閏天に滲む 作:アクーシャの底で
来週のアニポケが休みで悲しかったので投稿。
一万年生きたレアコイルの姿。その記述を見た時、アオイは率直に言って興奮した。
誰のものかも定かでない主張。荒唐無稽な世迷言。アオイにとってはロマンの香りを際立たせるスパイスに他ならない。むしろアオイからすれば、荒唐無稽という評価自体がそもそも首を傾げざるを得ないものであるからして、そういうたった数分間端末を操作するだけでそんなわけがないとわかることすら調べず適当に「否」を垂れ流し、あまつさえ追究を邪魔してくる場合すらあるなんちゃってリアリストが幅を効かせる現代の風潮は、せっかくのロマンに水を差す悪だ。
故に、遺跡を始めとした歴史や伝承の跡を辿る動機の中に、そういう自分で解いたわけでも証明したわけでもない常識とやらに胡座をかいた挙句にそうでない他人を笑う連中の平穏をひっくり返す愉悦が、欠片もないと言ったら真っ赤な嘘になる。
――目の前で無数のガケガニを相手に大立ち回りを演じるレアコイル擬きは、そういう意味ではこれ以上ないほど格好のネタだった。
「アオイ、まさかとは思うが捕まえようなんて考えてねえよな!?」
「もちろん本音は捕まえたその場で即行撫で回したいけどさすがに弁えてるよ!」
「ならいいけどよ……ってちょっと待った! それだとオマエ、ガケガニと関係なく出会してたら捕まえる気マンマンちゃんだったってことだろ!? もっとダメじゃえねか!」
「バレたかー!」
「どう見てもただのレアコイルじゃねえんだ! ボールに入るからって同じように考えるのは違うだろ!」
「でも無関係ではないよね! こうして出会っちゃったからには、どう対応するにしてもコイル族との共通点から探り入れてくしかないと思うの!」
ちゃっかり空のボールを握りしめて笑うアオイ。
コイル族――現代においては“じしゃくポケモン”の分類を与えられ、見た目にもわかりやすい生態で広く知られる電気タイプの代表格。だがその起源は、追究すればするほど謎が深まるばかり。最近では電気技術自体がまだ無に等しかったヒスイの地に生息していたという記録すら出てきている。
卵が先か、あるいはそれとも。ポケモンという存在は、そんな天秤の片方に歴史や文明を乗せてなお語ることすら心許ない。不思議な不思議な生き物。正しくその通りなのだ。
「わたしは知りたい! あのポケモンが何なのか!」
高らかに宣言したアオイを、三つの目が捉える。
雨のように降り注ぐ“ロックブラスト”を、U字磁石を模した脚をダイナミックに伸び縮みさせて躱し回るその様は確かに、ペパーの言う通りただのレアコイルとは言い難い。
砂の毛皮――スナノケガワ。それが数少ない記録に残る名前だ。
乾燥地帯を中心に数件の目撃報告。捕獲例はゼロ。
その性質は、出会した瞬間に嫌でも察せられるほどに攻撃的で、そして狡猾だった。
無数のガケガニを相手に大立ち回りを演じながら、ヌシのガケガニと熾烈な中距離戦を繰り広げ、アオイに一瞥をくれる余裕すら残している。ネギガナイトやデスカーンへの警戒も余念がない。
それでいて無作為に撒き散らしていた“ほうでん”を目晦ましに放たれる“だいちのちから”で、ガケガニの数は確実に、加速度的に減っていく。
「――っ、だーもう! わかったわかったよ! 俺も援護すっから! ぜってー勝つぞ!!」
「ありがとう! そう言ってくれると思ってた!」
倒れていったガケガニたちの無念を背負い、新たにヌシと並ぶ二体。
「ネギガナイト! “リーフブレード”で攻め立てて!」
「パルシェン! “ひかりのかべ”! からのエンドレスで“つららばり”だ!」
ネギガナイトの突貫に先んじて障壁が展開される。
スナノケガワを囲むように。
「へへっ! 密着デバフ型だこの野郎!」
“つららばり”が“ほうでん”を突き破り、そこを通ってネギガナイトがスナノケガワの懐に入る。
“リーフブレード”がスナノケガワを切り裂いた。
「……ッ!」
――否。ネギガナイトの槍による袈裟斬りは、直前で大きく軌道が捻じ曲がる。
「うおぁっ!? なんだ!?」
その軌道から弾け飛び、スナノケガワの足元からもザラザラと噴き出すのは――黒い砂。
袈裟斬りに振り切った槍の穂先から掬い上げるようにしてネギガナイトを押しのけると、そのままドーム状に放射されて広がっていく。
それは、目に見えない電気を帯びていた。
ガケガニたちが接触した端から弾き飛ばされ、痙攣しながら倒れていく。
「あれは……砂鉄っ! ペパーくん弾幕お願い! とにかくたくさん!」
「パルシェン! “ロックブラスト”も追加だ! ガケガニが倒れてった穴ァ埋めてけ!」
「デジー! ネギガナイトと“サイドチェンジ”! からの“シャドーボール”展開!」
アオイの傍らからデスカーンが消え、ネギガナイトが現れる。電気を食らった様子はない。
パルシェンの隣に着地したデスカーン。ギリギリのところで展開された“シャドーボール”が二体を包み、砂鉄のドームと拮抗する。その間、パルシェンは一歩たりとも動かず弾幕を張り続けている。
“つららばり”と“ロックブラスト”は、拮抗する境界をほとんど素通りに近い勢いで抜けていく。
“シャドーボール”に関しては、デスカーンの技量で説明できる。そして、電気を帯びた砂鉄に関しても。
「“だいちのちから”で掘り返して、あるいは変質させた砂鉄に“ほうでん”で磁力を付与して操ってる!」
ビシッと人差し指を突きつけて、そうでしょ! と。
返答は砂鉄の奔流だった。
スナノケガワを中心に全方位へ放射されていた砂鉄のドームが崩壊し、“シャドーボール”との境界に殺到する。スナノケガワ自身も独特なフットワークを再開したことで、砂鉄の奔流は不規則に波打つ。
圧力を増したそれに、せり合う“シャドーボール”もまた体積を縮めて密度を上げていく。
今にも瓦解しそうな拮抗状態の中、ヌシが動く。
「ンガァウニッ!」
弾幕に紛れて飛来した岩塊が、スナノケガワの足を取って積み上がる。“がんせきふうじ”だ。
足を止めるスナノケガワ。すかさず“シャドーボール”ごと前進し、プレッシャーをかけにいくデスカーン。パルシェンが“ひかりのかべ”を貼り直す。一気に精彩を欠いていく砂鉄の動き。
ヌシはここぞとばかりに躍動する。その巨体で砂鉄も“ほうでん”も、“だいちのちから”さえも無視して肉迫し、全身を使ってハサミを振り下ろした。
“いわくだき”が、スナノケガワにクリーンヒット。
まだ立っているガケガニたちが“ロックブラスト”で追い打ちをかけ、
「“スターアサルト”!!」
デスカーンの“サイドチェンジ”で前線に舞い戻ったネギガナイトが大技で更に詰める――
「コッ、コジ、ジジテッココ……!」
“いわくだき”の衝撃が残るスナノケガワ。
伸びきった脚がU字磁石の体裁を放り捨てる勢いでバタつく。それでも反撃の意思は消えない。
――“でんじほう”が爆発する。渾身の一撃を決めて隙だらけのヌシ諸共、ネギガナイトを落とさんと。
「――“かなしばり”!」
反動で動きが鈍いネギガナイトを狙った二発目が、発動もせず失敗した。
動揺するスナノケガワ。
「今だ! “つららばり”集中砲火ァ!」
「ンガァアニガアアアアアアアアアアアアアア!!」
もはやマシンガンと変わらない掃射の中を、ヌシが被弾も厭わずスナノケガワに突貫する。
スナノケガワもまた、“かなしばり”とヌシの猛攻に気を取られ、“つららばり”が被弾し始める。
一つ一つが小さくても、効果は抜群。
ネギガナイトの動きも、まもなく戻る。
「うっ……!」
「ぅおぁ!? またかよ……! 範囲広すぎん”だよっ! ちくしょう!」
一帯に再び、強烈な“じゅうりょく”。
パルシェンの“つららばり”は届く前に地面のシミとなり、ネギガナイトは反動明けの出鼻を挫かれ、ヌシは足先が地面に埋まってその場に拘束された。
元々の地形に加えてこれもあるからアーマーガアは出せない。無視して上空に居座れないこともないが、攻撃手段がこの場の全員を纏めて叩き潰すものに限られる。アオイとしては、ガケガニを味方につけた上で事態を収拾したいのでそれは避けたい。
決め手も当然ガケガニである必要がある。ヌシだと尚良いが、望みは薄い。“いかりのこうら”が発動してもうだいぶ時間が経っている。
仕切り直しはできない。恐らくこれが最後の機会。
爆ぜて抉れた地面。砕け散った岩の残骸。刺し痕のようなガケガニたちの足跡。そしてそれらに混ざって散乱しているハサミ。
一つ一つが人間よりも大きいハサミ。
スナノケガワの襲来に対抗して力をつけ、あえなく敗れていった次世代たちの残骸。
ヌシのものは見当たらない。まだなのか、あるいはすでに還ったあとか…………後者だろう。誰よりも先に挑み、敗れ、それが発端となって次世代たちが頭角を現し始めた。そう考えれば一応は納得できる。
この場の誰より“じゅうりょく”の効くヌシが、それでも尚、身を挺して距離を詰める理由も。
「アイツっ、なんであんな無理して……!?」
そう。まるで自ら、捨て石となるかの如く――。
この戦いの決め手は、ガケガニである必要がある。ヌシのような力のある個体だと尚良い。
例えば、ペパーに迫る“でんじほう”をピンポイントで叩き潰した一撃。あれはヌシのものではなかった。飛んできた方向が違う。ならばどこから?
物見塔だ。
チュ――――ッドゴガッ!!!!
「ジゴッッ、ゴ……テッ……!」
「さっきのっ、やつか!?」
“じゅうりょく”に引かれた岩石が、スナノケガワに直撃する。
“うちおとす”による狙撃。遠くから山なりの軌道を描いて飛来し、“じゅうりょく”圏で急降下。奇襲性に優れているのはもちろんだが、今この瞬間、何よりも活きているのは――発射元の隠密性。
何故なら、ペパーもヌシも、スナノケガワさえも、それが物見塔にいると思っている。
「――ガッガッガッガガガガンニィィイェアア!!」
“じゅうりょく”の解除と同時、その個体は現れた。
向かって左――アオイとペパーが背にしている岩壁の左脇から、爆速で地面を駆け抜けて。
これにはアオイも面食らう。
「うそっ!? “くさわけ”で裏から回ってきたの!?」
物見塔の方を睨みつつヌシを仕留めようとしていたスナノケガワ。その死角に入り込む。
スナノケガワが遅れて気づく。
その一瞬の隙を突いて、ヌシが覆い被さった。
「“ひかりのかべ”!」
ペパー、咄嗟の指示。ほぼ同時に爆ぜる地面。
“だいちのちから”。スナノケガワを取り囲むように連続して発動し、ヌシのボディを滅多打ちにする。
気を失いながらもスナノケガワにのしかかるヌシ。
物見塔のガケガニが迫る――。
限界まで引き上げた機動力と“ひかりのかべ”の恩恵で、縦横無尽に駆け回り、一進一退を繰り返しながらも“だいちのちから”の波状攻撃を突破する。
「――テッココッッジジジジィイイイ!!」
噴出する砂鉄。足元から持ち上げられ、顔から地面に叩きつけられるヌシ。
「アイツっ、ヌシを盾に!?」
「ダブルチェンジッ!!」
デスカーンが連続して飛ぶ。
一度目の相手はネギガナイト。ヌシに次いでスナノケガワの近くにいた。
そして二度目の相手は――物見塔のガケガニだ。
「ィイッ、ジデ――!!」
倒れたヌシを利用した大楯。その裏側に、物見塔のガケガニがハサミを振り上げた状態で現れる。
スナノケガワに、“クラブハンマー”が叩き込まれた。
「……アオイ!!」
「――っ!!」
最後の抵抗。“ほうでん”と砂鉄の爆発的な放射。
――飛ばされてくる、ヌシの巨体。
パルシェンの頭上を越え、その岩壁の如き広大な甲羅をアオイとペパーに向けたまま。
ネギガナイトもデスカーンも、あと一歩届かない。
――咄嗟だった。
迫り来る岩壁に向かって、アオイはボールを投げていた。ずっと握りしめていた、空のボールを。
大質量を収めたボールが、アオイの足元に落ちた。
そのまま揺れる様子はなく。
岩壁のヌシ、捕獲――。
「ほっ……」
「…………は、」
揃って緩やかに腰を抜かし、その場にぺたんと座り込むアオイとペパー。
口をぽかんと開けて、肩で静かに息をする。
その視線の先では、物見塔のガケガニが――否。
「ンンンガッカニィィイェアアアアアアアアア!!」
新たな岩壁のヌシが、スナノケガワを踏んで抑え、ハサミを高々と掲げていた。
「あっ! あれ! ペパーくんあれ! あれだよ!」
「うで! 腕ちぎぃい!? ちぎれるちぎれる!」
薄暗い洞窟の奥に、それは生えていた。
緑に光る苔植物が密集しているとある壁際にペパーと二人、並んでしゃがむ。
「すごい……! 本に載ってたそのまんま!」
「……だな」
「えっと、この色と香りは……」
「ひでん:あまスパイスだな。胃を健康にして食べ物を消化しやすくしてくれるんだよ。腹痛とか食欲不振にも効果絶大……って話だったはずだ!」
立ち上がって拳を握るペパー。
「よっしゃ! 早いとこ場所空けてえし、さっそく腕によりをかけて料理してやるよ! いい感じのストレッチもできたことだしな!」
「ご、ごごめんんんついハルトにやる感覚でえ!!」
「ハルト、本当にお兄ちゃんなんだな……」
苦笑しながらリュックを下ろし、ピクニックセットを広げていく。手早く、無駄なく、勢いよく。
「うおおおおおお! ずりゃ! おりゃー!!」
洞窟内に、気合いの雄叫びが反響する――。
あの後、スナノケガワは嘘のように大人しく、南3番エリアを去っていった。
スナノケガワの知能のほどはわからない。高かったとしてもあの気性だ。そうでなくても、そもそも野生の生き物、人の理性に照らし合わせるのはナンセンスなのかもしれない。
それでもアオイには、敗北を認めたが故の潔い撤退に思えてならない。
決して短くはなかったはずの戦い。“でんじほう”が叩き潰された痕は、残っているだけでも数十個以上。風化の具合はバラバラだった。つまりは継続的な狙撃であり、アオイが見た二度の着弾それぞれの様子からも、スナノケガワの中である程度は対応のパターンが固まっていたと見える。
あのガケガニが、物見塔の上で思い描いた通りに。
他の次世代ヌシ候補が挑んでは返り討ちに遭う中、あのガケガニは狙撃に徹することで、スナノケガワに印象付けたのだ。――物見塔にいる個体は、遠くからチマチマちょっかいをかけてくるだけの臆病者だと。
恐らく一度は敗れているヌシの再起に、最後の勝機を見出して。
たまたま訪れただけのアオイとペパーすら、即座に使えると判断し、存分に利用し尽くして。
「お待ちどうさん! スパイスたーっぷりペパーサンドウィッチ、完成だ!」
「おおおー!」
目を輝かせるアオイ。よだれはギリギリ我慢する。
「じゃあ…………スペース大丈夫かな?」
「大丈夫なんじゃねえか? 今までもここに入ってきてスパイス食べてたんだろうし」
洞窟の入り口に目をやりながらペパーか言う。
新たなヌシとなったガケガニは、物見塔の上と下を行き来した経験を活かして分布の偏ったガケガニたちを順番に散らす作業に向かっている。
……というのは、デスカーンの通訳を介してアオイが聞き出したことである。
先代のヌシに対する最後の敬意だったのか。新たなヌシはデスカーン越しにその話をしながら、アオイとペパーが背にしていた岩壁をどかして、裏から現れた洞窟の中をハサミで示したのだ。
洞窟の入り口には、最後まで倒れなかったガケガニ数体が見張りに付いてくれている。
「出ておいで!」
ヌシだったガケガニが、脚を畳んだ腹這いの状態で出てくる。ぐったりしているものの、巨体は健在だ。
そして、その傍らにもう一体。
「ミライドンも! って、元々ミライドンに食べさせるために手に入れたんだよ! ちゃんとコライドンに渡すぶんもあるから、はい! 遠慮せず食べて!」
「ギャ、ギャスァギ」
ちなみにコライドンの分は、効果が確認でき次第、パルデア唯一のアーマーガア便で直送予定である。
ミライドンがサンドウィッチをぱくつく。
「わっ!?」
わかりやすく漲るパワー。いつもはわかりづらい表情が、目に見えて綻ぶ。
「……効果は抜群みたいだな! よかったな!」
「うん!」
頻りに足踏みをするミライドン。元よりコライドンに比べれば元気ではあったが、こんな風に自ら進んで動こうとしたことはなかった。
ミライドンは落ち着いた性格をしていた。控えめと言ってもいい。だからこそ今、確信できる。
秘伝スパイス――その効果は、本物だ。
「そんじゃ、ほら。アイツ……コライドンのぶんだ。ココに送ってもらうんだろ?」
コンパクトなバスケットにサンドウィッチを入れて布巾を被せ、アオイに差し出した。
受け取って、アオイは洞窟の入り口へと駆け出す。
「ありがとう! 出てきたばかりでごめんねガケガニ! ちょっとサンドウィッチ食べて待っててー!!」
反響するアオイの声。言葉の最後は、吸い込まれるように消えていった。
「さすがのバイタリティちゃんだが、元ヌシ様的にはどうなんだ?」
「ンニ……」
「…………愚問だったな」
ヌシだったガケガニは、一口で丸ごといったサンドウィッチをもっくもっくと咀嚼している。
静かなものだった。スナノケガワと熾烈な接近戦を繰り広げてはいたが、元は大人しい性格なのだろう。すぐ傍らでミライドンが漲っても動じず、敢えて曖昧にぼかしたペパーの声かけにも生返事のような鳴き声で応じたきりそのまま。
天井に届きそうな大質量は、しかし一切の圧迫感を感じさせず、ただそこにいるだけ。
「気ぃ遣って、くれたのかな……二人っきりはキツイだろうからって」
「……ギャス」
「そう身構えんなよ。俺は大丈夫だ」
僅かな逡巡の後、その場に座るミライドン。無機質に見える電子の瞳は、確かに憂いを帯びている。
対するペパーの表情は、酷く穏やかなもので。
「こういう時くらい甘えようぜ。噛み合わなくたっていい。話すことが大事なんだ」
その手には、モンスターボールが握られていた。
『そうか。ミライドンが』
「はい! 今にも走り出しそうでした!」
入り口で見張りに付いてくれているガケガニに一声かけてから、洞窟のある岩山の上に登ったアオイ。
ハルトはテーブルシティにいるらしい。ココなら、行って帰ってくるまでそうかからない。その短い時間を使って、アオイは博士に電話をかけていた。
応答したのはフトゥーだ。
「たぶんコライドンのところにもそろそろ届く頃だと思います! これでコライドンも元気になったら、次はハルトとも予定を合わせて、ミライドンとコライドンが一緒に走ってるところを見てほしいなぁって!」
『ああ、助かる。その時はこちらも、オーリムと二人で通話に出られるように調整しよう』
オーリム博士に比べれば表情の変化に乏しいのかもしれないが、フトゥー博士は確かに笑っていた。
アオイの発案によって、博士夫妻との連絡はビデオ通話で行っている。校長室から数えて三度目の連絡で提案し、口を尖らせて渋ったハルトをアオイが即座に締め上げたことで博士側から「私たちは構わないが、ハルトに不都合があるなら云々」という形でお許しを頂いたのだ。
ハルトが本心から渋ることも、それを受けた博士側の意識が「自分たちの都合」から「ハルトの都合」に逸れることも、そのままハルトを出汁になし崩し的に受け入れられることで、そのきっかけが単なるアオイの無邪気で流されることも。
全て計算に入れた上での提案であり、いずれ来たる関門に向けたちょっとした布石である。
『しかし、秘伝スパイスがバルデアの生態系の中心に食い込んでいることはかなり前から調べがついていたが……まさかスナノケガワが縄張りごと略奪にやってくるほどとは』
「…………大穴の方に、逃げていったんです」
『……ここまで来て惚ける理由はないな。その通り、スナノケガワはエリアゼロのポケモンだ』
明かさずに済ませられるなら、それに越したことはなかった。そんな本音が透けて見える。
アオイもそれには同感だった。こればかりはロマンとは別の問題だ。
『君もほぼ確信しているだろうが、改めて僕から断言しておこう。――少なくとも、月刊オーカルチャーで取り上げられたポケモンに関しては、全て実在する』
フトゥー博士は続けて言う。
『彼らの生命力は、現代の生態系を容易く壊し得る。強大過ぎたんだ……あまりにも』
「……博士?」
『いや……実際に戦ったばかりのアオイからすれば、酷く薄っぺらなコメントだったと思い直してね』
「――。そう、ですか……」
『話を戻そう。今は、エリアゼロに張り巡らせているバリアで、彼らが外へ出ていかないよう制御しているが、君たちが相対したスナノケガワのようにバリアを突破するポケモンも現れ始めている。……僕たちが、ラボを離れられない理由の一つだ』
「…………」
アオイは咄嗟に言葉を返せなかった。
スナノケガワは強敵だった。ガケガニたちへの忖度を抜きにしても、撃退には骨が折れる。あれが複数、あまつさえ大量に放たれでもすれば、まず間違いなくパルデアは壊滅するだろう。
そして聞き間違いでなければ、現状それをバリアで防いでいるのだと。バリアの制御があるから、ラボを離れられないのだと。……それでいて今回のように、バリアを突破するポケモンも現れ始めているのだと。
ならばフトゥー博士は、オーリム博士は、いつまで経っても出てこられないということにならないか?
『…………それと、ロースト砂漠を縄張りにしている土震のヌシもまた、バリアを突破したポケモンでね』
アオイが返す言葉を見つけられないまま、フトゥー博士の言葉だけが続く。
『今回の件を受けて……クラベル校長から、オモダカ理事長にも話を通して、カラフシティのハイダイ氏に協力を要請してもらうことにした』
「……それって」
『アオイ』
画面の向こうからアオイの目を真っ直ぐに見て。
どこか、絞り出すように。
『――土震のヌシからは、手を引いてほしい』
東西方向の見晴らしがいい南2番エリアは、高い気温と乾燥した空気も相まって、昼前後の時間間隔が曖昧になりやすい。
眩しさに手を翳して向き合っていたはずの太陽が、いつの間にか後ろに回っている。
それが整然とした畑の中なら尚更。
植えてあるのがオリーブのような木でも、影が差す方向までは意外と見えていないものだ。
「あら〜?」
オリーブ農園の一角で、カエデはふと足を止める。
等間隔に立ち並ぶオリーブの木。畑の間の道に立つカエデの、手前から数えて八本目と九本目の間。
木の葉に紛れる鮮やかな赤。突起のような黄色。
根本から覗く、虫の腹。
「…………」
笑顔のまま、再び歩き出すカエデ。
足音を一切立てずに。
オリーブの木を二本、通り過ぎたあたりで、逃げるように駆けていくミニーブとすれ違った。
四本目の木の近くでは、ディグダが顔を出したまま問題の場所をじーっと見つめている。
七本目に差し掛かる頃には、それが白い体毛を持つ虫ポケモンだと確信していた――
「――――」
それは、地を這うように歩く立派な翅だった。
午後二時のオリーブ畑。
ウルガモスの炎が呼んだ雲の下。
――隠れていたはずの太陽が舞い降りる。