道路の一角に赤い、紅い花が咲いていた。
「ふん…」
その紅い花を、自分が蹂躙した転生悪魔を見下ろしてコカビエルは不快なものを見たように鼻を鳴らした。否、実際にこのザマは不快であった。
─弱い。これが今の悪魔の雑兵のレベルか。
もちろんただの1人で全体の練度など測れようはずもない。だが、相手はあの
(あの大戦の頃は良かった。あの頃は敵にも味方にも、恐るべき雑兵で溢れかえっていた。)
3大勢力が死力を尽くしたあの大戦時。あの戦時中は歴戦の堕天使であるコカビエルとて何度死んだと思ったかわからない。名も無き下級悪魔の命を引き換えにした一撃に血を流し、顔も知らぬ下級天使が四肢を捥がれながら相打ちを狙って命と引き換えの光力を放つ。あの頃は雑兵とて今の世ならば一騎当千の猛者として名を馳せたであろう、動乱の世であった。
(それが今や悪魔は
平和ボケだ。我々は仮初の平和に慣れきって、随分と腑抜けてしまった。
「コカビエルよ。この悪魔は殺さんのか。」
昔に思いを馳せたコカビエルに、ひょっこり現れた老人が声をかけた。
「今は殺さん。あの紅髪の小娘にこいつの悲鳴を聴かせる必要があるのでな。」
コカビエルは血まみれの木場に近寄ると、乱暴にその体を掴み上げた。完全に意識を失った木場からはもはや悲鳴すら上がらなかった。
「
これは
「あの大戦。中途半端に終わったあの大戦をもう一度。これはあの戦争をやり直すための戦争だ。」
狂っているとしか思えぬ笑いを顔に浮かべてコカビエルは笑った。
「大戦が終わらず、中途半端に途切れたあの時俺たちは血と肉の糞の詰まった皮袋に成り下がった。後を託すと死んでいった将兵たちの願いは泥に塗れ消え失せ、その願いを叶えられぬまま無駄に時間を重ねた俺たちは自らの意志を失った
コカビエルは老人の顔を覗き込んだ。狂笑を浮かべたその顔を、老人の狂った瞳が迎えうった。
「バルパー。お前はそのための道具だ。なにがなんでも貴様にもついてきてもらうぞ。なに、悪いことは言わん。その先にお前の悲願が待っていると保証しよう。」
「…望むところだ。」
「眠れないのか。」
月を見ながら煙草を吸っていた白瀬にゼノヴィアが声をかけた。深夜だというのに彼女は聖剣使いの戦装束であるボンテージを纏っている。
「…嫌な予感がするんだ。」
何本かの吸い殻が載せられた灰皿に吸い終えた煙草を押し付けて白瀬は言葉を絞り出した。白瀬がこんな深夜にタバコを吸っているのは自分の中に蔓延る嫌な予感を誤魔化すためにはこれしかないと、そう知っていたから。
「…イリナはなにしてる?」
「様子のおかしなお前を見て寝始めた。戦う前に体力を回復するつもりなんだろう。私も寝ようかと思ったが寝付けなかったからやめた。」
「そっか。」
白瀬は新しい煙草に火をつけた。普段ならそれを口うるさく咎めるゼノヴィアも、この時だけはなにも言わなかった。それほどに、2人は濃密な死の予兆というものを感じ取っていた。
「ねえ、ゼノヴィア。」
「どうした?」
「…俺はやっぱり、死にたくないなあ。」
ポツリと溢されたその一言に、ゼノヴィアはそっと目を伏せた。
「わかってる。俺たちはヴァチカンで、
死にたくないな、と。白瀬は呟いた。ゼノヴィアはなんで返すか少し悩んで、少しして口を開いた。
「キヨシ、この任務の後やりたいことはあるか。」
「やりたいこと?それはなに、『俺、この戦争が終わったら結婚するんだ…』みたいなやつ?やだよ、フラグじゃん。」
「フラグ?なんだそれは。」
「別に知らなくていいよ。まあ、そうだね…」
ちょっと悩んで白瀬は答えた。
「旅行がしたいな。見たことないもの見て、うまいもの食べて、温泉入って、そんなただ馬鹿みたいに楽しい旅がしたい。」
「ならしたらいい。無事に任務を終えた後でな。」
「休暇とれるかな。」
「ヴァチカンにだって有給くらいあるさ。」
2人は小さく笑った。そしてその直後、離れた場所で爆発的に魔力が膨れ上がっていくのを感じて2人は真剣な顔をした。
「今のは…」
「間違いない、
始まりやがった、と白瀬が舌打ちした。そして2人のいた部屋の扉が乱暴に蹴り飛ばされ、イリナが部屋に飛び込んできた。彼女も戦装束であるボンテージを身につけている。
「2人とも!今のって、イッセーくんのところの!」
「わかってる。─行こう。」
聖剣使いたちは夜の街を走り出した。
深夜の駒王の住宅街。そこにある家の前で、リアスとコカビエルが対峙していた。何かが入った麻袋を持ったコカビエルは空に浮かび、地に立つリアスがそれを見上げる形になる。
「初めましてだな、紅髪の麗しい小娘よ。忌々しい貴様の兄君を思い出して反吐が出そうだ。」
「ご機嫌よう、堕ちた天使の幹部、コカビエル。なにしに私の領地に来たのかしら?政治的な接触なら無意味───」
挨拶など要らぬ、と言わんばかりにコカビエルが持っていた袋を投げ捨てた。一誠が慌ててそれを受け止めると、袋の中からうめき声が聞こえる。─聞き覚えのある、この数ヶ月で何度も聞いてきた声だった。
「今の声は…!」
「うそでしょ!?」
一誠が慌てて袋を開けると、中からはよく知った男が、木場が傷まみれの姿で現れた。息は荒く、今にも崩れてしまいそうだ。リアスが、そしてその眷属たちが慌てて木場の元へと駆け寄っていく。
「祐斗、祐斗!?しっかりして!」
「アーシア!頼む!」
「は、はい!」
神器を使って木場の治療にあたるアーシア以外の眷属がコカビエルを憤怒の表情で睨みつけた。
「コカビエル、あなた、祐斗になにをしたの…!」
その怒りを、コカビエルはせせら笑う。
「なにをした?俺はただ、手土産を用意しただけだ。ただしその材料はそこらを彷徨っていた下級悪魔だがな。」
「てめぇ…!」
仲間を傷つけられた怒りに燃える一誠がその手に
「ぶっ飛ばしてやる!降りてこいこの野郎!」
「そう急ぐな。まだ役者が揃っていないのでな。」
コカビエルがそう言ったのとほぼ同時に、3つの足音が一誠たちのすぐそばで止まった。彼らがそっちを見ると、
「堕天使コカビエルに
「思ったより早かったな。まあいい、これで話に入れるというものだ。」
それは歓喜の震えであった。ようやく己の大願が叶うことへの喜びであった。
「話か。お前ほどの堕天使がコソ泥みたいなちんけなことした言い訳でもするつもりか?」
「そうだ。俺がわざわざ聖剣を盗んだ理由は一つ。─戦争だ。」
十枚羽の堕天使は白瀬の前で高らかに笑ってそう言った。
「戦争をしよう。白兵戦、魔法戦、殲滅戦、防衛戦、包囲戦、突破戦。冥界で、天界で、人間界でこれから行われるすべての戦争を俺たちでしよう。あまねくすべての兵士が死んで、全ての兵士が殺される戦争をしよう。」
その狂気に、全員が言葉を失った。なにを言っているのだこの堕天使は。白瀬の喉を生唾が伝った。
「俺がしたいのは戦列を並べた堕天使の軍勢が忌々しい悪魔を血の海に沈め、目障りな天使どもの羽をもいで地面のシミにするような戦争だ。歴戦の堕天使が穴まみれになって血を噴き出しながら落ちていき、先程まで笑っていた堕天使が10秒後に苦悶の表情で絶命するような戦争だ。」
先程まで祐斗が傷つけられた怒りに燃えていたリアスたちもまた、この異様さに呑まれていた。戦争を望むものの執念は、平和しか知らない者にとってそれほどまでに異様だった。
「これはただかつて振り上げた拳をようやく叩きつけるだけの戦争だ。ただ堕天使こそが
大仰に手を広げてコカビエルは語る。自分に酔っていないとできないような、そんな雰囲気だった。
「俺は戦争を望んでいる。地獄のような戦争を望んでいるのだ。地平線の果てまで死体で埋め尽くされ、戦火が遍く天地の全てを奪い尽くす。史上で最も残酷で、情け容赦のない糞のような戦争を望んでいるのだ。」
「俺は世界に思い出させてやる。平和ボケしたこの世界に、本物の堕天使の恐怖を刻み込ませてやる。我らこそが最も偉大で優れた種族なのだと思い知らせてやる。」
そう言ってコカビエルは全員を見下ろした。魔王の妹に聖剣使い。ここで殺せば間違いなく勢力間に禍根を残すであろう面子。─だからこそ、殺す価値がある。その
「…ふざけるなよこの糞
白瀬だけは別だった。瞳孔の開き切った目でコカビエルを睨みつけ、聖剣から焔を漏らしながらその剣の切先をコカビエルに向けた。
「コカビエル。ただ長く生きただけの蛆虫が。貴様は人類の怨敵だ。殺す。絶対にブチ殺す。この命に代えてでも必ず欠片も残さずこの世から消し去ってやる。」
ギリ、と歯を噛み締めながら告げた。その
「ははは、望むところだ
「知ったことかそんなこと。たかだか俺の命で貴様を殺せるなら安いもんだ。ああそうだ、安いもんだ!万人が、億人が貴様ら蝙蝠のせいで死ぬのを止められるのなら!ならば俺の命なぞ、目が眩むほどの釣りが出る!」
そう叫んで右手の聖剣を、左手に持った
「貴様はここで死ね。貴様は泣き喚くことも震えることもできずに、ただ燃え尽きる藁のように死ぬのだ!」
火花が散り、聖火と火花が辺りを赤く染め上げる。そう宣う白瀬の目はコカビエル以上の狂気に染まっている。久しぶりに見る、神の愛ではなく人外への殺意で動いている祓魔師の目だと、コカビエルは狂喜した。
「ああいいとも。いいともやろうぜ
そう言ってコカビエルの姿が黒い塵へと変わっていく。転移だ。奴はここで戦うつもりはない。それを知りながら白瀬は聖剣を振り抜いた。聖剣から聖火が放たれ、闇夜に一条の火柱が上がる。
「うおおおおおおっっっ!?」
その炎に込められた聖なる力に悪魔たちが身震いするが、肝心のコカビエルは既にそこにいなかった。仕留められなかった事実に白瀬は舌打ちし、焔を止めて歩き出す。
「待ってちょうだい。」
その後ろ姿にリアスが声をかけた。治療を終えた木場を抱えた彼女は、怒りに燃えている。
「コカビエルと戦うんでしょう。私たちも行くわ。」
「…俺に、悪魔と手を組めというのか?」
リアスの発言に白瀬はギロリと音が出そうなほど彼女をにらみつけた。
ゼノヴィア
「キヨシって普段に死にたくないとか言う割に悪魔とか堕天使見たら自分の命簡単に放り出してでも殺しに行くのはいったい何なんだ?」
イリナ
「あれがサムライ、ジャパニーズバーサーカーよ。」
白瀬
「うちの先祖は漁師のはずなんけどなあ。」
【ある祓魔師の記憶 ③】
今日も今日とて真夏の日差しが肌を焼くなか、少年は真っ白なワンピースに身を包んだ少女に手を引かれ外へと繰り出していた。気温は35℃を超えているだろうに、少女は夏の暑さにも負けずと高く、楽しそうだ。
「あー、あっつーい!」
「だから家にいようって言ったのに…。この暑いなか外に出るなんて正気じゃないよ」
「…まさか少年は夏なのに海にも山にも行かないつもり?そんなの神様が許してもあたしが許さないよ?」
「何様のつもり?」
「あたし様のつもり!」
少女が超がつくほどハイテンションなその一方で少年は日差しにやられてだいぶまいっていた。汗をダラダラと流しながら、ただ前を行く少女に手を引かれて機械的に足を動かしている。
「いやー、にしてもほんと暑いねー!日差しも強いし!夏だね!」
「…うん。ていうか聞きたかったんだけどさ。」
「なにー?」
「悪魔って日光に弱いんじゃないの?今外に出て大丈夫?」
少年の心配を孕んだ疑問に少女は一瞬だけ哀しそうな顔をして、それから胸を張った。何とは言わないけど柔らかいなにかが揺れた。
「あたしは大丈夫!いやまあ悪魔にされた直後はかなりしんどかったけど…逃げてる途中で慣れたからね!」
「…ごめん。」
バツの悪そうな顔をした少年の頭を少女はワシワシと撫で回った。少年の暗い茶色の髪は、少女が思ったよりもずっと硬くゴワゴワとしていた。
「謝る必要ないって。まあとにかく今のあたしにとって日光はちょっと嫌くらいのものだよ。少年が心配する必要はないない。」
「…わかった。てか種族特徴を超えていく慣れって怖いね。」
「まああたしだからね!」
「理由になってなくない?」
理由なんていらないのだ!と叫んで少女は楽しそうに笑った。
「そんな小難しくて気が滅入る話はなしなし!ほら少年、今を楽しみに行こう!」
「はいはい。で、どこ行くの?」
「まずはかき氷!で、アイス食べてフラペチーノも飲みたいな!」
「…またお腹壊すよ。」
わははははっと楽しそうに笑う純白の少女に手を引かれ、少年は歩いていく。鬱陶しいくらいに暑い真夏なのに、繋がった手の温度はなぜか心地よかった。
この瞬間に彼の口角が上がっていたことは、きっと誰も知らないのだろう。
「え、なにこれ。ほんとにかき氷?」
「なに少年。ふわふわのかき氷知らないタイプ?」
「しらない。」
「まじか。まあ食べてみ?おいしいから。」
「…確かに美味しい。」
「でしょー?また来ようね。」
「あたしさ。カラオケ自信あるんだよ。こないだまで友達とめっちゃ行ってたし。」
「うん。」
「なのにこの点数なに?60点ってなにこれ。機械壊れた?」
「…一応聞いとくけどさ。ねーちゃんカラオケで歌ってた?」
「タンバリン叩いてた。」
「それで歌が上手くなるわけないじゃん。馬鹿なの?」
「うわあああん少年が馬鹿にしてくるぅぅぅ!」
「チョコミントうまー。」
「…美味しいのそれ。」
「ふふん。これでもあたしは都会のJKだからね。バニラしか食べない少年と違ってチョコミントの美味しさも知ってるのさ。」
「ちょっとちょうだい…なにこれ歯磨き粉じゃん。」
「おおおん!?それ以上言ったら喧嘩だぞ少年!」
「そんなに怒ることなの?」
「少年。あたし実はボウリング超得意なんだよ。」
「さっきのカラオケ聴いた後だとちっとも信じられないよそれ。」
「まあ見てなあたしの本気を…あ、本気と書いてマジと読んでね。」
「いいから早く投げて。」
「確かにあたしは晩にしょっぱいものが食べたいとは言った。」
「うん。」
「で、なぜにちゃんぽん。いや美味しいけども。」
「…皿うどんの方が良かった?」
「少年の選択肢にはなぜご当地グルメしかないの?」
「…餃子もあるよ?」
「あたしにニンニク臭い美少女になれと!?」
「別に食べろとは言ってないけど。てか自分で美少女って言うんだ…。」
「いやー遊んだ遊んだ。」
丸一日遊び倒した2人は、すっかり夜になった町を歩いていた。蝉の声はもうすっかり静かになって、代わりによくわからない虫の声が聞こえてくる。
「カラオケとかボウリングとか久しぶりにやったよ。」
「ボクより下手だったけどね。ガーター何回したっけ?」
「シャラップ!チクチク言葉はお姉さん許さないよ!」
「チクチク言葉て。」
夜の町を2人が歩く。繋がれた手は、相手を引っ張っていくのではなく相手の隣に立つためのものだった。
「でも、まあボクも楽しかったし。」
「おん?」
「来月お小遣いもらったら、また行こ。来月もその来月も、来年も、また。」
「少年…」
少年が繋いでいた少女の手にぎゅっと力を込めた。
「…あたし、そんな長くいていいの?」
「うちはどうせ部屋も余ってるし問題ないよ。父さんも、事情知ったら多分強力してくれると思うし。」
「でも、バレたらまずいんじゃない?ほら、聖職者の家に悪魔が住みつくって…」
「バレなきゃ大丈夫だよ。そもそも俺たちは200年間誰にもバレずに隠れて信仰を続けてきたんだ。それに比べたら半人前悪魔を匿って隠し切るなんて余裕だよ。」
「…そっか。」
だから、と少年は続けた。
「来年もその来年も、その先もずっと一緒にいよう?」
そう言った少年に、少女は頬を赤らめて、
「…うん。」
少年の手を強く握った。握って、二人で笑い合って、
「…え?」
ごぽり、と少女が血を吐いた。真っ白な服が赤く染まっていき、鉄の匂いが辺りに充満する。その彼女の腹には、
「うそ、だ…」
大きな穴が空いていた。