閏天に滲む   作:アクーシャの底で

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ここまでが導入にして、書き溜まっていたメモから文章に起こした部分になります。
一応ゼロの秘宝後編(スグリくん周りは割と細部に渡って)までのおおよその構想はぼんやりとしているので、気が向いたら更新していこうかと。



泥のように

 

 

 

 

 

 

 ハルトが校長室に入ると、すでにアオイがいた。

 

 

「私の友人が、お二人に大事なお話があるそうです」

 

 

 執務机から立って、部屋の角に置いてあるテレビに向かうクラベル先生。

 

 程なくしてテレビが点く。

 

 

『ハロー、ハルト、アオイ。初めまして』

 

 

 グラフや数式などが書き連ねてあるホワイトボードをバックに、白衣を着た人が映っている。

 

 

『僕はフトゥー。パルデアの大穴の奥――エリアゼロにて、ポケモンの研究をしている。そして』

 

『同じく、オーリムだ。二人ともよろしく』

 

 

 白衣を着た二人の男女が、こちら側に手を振っている。

 

 

「我が校の卒業生で、素晴らしい博士なんですよ」

 

「クラベル先生も協力してテラスタルオーブを開発したんですよね! すごいです!」

 

『フフっ、ありがとう』

 

 

 目を輝かせて食い気味なアオイに、オーリム博士は笑って応じる。

 

 その様子を優しい目で見ているフトゥー博士。

 

 

『では……単刀直入に話そう』

 

 

 口火を切ったのは彼だった。

 

 

『ハルト、アオイ。君たちはコライドン、ミライドンという不思議なポケモンを連れているな?』

 

「いいえ? いったい何の話でしょうか?」

 

 

 しれっと。ハルトは顎に手を当てて首を傾げる。

 

 フトゥー博士は僅かに目を瞠る。

 

 アオイは何も言わず、クラベル先生はハルトと博士の間で視線を行ったり来たり。

 

 そして、一瞬だけきょとんとしてから、今度は眉を下げて困ったよう笑うオーリム博士がハルトに疑問を投げかけた。

 

 

『なぜ嘘をつく? いくつもの監視カメラに、君たちが彼らといる姿が映っていたよ』

 

「ぼくは知りませんが……アオイ、もしかしなくてもまた何か引っかけてきたの? まだ初日だよ? しかもオーリム博士の言い方からして二体も?」

 

「だってー」

 

「だってーじゃないんだよ。ほら、持ってるならキビキビ出しなさ……待った。それここで出して大丈夫なやつ? 主にサイズ的な意味で」

 

「大丈夫大丈夫。はい、出ておいでー」

 

 

 気の抜ける返答にかけ声。

 

 アオイはボールを二つ取り出して、両手に一つずつ持って虚空に翳した。

 

 

「アギャァ」「ギャス」

 

「これは……」

 

 

 お行儀よく並ぶコライドンとミライドン。全校集会では結局お披露目に至らなかったため、クラベル先生は初めて見るはずだ。

 

 その反応に便乗するかのように、ハルトは二体の間で目を丸くする。

 

 

「モトトカゲ……の、別種? ケンタロスみたいな」

 

「わかんない。ネモちゃんも見たことないって」

 

「じゃあ新種か? よかったなアオイ! レホール先生やジニア先生に見せびらかせば単位の一つや二つ余裕で融通ッヒョー! でお疲れ様でスター!」

 

「オッホン! ……ハルトさん? ここがどこで、私が誰だかお忘れですか?」

 

「本当だよハルト。そういうのは狙った相手と一対一で内密に、当事者同士でも決定的な言葉は一切使わず済ませるのが常識だよ?」

 

「ア、アオイさん……!?」

 

 

 クラベル先生が唖然とする。そういう工作に関してはハルトよりアオイの方がそつがない。レホール先生とも、様々な思惑の入り混じった数珠つなぎの果てに巡り合っている。

 

 それに通ずる何かを、アオイはアオイでこの場から感じ取っていた。

 

 ハルトの悪ふざけに仕方ないという顔をしつつも、言葉の裏ではこちら側の成り行きを見守っている二人に対して牽制しているのだ。いったい何を言ってくれちゃおうとしているのか、と。

 

 

『――ふむ。どうやら、僕たちはかなり深刻なレベルで警戒されているらしいが…………』

 

「……警戒される心当たりがお有りなだけ僥倖です。もっとも、そこからぼくがくだらない嘘をつく理由にまで発想が及ばないようなら意味のないことですが。手厳しいだなんて世迷言は許しませんよ?」

 

『…………そうだな』

 

 

 何かを観念したように、フトゥー博士は頷いた。

 

 

『食堂で……話し込んでいたな。特に、アオイ。君は熱心に何かを語って聞かせていた』

 

「コライドンもミライドンもすごく弱ってて、元気になる方法がないか話してたんです」

 

『私たちの方でも確認している。ライドフォルムには問題なくなれていたようだが、戦う力は完全に失っているように見えたな』

 

「でしょうね。本当に監視カメラだけなのかも怪しいもんですが」

 

『……? と、いうと?』

 

「……ハルト?」

 

「……………………いえ、何でも。忘れてください」

 

 

 オーリム博士もアオイも首を傾げている。フトゥー博士も顔には出ていないが、ハルトにはその頭の上に疑問符が見えた。

 

 ちょっと黙ってよう。そう思った。

 

 

『なんとなく察しがついているだろうが、コライドンもミライドンも僕たちが管理していたポケモンでね。その二つのボールも、元々はコライドンがオーリム、ミライドンが僕のものなんだ』

 

『本当なら今すぐ、私かフトゥーのどちらかだけでもそちらへ引き取りに向かいたいのだが、今は二人ともエリアゼロ内のラボから離れられない状況にいてね。しばらくは目処も立ちそうにない。そこで、保護してくれた君たちに引き続き世話を頼めないかと、この場を設けて頂いた』

 

 

 逆にこちらからエリアゼロに送り届けるのでは駄目なのか。そう思ったハルトだが、すぐに思い直した。オーリム博士は離れられないという言葉を使ったが、その実ラボか、あるいはエリアゼロから出られない、という方が正しいのではないだろうか、と。

 

 だとすれば一応は納得できる。誰よりもエリアゼロに詳しいであろう彼らが身動きすらも満足に取れないのに、知識や経験で彼らに劣る外の人間がのこのこ足を踏み入れて無事でいられるのかという話だ。

 

 そしてその原因である何かが、恐らくは口にすることもできない秘匿事項なのだろう。テラスタルオーブの技術や原材料がそうであるように、パルデアが地方を挙げて厳重管理に務めるほどの何かが関わっているのかもしれない。

 

 そういう意味では、場合によってはこの通話がそもそも危険かもしれないのだが。

 

 

『もちろん、できる限りのサポートはする。連絡先も交換して、いつでも私たち二人のどちらかとは繋がるようにしておこう。こちらからも定期的に連絡させてもらうつもりだ』

 

 

 一方で、博士たちからすれば現状は僥倖どころではない奇跡に近いのではとも思う。

 

 コライドンとミライドンの存在を知る者がアオイとハルト、そしてネモの三人に留まった上で、二体ともが兄妹の庇護下に入っているのだ。ネモは言いふらすような人ではないし、何なら現状では経験値も関係者としての実感もハルトより上である。

 

 そしてハルトは、コライドンとミライドンに関する決定権はアオイに委ねていた。博士たちのコンタクトがあった今でもそれは変わらない。

 

 

「連絡がなくても、そうするつもりでした。わたしはもちろん、ハルトも今はこんなですけど、この子たちのことを相談したら、すぐに色々考えて動いてくれたんです。どれだけ人目についたのか確認した上でこれからは避けるように徹底したり、モトトカゲの資料を漁ったり、ペパーくんに直接断りを入れたり。さっきの嘘も、たぶんその一環で」

 

『……………………』

 

「わたしは独りじゃないから。だから、不安はありません。強いて言うなら……」

 

 

 アオイは気まずそうに目を泳がせる。

 

 

「この子たちの元気が戻らないのは……分裂する前にわたしとネモちゃんで容赦なくボコボコにしちゃったのも、原因の一つだと思ってて……だから、お詫びの意味でも、せめて元気になるまではお世話したくて」

 

『……待ってくれ。倒した……? アレを!? たった二人で!? というか、あの状態で外に……っ!!』

 

「え、あの、オーリム博士? 大丈夫ですか!?」

 

 

 画面越しでもわかるほどに動揺するオーリム博士。顔色が悪い。活動的な印象が強かったから余計にそう見える。今にもよろめいて倒れてしまいそうだ。

 

 その肩に手を添えて、落ち着くんだと諭すフトゥー博士。しかしその彼もまた、表情は硬く。

 

 

『アオイ、確認だが……分裂前というのは、青白い光に包まれていて……コライドンとミライドンの特徴が同居しているようなシルエットを持った……全く別の一体のポケモン、ということで間違いないか?』

 

「は、はい……コサジの灯台がある崖の下で暴れてるのを見つけたんです。それと……その時、ネモちゃんと二人で灯台の上から海を見てたんですけど、わたしもネモちゃんも、鳴き声が聞こえる瞬間まで、そこにいることに気づかなかったんです。――遠くからでもわかるくらい、眩しかったのに」

 

『…………やはり、僕が直接――』

 

『――待て。それなら私も行く』

 

『だが、……ここを空けるわけには』

 

『だったら君が残ればいいだろう?』

 

「ストップです。二人とも」

 

 

 パンッ! と。クラベル先生が手を叩いた。

 

 

「まずは、子供たちの前です。いい大人が水掛け論で争うものではありません。それが緊急事態であるなら尚更! 一度落ち着くように! 話はそれからです!」

 

『……っ、失礼。恥ずかしいところを。申し訳ない』

 

『ああ……アオイもハルトも、すまなかった。私たちこそ冷静でいなければならない時に』

 

「大丈夫です……むしろ深刻さがわかってよかった」

 

 

 そう言って首を振るアオイ。

 

 落ち着いていた。だがハルトには、それが前兆だとわかった。

 

 

「でも! 自分を捨て石にするのはダメです! 絶対にダメだからっ!!」

 

『……っ!!』

 

 

 ピンっと鋭く刺すように飛んだ甲高い声が、校長室に残響する。

 

 博士たちは動かない。アオイのつり上がった目から注がれる真っすぐな視線が、画面の隔たりを無視して深々と突き刺さっているのだろう。目は離せないし、動けないのだ。ハルトにも気持ちはわかる。

 

 沈黙が痛くなってきそうなところで、クラベル先生が再び話の舵を切ってくれる。

 

 

「それほどに、予断を許さない状況なのですか?」

 

『それは…………』

 

 

 言葉に詰まるオーリム博士。

 

 

「……わかりました。質問を変えましょう。こちらの二体、コライドンとミライドンは、共にエリアゼロのポケモンなのですね?』

 

『……………………はい、その通りです』

 

 

 逡巡の後、フトゥー博士が重い口を開けた。

 

 

「結構。では次に、彼らには個別のフォルムチェンジ以外にも別の、二体が一つに合体した姿が存在する。これも間違いはありませんか?」

 

『……合体と呼んでいいのかは、まだ何とも。ですが二体の消失と共に現れ、そしてそれの消失と共に二体が現れることから、彼らの存在そのものが変換されているという点では間違いないかと』

 

「その現場を見た回数は?」

 

『僕が二回で、オーリムが一回。最初の一回目が僕も彼女も目を離していた時で、どうにか抑えたところ、先ほどアオイが言うように分裂しました。原因はまだ究明中ですが……エリアゼロ内の結晶が深く関わっていることまでは突き止めていました』

 

 

 突き止めていた。その過去形で、ハルトは察する。

 

 クラベル先生も同じのようだ。眼鏡に手をやって、フトゥー博士の言葉の先を継いだ。

 

 

「かつてのテラスタルと同じで、エリアゼロ内でしか発生し得ない現象……だった?」

 

『それどころか、最新部近くの結晶が充分に集合している場所でないと維持もできていませんでした。あの調子では、第三観測ユニットにも届かないはず……』

 

 

「――でも事実、大穴の外にいた。それもパルデアの南端の、人里が近い浜辺に、単独で」

 

 

 一つ一つを強調し、並べて突きつける。

 

 そうしてハルトは注目を集め、

 

 

「アオイとネモが偶然そこにいなければコサジタウンが危なかったかもしれない、その前にそこに辿り着くまでのどこかで被害が出ていたかもしれない、アオイとネモの見た光景が気のせいでないなら外に出てから変換とかいうのが起こったのかもしれない、その場合はこれからも同じことが起こるかもしれない、そしてその条件は今のところ何一つわかっちゃいない」

 

 

 一息で、しかし早口ではない程度に捲し立てて、

 

 

「だったら話は元通り、蛇足はここでおしまいです。コライドンはぼくが、ミライドンはアオイがそれぞれ責任をもって管理しますので、お二人には先ほど話にあったサポートに加えて原因の究明もよろしくお願い致しますということでこのまま失礼させて頂きます」

 

「待って待って待ってくださいハルトさんストップ、ストップです!!」

 

 

 その勢いで流れるように退室を決めようとしたが、クラベル先生に阻止された。物理的に。

 

 だがハルトは諦めない。この後に続くであろう言葉を先回りして潰す。即ち、

 

 

「知らない間に家族が危険に曝されて、家族が危険に立ち向かっていた。それを後から聞かされる気持ちがわかりますか? 後から後からかもしれないの大洪水で延々と揺られ続ける気持ちが!」

 

 

 実際はかなり慣れたものだが、それはハルトに自負があるからだ。経験と実益に裏打ちされた自負が。

 

 

「もしまた合体だの変換だのが起こって、家族や友達はもちろん周りの大勢にまで被害が及ぶことが確定したらその瞬間、――――ぼくが、叩き潰す」

 

 

 自分と相棒たちが目を光らせている限り、相手が伝説や幻などと呼ばれる強大なポケモンだったとしても絶対に守り抜く。……アオイには死んでも言えないが、最悪自分を擲ってでもそれだけはと心に決めている。

 

 ハルトは二体の間に入り、それぞれの頭に手を置いて目を合わせた。

 

 

「お前たちの元気を取り戻すために、ぼくも全力を尽くそう。ぼくやアオイの新しい仲間とも、ぜひ仲良くしてくれると嬉しい。――だから、安心して過ごせ。もしもその青白く光る暴走状態とかいうのになったら、ぼくが叩き潰す。ちゃんと叩き潰してやる。約束だ」

 

 

 すぐには反応がなかった。当然だろう。アーマーガアやネギガナイト、デスカーンなどで威圧するでもなく、人間風情、それも子供がゼロ距離でほざいたのだ。仮に知能が高くなくても舐め腐っているのだと察知するには充分な態度。

 

 だが、コライドンは。ミライドンは。

 

 

「アギャ、ギャフっギャ」「……ゥゥ…………」

 

「あははっ、いい子だ! ふふっ」

 

 

 じゃれるようにハルトの顔を舐め回し、甘えるように頭に乗せた手にすりすりし始めた。

 

 アオイを見ると、笑顔で頷きを返してくる。稀に見る穏やかな笑顔で。

 

 

「さて――。では今度こそ、ぼくは失礼させて頂きますよ。連絡先はアオイに渡しておいてください。ぼくのは今ちょっとアレなので。…………ああ、それと、これは言うつもりなかったんですが」

 

 

 ハルトは少し歩いてから、画面の方へ振り返る。

 

 

「あまりにもあんまりだったので最後に言っときます。いったい何に遠慮しているのか知りませんがね、そんなところで似なくてもいいだろって思いました」

 

『……遠慮? 似る……? それは……誰に?』

 

「ペパーに、ですよ。名前を呼ぶことすら躊躇うって。しかも躊躇い方がなんか、こう…………アレなんですよ全体的に。アオイのお膳立てにも気づいてたのにスルーしてるのバレバ――」

 

「ハルト?」

 

「――レぇぉおっとこれ以上は命が惜しいので控えますが、まあつまりそういうことです」

 

 

 先ほどと変わらず穏やかなまま、しかし決定的に違うアオイの笑顔。画面を見る余裕などなかった。

 

 ハルトはじりじり後退る。校長室のドアを目指して。

 

 

「ねえハルト。前から気になってたんだけど、ハルトはわたしをなんだと思ってるの?」

 

「アオイ」

 

「……………………うん。わかった。表出ようか」

 

「時代は腕力じゃなくて脚力なんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

「ハルトさん!! 廊下に出たら歩くこと!!」

 

 

 クラベル先生による最大限の譲歩を賜って、ハルトは校長室から風の如く飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルトが………………ハルトの全部がごめんなさい」

 

『頭を上げてくれ。そしてハルトにはもう少し手心を』

 

「そんな! フトゥー博士まで! わたしが加減も知らない怪力だって言うんですか!?」

 

『……んっ? いや、え? ちがっ、そうではなくて扱いのことであって決して怪力の話などでは』

 

 

 アオイからの思わぬ攻撃に、コライドンとミライドンの合体の話が出た時でさえ保たれていた涼し気な態度が崩れ去るフトゥー。それでも表面上は即座に立て直したあたり、さすがのポーカーフェイスと言える。

 

 だが。

 

 

『フトゥー……』

 

『君まで何を言い出そうとしているんだオーリムっ?』

 

 

 オーリムによるシンプルながら効果的な援護射撃が、いとも容易く仮面を剥がした。

 

 

「――ぷっ! あははっ、なんちゃってー! 事実なので気にしてないですし、それはそれとしてハルトはシメるのでフトゥー博士に落ち度はありません。オーリム博士が乗ってくれたのは意外でしたけど」

 

『つい、な』

 

「アオイさん……オーリム……」

 

 

 クラベルは恐ろしいものを見てしまった目で女性陣を見比べて震える。

 

 子供であるアオイを発端に夫妻の妻が悪乗りすることで夫を弄る形だったからギリギリ笑いで済んだものの、配役が少し変わるだけでどんなハラがついてしまうのかわかったものではないのだ。ましてやこれが公衆の面前で繰り広げられた日には…………。

 

 眉を下げて所在なさげなフトゥーに心の中でエールを送り、同じ道を爆走しつつあるハルトを慮る。

 

 

「程々にしてあげてくださいね。先ほどの全校集会、血でも吐くんじゃないかという顔をしていたので」

 

「あははっ、善処します!」

 

 

 駄目そうである。クラベルは、ハルトがもし校舎内で走り出したくなってしまった時に抜け出す用の窓を用意するか、本気で検討し始めた。

 

 それを余所に、アオイは笑顔で続ける。

 

 

「ハルトの場合、顔とか態度に出なくなった時が危険信号なので。たぶん、自分でもわかってるから、余計に放っておけなかったんだと思います」

 

 

 無邪気さが鳴りを潜めた、穏やかな笑顔で。

 

 

「ハルトが言っちゃったのでわたしからも少しだけ。ペパーくんも、どうしていいかわからないみたいなんです。今は、この子たちの元気を取り戻すために秘伝スパイスを採りにいくっていう目的があって……そのあたりでも何か隠してるっぽいんですけど、それでも目指すものがあるから……なんとか、踏み止まってる状態にしか、わたしには見えなくて…………」

 

 

 先ほどと同じように、気まずそうに目を泳がせて。

 

 

「それが無くなったら、終わっちゃったら、わたしはペパーくんを繋ぎ止めていられる自信がありません」

 

 

 ハルトの前では見せなかった不安を吐露する。

 

 今日が初対面のはずの、食堂で少し話し込んだだけの男の子と、その両親のために。

 

 オーリムが思わずといった様子で口を開く。

 

 

『詳しくは言えない……いや、私たちもよくわかっていないというのが正直なところなのだが……ハルトが言った似たような遠慮の仕方というのは恐らく核心を突いている…………、……信じられないだろうが』

 

「いいえ、信じます。だって、すごく辛そうだから」

 

 

 勢いで話したために濁すに至った部分を、それでもアオイは目敏く拾い、一切の追究もせず飲み込んだ。

 

 オーリムはついに、画面の向こうで頭を下げた。

 

 

『息子を……ペパーをっ……よろしくお願いします』

 

「任されます。任されますけど、約束してください。二人とも――――絶対に諦めないで」

 

 

 頭を下げたままのオーリムに代わって、フトゥーが答える。剥がれた仮面もそのままに。

 

 

『……ああ。何としてでも解決してみせる。そうしたら、また……また…………』

 

「…………オーリム、フトゥー」

 

 

 クラベルの声が静かに響く。

 

 

「こうなった以上は、私も全力であなた方をサポートします。……話せる段階に進んでからで構いません。アオイさんとハルトさんはもちろん、ペパーさんとも折を見てきちんとお話するように」

 

 

 そして、アオイもついぞ口にできなかったその言葉を、彼らをよく知る大人として言い放った。

 

 

 

「かけがえのない、家族なのですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……良い子たち、だったな」

 

 

 暗くなった画面を見たまま、フトゥーが零す。

 

 

「ああ……直接会って、もっと話してみたい。あの子も……ペパーも、一緒に」

 

 

 オーリムは、よろよろと近くの椅子に座り込む。

 

 

「…………オーリム、僕は――」

 

「――私は、その人ではない。あなたが、あの人ではないように…………」

 

「……不思議なものだ。記憶はあるのに、どうしようもなく違うということもわかってしまう」

 

 

 二人とも、ここではないどこかを見つめていた。

 

 だが、それでも。

 

 

「ペパーは、前に進んでいる。僕たちが途方に暮れている今この瞬間も」

 

 

 諦めないでと言ってくれた。

 

 

「……そうだな。まったくもって、情けない話だよ」

 

 

 何かあっても叩き潰すから安心しろとまで言わせてしまった。

 

 

「フトゥー。私たちは、恐ろしく恵まれているな」

 

「……ああ。違いない。オーリム。君にだけは、今、誓っておこう。さっきは言えなかったことだ」

 

 

 許されるなら、もう一度。

 

 

「また三人で。家族三人で、食卓を囲もう」

 

 

 話は全部、それからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけだから、ぼくから手を引くなら今だぞ」

 

 

 校長室がある廊下を、エントランスホールに向けて競歩で進んでいくハルト。

 

 口にしたのは独り言ではない。

 

 

『…………あのタイミングで校長室に呼び出しなんて終わったかと思った』

 

「それは本当にそう」

 

『場合によっては名乗り出ることも視野に入れて待機してみれば……正直、かなり後悔している』

 

「お前はアレだな。乗り掛かった舟から降りられないタイプだろ」

 

『……どの口が?』

 

「言うな」

 

 

 ハルトの目線の高さで並走するスマホロトムから、カシオペアの合成音声が饒舌に喋る。

 

 このハッカー、一部始終を覗いていたらしい。その過程でどういう心境の変化があったのかなかったのかはカシオペア当人のみぞ知るところだが、

 

 

『…………ハルトたちは…………いや、何でもない』

 

 

 何かしら思うところはあるようだった。

 

 ハルトは敢えて、そこには触れず、

 

 

「ついでだ。アジトの場所と、ボスのプロフィール、今すぐマップアプリに送れ。ジムと照らし合わせて、大まかな予定を組む」

 

『…………わかった』

 

 

 秒で送られてきた情報を流し見る。

 

 

「…………チーム・セギンかチーム・シェダルだな。最初はセルクルジムとその周辺で基礎作りの予定だし少し遠いけどセギンで――」

 

 

 ロトロトロトロト……ロトロトロトロト……

 

 

 その場でぴょんっと跳び上がるハルト。

 

 画面に映る名前を見て足が縺れそうになるが、持ち堪えて通話ボタンを押した。

 

 

「もっ、もしもしぃ……」

 

『あっ……もしもし、ハルト? 今大丈夫だった?』

 

「大丈夫だよ、ネモ。もう部屋に帰るところだから。それでどうしたの? 明日の約束なら覚えてるけど」

 

『その約束のことで――――」

 

「あー、なるほど。だったら――――」

 

 

 

 ――知らず知らず、一歩が大きくなるハルト。

 

 

 話しているうちに部屋に着き、荷解きを始めて数分が経ったころに通話を終えた。

 

 カシオペアが戻ってこなかったが、用は済んでいたので特に気にせず配線まで作業を進める。一通り終わって窓の外を見ると、すっかり日が暮れている。

 

 ふと、視界にベッドが映り込む。それが、この日のハルトの最後の記憶だった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあ、行くんだ』

 

 

 ずっと見ていたその姿に、背中を向けて歩き出す。

 

 

『お前さんの旅は、まだ始まってすらいないぞ』

 

 

 最初の一歩は、思いのほか軽かった。けれど、進むごとに空を切るようになっていった。

 

 

『――大切な人やポケモン、自分自身でもいい。その誰かに誇れるような生き方をしなさい』

 

 

 

 だから今や、ただの一歩が羽ばたきのように周囲を煽り、動かしていく。

 

 

 望むと望まざるとにかかわらず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

序章 閏天に泥む

 

 

 

 

 

 

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