パウラ視点
アメストリス軍の中将にも関わらず、わざわざ私が泊まっている客室に国家錬金術師の任命書を持ってきてくれたレイブン中将に私は頭を下げて礼を言い、大総統閣下キング・ブラッドレイ直筆の書を読み進めた。
レイブン中将は私が座っている椅子の対面のソファに座ると、ニコニコとこちらを見つめている。
「"
「ああ。ブラッドレイ大総統直々に名付けられたのだよ。その名、大事にしたまえ。」
要は、その風の刃で軍の敵を跡形もなく叩き潰せ…という意味だろうか。随分と可愛らしくない二つ名を貰ってしまったな。私はまだ13歳の女の子なのに。
まあ…それが私の選んだ道なのだけど。
私はそう心の中で軽く自嘲して、任命書と同じく手渡された銀時計を握りしめた。
懐中時計というのは、この世界ではかなり高価な代物だ。私の父親は持っていたけれど、庶民はおいそれと持てないと聞く。さらにこの見事な大総統紋と六芒星を模った蓋の銀細工だ。
重いな、全てが…。
無言で押し黙った私の様子を見て何となく察したのか、レイブン中将が人の良い笑顔で私の肩を掴んで言った。
「なに、気負うことはないさ。人柱たる君は"我々"と同じ選ばれし者だ。その程度の特権、当然と言える。」
「軍における少佐相当の権限に特殊文献の閲覧、軍直属のホテルなどの施設の無料利用権…でしたか。」
そう私が答えると、レイブン中将は頷き、私の肩から手を離して、また座り心地の良いソファに座り直し話を続けた。
「まあ、そうだ。だがそれは"一般"の錬金術師の話だ。君が"あのお方"の役に立てば、それ以上の特権が与えられるだろう。期待して構わないよ。」
「私はそんなもの要りません。死んだ妹が蘇れば、それ以上の物など。」
その答えに、一瞬目を細めて真顔になったレイブン中将だったが、思い出したように声を上げて言葉を返した。
「そういえばそうだったな。うむ。君のその美しい姉妹愛も必ずや叶うとも。あのお方に不可能はない。」
私はそのレイブン中将の言葉に、前々から気になっていたことを彼に聞いてみた。
「"あのお方"とは誰なのですか?キング・ブラッドレイ大総統閣下のことですか?」
この国家の絶対なる国家元首にして現在の軍事国家を急速に築いたアメストリスの顔。
私にはそれ以上の存在は思いつかなかった。
その私の疑問に、彼はまるで想像もしていなかったばかりにキョトンとした顔をすると、大声で笑い始めた。
彼の胸元の凄まじい数の徽章がじゃらじゃらと音を立てて鳴る。
「はっはっは!そうか。君にはまだ話していなかったな。"あのお方"はキング・ブラッドレイなどではないとも。より強大な…。」
そう彼が言いかけた途端に、客室の扉がノックもなしに開かれた。そこには…
「おや、ラストか。もうそんな時間かね?」
「ええ。協力的な人柱のパウラを、一度お父様にお見せしなければ。準備はできて?」
緑色の品のある東洋風のドレスを着た、ラストさんが居た。
…谷間が強調される服装で、足にもスリットが入っていて非常にセクシーだ。
私の胸と脚への視線に気づいたのか、ラストさんはニヤリと笑って話しかけてきた。
「そんなに気になる?」
「あ、いえ。その…なんでもないです!」
私の慌てようを見て、ラストさんはくすくすと笑い、レイブン中将は合点がいったとばかりに豪快に笑った。
「そうかそうか!うん。君はそういう趣味か。安心したまえ。"あのお方"ならそういった欲も叶えてくださるとも。」
私は恥ずかしくなって赤面しながらも、そっぽを向いて答えた。
「余計なお世話です!」
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私はラストさんと、レイブン中将に従って中央司令部の建物内を歩いていく。私達を見てざわざわと軍人さん達が噂を話しているのが分かる。
「あれ、見ろよ。あれが噂の最年少国家錬金術師だぜ。」
「…ほんとに子供なんだな。こんな時期に…可哀想に。」
「だがなぜレイブン中将と一緒なんだ?あの美人さんは誰だ?」
レイブン中将が、そうヒソヒソと話している軍人達を冷ややかに人睨みすると、彼らは慌てて足早に去っていった。
私たちはやがてたどり着いた部屋の扉を開けて、底が見えないほどの下りの階段のところまで辿り着いた。
「あの、この階段どこまで続いてるんです?」
「行ってみれば分かるわよ。」
そう言ってラストさんはつかつかと階段を慣れた様子で降りていく。が、レイブン中将は入り口で立ち止まった。そして私の肩を背後から掴むと、ニカっと笑って言った。
「私はここで失礼するよ。"あのお方"にくれぐれも伝えておいてくれたまえ。"私"がどれほど君の役に立ったのかを。」
「は、はい…。分かりました。」
その答えに満足そうに頷くと、彼は足早に立ち去っていった。
その笑顔が、私にはなぜか心の底からゾッとするほど冷たい物に見えた。
私は気を取り直してラストさんの後を追って階段を降り始めた。
気の遠くなるほど長い間階段を降りると、やがて地下深くの一室に辿り着いた。
壁と床じゅうに無数のダクトが通っており、精密な歯車の仕掛けが至る所にある。
「何だか、気味が悪い…。」
そう小さく呟きながらも辺りを見回すと、部屋の中央に陽の光が入ってきており、一人の壮年の男性が座っているのが見えた。ダクトが彼の座っている…差し詰め玉座を中心に伸びているのが分かる。
「人柱を連れてきましたわ、お父様。」
そうラストが彼に告げると、その金髪の男性は、静かに玉座から立ち上がり、こちらに振り向いた。
「…ッ!」
彼は、金髪金眼の壮年の男性であった。
顎には髪の色と同じ立派な顎髭を生やしている。
歳の頃は50代から60代と言ったところだろうか?
白い絹の、東方風の古風な衣服に身を包んでいる。
だが何よりも彼は、暗闇のような、ひどく冷たい瞳をしていた。何だろう…すごく嫌な感じがする!
謎の威圧感を感じ、体が強張る。
彼はジロジロと私の全身を眺めると、ズカズカと私の方に歩み寄ってきた。
「お前がパウラか。ふむ、聞いた通りだな。片目と片腕を真理に持っていかれたか。どれ、治してやろう。」
そう言って彼は私の目があったところに指で触れようとして…
「ッ!やめてください!」
私は慌ててその彼の手を振り払った。
すると、お父様とやらは心底不思議そうに私に問いかけた。
「どうした?何もする気はない。ただ、治してやろうというだけだ。」
私は慌てて彼に声を張り上げて主張をした。
「嫌!この傷は私の愚かさの証。二度と誰かの言いなりにならないという証なの!」
「証?……相変わらず、人間の考えることは理解に苦しむな。」
そう彼は呆れたように首を横に振った。すると、玉座の側の暗がりからまた別の声が聞こえてきた。ゾッとするような、底冷えするような声だ。
「…聞いてはいましたが、まだそんなくだらない考えをしているのですか。ラスト?貴女はこの数日間何をしていたのです?」
ラストさんは、その声に軽くため息をつくと、肩をすくめて闇に向かって言葉を返した。
「プライド。私も説得したのだけれど、言うことを聞かないのよ。今は義手だし、機械鎧にすればまあ良いんじゃない?」
闇から、ラストさんの投げやりにも聞こえる言葉に、淡々とした指摘が返ってきた。
「その適当さが貴女の愚かしさだと言っているのですが?人柱の重要性を理解しているのですか?」
「してるわよ。」
ラストさんは少し苛立たしげに眉を顰めて言葉を返した。なおも闇のラストさんへの指摘は続く。
「ならばなぜイシュヴァールの血の紋を刻む作業に彼女を使おうなどという考えに?」
「国家錬金術師の数は十分過ぎるほどです。むざむざ危険に人柱を晒す必要性があるのですか?」
その闇…プライドの言葉に、ラストさんは苛立たしげに言葉を返した。
お父様とやらは静かにそのやり取りを静観している。
「日食が近いのよ。その時までに、出来うる限りの人手を使わなければ。まだスロウスの奴も仕事を終えていないし…。使える手は多いほど良いでしょう?」
プライドはラストの言葉に小さく舌打ちすると、理解不能だと言わんばかりに口調を強めた。
「それが短絡的だというのです。人柱は計画の要。何よりも失ってはならない存在です。そんなことも分からぬのですか?小娘が。」
「だから、その計画遂行までに人手がいるって言ってるのだけれど。」
闇からラストの反論を聞いて強い殺気が飛んできた。気のせいだろうか。じわじわと闇が蠢いてひろがっているきがする。すると、今まで静観していたお父様とやらが口を開いた。
「やめよ。父の前で争うな。」
「……………申し訳ありませんでした。」
「お見苦しい真似を。」
闇とラストさんはその言葉に静かに謝罪の言葉を出した。ラストさんなど深々と頭を下げている。私はこのやり取りを経て理解する。あのプライドも恐らくホムンクルスだ。
そして、このお父様は…とんでもない人物だ。
「どちらの言い分にも一理ある。だが…ふむ。人柱の意思よりも、安全を優先すべきなのはその通りだ。やはりその腕と目は治すとしよう。」
私はその結論を聞いて、慌てて私は叫んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!話が違う!私の意思はどうなるんですか?」
お父様とやらは相変わらず酷く冷たい目で私を見下ろすと、淡々と言葉を紡いだ。
「妹は生き返らせてやる。そうして欲しいのなら私の言うことを聞け。…お前には生きていて貰わねば困る。その状態で戦場に出すなど、もっての外だ。」
…それは、そうだ。確かにその通りだ。でも、嫌だ。治されることがじゃない。
私のあのふざけた両親の時のように、誰かの言いなりになって、振り回されるのは嫌だ!
こちら側からの要望も通せる程度の余地は、残す!
「………私の方こそ、あなたの計画に乗ってやるって言ってるんです。これぐらいの条件、飲んでもらうこともできないんですか。」
その挑発同然の啖呵に、ラストさんとプライドが同時にざわめき、殺気を飛ばしてくる。
プライドがどすの利いた声で呟いた。
「…貴女は自分の立場を理解していますか?何なら、四肢を切り裂いて"管理"してやっても良いのですよ。」
そのゾッとするような宣言に心の中では震えながらも、私は必死になって怒鳴った。
ここで引いたらダメだ。彼らに主導権を渡すな!
「そうなったら、私は舌を噛み切って死ぬ。それでもいいの!?」
「…………………人間風情が。」
プライドは低い声で捨て台詞を吐くと、黙り込んだ。
本当に私に死なれると困るらしい。これだけが今私が彼らに切れるカードだ。これで何とか…。
お父様とやらは、重苦しく長い息を吐くと、感情を感じさせぬ声で結論を出した。
「…良かろう。計画に協力すると言うのならば、お前の我儘も多少は聞いてやる。ただ。絶対に死なせるなよ。よいな、ラスト。」
ラストさんはそのお父様の言葉にお辞儀で返した。
お父様は私を正面から見下ろしたまま、変わらぬ調子で話し始めた。
「今はまだお前が全てを知る必要はない。ただ言われた通りに動けば良い。まずはイシュヴァールだ。やるべきことは二つだ。」
「人間を、山ほど殺せ。そして死ぬな。以上だ。」
そう言い終わると、話は終わりだとばかりに彼は無表情のまま玉座へと戻っていった。
「じゃあ、行くわよ。」
私はラストさんに連れられてその場を出る。
…恐ろしい人だった。あれが"お父様"。
私の感覚が確かなら、彼はノーモーションで私の傷を治そうとした。
そして、ラストさんとプライドの反応からして、それが"できる"のだろう。
何て出鱈目。
錬成陣も無しに人の無くなった部位を再生するなんて、聞いたことがない。
賢者の石があっても、私にすら出来るかどうか…。
私はそうやって"お父様"を恐れると同時に、歓喜もしていた。
あれほどの存在なら、本当に人を蘇らせられるかもしれない。
もう一度妹に会えるのなら、やってみせよう。
私の手で、誰だろうが…そうだ。誰だろうが…殺さなくちゃ。
そう私は覚悟をした。…覚悟をした、つもりだった。でも甘かった。その戦場は、そんな甘さ容易くふきとばした。
その砂と血の戦場は、地獄だった。
私の覚悟は、この時点ではまだ子供のそれに過ぎなかった。
そう。紅蓮の彼に出会うまでは。
1908年 初頭
イシュヴァール人のアメストリス軍人の兵籍が抹消され、彼らは囚人として牢屋に入れられた。
着々と内乱の果ての戦争の足音が近づくのを街の人々も感じ取り始めた。
そして、ついにその日がやってきた。
「大統領例三◯六六号」にアメストリス大総統、キングブラッドレイが署名。
イシュヴァール殲滅戦、開始。