「……シトリー!シトリー!!いや…いや!こんな…」
暗い地下室で、一人の少女のかん高い悲鳴が響く。じめっとした空気の中で、錆びついた鉄の香りと…腐った肉の匂いが充満している。
その少女の片方の瞳はぽっかりと穴が開き、まるで何者かに"取り上げられた"かのように虚空があるのみだ。そして少女の左手があるはずの場所から、どくどくと血が流れていた。
美しい金色の髪を左手からの流れる血で汚しながら、地面を這いつくばって、錬成陣の中にある"何か"に向かって必死に叫んでいる。
まるで認めたくないと叫んでいるかのように。
そんな肉塊が妹だと認めないとばかりに。
そんな片手と片目を失った痛ましい自身の娘を見ながら、両親はまるで子供が試験で満点を取ったかのように、無邪気に笑って言った。
「よかった!!ついに成功した!!!」
初老の父は片眼鏡を興奮して落としながらも、全身で歓喜を表現した。
「やったわね!貴方、ついにバーンタイムの悲願が叶ったわ!!」
それに疑問を挟むことなく、年若い母親は父親に抱きついた。
この場所は、全てが狂っていた。
錬金術は 物質を理解 分解 再構築する科学なり
されど 万能の業には有らず 無から有を生ずること、能わず
何かを得ようと欲すれば 必ず同等の価値を支払うものなり
これ即ち 錬金術の基本 等価交換なり
錬金術師に禁忌あり 其は人体錬成なり これ
何人も犯すことなかれ
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パウラ視点
1558年に建国されたのち、軍事国家として、周辺の小国を飲み込みながら貪欲に成長してきたアメストリス。
現在の人口は5000万人を超える大国…らしい。
現在は"なぜか"円形の形に近い国土を有していて、その特色は、なんと言っても錬金術師だろう。
私の父様と母様も、錬金術師だ。
錬金術とは、科学の一分野であり、等価交換の原則に従う限り、凄まじい力を発揮する。
錬成陣によって、物質の構成を理解し、物質を分解し、再構築する。
地面を変形させ土の槍を生み出す、などがそう。
私の実家であるバーンタイムの家は、空気中の流れを再構築し、風を生み出すことを、秘伝の錬成陣で受け継いできたのだ。
私もようやくその錬成が身につき始めたところだ。
当然正しく理解できなかったり再構築できなければ、リバウンドが発生して、術師は傷を負うことになる。
…シトリーはそれで昔は生傷が絶えなかった。
姉としては心配になる話だわ。
現在の大総統キング・ブラッドレイは、国家錬金術師という制度を打ち出し、軍人として、国の研究者として大いに国の発展に努めることとなった。
東方の砂漠を超えた先には、錬金術に近い独自の錬丹術を持っている強国シン
西方には、生体錬金術ではアメストリスをも凌ぐ、アメストリスと同じ錬金術大国、クレタ
南方には機械技術が発展し、特殊な兵器を運用しているエウルゴ
北方にはブリッグス山脈を隔てている大国ドラクマ
…最近ではアメストリス国内でも件のイシュヴァールでの内乱騒ぎが…
大丈夫かな。今私たち一家が住んでいるのは、アメストリスの西部のウエストシティから外れた郊外にある、歴史のあるバーンタイム家の実家だ。
地理的には遠いけれど…この混乱に乗じてクレタが動かないとも限らない。
そんな風に地理書を読みながら私は窓から外を見つめる。雨が庭にしとしと降っている。庭の外の森が黒くただそこにある。
古臭い木の椅子に体を預け、天井を見てゆっくりと息を吐く。
ここは書庫だ。錬金術の本がこれでもかと詰まっている。
…シトリーはここに来るのを嫌がる。
昔よく…7歳ぐらいの時かな。私とシトリーはここで父から錬金術を習っていた。
いつもは口数の少なく、片眼鏡をかけておっとりとした温厚な父親だったが、シトリーが錬金術を失敗させると、よく怒鳴った。
酷い時など、シトリーの手をベルトで叩いていた。…私が泣きながら止めに入っても、聞く耳を持たなかった。
「…このっ失敗作が!!パウラを見ろ!お前がもたついてる間に、三つも錬成に成功したぞ!!!恥を知れ!!」
…私は錬金術が好きだったけど、あの怒鳴り声は大嫌いだった。…シトリーの悲鳴も。
だから一人で本を読むほうが好きだ。近頃は父の教えより自分で本を読んだ方が理解しやすい。
…最近は、父と母はシトリーを無視するようになった。最低限の食事は出すが、それも質素なもの。まるで居ないもののように扱う。
だから私はよく、自分の分の食事の半分を持って、こっそりと秘密基地でシトリーにあげた。
森の中の秘密基地。
ひっそりとした森の中に、開けた場所があって、綺麗な花がいっぱい咲いているのだ。白い花、赤い花。それはもう、本当に綺麗で…
私はシトリーを連れて、よくそこで彼女を慰めた。
「…ぅ…ぐすっ…姉様、私、要らない子なのかな…だから父様と母様は…」
私はそんなシトリーの頭を、左手で愛おしく思いながらそっと撫でた。顔を覗き込む。
「大丈夫だよ、シトリー。…私はシトリーが大好きだ。だから、要らない子なんかじゃない。私がシトリーを守る。だって私は、お姉ちゃんだから!」
そうお決まりの台詞を言うと、シトリーは泣き止んで笑って言うのだ。
「お姉様の目…まっすぐで青くて、綺麗な青空みたいな目だね!」
…私たちは外に出ることを許されていない。
父様はよく言った。
「いいかい?あんな街の俗物どもと関わるなんて、絶対にだめだよ。…私たちは使命を持っているのだ。先祖代々、必ずやあの扉にたどり着くと言う使命が。…分かったかい?シトリー。君は神童だ。必ずや…」
くだらない。妹を居ないかのように扱う癖に、束縛しようとする。…でも、大事な父と母だ。歪んでいても、愛情の発露なんだろう。
私は休憩を終え、バーンタイム家に伝わる錬金術について思案する。
空気中の湿度、気圧、その他諸々を錬金術の調整と再構築で操り、風を生み出す。
最低限の自衛のために、先祖に受け継がれてきたらしい。
…まあ、父は使えないんだけど。
父は正直、錬金術師としては二流だと思う。
12歳の私でもう知識量で勝ったし、私はこのバーンタイム家の錬金術をもう扱える。
実は私が天才だったりして?
そのうちさっさと当主の座を降りてもらおうかな。シトリーのためにも。
そんな風に思案を終えて、私は椅子から立ち上がる。そろそろ昼食の時間だ。
母の料理は美味しい。
うちには何故か使用人も居ないので、家族が家事をやらなければならない。
少しわくわくしながら私は食堂に入る。…なんの匂いだろ。肉の匂いかな。レアの肉独特の香りがする。…私は魚料理が好きだが、シトリーは肉が好きだ。だから、肉の日が来るのは少し嬉しい。珍しく電気がついていない。
何をしているんだか…
私は軽く呆れながら、電気のスイッチを押した。
さて、今日の料理はーーーーーーーーーーーーー
「…………え?」
そこには、頭から信じられない量の赤い…血?
血だ。血を流した…少女?誰?…うそ。嘘だ。そんな。え?
「シトリー!!!!」
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少女は血に服を汚すのも構わず、妹を抱き寄せた。そして必死に脈を取った。なんども。なんども。受けいられなくて。彼女はもう、死んだのだと。
「ああ…!あああああああ!!!!」
そんなパウラを、影から満足そうに眺めていた両親は、わざとらしいぐらい大袈裟に心配した様子で駆け寄ってくる。
「シトリー!!?そんな、一体なぜ…!?」
「…見ろ、シャンデリアが彼女の頭に…なんて事だ。まさかこんな"事故"が…」
大袈裟に涙を流す両親を見て、パウラは認識を改めた。彼らは心の奥底では、シトリーを愛していたのだ。だから心を決めた。
「……待っててお父様、お母様。私、やるわ。シトリーを甦らせてみせる!!」
その言葉に、仰々しく父親は驚いたふりをする。
「パウラ!?まさか、お前…禁忌を…」
「そう…そうよ!人体錬成を…成し遂げてみせる。」
母親は、顔を抑えて感動のあまり涙を流した。
その手の下で、上手くいったと笑いながら。
そこからは努力の日々だった。パウラは寝る間も惜しみ人体錬成の支度をした。書庫の本を何度も読み返し、徹夜で陣を練り続けた。
両親は全力でそんなパウラを支援した。
笑顔で父親が励まし、母親が夜食を作って差し出した。
パウラはそんな日々で、両親を少しずつ信頼していった。
そして彼女は天才としての力量を存分に開花させ始めた。
そして半年ほどの月日が経った頃…
「…できた…?できた!!錬成陣が!」
そのパウラの叫びに、両親は慌てて駆け寄ってきた。そして、笑顔で彼女を抱きしめた。
パウラはもうすっかり両親を信頼し切っていた。
「…父様、母様…ありがとう。二人のおかげで、シトリーが…今度こそ、家族で仲良く暮らそうね!」
両親は、満面の笑みで頷いた。
そうしてついに人体錬成の当日。
水35ℓ、炭素20kg、アンモニア4ℓ、石灰1.5kg
リン800g、塩分250g、硝石100g、イオウ80g、フッ素7.5g、鉄5g、ケイ素3g…
「…よし。シトリーの元になる物質は完璧。構築式も…準備できた。後は、魂の情報、と…」
そう言いながら両親の見守る中、パウラは地下の実験室で黙々と準備を進める。
ナイフで自分の指を切り、血を流し込む。
いよいよだ。
「…さあ、これで…!!!」
父と母をパウラは振り返る。両親は不安げながらも無言で頷いた。
それにパウラは頷き返し、錬成陣を、発動した。発動、して、しまった。
錬成時の光が迸る。…パウラが成功を確信して笑みを深める。が、
「………?なに?何が…」
パウラが異変に気づく。段々と光が不穏な色を醸し出す。
次の瞬間、光る錬成陣の中から、黒いうねうねと蠢く触手のような小さな手が現れ始めた。
「ひっ!?な、なに!?なんなの、これ!?」
その触手のような手は、パウラの片目と左手を優しく撫でた。
次の瞬間、片目と左手が、分解されるかのように崩れていく。
「な、なにこれ!?リ、リバウンド!?やだ!やめて!いや!」
そんな苦しむ自身の娘を見て、両親は歓喜の笑顔で叫んだ!
「成功だ!成功したぞ!」
その意味も分からぬままパウラの意識は、白い光へと飲み込まれていった。
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パウラ視点
気がつくと、私は一面真っ白な世界にいた。
…奇妙に思ったが、それ以上に奇妙なのは、私の背後に浮かんでいる謎の紋様が掘られた扉だ。
無骨でありながら、妙に惹かれるものがある。
「…………私、死んだ?」
「…ここはあの世じゃないよ?ちょっと失敬じゃない?」
そんな声に振り返ると、もやもやしとした人の形をした何かが居た。
なんだ、なんなんだ、この状況は…
「…誰?というか、何?」
「よく聞いてくれたね。」
そう得意げにその何かは微笑んだ。なんだろう。まるで…まるで私の行動だ。所作も、雰囲気も。すごく気味が悪くなってくる。
「私は君達が"世界"と呼ぶ存在。あるいは"宇宙"あるいは"神"あるいは"真理"あるいは"全"あるいは"一"…そして、私は君よ。」
私はどうしようもない不安感を抑えながら、冷静を装って尋ねた。
「一は全、全は一、ってやつ?禅問答のつもり?」
それにその何かはおかしそうに笑って、嘲るように言った。
「なんだ、知ってたの。…知ってて、ここまで来たの?馬鹿だなあ。…ようこそ、身の程もわきまえない愚か者。真理を受け取るといいわ。」
次の瞬間、背後の扉が重苦しく開いた。
黒い触手のような手が、次々と私の体を掴み、人扉の中に引き摺り込もうとする。その中央には、全てを見透かすような、目が…
そして私は、扉の中に引き摺り込まれた。
次の瞬間、信じられないほど莫大な情報の渦が頭の中に入り込んできた。いや、ねし込まれる!頭が割れそうだ。苦しい。辛い。声が…声が出ない!
目の前に、光の少女の人影が見える。あれは…あれは…
「シトリー!!!!」
私が無我夢中で手を伸ばしたが、手が届く前に私は扉の外に弾き出された。
扉の前に相変わらず立っていたもやのような"真理"は、相変わらず無邪気に話しかけてくる。
「どう?…まあ楽しめたんじゃない?」
私はまだ頭ががんがんして上手く言葉が出ない。だが、確信していた。あれは…真理の中だ。唐突に理解した。あの中に、人を蘇らせる理論もある。もう少し、もう少しで。
その考えを見透かすように、真理は残酷な言葉を口にした。
「残念だけど、無理だよ。それで終わり。これだけの"通行料"だと、ここまでしか見せられない。」
私は、辿々しく問いかけた。
「通行料?…なに?それ。」
真理の左手と目が、段々と形を帯びていく。青い瞳に、華奢な手。あれは…あれはわたしの…!
「そ、通行料。悪いけど、さよなら、愚かな女の子。」
次の瞬間、急速に意識が現実に引き戻される。
その瞬間、凄まじい痛みが私を襲った。
「い、あ…あああああああああァァ!!!?」
あるはずの左手がない。勢いよく血が噴き出てくる。片目の視界がない。代わりにどろりとした何かが体の外に流れていく感触がある!?
そして、錬成陣のなかには…
「ぅぅぅぅ…そんな…嘘だ。…嘘だよ。こんなのって…」
息をすることもできない、人間の形すら留めていない、ただの肉塊が蠢いていた。
グロテスクに至る所から血を吹き出し、弱々しく穴から息をしている。
私は思わず父様と母様の方に振り返る。
そして思わず凍りつく。彼らは…こんな状況で、笑っていた。
「やったなパウラ!ついに念願の…真理の扉をお前は開けたのだ!」
「ああ!私も本当に嬉しいわ!あんな"失敗作"ごときを殺処分するだけで、ここまで上手くいくなんて!!」
…………………………………………………ああ。そうか。
彼らは…こいつらは…はなから、これを狙って…
父が私の手当をしようと包帯と消毒薬を持って近づいてくる。
…気持ち悪い。なんなんだ、なんでそんな笑顔ができる。
お前なんて、お前らなんて…
「パウラ、死ぬなよ。お前は彼の方のために…」
「…ね。」
「大丈夫か?父さんがすぐに…」
「死ね。」
次の瞬間、私は驚くほど冷静に風の錬金術を行使した。
細かな砂利を薄い風で纏って放つ風の刃は、容易くクソ野郎の頭を切り裂いた。
頭から凄まじい量の血が噴き出て、私に降りかかる。もはや私の出血なのかこいつのものなのかも分からない。
かん高い女の悲鳴が聞こえる。…耳障りだ。
私は逃げる女の背に向かって、もう一度刃を喰らわせた。女は上半身と下半身が見事に泣き別れになり、地面に崩れ落ちた。
「……………………もう、疲れた。」
私はそのまま意識を手放そうとする。もう楽になりたい。そんな時、地下へ降る階段から、ヒールを履いた女性が降りる音がした。
その女性は倒れている私をそっと抱き上げ、優しく…どこか冷めた声で言った。
「…可哀想な子、哀れで愚か。人間の中でも特に。悪いけど、まだ楽になってもらうわけにはいかないの。」
その女性は、豊かな胸に、ウロボロスの入れ墨を入れていた。ぼやけていく視界でそれを確認した後、私は意識を完全に手放した。