偽・ウマ娘ZERO ~不滅の桜~ 作:風見ひなた(TS団大首領)
――あの日見た桜の美しさが、8年経った今も目に焼き付いている。
『テスコガビー、上がっていきます。2バ身から3バ身。差が開いた! 差が開いた! 十分貯金を貯め込んで、テスコガビー第4コーナーをカーブする!』
両親に連れられて、幼い私が初めて脚を踏み入れた阪神レース場。
そこで私はこの世で最も美しい“桜”を見た。
黄色と藤色で構成された大人びたドレスを身に纏い、しっとりと艶が輝くような黒髪に挿したかんざしを揺らしながら、彼女は美しいフォームでお姉さんたちの先頭を駆ける。大きく踏み込んだストライドと共にかんざしの意匠となった桜の枝が一歩揺れるたび、ぐんぐんと後続のお姉さんたちが引き離されていく。
クラシックの4月を迎えたばかりのウマ娘とは思えないほど堂々としたその走りは、あまりにも立派で、見事で、そして美しかった。
幼い私はお母様に抱き上げられたまま、ぽかんと口を開いてお姉様の――テスコガビーの走りぶりを見つめた。
お前の姉はとても強いウマ娘だよ、とは聞かされていた。中央トレセンの期待の星だと言われて、幼い私はとても嬉しくなって、ついつい幼稚園のお友達に自慢してしまったりもした。だってお姉様はとても背が高くて、かっこよくて、優しくて、大好きな憧れの人だったから。だからテスコガビーが強いことなんてとうに知っていた。
こんなにも強いなんて、思いもしなかった。
八大競争に数えられる大レースのひとつ、桜花賞。
そこで初めて見たお姉様の走りは、あまりにも強すぎて。あまりにも速すぎて。
幼くともウマ娘のはしくれである私は、それまでテレビでウマ娘のお姉さんたちの走りを観戦したことは何度もあっても、これほど圧倒的な“速さ”を見たことがなかった。
だってそうだろう、八大競争に出るウマ娘というのはその世代の頂点を競う者たちだ。中央・地方を合わせて毎年数千人のウマ娘が競い合い、血を吐きながら厳しい練習をこなし、勝利への意思をぶつかり合わせ、研鑽する。この桜花賞に出走する10人のウマ娘たちのうち最も才能がない者ですら、他の数千人のウマ娘より圧倒的に速い。
だから八大競争で圧倒的大差など生まれない。鍛え上げられたウマ娘たちの実力は少しでもライバルを上回ろうとする中で伯仲して磨き抜かれ、そんな彼女たちが実力と執念を体の底から振り絞って戦うから、大レースとは常に僅差の勝利を奪い合うものになる。
だというのに。
『テスコガビー独走か!? ぐんぐんぐんぐん差が開く! 差が開く!』
目の前で起こっている光景は、そんな常識を打ち破った。
お姉様は――テスコガビーは、第4コーナーで脚をためてから、曲がった直後の直線で一気に加速。それまで後続に控えていたお姉さんたちはぎょっとした顔で、その背中を見つめていた。
誰も思っていなかったのだ。後続のお姉さんたちは、いつ差そうか、いつ差そうか、と待ち構えていた。先頭を走るテスコガビーはいずれ失速するはずだ、第4コーナーを抜けて最後の直線に入ったら、他のウマ娘よりに先んじていの一番に加速して、あいつを抜いてやろうということしか頭になかった。
誰も予想していなかった。
“逃げ”戦術を選んだテスコガビーが、他の誰よりも加速するなんて。
まるでテスコガビー自身が、彼女の前を走る見えない誰かを差しにいこうとしているかのような凄まじい加速力でもって、一気に後続との差を開いていく。
“逃げ”の勝ち筋とは序盤から先頭を走り、それをどうにかキープして、後続に追い付かれないように耐えしのぐことだ。
私のような幼い子供ですら備えていたそんな常識を、それがどうしたとばかりに軽く蹴っ飛ばして、テスコガビーの“速さ”は後続のお姉さんと私たち(観客)を置き去りにした。
「後ろからは何も来ない! 後ろからは何も来ない!! 後ろからは何も来ない~~っ!!!」
実況のおじさんが、同じことを3度言った。
そりゃ言わざるを得ないよと私は思った。
だって、実況することなんて何もない。
後続のお姉さんたちは、揃いも揃って10バ身もの大差をつけられて置き去りにされたのだから。
10バ身もの後ろにいるお姉さんたちのうちの誰が2番手で誰が3番手だったとして、そんなものはこのレースの勝利の何にも関係しない。
「“Eclipse first, the rest nowhere.”……」
「?」
お父様の横に立っていた眼鏡をかけたお兄さんが、よくわからないことを言って、私は一瞬彼の方を見た。たしかお姉様のいるチームのさぶとれーなーさん、という人だ。
彼は私の瞳を見返して、小さく苦笑を浮かべた。
「僕の方なんて見ている場合じゃないよ。お姉さんの勝利を見逃しちゃダメだ」
そうだった、と私は慌ててコースへと視線を戻す。
その先ではちょうどお姉様の脚がゴール盤を踏み越えようとしているところだった。
「テスコガビー、ゴールに向かう! ゴールに向かう! テスコガビー大楽勝だ!!」
あまりにも鮮やかな圧勝劇。あまりにも常識を超越した走り。
ゴール盤を踏む直前に、お姉様の頭に揺れる桜のかんざしが大きく揺れる。
それをまるで春がお姉様の勝利を祝福しにやってきたかのようだと思った。
これからの先の人生で、私は絶対にこの光景を忘れることはできないと確信した。
私という存在はこの瞬間、テスコガビーの勝利に魂を囚われたのだ。
「……キミのお姉さんは本当にすごいよ」
眼鏡のお兄さんの言葉に、幼い私は体を揺らしてお母様に地面に下ろしてもらう。
彼の方を向いて、大はしゃぎで飛び跳ねた。
「だよね、だよね! お姉様はすごいよね!」
「ああ。世代のティアラ路線の子たちじゃとても相手にならない。まだ桜花賞、これからみんながアスリートとして充実していく時期だとはいえ、テスコガビーもそれは同じ。彼女なら史上初のトリプルティアラ……いや、何冠を取れることか。少なくともこの桜花賞が歴史に残ることは間違いない。たとえ50年先でも語られる伝説になるさ」
うん、このお兄さんはわかっている。私のお姉様はすごいんだ!
気をよくした私は、うんうんと頷いてすごい!すごい!とその場に跳ね回る。
そんな私を見て、お兄さんは小さく微笑んだ。
「……キミもお姉さんみたいになりたいのかい、
「うん!!!」
そんなこと、聞かれるまでもない。
どんなウマ娘だって、今日のお姉様の走りを見たら自分もああなりたいと思わざるを得ない。その瞳には写真のようにお姉様の走る姿が焼き付くだろう。
そして、誰もがお姉様を目指すなかで、私が一等そうなれる可能性が高い。
だって私は、テスコスールは、テスコガビーの血を分けた9歳下の妹なのだから。
「そうか。そうなれたらいいね」
「なるよっ!!」
私はぐっと小さな掌を握りしめて、お姉様の方を見た。
走り終えたお姉様は、電光掲示板に浮かぶ「大差」の文字をじっと見つめている。春の柔らかな風が、汗に濡れた彼女の赤い髪を撫でていた。
私は目を凝らし、ゆっくりと変わっていくお姉様の表情をじっと見つめる。
ああ、なんて。なんて……。
「だって。お姉様はあんなにも――」
『偽・ウマ娘ZERO ~不滅の桜~』
そのとき何と言ったのか、私はもう忘れてしまった。
あれから8年間。あまりにもいろんなことがあったから。
お姉様は本懐を果たせぬままターフを去り、家中ではごたごたがあり、いろんな人との別れと出会いがあって、私は幼稚園児から中学生になった。
だけど、あの日瞳に焼き付いた桜の鮮やかさは、時は流れてなお劣化することなく。
ああなりたいという熱意は、今も私の心を焼いて、脚をこの場所へと導いた。
『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』
正門に掲げられた校名を眺め、私は胸の前で拳を握る。
やっとここまで来れた。ようやくここから、私の道が始まる。
トリプルティアラを達成することなく怪我によってターフを去った桜と樫の女王、テスコガビー。
お姉様が取り逃した悲願は、私が達成する。そのためにここに来たのだ。
他の新入生たちがきゃいきゃいと浮かれているのを横目に、真新しい制服を着た私もまた、校内へと一歩を踏み出した。
『歓迎ッ! 新入生諸君!!』
……校舎にかかってる垂れ幕、なんか最初の二文字の圧がやけに強くない?
このSSは今なお史上最強牡馬と呼ばれるシンボリルドルフと、史上最強牝馬に名が登るテスコガビーが戦ったらどっちが強い?という作者的ドリームマッチを実現するためのお話です。
そのままだとテスコガビーは75世代、シンボリルドルフは84世代と9年開いてますので、テスコガビーとまったく同じ素質を持つ妹として主人公のテスコスールを設定しています。
ルドルフと同じ84世代になったテスコスールは、果たして桜の花を開かせることはできるのでしょうか。
なお、このSSの時代設定は1980年代としており、史実年で登場した馬以外は登場しません(主人公を除く)。つまり、アプリ原作で登場したウマ娘たちはほぼほぼ出てきません、ご了承ください。
・八大競争
当時のURAにおける大レースの呼び方。
日本ダービー、天皇賞春・秋、オークス、菊花賞、桜花賞、皐月賞、有馬記念を指す。
グレード制が制定されたのは1984年のことであり、それ以前にはGⅠ~Ⅲという括りが存在しなかった。
テスコガビーが桜花賞を走ったのは1975年なので、八大競争という表記にしている。
グレード制の第一期生となるシンボリルドルフたち84世代は、まさに近代レースの黎明期を走り抜けたウマ娘なのである。