パウラ視点
目を覚ますと見知らぬ天井があった。
ふかふかのそれなりに高そうな寝具で私は寝込んでいたらしい。バーンタイム家のベッドは高級な木を贅沢に使っているので、それに比べれば安いのだろうが、寝心地はこちらのほうが良い。
あの家は妹以外の全てが最低だ。
ほのかに照明が灯っている室内に私は居るらしい。ぼんやりと辺りが見える。
窓から外を見ると夜の暗闇に眩く街の光が灯っている。高さから見るに、私は3階か4階に居る。
街の灯り…ウェストシティ市内に私は居るのか。森の外れでよくウェストシティの街を眺めていたのでなんとなく分かる。
状況が理解できるわけではないのだが。
なぜ屋敷からこんな場所にまで私は生きて来られたのか。…全てが夢だったら良かったのに、も思わずに居られない。
だが、現実は無情だ。
視界が半分しかない。左側が完全に真っ暗だ。
そして左手の感覚がない。点滴が右腕に刺さっている。…どうやらここはあの世ではないな。
冷静に自分の頭の中で実感する。あれは夢ではなかったのか。なら私は…シトリーは…
「う、あ…」
口から声を出そうとするが、掠れた息しか出てこない。そんな自分が恨めしい。
「あら、起きた?」
きょろきょろと周りを見始めると、品の良い家具が並ぶ、落ち着いた緑の壁紙の室内で、一人のウェーブがかった黒い長髪の、色っぽい女性が椅子に腰掛けていた。
胸元ははだけて、ウロボロスの入れ墨が彫っているのが見える。豊満な胸に思わず目が行ってしまう。
魅力的な女性だし、普段の私なら顔を赤らめて目を逸らすだろうが、今はそれどころではない。
「わ、わた…なにが…げほっ…おえっ」
必死に渇いた口を動かして、声を出そうとするが喉が掠れて咽ってしまう。その女性はゆっくりと立ち上がると、机から水差しをとって、コップに水を入れて差し出してきた。
「まずは飲みなさい。落ち着くわよ。」
私はゆっくりと水を渇いた喉に流し込んでいく。軽く痛むが、それも段々と和らいできた。
少しずつ小さく声を出していく。
「ぁ…あ。ぇと…あなた誰?ここは何処?私に何が…」
そう矢継ぎ早に尋ねると、くすりと笑って彼女は諭すように話し始めた。
「あらあら。知りたいことがいっぱいね。まあ、無理もないかしら。…私はラスト。ここはウェストシティの西方司令部よ。その客間の一室ね。」
その答えに私は軽く腑に落ちる。ラストさんのことは何も分からないが、軍人関係者なのだろう。だがなぜ屋敷の中で倒れている私が保護されて…?疑問が尽きない。
「それで…私の妹は…その…どうなったの?あれ見た?」
何処まで話していいのかも分からない。人体錬成は禁忌だ。もしかしたらこれから裁判やらなんやらが開かれて処罰が下されるために私は生かされているのだろうか。
そう不安げに問いかけると、ラストさんはくすりと笑って安心させるように私の頭を撫でて答えた。柔らかい手だ。
「そう心配しなくても大丈夫よ。貴女は確かに人体錬成を…禁忌を犯した。でも、貴女は裁かれない。まあ、失敗だったけどね。残念ながら、貴女の妹は蘇らなかった。」
安堵と落胆、そして次には深い悲しみが私を襲う。…もう妹と会えない。あの可憐な笑顔も、好物のローストビーフを頬張っているリスのような顔も、辿々しく私を追いかけてくる私と同じブロンド髪の彼女を…もう見ることはできない。
涙が頬を伝う。止めようとしても止められない。
体を失ったことよりも、何よりも妹と会えないと突きつけられたのが辛い。
堪えきれず涙を流していると、ラストさんはそっと私を抱きしめた。
「あっ…」
「大丈夫よ、辛かったわね。…でも、諦めるのはまだ早いわよ。貴女は一度失敗しただけじゃない。」
そうラストさんは甘く囁く。ここで私の中に小さな不信感が芽生えた。
軍の関係者なら、私の人体錬成は責めて然るべきだ。それを責めるどころか、もう一度やろうなどと…
「あの、あんたは…何者?」
その問いかけに、ラストさんは小さく微笑んで答えた。
「『ありえない』なんてことは『ありえない』…くだらない弟の戯言だけれど、まあ真理に近くはあるわ。私はホムンクルス…お父様に作られた、人工的な人間よ。」
この人は狂っているのだろうか。そんなことは流石にありえない。長い錬金術の歴史の中で、ホムンクルスの製造に成功した人間など聞いたこともない。
疑いの目を向けて黙り込む私に、ラストさんはため息をついた後、胸元に指を突っ込んだ。
「な…!?ちょ…!?」
胸の肉が抉れていく。そしてその中には…真っ赤な液体のような石のような…これは…
「賢者の…石!?」
天井の石、哲学者の石、赤きティンクトゥラ…大エリクシル…
凄まじいエネルギーの集合体であり、錬金術の最高峰と呼ばれる伝説の術法増幅器…!?
「ふふ…流石真理の扉を開けた女の子…見ただけで分かるようね。」
ラストさんの胸元の傷口が段々と再生していく。
信じられない。私は高揚していくのを感じながら疑問を持つ。
「…国家錬金術師は人を作るべからず!それが最低限のルールでしょ!?そんなルールの管理者の軍が…!?」
そう呆然と問いかけると、ラストさんは可笑しかったのか声を上げて笑い、やがて答えた。
「軍のもっと"上"よ。そんなものは建前に過ぎない。…私たちに貴女が協力するのなら、私たちも協力しましょう。もう一度、貴女の妹を作り上げるのよ。お父様の力なら、それも十分可能。」
…………願ってもない話だ。というか、私には断る選択肢は無いと言ってもいい。妹にもう一度会うためなら…悪魔に魂だろうが売ってみせる。もう禁忌も破った。なら怖いものなどない!
「協力する。妹を取り戻せるなら、何だって…」
私は反射的にそう叫んでいた。ラストさんはにやりと笑うと、私の頭を優しく撫でて行った。
「契約成立ね。…なら、まずは国家錬金術師の資格を取りにセントラルに行きましょう。その腕も目もお父様に直してもらいましょう。」
その言葉に、私はやんわりと否定の意を唱える。
「…いや、この腕と目は、愚かな両親を信頼した私の過ちの証。治さなくていいよ。というか治さないで!そんなことより、妹を早く!」
そうだ。私の怪我などどうでもいい。父と母のような存在を信じずに、己の道で歩む戒めとして残しておきたい。
そんな私の言葉に、ラストさんは心底呆れたようにため息をつき、椅子にまた腰掛けた。
「これだから人間は…くだらないことに拘るわね。なら、義手でも用意しましょうか。
そんなラストさんの言葉に、私は不思議に思って問いかけた。
「やって貰いたいこと?そんなに早く何を?」
「それは…」
ラストさんが淡々と答えようとすると、扉が無造作に開けられた。金色の短髪の利発そうな男の軍人が扉を開けたのだ。そのまま部屋に入ってくる。服装の肩章からして将官クラスではなさそうだが…
ラストさんはそんな彼に親しげに話しかけた。
「あら、お早いお着きねエンヴィー。イシュヴァール帰りかしら?」
…次の瞬間、軍人の体を錬成時の光と似た赤い閃光が包んだ。そして、段々と容姿が別人に変わって…いった…!?背丈は小さくなり、小柄な少女のような…少年のような中性的な姿だ。
その少年は、ため息をついて答えた。
「まあね。上官の連中に混じって居るのって疲れてさあ。…まあ、人間どもが内乱で醜く死んでいく様は愉快だったけど。」
そんな最低なことを言いながら、その少女か少年は私を見つめて嘲るように言った。
「やあ、おはようお嬢ちゃん。ラストからもう話は聞いたかな?」
「もう話したわエンヴィー。取引成立よ。国家錬金術師になってくれるわ。あとは義手を用意しないとね…。」
その言葉に、少年…エンヴィーはつまらなさそうに、悪趣味なことを口走った。
「あ、そう。残念だなあ。聞き分け良過ぎない?脅しの一つでもしようかと思ってたのにさ。…ん?義手?なんでそんなもん要るのさ。パーっとお父様に治して貰えばいいじゃない。」
ラストさんはその言葉にため息をつき、呆れたように紅茶を飲んで言った。
「…それがねえ。何でも過ちの証だから残したいんだって。よく分からないわね。」
「はあ?何それ。訳わかんないなあ、人間は。ま、いいか。それより話がついたならさっさとセントラルに連れて行こう。…イシュヴァール殲滅戦も近いんだ。それまでにこいつ仕上げたいんだろ?」
…イシュヴァールの…殲滅戦?
内乱は確かにずっと続いていて、南のエウルゴからの介入も直接ではないがあったと噂されている。まさに泥沼だ。それでも、殲滅戦など…
「正気!?イシュヴァール人は十万近く居るって…それを殲滅…つまり皆殺しに!?」
エンヴィーとラストはきょとんとした顔の後、心底愉快そうにエンヴィーが笑い、顔を私の顔に近づけて告げた。
「そうだよ。…協力するって言ったんだろ?君にもいーっぱいイシュヴァールの民を殺してほしいのさ。愛しい妹のために…さ。」
……何を言っているんだ?
私の戸惑って言葉に詰まって居る様子を見て、ラストさんは何でもないことのように言った。
「賢者の石の材料は、生きた人間なのよ。イシュヴァールの民にはその犠牲になってもらう。まあ、主な目的は違うのだけれど…とにかく、貴女の妹を甦らせるには、イシュヴァールで石を作るのが最も効果的。戦場で作る予定は無かったけれど、貴女に作って貰いましょうかね。適当に捕虜でも取って。」
「何を…そんなの、できるわけないだろ!?」
私のその叫びに、嬉しそうにエンヴィーが近づいてくる。ラストは相変わらず呆れた様子だ。肩をすくめている。
「へえ。じゃあ妹を"甦らせられる手段"が目の前にあって、見捨てるんだ?」
「そ、れは…」
喉がからからに乾いていく。どうしよう、どうしよう。確かにそうだ。彼らの錬金術の力は未知数だ。何せ人を作っている。お父様とやらは知らないけど、それでも腕は確かだ。力を借りられるものなら借りたい。
それに、どうせこの口ぶりだと私が参加しなくてもイシュヴァールは地獄を見る。…誓ったんだろ、悪魔にも魂を売るって!
「………………分か、った。ただし、約束は守ってよ。」
俯きがちにそう答えると、エンヴィーは声を上げて笑い、私の肩を叩いた。
「殺戮者になる覚悟おめでとう、人柱ちゃん。」
こうして、私はどんどんと暗い道をゆく。
それでも構わない。もし彼らが信用できなければ、また別の道を探す。
道を踏み外そうが、悪魔に魂を売ろうが、構わないのだ。
シトリーに最低だと嫌悪されても仕方ないな。
でもね、それでも彼女ともう一度会えるなら。
私は、悪魔そのものにだってなるよ。
****************
その後、思い詰めているパウラを後にして、エンヴィーとラストの二人は西方司令部の外の人気のない公園の暗闇の中で話し合いを始めた。
エンヴィーが腹を抱えて笑っている。
「ぷっ…く…はは…あいつ面白いね!どんっどん逃げ場のない方に自分から突っ込んでって!死んだ人間を蘇らせるなんて、無駄なことを願って。」
その言葉に、ラストは少し微笑んで答えた。
「まあ、人間なんてそんなものでしょ?私は可愛いと思うわよ?どうしようもなく哀れで愚かで…」
「なに?オバハンあいつ気に入ったの?」
エンヴィーがからかい混じりにそういうと、ラストは冷たい目線で圧をかけた。エンヴィーは軽く口笛を吹いて顔を逸らした。
「…んで、どうすんの?もし仮に妹が蘇らなかったら、あいつ何するか分かんないよ?まあ最悪ダルマにでもすりゃあ良いけどさあ。」
「それじゃ自死されるかもしれないでしょ。…パウラの妹の体そっくりのホムンクルスを作って…そうね。賢者の石でも注ぎ込んで、記憶情報を多少お父様が弄ればそれらしいのができるでしょう。何とかなるわよ。」
「ま、最悪協力の姿勢さえ見せれば良いだろうしねえ。」
そう明け透けなまでに容赦なく彼らはパウラの願いを踏み躙る。
エンヴィーがそういえばと話し始めた。
「いや〜バーンタイムの現当主がポンコツだって言うから、約束の日までに折角の仕込みが間に合わないかと思ったら…都合よく人柱ちゃんが生まれてくれて助かったよね!おまけに駒としても動いてくれそうだし。」
バーンタイム家は、数百年前に彼らのお父様が錬金術を与え、真理の扉を開けることを命題として課した家である。故に、彼らの監視の目が届いていたのだ。
「そうねえ。…まあ、イシュヴァールで死なないように気は配らないといけないけど。これさえ乗り越えれば、優秀な飼い犬になってくれるはずよ。」
「ま、楽できるのならありがたいね。…あれが踊ってるのを見るのも楽しそうだ。」
「あら、スロウスみたいなこと言うのね。…後半はあなたらしいけど。」
全ては、ホムンクルスの掌の上。
人柱の確保に、都合良く動いてくれる駒の確保。
彼らの野望は、少しずつ形を帯び始めていた。
まず犠牲になるのは、砂と岩のイシュヴァラ神の地、イシュヴァール。
イシュヴァールに血の門を刻むのは…