つで小さくない会社の社長くらいの年収を叩き出せるという点が事実なのを理解すると、腕に覚えのある人間から順に挙って大和に大小存在する無数のダンジョンへと突貫していくようになったのだった。
それが、ダンジョン開拓の光の面だ
ダンジョン開拓と一口に言うけれど、その実態は幾数種にも及ぶモンスターの猟師と言って良い。ある程度、実力のある武士の生まれの人や、家業として長年狩猟を行ってきた人達なら兎も角、口減らしのために家を出されて、そのまま上京してきた農家の次男三男なんて人達が成功するほど甘くもない。……よっぽどの天才じゃなければの話だけど。
で、そんな雨後の筍の如く生まれては散る元農家の死体を処理する"ダンジョン葬儀人"が、ぼくこと
大量流入大量死亡を繰り返す新人冒険者。その死体の処理は近年になって特に問題視されるようになった事案だ。
元々、ダンジョンにはゾンビやリビングデッド、アンデッドと呼ばれる死体起因のモンスターが一定数存在していたけれど、近年それらのモンスターが爆増して、冒険者の部隊を壊滅させる例が急増していた。原因は他でもない、大量流入する未熟な冒険者達だった。
いわゆるアンデッド系のモンスターは肉体の腐敗や劣化もあって、大抵の場合は動きも遅く、最低限の装備と能力さえあれば、打倒するのに大した苦労は掛からない。
けれど、その代わりにと言うべきか、その手のモンスターは人間に噛み付いたり傷を付けたりすることで、相手に感染するという特殊な能力を持っていた。
まあ、これも結局は最低限の装備さえあれば回避は難しい事じゃないんだけど、ここに一定数例外にあたる人達がいた。それが先に言った口減らしに家を出された末に知識も何もなく冒険者になった人達だ。
無計画にダンジョンに飛び込む力量不足な冒険者を媒介として、勢力を急拡大させたアンデッド系のモンスター。しかも困ったことに、そういったモンスターを討伐しても、得られるのは人間としての資産程度のものとなる。
討伐から十二分な報酬が得られるなら、例え火の中でも水の中でも構わず突っ込む熟練の冒険者の人達でも、これではゾンビに対応する気にはなれない。
自然、既存の冒険者の人達からは新規冒険者の制限に関する話なんかも出たけれど、そうなるとダンジョン資源の確保に枷が掛かって、政府からすれば本末転倒になってしまう。とはいえ、急増するアンデッドモンスター被害を放置も出来ないとなった政府が打ち出したのが、ダンジョンで戦死した冒険者の人達の早期埋葬による、対症療法的な方針だった。
死亡が確認できた冒険者の証拠となる遺品を政府がある程度の価格で買い取ってくれることになっている。
まあ、普通の花形冒険者の人達みたいに羽振りよく生活出来るような金額じゃないんだけど、これでも最低限の生活には困らないし、何なら戦いが苦手な人でもきちんと働けば報酬が手に入るという利点もあった。
と、そんな事情を踏まえて、ぼくは専業のダンジョン葬儀人を稼業にするようになったのだった。当の冒険者の人達からは基本的に物凄く嫌われるけど、まあその辺は仕方ないかな。
「なんて「くそっ! 離せ!! 近付くな!!!」ん?」
何とも無しに呟きながら狭い坑道を歩いていると、不意に焦燥感を臭わせた怒声が通りの奥から反響した。
それは男の人にしては甲高く、けど女の人にしては野太く感じられる、少しきつい嗄声だった。
「……」
正直帰りたい。というか、普段なら業務外でさっさと帰っちゃうところなんだけど、どう聞いても帰り道の方向から聞こえてきてるんだよなぁ……。
「仕方ないか」
そう結論付けると、一度腰に吊るした円匙を引き抜いて、何時でも振り抜ける様に握り直す。
◆
数分後、元来た坑道を引き返した先にあったのは、所々に腐敗が見える頭部を潰された死体と、刀を片手に顔面を恐怖にひきつらせる新鮮な躯。そして、
「こ、のぉ……」
そんな無数の死体の中心には、裸に剥かれて、半裸の男に組み敷かれる、蒼い長髪の女の子の姿。
覆い被さろうとする男の人を何とか蹴飛ばそうとする女の子と、その上で怒張した性器の先からダラダラと汚い液を滴らせる相手の姿に、一目で何が起きようとしているのかを理解する。
(で、どうしたものか……)
「大人しくしやがれ!!」
「がっ!?」
と、女の子を犯そうとしていた男の多分冒険者が、暴れる彼女を黙らせるために、その顔面に拳を振り下ろした。突然の殴打に悲鳴を漏らす女の子。けど、怯んだのは本当に一瞬のことで、逆に相手をキッと睨み付けた女の子は「何しやがる!!」と、さっきよりも一回り激しい威勢でギャンギャンと暴れ始める。
「がふっ!?」
(あ、良いの入った)
バタバタと両腕を振り回して、空いた隙間に器用に脚を滑り込ませる女の子。すると、意外にもかなり肉付きの良い右脚に顎下をかち上げられて、堪らず仰け反る男の人。
(……あー)
その瞬間顕になった光景に、ぼくはやっと大まかな状況を理解した。念のため、女の子の方も確かめてみるけど……うん、こっちは大丈夫か。
現状を抑えたぼくはすぐさま坑道の岩肌を蹴って、眼前で修羅場を演じる
「どうせもう最後なんだ!! ちょっとでも良い思いした方がマシだろうがよ!!」
「それは! お前だけだろうが!! 俺の最後を!!! 勝手に決めるなバカチンがあっ!!!!」
その一瞬の間にも激しくなる怒号と舌鋒。接近する都度、刻一刻と五月蝿くなる反響音に鼓膜を叩かれながら、ぼくは言い争う二つの影のうち、上にのし掛かる男性の首筋へと、右手に握った円匙の刃先を振り下ろしたのだった。
ズプリ……と半腐れの肉に沈み込む小円匙。その広い刃先は人首の外径を越えて、狙い違わず一太刀でその
「へは?」
下の方で、そんな声が聞こえた。
中空に漂った
(動く気配は無し……やっぱり
感染性を持つ下級アンデッド。その中では比較的高い知性を保持するモンスターの姿に納得しながら、一応、その下の女の子に視線を向ける。
相変わらずポカンとしたまま、少し鋭い両目を白黒させてるけど、見た感じ感染した様子は見受けられない。
(大丈夫そうかな)
そう判断すると、ぼくは視線を彼女から外して、ダンジョン内に出来たこの小空間に目を向ける。
所々に散乱した死体を見れば、モンスターの群れによる奇襲が行われたのは想像に難くない。で、それはそれとして……
「これ、残業確定だよね……」
まず動かない事実に、ぼくは思わず上空を仰いだ。ダンジョン葬儀人の役割は道半ばで破れた冒険者の人達の死体の処理。葬儀人なんて大仰な名前が付いているけれど、やることはゾンビやグールにその死体が食べられないように穴を掘って埋めること。そこに小難しい儀式や細々とした段取りなんかは無いけれど、逆に言えば目についた死体の埋め立てが終わらなければ、仕事を途中で切り上げることも出来ない。残念ながら、この広間にはざっと見ただけでも十人分程度の人間の死体が晒されているから……うん、
(考えても仕方ないか)
そこで思考を打ち切って、ぼくは広間の中から比較的柔らかそうな地面に目星をつける。正直、考えていても気が滅入るだけだしね。
そして見付けた少し柔らかそうな広間の一角に移動して、そこに円匙を突き刺し、掘削作業に取り掛かる。
「お、おい」
後ろの方でそんな声が聞こえた気がしたけど、一旦置いておいて掘り起こした地面を更に抉り取る。正直、返事をしても仕事は終わらないし……ね。
「あー……」
サクリ、サクリと耳慣れた擦過音が続く中、妙に悲しそうな呻き声だけが坑道内に響いては消えたのだった。
◆
「飛騨の井汲竜太、乙級。豊後の横田元就、丙級……」
あの後、冒険者の人達の埋葬を済ませてダンジョンを出ると、外は既に帳が下りていて、明かりが点けられた大小色とりどりの照明が、煌々と道行く人達を照り付けていた。
「備前の木下愛美、丁級。越前の鈴木和良、丁級……」
この大型ダンジョン前に発展した門前町である竹門市が夜の顔を覗かせる中、ぼくは今日の仕事の報告のため、市役所のダンジョン管理課を訪れていた。
対応にあたってくれた受付の事務員さんが黙々と名前を読み上げる。そして、ぼくが提出した冒険者の人達の名札といった証拠品と、ダンジョンに入る前に出された届け出との一致を確かめ終えると「確かに……」と頷いたのだった。
「じゃ、ぼくはこれで」
いつも通りの確認を終えて、いつも通りの挨拶をしながら立ち上がると、珍しいことに何故かそこで「あ、ちょっと待ってくれる?」と事務員さんに呼び止められたのだった。
「どうかしました?」
立ち止まって振り返ると、カウンターから立ち上がった事務員さんが眼鏡を外しながら、妙に機嫌良さそうにニコニコと目を細めている。
(んー?)
「こんな顔をされるようなことしたっけ?」と首をかしげていると、事務員さんが一枚の小さな紙片を差し出してくる。見ると、そこには"遊山屋"と小綺麗な文字が書き込まれている。
「これは?」
ますますよく分からない状況に追加の疑問符を浮かべていると、一層目を細めた事務員さんがクスクスと笑みを漏らして「あらやだ、とぼけちゃって」と心底楽しそうに宣うのだった。いや、んー?
「さっき、ダンジョンから出てきた女の子が置いてったのよ。羊くんは心当たり無いかしら?」
その言葉に首を横に振ると、事務員さんは「長い蒼髪をした、小柄だけど凄いおっぱいの大きな子なんだけど」と言った。
「あ、あー……」
その説明に、漸くぼくは紙片の主が誰なのかに思い至る。
(さっきのダンジョンの子か)
あんまりはっきりとは見てなかったけど、確か体型的にはそんなだったような。
「あんなに可愛い子からだなんて、羊くんも隅に置けないわねー」
思い至ったぼくの反応が嬉しかったのか、うりうりと楽しそうに肘で小突く様な仕草を見せる事務員さんに「そんなんじゃないと思いますよ」と肩を竦めて紙片を受け取る。
「じゃあ、ぼくはこれで」
「お疲れ様です」と軽く頭を下げると、「ええ。頑張ってらっしゃい!」と万感の激励が返ってきた。本当にそういうのじゃないと思うんだけど、流石にこれ以上言っても無駄そうかなと考えて、ぼくは何も言わずに市役所を後にする。外に出ると、そろそろ歓楽街も深夜に差し掛かったのか、強めの夜化粧をした女の人達がうっすらと浮かべた微笑に流し目で、鼻の下を伸ばした男の人達の袖を引いていた。
「どうしよっかなあ……」
立ち込めた夜の香りに鼻腔を擽られながら、ぼくははてさてと考えて、一歩外へと向かうのだった。
◆
結局、少し迷ったものの、特に予定が無かったのもあって、ぼくは市役所を出てすぐに紙片に書かれていた遊山屋という店にやってきていた。
その店は歓楽街の裏通りに立ち並んだ小料理屋の一つで、振分荷物を肩に掛けた旅人の絵が描かれた暖簾が掛けられていた。
結構繁盛しているお店らしく、軽く溢れたお客さん達が店先で徳利を傾けている間を割って、お店の女中さんらしい人達がお盆を片手に忙しく出入りを繰り返している。
で、どうしたものかと考えていると、こっちに気付いた女将さんらしい女の人に引き摺り込まれる様にしてお店の中に入れられた。最初は客じゃないというぼくの言葉に良いから良いからとでも言うように席を進めようとしていた女将さんだったけど、ぼくが事情を説明してさっきの紙片を取り出すと、それを検めた女将さんは一瞬前の強引さが嘘のように折り目正しい一礼をして「こちらへどうぞ」と二階へと案内をしてくれたのだった。
「こちらでございます」
そして指し示されたのは、店先の暖簾に描かれたのと同じ旅人の絵を映す襖。そして、その奥からは何故かカッカッカッ!と忙しなく何か固い物がぶつかり合う様な異音が聞こえてきている。
「えっと?」
「どうぞ、ごゆるりと」
思わず女将さんを向き直るけど、ぼくの視線に気付いているのかいないのか、女将さんはさっきと同じ綺麗な一礼だけを残して、すぐに下の方へと戻ってしまう。いや、それより説明を聞きたいんだけど……、
「しょうがないか……」
少し考えたけど、結局入ってみないことには話も進まないし、流石にダンジョンの中みたいな危険は無いよねなんて目算を立てる。正直無視しても別に良いんだけど、ここまで来ちゃったし……ね。
「おじゃましまー……」
襖を開けた先は、台風が突貫した後の厨房の様な有様だった。
床一面に散乱した皿
無数に積み上げられたお膳
その上に無造作に散らばる刺身のツマに魚のアラ
倒れた徳利の数も限りなくて
所々に使い切った薬味の小瓶が転がっている
で、その部屋の中心には宙に浮かぶ巨大などんぶりが一杯。正確には、どんぶりと呼ぶのも烏滸がましいくらい巨大な、何なら祭事か何かで使う玉杯か何かを思い起こさせる大きさのそれが、中空で忙しなく揺れている。しかも、
カッカッカッカッ!!!
襖越しに聞こえた異音は、どうやらこのどんぶりの音だったらしく、掻き込むようにご飯を流し込む人がそうする様に、箸で陶器を叩いた音が絶え間なく続いていた。その光景にどうしたものかなーと考えていると、不意に異音が途切れて宙を浮いていたどんぶりがその高度を一段上げ、ダンッという力強い音と共に、近場の畳の上へと高台から墜落したのだった。
「ぶ、はぁっ!! ……んぉ?」
で、その奥から現れた彼女に漸く拝謁することになる。半裸の上に浴衣を一枚肩に掛けただけの格好にきょとんと目を丸くして、ほっぺたに付いたご飯粒を取っている彼女の丸くなった目と視線が重なる。
うん、間違いなくさっきのダンジョンで犯されそうになっていた女の子だね。
「こんばんは」
一応の礼儀としてあいさつをしてみるけど、反応は無い。代わりに矯めつ眇めつするように身を乗り出して、まじまじとこっちを見詰めてくる。……事務員さんがおっきいって言ってたけど、ホントにおっぱいが一抱えくらいある大きさで、こう、ね。うん。
そんな風にぼくがあらぬ方向へと思考を飛ばしていると、対する彼女の方は次第に笑みを深めて、パァッと花が咲く様に破顔する。
「来てくれたか、葬儀人!!」
「いや、ちょ、羽織羽織」
帯すら結んでないせいで、立ち上がった瞬間殆ど裸になっちゃうんだけど、そんなことも気にせずに彼女はこっちの手を掴んで、ぼくを自分の方に引き寄せようとしてくる。
「さあ、座ってくれ! まずは一献。飯は済んだか? まだなら何か頼むか? 何でも好きなものを頼んで良いぞ! 今日は俺のおごりだ!!」
どかりと豪快に座り込んで、手元にあったお猪口を押し付けてくる冒険者?さん。右のもみあげだけが長いおかっぱ頭に、項あたりで長い後ろ髪を束ねた特徴的な髪型を揺らしながら、きらきらと両目を輝かせて「さあ! さあっ!!」とでも言わんばかりに並々と酒を注いでくる。うん、まあ、別にいいんだけどさ。
一先ず注がれた一杯を飲み干すと、冒険者?さんは「お、いける口だな!」と心底嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。その間にも、廊下の方から入ってきた女中さんが代わる代わるに持ってきた膳を置いては食い荒らしたものを持ち帰っていく。……あ、なんか可哀そうなものを見る目で見られた。
「よし、じゃあ次は「ちょっと待った」うお?」
持ち込まれた別のお膳に手を伸ばそうとしたところで、ぼくはそれに待ったを掛ける。すると、身体を泳がせた彼女はキョトンとした様子でこっちを振り返って、不思議そうに丸い眉を持ち上げた。不思議なのはこっちの方なんだけど。
「お酒も良いんですけど、先に話をしてくれません? 何か、言いたいことがあるんですよね?」
「おおっ! そうだったそうだった!!」
ぼくが問いかけると、ポンッと手を打った彼女は座ったままの体勢で器用にぴょんっと飛び跳ねると、藍色の座布団の上に安座をして、畳にダンッと強く両拳を突きながら身を乗り出したのだった。
「先の竹門ダンジョンで命を救われた件、心より礼を言わせてもらいたい。この
そう言って、冒険者さん改め千早龍さんは床板に打ち付けるような勢いで頭を下げてくる。
「はあ……どういたしまして?」
その仰々しい態度に、正直反応に困る。こう、職業柄ではあるんだけど、冒険者の人達からは大抵お察しの接し方しかされないのもあって、ぼくはつい疑問符混じりにそう答えた。
「えっと、千早龍……千早ちゃん?」
「千早龍だっ!」
「じゃあ、千早龍ちゃん」
「ちゃんはいらないぞっ!」
「じゃあ、千早龍?」
「うむっ!!」
ぼくが呼ぶと、千早龍が満足げに頷いて一抱えもありそうな胸を張る。
(っていうか、随分と変わった名前だね)
と、そんなことを考えていると、ぼくの内心に気付いたのかそうでないのか、千早龍が「千早龍は俺の四股名だ!!」と言って、鋭い犬歯が目立つ白い歯を見せた。
「へぇ、四股名なんだ……あ、だからまわしなのか」
「うむっ!」
そこでようやく、褌一丁だと思っていた千早龍の出で立ちが褌じゃなくて紅いまわし一丁なことに気が付いた。……おっぱいの大きさのせいで気付かなかった。
「本名は
そう言って、バンッと軽く横まわしを叩く千早龍。
「じゃあ、ぼくは羊で」
「うむ! よろしくな、羊!」
そう言って差し出してきた千早龍の女の子にしては分厚い手を握ると、彼女はニカッと笑って、力強くぼくの手を握り返してきた。
「よし、それじゃあ一仕事終えたことだ」
「うん」
「飲むぞっ!!」
「うん……うん?」
そんな号令と共に、目の前に置かれた器に並々と注がれた清酒を見て、ぼくは思わず顔を上げる。というか、これどう見ても湯呑なんだけど。
「あー……」
で、顔を上げた先では明らかに異常な大きさの酒器……というか、どう見てもただのどんぶりにだっぷだっぷと清酒を流し込む千早龍。
「ん? どうかしたか?」
そして、きょとんと首を傾げる姿に、最早何も言うことが無くなったぼくは「あー、うん。何でもないかな。うん」と返して、差し出された湯呑を取ったのだった。
「では、今宵の出会いに……乾杯!!」
「乾杯」
差し出した湯呑に豪快に打ち付けられるどんぶり。そして、その縁に口を当てると、んぐっんぐっ!とあっという間に中身を胃袋へと流し込んでしまう千早龍。その姿を見て、ぼくも一先ず自分の分に口を付けた。
「ぶはぁーっ!! よし! じゃあ、食べるぞ!」
「ん」
頷いて箸を取ると、盛り合わせになった刺身に手を付ける。どうやら、今日獲れたばかりの鮮魚らしく、たれに油膜が張るほどにこってりとしているのに、脂身には僅かの酸味も感じられなかった。やがて舌の上で溶けだした脂身と旨味が満ちてくると、その先をツンとしたワサビの清涼感が洗い流すのを感じながら、旨味に満ちたそれを清酒で一息に流し込んだ。
「ふぅ」
「良い食べっぷりだな」
なんか、食べるのを見られていたらしく、ニッと笑った千早龍が嬉しそうに白い歯を見せる。
「あー、まあ。美味しいよ?」
「それでこそおごった甲斐があったというものだ!」
カラカラッと笑って、手で赤い切り身を摘まんだ千早龍は、その端をちょんっと醤油に付けてから口に放り込み、咀嚼もそこそこにぼくと同じく清酒で口を洗い流す。
「ここの盛り合わせは何時も絶品なんだぞ!」
そう言って自分の事のように大きな胸を張る彼女に、ぼくは軽く肩を竦めながら箸を進めたのだった。
◆
それから一刻くらいが過ぎたころ、上にやってきた女将さんが「もうこれで看板だよ」と伝えてきたのを最後に、少しずつ広げられた料理が片付けられていく。
そして、女中さん達が最後のお膳を引き上げていったのを見送ると、ぼくも改めて目の前で満足げにお腹を撫でている千早龍に向き直る。
「今晩はありがとう」
「うむ、楽しんでくれたか?」
「うん」
「ならばよしっ!」
頷いたぼくに、千早龍は満面の笑みを浮かべる。
「じゃ、今日はこれでお暇させてもらう……ん?」
一礼して立ち上がりかけたところで、ふと片手に微かな抵抗を感じて視線を向ける。するとそこには、ぼくのシャツの袖口を摘まむ千早龍の手があった。
「……」
視線を上げると、何故か満面の笑みのまま無言の千早龍。
「……」
袖を引っ張ってみると、力が強まって離す気配が無い。
「……」
「……」
もう一度引っ張る。千早龍の手に血管が浮き出て、前腕の筋肉に割れ目出来る。
「「……」」
無言のまま見詰める……いや、うん。
「……どうかした?」
「おお! 聞いてくれるか!!」
「聞かないと離さないつもりでしょ」
ぼくがそう返すと、「はっはっは!」と腰に手を当てて呵呵大笑する。うん、どうもこの力士、結構
「で?」
先を促すと、「うむっ!」と頷いた千早龍が少しだけ真剣な表情になって「お前の力を貸してもらいたいのだ」と言ってくる。
「んー、まあ直接的な金銭とかの要求じゃないとは思ったけど、ぼくの力って?」
「へ? あ、あー、それは……言わなければならないよな……」
ぼくの確認に、一瞬固まる千早龍。今の今まで豪放磊落を絵に描いたような振る舞いをしていたはずが、急に歯切れの悪い態度を見せたことに違和感を覚えながらも、一先ず返答を待ってみる。
それからしばらくの間「あー、うー」と懊悩を見せた千早龍は、十分ほどしたころ物凄く言い辛そうに顔を背けながら「……のだ」と呻いた。
「もう少し大きな声で言ってほしいんだけど」
「うぐっ……」
(なんか、この世の終わりみたいな顔している……)
血の気が引いて、ガチガチと歯の根が合わなくなった状態でこっちを見上げてきてるんだけど。ぼく、そんなに顔怖くないと思うんだけどな。
「……を、…も……たいのだ」
「んー?」
再度上げられた言葉に、首を傾げる。最初の一声よりは心持ち大きくなった気もするけど、聞こえないことには変わりないし。
「ごめん、話す気も離す気も無いなら帰らせてほしいんだけど」
流石にグダグダしすぎだし。あ、なんか自分のほっぺた引っ叩いて気合入れてる。
「お、俺の……」
「うん」
「俺の……」
「……」
「俺のちんこ、取り返すのに力を貸してもらいたいんだよ!!!!!」
店中どころか、通り沿い五件隣まで響きそうな大声で、千早龍はそう吠えたのだった。
「……はい?」
その言葉に、ぼくは当然首を傾げる。
「え? どういうこと?」
「もちろん言葉の通りだぞ!!」
何かのとんちかと思って聞き返すと、千早龍が開き直ったようにさっきまでの調子で言い切った。んー?
「お前は吸血鬼を知っているか?」
「え? そりゃ当然だけど」
―吸血鬼―
西洋ではヴァンパイアなんて呼ばれる、嗜血性の不死系モンスターだ。その能力は高く、血液さえあれば万の力や無数の蝙蝠、赤い霧なんかに変身する能力も備えている上に、アンデッド系のモンスターにしては珍しく、高い知性を保持しているという意味で、厄介さは同系統はおろか、その他のモンスター群を合わせても特級と言っていい存在だ。
「実は、俺達は今日、吸血鬼が率いるモンスターの群れに奇襲を受けてな」
そう言って話し出した千早龍。
「当初は少し深層に居るセイレーンの大量発注を受けての、臨時で組まれた大隊だったんだ」
「それが、坑道のあそこで倒れてた人達か」
「うむ」
思案がてら首を傾げると、千早龍が首肯する。
「もっとも、あの場に残っていたのは部隊の半分にも満たないがな」
「え? じゃあ、もう半分は?」
「分からん。打ち捨てられて他のモンスターの食料になったならまだ良いが、最悪……取り込まれているかもしれん」
「取り込まれてる……って、もしかして」
先の確認と、今の言葉から自然と導き出される答えを思い浮かべると、千早龍が「ああ」と頷いた。
「俺達を襲ったのは吸血鬼を中心とするモンスターの群れだった。眷属らしきモンスターもちらほらいて、かなり巨大な勢力を築いていたぞ」
「そのことは役所に?」
「無論、伝えたぞ」
頷いた千早龍が真剣な表情でこっちを見上げてくる。
「役所の方は俺の報告とお前の報告を突き合わせて、大々的に腕利きの冒険者を招集すると言っていた」
「え? じゃあ「弾かれたんだ」
それに応募すればと言いかけたぼくの言葉を、千早龍は
「事情を報告してから、真っ先に討伐隊に志願したんだが、俺は傷が癒えてないから駄目だと言われたんだ。それ以前に、身体が
悔し気に呻いた千早龍が大樽みたいな胸をぎゅっと掴む。うーん、つまり……そういう?
言葉の端々を繋げてみれば、多分この状況って……
「たとえ一時のこととはいえ、縁あって部隊を組んだ身! 仲間の仇を討てなくて、何が男と言うんだっ!!!」
全霊の無念を込めるように、握りこぶしをダンッと床畳に打ち付ける千早龍。いや、まあ、言いたいことは分かるんだけど……
「まあ、気持ちは分かるよ? ……そのおっぱいで男って言うのは割と無理ある気がするけど」
「じゃあ、女で見たことがあるのか?」
「……そういえば無いね」
その大きさは男とか女とか以前の話な気がする。
「ちなみに俺の乳は男だった時からこの大きさだったぞ!」
「それは聞きたくない情報だった」
「力士としては上背が無い方だったからな! 代わりに恰幅で体重を確保していたんだぞ!」
「解説せんでいい」
ベチリと頭上に手刀を入れると、千早龍が何故か楽しそうに頭を掻く。
「っていうか、話が脱線してるって」
「おおっ! すまないな!!」
わたわたと姿勢を正した千早龍がコホンと軽く咳払いをする。
「恐らく既に想像がついているだろうが、俺をこんな身体にしたのは吸血鬼配下の淫魔だ」
「ま、その辺だよね」
高度な知能を有する吸血鬼は、人間でいうところの情婦なんかを抱えている場合が少なくない。その相手は大抵の場合容姿端麗な淫魔や夢魔の類になる。で、そういった淫魔系のモンスターは基本的に動物の性に関する魔法能を生まれながらに保持していると考えると、人間が性別を転換するにはそういったモンスターの魔法を浴びるしか恐らく手が無い。
「そんな事情で吸血鬼討伐隊からあぶれたが、こんなことで諦める俺ではない!」
「さっき、自分が男だったことを言うのに躊躇してたくせに?」
「それは仕方ないだろ!?」
「んー……、そういえばそうかも?」
考えてみると、気持ちは分からないでもない。
「と・に・か・く! 俺は元の身体を取り戻すためにも、仲間の仇を討つためにも、自力で戦力を確保しなくちゃいけないんだ!!」
「うん、まあそうだろうけど……」
話の流れと理屈、そして言いたいことは分かるんだけどさ、
「なんでぼく?」
冒険者崩れどころか、駆け出しの冒険者ですらないんだけど。というか、基本的にモンスターを狩ること自体が無いし。
「アンデッド系モンスターとの戦闘経験が豊富だろう?」
「それは……一応そうだけど」
一線級の冒険者の人達ほどとは言えないけれど、中~下級の冒険者の人達に比べれば、経験自体は多いかもしれない。
「けど、それはあくまでも感染源としてのアンデッドに関する話で」
「だが、それでも知識は深い」
そう言って、一歩も引きさがる様子を見せない千早龍。しかも、それ以上言いたいことがあるらしく「それに……」と言葉を繋げるような気配を見せる。
「それに、お前は決して戦闘を不得手とはしてないだろう? さっきのダンジョンでの立ち振る舞いを見た限り。俺の目は誤魔化せないぞ!」
自信満々に腕を組んで、フンスッ!と鼻を鳴らす千早龍に、ぼくはどうしたものかと考える。
正直、管轄外の一言で切っても良いんだけど……
「晩飯おごっただろ!?」
「言うと思った」
思案気味に視線を落とすと、野生の勘か何かで思考を察知したのか、必死な顔で縋りついてくる。っていうか、お礼のつもりじゃなかったのかと。
「騒いでいるうちに思いついたぞ!」
「思いつくな思いつくな」
というかなんでバレバレの策謀を自信満々に話すのか。
「頼む! 正直、他に当てなんて無いし、上級の冒険者には伝手も無いんだ!!」
「もう本当に形振り構ってないね」
とういうか、防御一切無しの無抵抗攻撃だね。ホント、どうしたものか……
「……」
「……」
「……」
「……はぁ」
見詰め合うこと数瞬。刻一刻と涙目になっていく姿に色んな意味でいたたまれない気分になる。というか、本当に少し前まで男だったんだよね?
「もちろんだとも! 何なら下の階に女将と撮った写真が残っているが取って来るか!?」
「思考を読むなと」
あと、それは正直見たいような見たくないような……。
なんか、心に一生モノの傷を負いそうな千早龍の謎のお節介に蟀谷を揉んで、軽く思考をまとめる。
(正直、吸血鬼の相手なんて相手取れる気はしない。それ以前に、千早龍の思い付きに乗る義理も無いと。おごりはおごりと突っぱねることも出来るしなあ。けど、これを真っ向から切り捨てるもちょっと後味悪いし……しょうがないか)
内心の思案の末に、ぼくは一つの結論を出す。
「じゃあ、千早龍さ」
「む?」
呼びかけた千早龍が顔を上げると、ぼくはポケットの財布から一枚の硬貨を取り出して千早龍に手渡す。表面には大きな植物が彫り出された銅貨。その裏面には一銭の文字が浮かんでいる。
「それを弾いてみてよ」
「ふむ」
「表だったら付き合うよ。最後まで」
「最後までだと?」
「うん、最後まで。火の中でも水の中でも」
「裏だったら……」
「その逆だね。今日の事はきれいさっぱり忘れる」
「ふむ」
ぼくの説明に得心がいったのか、千早龍はこくりと頷いた。
「軽いな」
手に持った小さな硬貨を握って呟く千早龍。
「ま、そんなものだと思うよ?」
今日行きあたったばっかりの人間が危ない橋に付き合うなら、理由なんてこれくらいでも十二分なんじゃないかな?
「そうか……」
少し考えた、千早龍が硬貨を弾くように親指に乗せて、そこで思い出したように「礼を言うぞ、羊」と微笑を浮かべた。
「どうしたのさ、急に」
「もとより無理を言ったのは俺の方なのに、応えてくれたからな」
「まだ応えるとは決まってないけど?」
「妥協案を出してくれただけでも十二分に応えているだろう?」
まあそうかな? ……そうかも?
「というか、そこまで察することが出来るなら辞退しても「それは俺のちんこのためにも出来ないぞ!」あ、一気に
「うおぉう」
ぼくがそう言うと、なんか変な声を上げてピンッと一番軽い硬貨が宙に舞った。気の抜けた弧を描いて、一瞬で畳の上に零れ落ちるたそれの向きは……
「蔦の絵……ってことは表だね」
千早龍の思いが勝ったのか、はっきりと硬貨が表を上に向けているのを確かめて、ぼくは頷いた。
「いよおおおおおおおし!!」
隣では、拳を握った千早龍が万感の思いを込めて両腕を天に突き上げている。
「じゃ、ぼくは普段は朝から市役所だから、何かあったら呼んでね」
そう伝えて硬貨を財布に仕舞うと、今度こそ部屋を後にする。と、何故か後ろの千早龍が慌てたように「おいおい」とこっちを呼び止めるように立ち上がる。
「? どうかした?」
「いや、礼もまだだし」
「さっきも受け取ったから別にいいよ。これは硬貨の結果だし」
「いや、無理を言ったのは俺だが、申し訳なさもあってだな……」
ちょんちょんと人差し指を突き合わせていた千早龍が「あ、そうだ!」と何か思いついたように手を打った。……何となくだけど、凄いバカなことを考えてる気がしてならないんだけど。
「これからダンジョンに付き合ってもらっている間、俺の乳を好きなだけ揉んで良いぞ!」
そう言って、ぶるんっと巨大なおっぱいを堂々と揺らす。いや、
「いいよ。それ、おっぱいじゃなくて雄っぱいだし」
「だが、そこらの女のおっぱいよりも遥かに充実した揉みごたえだと思うぞ!」
「何なら、他人の胸にぶら下がってたら、俺も是非揉んでみたい逸品だぞ!」と屈託なく笑う千早龍。なんて言うか、うん、悪気はないんだろうけどなあ……
「? どうかしたか?」
思わず天を仰いだぼくに、千早龍が心配そうに駆け寄ってくる。いや、まあもうね。
「帰る」
そろそろ本当に遅くなるし。
「そうか、無理するなよ?」
「別にしてないから大丈夫」
気づかわしげな千早龍に軽く手を振って、料理屋を後にする。そして、夜風に晒されて少しだけ我に返ったところで……
「どうしてこうなった」
勢い任せで適当に会話した結果に、ぼくは思わず頭を抱えたのだった。