破綻者に贈るアーカイブ 作:速達乖離剣エア
ーーー君の話を聞かせて欲しいーーー
君の話、きみの話、キミの話……わたしの、話。ミカの頭の中でその言葉が、輪転機みたいにぐるぐる回っては流れていく。
思えば、当然のことで、アイスブレイクの流れでいえば、向こうの話が終わればこっちの番が来る。会話とはキャッチボール。飛んできたボールは当たり前に投げ返さなければならない。
ただ、聖園ミカにとっては、そのボールを投げ返す事が、出来ないのだという、ただそれだけの事であった。
なんて、取り留めのないことを考えながら、うつむいたままのミカを見て、少しだけうなづくような仕草をしたキレイは、ややばつが悪そうに先の言葉を撤回した。
「すまない。どうやらまた、私の配慮が足らなかったようだ。君も、今日初めて会う相手にあまり個人的な事柄を話すのは気が進まないだろう。」
なおも何も言わずにいるミカをみて、キレイは、困ったように曖昧な笑みを浮かべたあと、口直しに冷めてしまった紅茶を滝れなおしてくるとだけ告げて、行ってしまった。
それでも、ミカはまだ全身が固まったように動けないでいた。
ひとしきり、からっぽの思考を巡らせたあとで、ミカは今更になって思い至る。
分かっていることだ。自分が
でも、先程確かに、よぎってしまったのだ。浅ましくも全てをさらけだして、馬鹿みたいでも、そんな資格がないとしても、たとえそれ自体が、愚かしい罪そのものであったとしても、自分の手が血に汚れたあの日からずっと付き纏っていた重荷を下ろせるのではないかと。
そんな事は許されない。
魔女は魔女らしく
ここにいれば、わたしは許されようとしてしまうから。
帰るべきだ、いますぐに。
そう思った途端、ミカは立ち上がり、地上へと繋がる出口に向かって、跳ねるように駆け始めた。
しかしその逃避は、今更という程に遅すぎた。
「何をしているのかね。」
去ろうとするミカを咎めるように、あるいはそれは、呆れからくるものかもしれない。
淹れ直したであろう紅茶と、頼んでもいないクッキーを両手に持ったキレイが、ミカへと声を掛けた。
「……別に、あんまり長居しちゃ悪いかなって思っただけだよ。」
「そうであれば、心配無用だ。元より君のことを、迷惑とは感じていない。」
座りたまえ、と言いながらキレイは椅子に腰をかけて、おもむろに今しがた持ってきたクッキーをひとつ、口の中に放り込んだ。
「いい加減にして!知ったような口を聞いて、私のことなんて、なんにも知らないくせに!」
これがただ何も知らない、知らないことになんの瑕疵もないキレイに当たり散らしているだけであると、ミカは分かってはいた。
それが分からないほどミカは愚かではなかったが、湧き上がってきた感情を抑えられるほどミカは賢しくはなかった。
「あぁ、気に入らない。気に入らない!わたしは!あなたが思うような可哀想な人間なんかじゃない!」
思いつく感情のままに出した言葉は、支離滅裂で、まったくもって八つ当たりでしかない子供じみた癇癪で、そのことを分かってしまっているミカは、恥ずかしさと怒りと興奮で頭がバラバラになりそうな感覚だった。
紅潮しきった頬に地下室の生ぬるい風が当たって、でも、そんな気持ち悪さをかき消してしまうほど、ミカの頭の中は沸騰しているかのような狂乱に包まれていた。
あぁ、分かっている、分かりきっていることだ。だって、これまでも何度も、もたげてきた疑問に、同じように、結論づけてきたはずのことだ。
なのに、その考えはわたしをへどろのように取り巻いて離してはくれない。
「わたし……わたしは……」
わたしは、一体なんだというのだ。
そして、その問いに、わたしは決まりきった言葉を返すだけだった。
ーーーわたしは
だから、わたしはわたしであるだけで、わたしを許せない。
「わたしに……救いを求める資格なんて、ない。」
咎人が自らの罪を懺悔するかのように、いや事実それは、懺悔すら許されないものが絞り出した、自らにできる精一杯の報いであった。
さっきまでは茹だっていた頭の中が、急速に冷えて温度を失っていくかのような感覚があった。
やっとの事で顔を出してきた理性は、余熱を持ちつつも今取るべき行動を的確に導き出した。
ギリと、奥歯を噛み締めてミカは、今度こそこの地下室から出ていこうとした。
もうここにいても、意味はないと、目を背けて。
「逃げるというのか?」
そう言って、やはりミカを呼び止めようとするのは、先程よりも少しだけ非難の色を強めたようなキレイだった。
突き刺すようなその言葉に、思わず、ミカは止める必要のなかった足を止めてしまった。
「……わたしに
未練を断ち切るように告げて、ミカは今度こそ、地下室から抜け出していった。
数時間ぶりに見た空は、とっくに雨は止んでいて、雲の隙間から月がぷかぷかと嗤っていた。
☆☆☆
それからというもの、ミカを取り巻く環境は、相も変わらない。
相変わらず見当違いの心配をしてくる幼なじみに対し、ミカはその苦慮を素知らぬように自由気ままに振舞ってみせた。
それは、疑われないように平常のミカを装うためでもあるが、政治から身を置く事で桐藤ナギサの邪魔をしないようにするという配慮でもあった。
もしかしたら、それは単に幼なじみと顔を合わせない為の言い訳でしかないのかもしれないけど。
だからミカは、いつもの政治に疎くて気まぐれでちょっとわがままなミカを演じ続けなければならなかった。
夜の徘徊も、もうやめた。
あれが無意味なことであったと、ミカはちゃんと理解したから。
自分を偽る日々、ただでさえ
ミカの中で、もう全てを投げ出して楽になりたいという破滅的な願望と、セイアの死という立ち止まれない理由の相反するふたつの感情が混ぜこぜになって、どうすればいいのかが分からない。
そんな中でも、ただ一つだけはっきりとしていることは、
アリウスの、トリニティへの憎悪を暴走させずに、この事態を収めるには、一刻も早く自分が全権を手にして、
一度アリウスという毒を飲み込んでしまったミカには、血に塗れた強権でもってでしか、アリウスとの和平という当初の目的を達成する道はないように思えた。
そして、現状においてゲヘナをトリニティ全体にとっての敵に仕立て上げるための絶好の機会がひとつだけある。
ーーーエデン条約調印式
ゲヘナとトリニティの首脳陣が一堂に会する場で、もし、現ティーパーティーホスト代行の桐藤ナギサがゲヘナの手にかかるようなことがあれば。
それは残されたただひとりのティーパーティーの聖園ミカが、対ゲヘナの名目の下にアリウスを迎え入れて開戦する口実としては、十分なものであった。
そのためには、調印式の日までこの緊張を保ちつつ、調印式の日には、アリウスを出し抜いて桐藤ナギサを保護軟禁する必要がある。
アリウスは、対ゲヘナとトリニティ内の掌握のためには使えるが、決してミカの味方ではない。彼女らの、積年の怨恨はトリニティにこそ向けられているのだから。
必然的にミカは、それら一連の工作をアリウスにすら悟られずにただ一人で成し遂げなければならない。
その道は、ミカにとってあまりにも険しい。
元々ミカは、考えて行動するタイプではない。持ち前の力で目の前の障害を全て引きちぎって進む方が性に合っていた。
このプランだって、今のミカと元々のミカの願望をぐちゃぐちゃにかき混ぜて形成された絵空事でしかない。
しかし、その空に描いた絵を取り出せなければ未来などないのだという危機感と焦燥感がミカの心中を渦巻いていた。
そして、今夜。
襲撃の先延ばしに痺れを切らしつつあるアリウスとの、もう何度目かも分からないお話し合いに、ミカは出向いていた。
単純な連絡だけであれば、わざわざリスクを犯してまでミカが深夜に出向く必要もなかった。
通信は傍受の可能性はあれど、アリウスにはその道に長けた者も多い。
それをしないことは、もはやアリウスの我慢の限界が近しいということを如実に表していた。
ミカは愛銃のサブマシンガンを手で確かめるように触った。
夜のトリニティを包む沈黙は、やはりその荘厳さも相まって、魔城の様相を呈している。
しばらくぶりとなるその景色は、否が応にも、ミカにあの教会の地下での出来事を思い出させた。
苦い記憶をかき消すように、ミカは目的地へと足を早める。指定された密会の場所は、大聖堂の裏に隠れた水路のほとりだ。
学園内であればかならず目に入る大聖堂へ、できるだけ目を向けないように進み、ミカはついにその場所へとたどり着いた。
「……来たな。聖園ミカ」
そこには、すでにガスマスクを被った生徒……アリウス生が数多くいた。
ざっと見る限りにおいても、十数人程度。
協力者との話し合いにしてはやや物々しい。ミカにとっては些事にすぎないことだが、後の話し合いの難易度が上がったことにミカは微かにイラつきを覚えた。
「わお☆みんなお揃いで来たの?まるで団体旅行気分だね。」
「御託はいい。いつになれば桐藤ナギサを襲撃するのだ。」
ほとんど被せるように、アリウス生の一人が言った。やはりというべきか、彼女らの目的はミカにナギサ襲撃の決断を迫ることだった。
ガスマスクで隠されていて表情は読めないが、おそらくここにいる皆、血走った目をしていることだろう。
ため息もつきたい気分で、いやほとんどため息混じりにミカは、アリウス生の問いかけに答えた。
「襲撃はあなたたちが思うほど簡単には運ばない。あなたたちを潜り込ませるのだって楽じゃないんだよ?特に、今は警備が厳しいんだからね。」
通信越しでも散々告げてきた定型文を、同じように並べる。
実際、百合園セイアの襲撃事件を受けてホスト代行を務める桐藤ナギサの警護は以前と比べて格段に厳しくなったことは間違いない。
ただ、専門的な戦闘や工作を叩き込まれたアリウス生たちであれば、突破の可能性はある。
だが、ナギサの排除ではなく保護を目論むミカにとってそれは、喜ばしいことではなく、むしろアリウス生の手によってナギサに危害が加えられる危険性をいたづらに高めるだけのことだった。
そんなミカの心情を知ってか知らずか、目の前のアリウス生はミカに食い下がってきた。
「ふん、警備など、食い破ってしまえば問題ない。それに、桐藤ナギサの前にたどり着けさえすれば、あとは容易い。」
「……?」
一瞬、ミカの頭に違和感がよぎった。確かに警備を突破出来てしまえば、残る問題はナギサ本人だけではあるが、今の彼女の発言にはそれ以外の含意があるような気がした。
「兎に角、聖園ミカ、貴様には今日ここで襲撃の決断をしてもらう。」
ふと考え込んでいるうちに、アリウス生がひとりでに話をつけようとしているのを見て、ミカは今度こそため息をついた。
「だから、勝手に決められても困るって分からないのかなぁ。」
大体、こちらの手引きがなくて、アリウス単独だけでナギサの警備を抜くことは出来ない。
そんなことができるなら、彼女らはミカに話をつけに来ることなどしない。
「なら、貴様がさっさと決めるといい。今、ここで。」
痺れを切らした様子で、アリウス生からの最後通牒がミカに言い渡された。まぁ、元々考えてはいたことだと思い直した。
「ふーん……断ると言ったら?」
「いいや。貴様には決断してもらうさ。」
そう言うや否や、付近のアリウス生たちがミカの背後から回って取り囲み始めた。
いよいよもって予想通りの展開だが、ミカの気分は最悪だった。
「それで?もしかして、人数を揃えれば私に勝てるとでも思った?」
瞬間、ミカから、膨大な神秘の気配が溢れ出す。強大な存在感を放ち始めたミカに、アリウス生たちは思わず、半歩後ずさりを始める。
それを許さないように、先程までミカと話していたアリウス生が、他の生徒に檄をとばす。
「退くな!相手は一人だ。距離を保って袋にしろ!」
その一声を聞いて、呆けていたアリウス生たちに生気が戻る。
彼女らはミカとの距離を測り直してから、一斉にミカに向かって銃口を向けた。
「へぇ……ほんとうにやるつもりなんだ?」
ミカは、嘲笑うような声を出して、彼女らに問いかけた。
ミカにとって、彼女らへの最後の警告であるそれに、アリウス生たちは思わず身震いするかのような気持ちを覚えた。
事実、ここまでミカは自身の愛銃に手を伸ばしてすらいない。
今ならまだ、振り上げた拳を取り下げることが出来るかもしれない。
自らの内に知らずに湧いたそんな弱気を振り払うように、止まらない震えすら武者震いと片付けて、ついにそのアリウス生は愚かな判断を下した。
「やれっ!!!」
「ッ!!ほんとに……バカなことを……」
号令とほとんど同時に、ミカは愛銃に手をかける。
ミカの周囲を取り囲んでいるのはおよそ10人。難しく考えず、1人ずつ制圧していけばいい話だと思ったや否や。その刹那に、ミカにとって思いがけないことが生じた。
いや、それは、アリウス生たちにとっても、想定外の事態。
こんな深夜にこそこそと密会しているこの場の人間全員にとって、恐れる事態。
それはーーー
「おい!人が来てるぞ!!」
ーーー部外者の乱入である。