玲瓏事務所   作:小説 魂

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選ばない

 気がつけば、知らない天井を見上げていた。体を起こして周囲の状況を確認すると、床には漫画やゲーム機なんかが置いてある。子供部屋のように見える場所に、いつの間にか倒れていたようだ。

 たしか私は、ねじれ事件の解決のために14区の居住区まで足を運んでいたはず。そこで顔のない女に頭を掴まれて、それから……。

 

 私が意識を失っているうちに、あの家の中まで運ばれたのだろうか。

 だとするとまずいな。この家から帰ってきた者は、今のところ一人もいないと聞く。何か起こる前に、ここから出なくては。

 

 そう考え、部屋の出口から外に出ようとしたが、ドアは固く閉ざされていてビクともしない。

 

 押したり引いたりするだけではダメか。なにか、ここから出る方法は……。

 

 辺りを見回すと、無数の本が積み上げられた勉強机があった。壁には『二十四時間以内に十五時間勉強』の文字が書かれている紙が貼ってある。

 まさかとは思うが、この紙に書かれていることをやらなければ、ここから出られないということなのだろうか。

 机に置かれている本を手に取る。表紙を見てみれば、これが数学の参考書であることを示す内容が載っていた。

 

 これで勉強しろとでもいうのか。今から十五時間も? ねじれというやつはこんなに面倒なものなのか。

 ……冷静になれ、今はそんな悠長なことしている場合じゃないだろ。何かある前に脱出しなければいけないのに、十五時間もこんな場所にいられるか。

 

 扉の正面に立ち、助走をつけてタックルする。すると、巨大な壁にでもぶつかったかのような衝撃が私の身体に伝わった。

 

 ……扉からの脱出は無理そうだな。

 

 やはり、ここで勉強しなければいけないということなのだろうか。

 

 そう諦めかけていたところで、突然目の前で扉が何者かによって開かれた。

 奥から出てきたのは、あの顔のない女だ。私を見て、また何かぶつぶつと呟いている。

 ……武器はそのまま持っているな。一応抵抗はできそうだが、1級フィクサー並の実力を持っているというレイモンドの攻撃が効かなかったこいつに、私が何かできるとは思えない。

 

 この女を避けて、何とか扉から出るしかないか。幸い、相手の動きは緩慢だ。あの時みたいな高速移動は、まだしてきていない。

 警戒しながら相手の出方を伺っていると、女の顔が私ではないどこかへと向いた。

 

 なんだこいつ、どこを見ている。

 女が向いている方向に私も釣られて視線を移すと、そこには二つの電子時計が置いてあった。一方は時間を測るタイマーのようで、秒数は零で止まっている。もう一方は現在の時刻を示す時計で、二十三時五十九分から秒数だけが変わり続けていた。

 そして時刻が午前零時になり、部屋にアラーム音が鳴り響く。

 

「一からやり直し」

 

 女は顔を再度私の方に向け、ハッキリと聞き取れるほどの声でそう言った。

 女が手を伸ばしてくる。掴もうとしているのは、私の頭だ。この手に掴まれるとどうなるか知っているため、私は既の所で迫る手を避けた。

 

 だが、直後に女はあの高速移動で再び私の目の前に出現し、回避の隙をついて頭を掴んでくる。掴まれた瞬間、また私を強烈な眠気が襲う。

 

 やり直し……学び直しだ。また一から。あの場所に入るために、周囲の期待に応えるために。

 

 

 

 混濁した意識が元に戻り、頭が状況を理解し始める。さっきまでいたはずの女は既におらず、私だけが部屋に取り残されていた。

 

「何が起きたんだ?」

 

 わけが分からない。女に頭を掴まれたかと思えば、次の瞬間に女が姿を消した。あいつは何をしたかったのだろうか。

 

「一から……やり直し?」

 

 女が最後に喋った言葉を思い出す。どういう意味かはわからないが、なんだか嫌な予感がする。

 勉強机の方を見る。相変わらず二十四時間以内に十五時間勉強の紙が貼ってある。その隣の電子時計も、零から変わっていない。現在の時刻も、午前零時五分と正常だ。

 

 さっき女が来たのは、この紙に書かれていることが達成できなかったからか?

 

 椅子に座り、勉強机に向き合う。大量に積み上げられた参考書の内の一冊を手に取り、机に置いてあったペンとノートを使って勉強を始め、その状態でちらりと電子時計を確認する。

 

 ……思った通りだ。タイマーが零秒から進んでいっている。このまま十五時間達成すれば、何かしら変化があるはずだ。

 

 

 

 あれからしっかりと勉強し続けて、タイマーは十五時間時点で既に止まっていた。

 

 十五時間も経ったのに、なぜか眠気も空腹感も感じていないし、トイレに行きたくもならない。この空間がおかしいのか、私がおかしくなったのか、確かめる術がないので分からないが。

 さて、現在時刻は……二十三時五十五分か。さっき女が来た時間までもう少しだな。

 

 これで変化がなければ、もう打つ手はない。

 ここに一生閉じ込められるのだけは嫌だと思っていたところで、部屋のドアが開く。

 

 予想通り、女が部屋に入ってきた。

 私に顔を向けてから、電子時計を確認している。そして時刻が午前零時になり、アラームが鳴ると、顔を私の方に戻した。

 

「あなたは入試村に行きなさい」

 

 それだけ告げて、女はドアを開けたまま部屋の外に去っていった。ここから出る条件は、私の想像通りだったようだ。

 女が完全にいなくなったかどうか確認するため、ドアの奥の様子を見ようとするが、外は暗闇に覆われていて、どのような空間が広がっているのか把握することができない。

 

 ドアを開けたままにしたのは罠という可能性もあるが、ねじれがそんな狡猾なことをしてくるのかは疑問だな。

 

「……入ってみるしかないか」

 

 恐れていても何も始まらないと覚悟を決め、ドアの奥へ足を踏み入れる。

 すると視界が暗転した後、私は真っ白な部屋に立っていた。動揺していると、突然二つの扉が目の前に出現する。左右の扉にはそれぞれYes、Noの文字が刻まれていた。

 

『行くのか行かないのか、どっちなんだ!』

 

 どこかから低い怒鳴り声が聞こえてくる。どうやらねじれは、私に選択を迫ってきているようだ。

 どちらかが正解の扉なんだろうが、この選択肢はどういう意味だ。

 なんの脈絡もなく提示された、二つの答えの意味を考える。

 

 女がずっと言い続けている言葉、それがヒントになっている可能性はある。

 入試村……翼に入るために裏路地のやつらが行く場所だったな。この二択は、入試村へ行くか否かということなのだろうか。

 

「その文字に意味なんてないぞ」

 

 背後から何者かの声が聞こえたので、短剣を取り出して振り向きながら振るう。

 短剣はそいつの首元に到達する直前で静止した。相手が私の腕を掴み、その動きを止めたからだ。

 

 振り向いたことで、そいつの顔が視界に入る。それはつい最近、見覚えのあるものだった。

 

「レイモンドか。……待て、なぜお前がここにいる」

「そりゃ、お前を追って自分から家の中に入ったからな。しかし、助けに来てやったってのに随分な仕打ちだな」

「お前、正気か」

 

 なんでもないようにそう言ってのけたレイモンドに対し、ある種の恐怖心が湧く。

 なんでこいつは、死ぬかもしれない場所に自ら足を踏み入れることができるんだ。しかも、それが私を助けるためだと? 何の冗談だ。

 都市で生きる人間が、他人のために命をかけるなんて、そんな馬鹿な話があるわけないだろう。

 

「それはそうと、隠さなくなってきたな」

「何がだ」

「本性ってやつだよ」

「……別にこれが本性ってわけじゃない。喋り方は昔の名残だ」

 

 意識していないと、すぐに言葉遣いが荒くなってしまうのは、野良猫と呼ばれていた時に癖づいたものだ。直せと言われても無理だし、意識していても、ふとした時に出てしまう。

 背後を取られ、その人物が予想外だったので、つい出てしまっただけ。本性を隠しているとか、そういうわけではない。

 

「それよりも、この扉の文字に意味が無いとはどういうことだ」

「実は、あの強制勉強部屋のドアをぶち破って、何度かこの空間に来ていてな。YesとNoの両方の扉に入ってみたが、結果はどちらも最初の部屋に戻されるだけだった」

 

 サラッととんでもないことを言っていないか。あのドアを破壊したのかこいつは。

 ある程度の実力者なら、ねじれが持つ異常性を力で突破できるということなのだろうか。

 

「そういうわけだ。お前の力じゃ最初の部屋のドアを壊してここまで戻ってくるのは無理そうだし、扉に入るのはおすすめしないぜ」

 

 レイモンドがこの情報を教えてくれなかったら、私はまたあの部屋で十五時間勉強机に向き合っていたのか。考えるだけで恐ろしいな。

 だが、この空間で扉に入る他にできることなんてなさそうに思える。

 

「なら、どうしろ言うんだ」

「――こうするのさ」

 

 レイモンドは突然、正面の壁を全力で殴りつけた。白い壁は激しい衝撃により音を立てて崩れ、隠されていた扉が出現した。その扉には、選ばないという文字が刻まれている。

 

「何ぼーっとしてやがる。さっさと入るぜ」

 

 こいつ、もしかしてカロリーナ先輩みたいなタイプか? 薄々気づいてはいたが、1級フィクサー並の実力者ということで、そんなわけはないと否定し続けてきた。

 だが、今ので確信した。こいつも面倒くさい脳筋タイプだ。

 

「なんで私が関わる人はこうも……。はぁ、わかったから急かさないでくれ」

 

 動かない私を見たレイモンドに無理矢理手を引かれて、扉の先に進むことになった。

 

 

 

 扉の先は、最初の子供部屋とよく似た部屋に繋がっていた。ただ、一つ大きな違いがある。私たち以外の存在が、そこに佇んでいたのだ。

 

「なんで選ばない? 皆の期待に応えないといけないのに。お前は逃げたな。僕は逃げない、必ず期待に応える。お前は邪念だ。逃げた僕。羽になるために邪魔な感情を持つ存在だ」

 

 全身に矢印が刺さった顔のない青年が、私たちの方を向く。そいつは明らかに敵意のある言葉を並べ、こちらに指を指した。

 それを合図に部屋の壁に大量の目が出現し、全てがこちらを凝視してくる。

 

「お前はこれだけ期待されていて逃げたんだ。許されない、許せない」

「うるさいやつだな。グウェン、黙らせてやれ」

 

 お前がやる方が確実だろうと思ったが、レイモンドはあくまで依頼の同行者であることを思い出し、出かかった言葉を飲み込んだ。

 

 鉤爪を右手に装着し、左手に短剣を握る。

 良く考えれば、ねじれ相手にどこまで戦えるか試すいい機会だ。状況だって悪くない。

 

「僕の邪魔をするなよ!」

 

 青年が叫ぶと、部屋の壁に出現していた目のいくつかが輝き、赤い光線を放ってきた。

 見るからに危険だったので、体を捻って回避する。光線が床に当たると、何かが焼けるような音と共に焦げ臭い匂いがしたので、直撃することはもちろん、武器で防御するのもやめておいた方が良さそうだ。

 

「逃げるな、避けるな!」

 

 青年の体から無数の文字が放出され、その全てが私に向かって飛んでくる。ひとつひとつが小さいため、全てを対処するのは難しいと判断し、掠る程度のものは無視して回避を試みる。

 

「うッ」

 

 文字が肌を掠めると、頭が割れるような痛みに襲われた。私の頭が、何かを理解しようと忙しく思考を巡らせている。どうやら知らない情報を、無理矢理頭の中に叩き込まれたようだ。

 

 ……命題の証明だとか、今はどうでもいいんだよそんなこと。

 

 現状を打破するために文字を切ることができるか試すと、すんなりと真っ二つになることが判明する。私に当たった瞬間、体に溶け込んでいったように見えたが、一応実態を伴ってはいるんだな。

 

 これが分かれば十分、あとは楽だ。

 飛んでくる文字を切り裂き、時々壁の目から放たれる光線を避けて、徐々に前に進む。

 

「なんでお前は、皆が期待している道を進まない。絶対に正しい道なんだぞ!」

「そんなの存在するわけないだろ!」

 

 万人にとって決まった答えなんてない。私はそれを身をもって知っている。今まで私は、誰かの答えを真似していた。誰かが作った道を歩いてきた。私はまだ迷っている。でも選びたいと思った道は、確かに存在した。

 

「期待に応えろよぉぉぉ!!」

 

 少しでも正しいと感じた方へ進む。それを繰り返せば、自分の答えが確立していくはずだ。だから……。

 

「誰かに用意された道なんて、私は進まない」

 

 相手の胸に右手を突き刺す。そのまま手を下に引き、胸から腰あたりまで内部から引き裂いた。

 

 ねじれた化け物だというのに、感触は人間のものと全く変わらないんだな。

 

 手を引く抜くと、黒みがかった鮮血が私の服を汚す。顔のない青年はそのまま後ろに倒れ、仰向けの状態から顔だけを私の方に向けた。

 

「ずっと……その言葉が言いたかった」

「私を惑わすな」

 

 鉤爪を喉元に突き刺して固定し、短剣で相手の首を体から切り離すことでとどめを刺す。切り離してからも、しばらく青年の胴体は震えていたが、やがて電池の切れた玩具のように、活動が完全に停止した。

 

 

 

 気がつけば私とレイモンドは、家の外に立っていた。状況を把握するため、周囲を見回す。

 ねじれ事件の被害者だろうか、私たちの周りには何人か知らない顔もいた。

 

「入試村……入試村へ」

「……行かないと」

 

 声をかけようとすると皆が口々にそう言って、ふらふらとどこかへ立ち去っていった。

 

「ありゃ手遅れだ」

「そのようだな」

 

 一体彼らはあの空間に閉じ込められて、何度やり直して、どれだけ勉強し続けたのか。考えるだけで気が遠くなるな。

 

 それはともかく、ねじれの大元と思われる存在は殺すことができたので、これで依頼は達成できたはず。

 

 もうねじれに関わるのは懲り懲りだ。十五時間も半強制的に勉強させられて、嫌になるなと言う方が無理がある。

 今度代表に、ねじれに関する依頼を受けるのをなるべく控えてもらうよう、交渉でもしようか。

 

「ねじれが完全に処理できたか、念のため見ておくか」

 

 レイモンドが確認のために家のドアを開ける。私の目に飛び込んできたのは、ごく普通の家の玄関に置かれている、血に濡れた三足の靴だった。

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