破綻者に贈るアーカイブ 作:速達乖離剣エア
いつのことであっただろうか。
どうやら、私——言峰キレイは人と少しばかり外れているらしいということに気づいたのは。
私は、生まれながらにして欠陥している。
万人が美しいと思うものを美しいと思えず、万人が嫌悪感を覚えるものにこそ愛着を感じる。
私にとって、常人の幸福は理解の外にあり、絶望こそが喜びであった。
人々が誰かの幸福を願う一方で、私は誰かの不幸でしか生の実感を得ることができなかった。
私自身、それが生き物として悪しきものであるということは理解していた。いや、幼い頃から神に仕え、道理を学んで来たからこそ理解してしまっていた。
もし、はじめから私が欠陥者であると分かっていたのならば。
私が、自らがそうであると気付いた頃には、私は人並みの常識や道徳というものを知り過ぎていた。
そして、幼い時分から神に仕え、善良さを正しいものだと理解していた私にとって、その矛盾は、到底許せるものでは無かった。
そうして、自らの中の歪みを自覚した時から、それを矯正するため私の限りなき努力が始まった。
しかし、
どれほど神に祈ろうとも、
どれほどの善行を為しても、
どれほどの忍耐を重ね鍛錬を積もうとも、
果てに他の娯楽、愉悦を探ろうとも、
心が満たされることは無かった。
それどころか、
私の行いに感謝する者を見る度に、その顔が絶望に染まることを願った。
神への祈りにしても、本当に祈っていたのは自らの歪みの矯正ではなく、誰かの不幸なのでは無いか。
結局のところ、私の思いつく限りのことをしても、私という存在の本質というものは変わることはなく、ただ私の持つ異常性が浮き彫りになっただけだった。
人道を知るが故に外道に堕ちることが適わず、欠陥者であるが故に人並みの幸福を得られない。
矛盾を抱える私はそれ故に悪に染まることを良しとせず、しかしそれ故に喜びを得られない。
もはや、これ以上の努力は無意味であるのかもしれないと、そう考えた瞬間、私は私の信仰が決定的に変質したことを自覚した。
生まれながらの欠陥者である私がなぜうまれてきたのか。
神が全能なのだとするならば、私が生まれた正しさとは何なのか。
いくら祈り、探究しようとも、祈りは届かず、全ての努力は無為であった。
ならば、私のような欠陥者が生まれてきたこと自体が間違いであったのでは無いか。
そうして間違って生まれてきた生であるのならば、早々に消え去るというものが道理であろう。
そうして、決意を固めたその時であった。
ーー聖園ミカが深夜の教会を訪れてきたのは。
☆☆☆
(セイアちゃんが、死んだ……?)
百合園セイアの死、その報告を聞いて驚愕しているのは、他でもない襲撃を命じた張本人であるはずの聖園ミカであった。
(……は、え?うそ、なんで?なんでなんでなんで?)
しかし、実に陳腐な言葉ではあるが、ミカはセイアのことを本当に殺すつもりなどは、なかったのだ。
(なんで?一体、なんだってそんなことに……?
あのいつも上から目線で小言ばかりしてくる、そんな彼女への意趣返し。
強いて言うなら、政治が分からぬと言ってアリウスの事もエデン条約のことも自分の考えを無碍にされたことへの、軽い苛立ち。
それを晴らすための、ちょっとした気持ちでやっただけの行為。
だから、適度に、適当に痛い目を見てもらえばそれで良かったはずなのだ。
(あれ、私……私、どうしてセイアちゃんを襲撃してだなんて言ったんだっけ……?)
実際、それは確かにミカの落ち度ではあった。
アリウスという、トリニティに対し憎しみを持った集団に近づいたのはミカだ。
今まで憎しみを抱いていたものたちが、これからは手を取り合って歩んでいく。
その理想自体は決して責められるべきものではなかったが、その理想を達成するには、ミカという少女は、自分が産まれるはるか昔より存在する憎しみを、正しく理解出来ていたわけではなかった。
殺すつもりはなかった、しかし殺してしまった。そんな冗談のような言い訳が、ミカの頭に浮かんでは消えていく。
そんなつもりじゃなかったのに、という言葉で誤魔化すには人殺しという業はあまりに重く、その業から1人で立ち向かうにはこの少女は優しく、あまりに脆かった。
(……ああ、そうだ。私は、ホストになろうとして……)
(そう、ゲヘナのことが嫌いだったから。嫌いなものは嫌いだったから。
ナギちゃんも条約とか、何か変なことをしようとしてるし)
(だから、だから……
ゲヘナを一掃するためには、これくらいの犠牲は仕方のないことなはず……
だって、そうじゃなくちゃ…………)
ーーーそうでなくては、私はどうやって、何をしてこの罪を償えばいいというのだ。
その言葉は、喉の奥まで出かけて、でもやはり、ついぞ吐き出すことは出来なかった。
☆☆☆
それから、数日が経過した。
百合園セイアの死は隠され、ただ入院しているだけと知らされた。少なくとも、一般向けには。
だからか、事情を知らぬ一般生徒は勿論、セイアの死を知った一部の者さえ、誰もミカが人殺しであることなど疑うことなどなかった。
ミカの生活は気味が悪いくらい変わらぬままだったが、それはミカにとって苦痛でしかなかった。
それに、表面上は何も変わらなくとも、その裏では確実に何かが変化しつつあるということは、いくら政治に疎いミカであっても体感的に理解していた。
セイアの代理のホストとして就任した桐藤ナギサは、異常なまでに周囲に気を払っている。セイアを殺した者に過剰に怯え、トリニティの裏切り者を探し出そうと誰も彼もを猜疑と不信の目で見ている。
その一方で、ナギサはミカに対して疑う素振りすら見せず、自らの後を頼むことさえする。10年来の幼なじみに対する信頼か、それとも自分と同じ立場に立っているであろうミカへの連帯感か。
どちらにせよ、その信頼に応える術をミカははじめから手にしておらず、その信頼はむしろミカを蝕む毒でしかない。
(いっそのこと、私がセイアちゃんを殺してしまったと言いさえすれば……。)
そう、もう何度目になるか分からないほど考えたことを再び思い浮かべる。
だが、何度考えようと出てくる答えは同じである。
もし今、アリウスの手綱を放してしまえば。トリニティへの憎しみに満ちた彼女たちが何をするのか。
もし、桐藤ナギサまで失ってしまったら。
それは、その最悪だけはきっとミカにとって、考えるだけでおぞましい、耐え難い未来であった。
それに……このまま全てを無かったことにするには、何もかもが遅すぎた。
図らずも百合園セイアの死というチップを載せてしまった以上、今更当初の計画ーーゲヘナとの全面抗争から降りる訳にはいかない。
賽は投げられた。戻るべき平穏を打ち捨てたのは自分自身なのだから。
しかし、たとえ計画を成し遂げゲヘナを潰したとして、一体そこに何があるというのだろうか。
自分の嫌いなものというのは、自分の大切なものをみんな捨ててまで消し去るべきものなのか。
そこまで考えて、ミカは目を逸らした。
着地点を考えず、計画の遂行だけに目を向けていればその先を考えなくて済むから。
少なくとも、今はまだ。
罪を犯してしまったが故に許しを欲するが、その罪の重さゆえに自分は許されざる者と思う。
八方塞がり。そんな言葉が頭によぎる。
今のミカは、自分が罰されたいのか、逃げ出したいのか、それとも血塗られた計画を完遂させたいのか、自分でも分からなかった。
そして、そんなミカにとって普段の聖園ミカを演じ、振る舞うことは自分を酷く冒涜しているかのように思えた。
そうして、他人の目を気にしているうちに、ひとりで居ようとすることが多くなった。
元々、ティーパーティー以外で親しい生徒なんてあまりいないし、取り巻きの分派の生徒もいつものようにミカの方から遠ざける限り近寄ってこない。
そうして、人と関わらないようにしていると、必然外に出ることも少なくなる。
部屋の中で、ひとりきり。それ自体はいつもと変わらないはずなのに、見知ったはずの自分の部屋は、ひどく大きく、歪んで見えた。
そして、夜になると、反動のように目眩がするほど歪んだ部屋から出て、辺りを歩き回るのだ。
なんのこともない。息が詰まりそうな部屋で眠れずに居るよりは気がまぎれるという事なだけであったが、それだけでも構わなかった。
少なくとも、昼とは違い、人のいないトリニティを歩くだけなら、自分を取り繕う必要もなく、自分の犯した罪からも目を逸らせるような気がしていた。
だから、今日も、同じようにミカは部屋を出て、同じように真夜中の学園を宛もなく彷徨っているのだ。
夜のトリニティは、昼に見られるその威容がそのまま空虚感を孕んだ不気味さに変換される。
無駄に歴史の長いトリニティのことなのだから、そういった話の一つや二つくらいそこらに転がってるのかもしれないと、自分の影を頼りに歩いていると、ふと自分の影に染みが落ちていっていることに気が付く。
首を傾げながら空を見上げても、雨雲は見当たらずむしろ月が穏やかに、それでいてくっきりと光っているのが見えるほどだ。
しかし、そんな空模様とはちぐはぐに空からは、雨粒がぱらぱらとまだらに降ってきている。俗に言う天気雨、狐の嫁入りというものか。
そう、ぼんやりと考えているうちにも、雨足は少しずつ強まり、しとしとという音が、さーさーへと、やや強かに降りつつある。
どこかで雨宿りを、と思ったミカの目にちょうど入りこんだのは、この学園で最も大きく、目立ち、そしてある意味象徴的な建物、トリニティ大聖堂であった。
雨と月明かりに照らされて光るステンドグラスは、大聖堂全体をいつもよりも神秘的な雰囲気で醸し出している。
実の所、ミカは教会という場が苦手であった。正確には、苦手になったというべきか。元々あの胡散臭い組織であるシスターフッドのお膝元であったからか、そこまで好んで通っていたわけではなかった。だがやはり好きではない、が苦手に変わったのは、あの日を境において他ならない。神などといういるかどうか分からない存在に祈ったとて何が変わるというのか。そもそも、人殺しである自分が神に祈るなんてことを許されるか。そんなことを考えさせられる教会は、まさに先程まで逃避に走っていたミカにとって、どうしても居心地の悪いところのように感じられた。
かと言って、今においてわざわざ濡れてまでここ以外に向かう程のこだわりでは無いーーどうせ人も居ないことだしーーと、思いながら中へと歩みを進める。
大聖堂の中は、月明かりのせいか外から想像していたものよりも、ずっと明るいものだった。
外にいた時はやけにうるさく感じられていた雨の音も、この中では全く聞こえることは無く、穏やかな静けさに包まれている。
そのせいもあってか、あまり寄り付かなかったとはいえ、全く来たことの無い訳では無い大聖堂の中というものが、まるでさっきまでとは違う場所に飛ばされたかのような心地さえ感じられた。
そして、もう一つ想定外のことがあったとするならーー
ーー人が、いた。
誰もいないと思われていた、深夜の大聖堂に。
月明かりの差し込んでいる主祭壇と比べると、僅かに仄暗い信者席の最前列にその人物は黒を基調としたシスター服を身に纏って座っていた。その服装からも、シスターフッドの所属の生徒かとミカは思う。
こんな時間にまで祈る人が居ただなんて、と考えながらぼんやりと神前の彼女を見つめていると、俄にその見つめられていた当人がミカの方へと振り返った。
目が合ったと、一瞬の事だったがミカはそう感じた。ここから彼女まではかなり離れていて、その間には歴史を感じさせる木製のベンチが信者席として規則正しく並べられている。だから、たとえ本当に目が合ったのだとしてもそんなことはここからでは分からないはずである。だが、先程のミカは確かに彼女に見られたと、そう感じさせるだけの何かを彼女から察知したのだ。
想定外の事態は、あちらにとっても同様であったようで先程まで祈りを捧げていた彼女は振り返ったまま動かない。
数瞬の沈黙は、二人の間に奇妙な均衡を作り上げた。
ここに至って、ミカは混乱の境地にこそあった。想定外の天気、想定外の邂逅、そしてこの奇妙な沈黙。元々あの日から精神的に疲弊していたミカは、この想定外の連続によって完全に思考がフリーズしていた。微かに働く頭の中では、今祭壇にたたずむ彼女は救いを求める自分が作り出した都合のいい幻覚なのでは無いかとすら思われた。
だが、そんな馬鹿馬鹿しい考えを否定するようにふむ、と軽い唸り声を上げた彼女はおもむろに一歩踏み出して来て、言った。
「こんな時間に客人とは珍しい……何か用かね。祈りか、それともーー懺悔か。」