偽・ウマ娘ZERO ~不滅の桜~ 作:風見ひなた(TS団大首領)
新入生が新しい環境に慣れ始めた4月の終わり。
この時期には毎年トレセン学園春の伝統行事が活発化し始める。
そう、模擬レースである。
新入生たちが学園の教師の監督の下、学園のあちこちに設けられている
その目的は力試しや自己鍛錬、ストレス発散ももちろんあるが、最大の目的はトレーナーからのスカウトにある。
模擬レースは今年受け持つウマ娘を求めて、幾人ものトレーナーが観戦している。
ここで『自分はこんなにも強いウマ娘ですよ』とアピールすることで、トレーナーに見初めてもらうのがデビューへの早道なのだ。
何しろもう時間がないから、彼女たちも必死だ。
7月からは早く仕上がったウマ娘から順次メイクデビューが行われ、1着を獲った者だけが来年度から正式スタートする『トワイライトシリーズ』への参加権を手にすることになる。
もちろん1着になれなかったとしても、未勝利戦に勝つまで何度でもチャレンジすることは可能だ。たとえジュニア期に勝てなかったとしても、クラシック期の夏までは未勝利戦は開催されている。12人が出走して11人がデビューに失敗するのだから敗者復活戦があって当然である。
しかしジュニア期にも重賞レースはあるわけで、早くデビューできないとそうしたおいしいレースに挑戦するチャンスを逃すことになる。
別にトレーナーなしで『トワイライトシリーズ』に挑んではいけないというわけではないし、実際セルフプロデュースでメイクデビューを勝ち抜く剛の者も存在する。
しかしどう考えたって、上に行くにはトレーナーの協力は必須だ。
スポーツ指導についての専門教育を受け、レースの参加申請や賞金の管理、マスコミからの取材対応、スケジュール管理といった面倒な作業を一手に引き受け、多感な少女のメンタルケアまでしてくれる、スポーツコーチと芸能マネージャーを合わせたような存在がトレーナーなのである。彼らの助けがなければアスリートとして強くなるどころか、煩雑な手続きに忙殺されてレースに出ることすら一苦労なのだ。
そして何より、ウマ娘としての
ヤネが
そんなわけで今日も今日とて模擬レースが開催されている4月末日のトレセン学園だが、今日のグラウンドの空気は一味違った。
どことなく重苦しくピリピリとした空気が漂い、普段よりも圧倒的に多数のトレーナーたちが詰めかけている。
それもそのはず、今日の模擬レースには来年のクラシック路線の最有力選手と目されているビゼンニシキとシンボリルドルフが出走するのだ。
同時に走るわけではなく、ビゼンニシキが走った次のレースでシンボリルドルフが走る予定にはなっているが、それでも噂に名高い優勝候補たちが実際に走るのだ。あわよくばスカウトしたいと考えるのはトレーナーとして当然だし、そうでなくても強力なライバルの実力のほどを確かめられる絶好のチャンスである。これを見逃す手はなかった。
「ふう……。かあ~っ、いい汗かいたぜ!」
一緒に出走したウマ娘たちを遥か後方に置き去り、ビゼンニシキは晴れ晴れとした表情でグラウンドを後にした。
1400メートルをフルで走り切っても、まるで疲れた様子を見せていない。最後にゴールしたウマ娘などはフラフラになって肩で息をしている有様だというのに、ケロリとしたものだ。
早速彼女の元にスカウトをかけようとトレーナーたちが我先に殺到しようとするが、それを制したのはパチパチと拍手しながら悠々と歩みかける一人の男性だった。
「いい走りだった。キミの力、見せてもらったよ」
整った顔立ちだがどこかニヒルな雰囲気を漂わせる、30台半ばの男性だった。着ているジャケットは学園に所属するトレーナーたちが愛用するブランドのものだが、そんな野暮ったらしい服を着ていてもなお、どこか華がある。
キザな仕草をまるで不自然と感じさせないような、独特の雰囲気。
ビゼンニシキは彼を見るとぱあっと顔を輝かせ――一瞬ののち、恥ずかしい姿を見せたと言わんばかりにぶっきらぼうな口調で鼻を鳴らした。
「どうだ? ちゃんと見てたかトレーナー、ウチの実力をさ!」
「勿論だ。素晴らしい走りだった。まさにクラシックの王者たるために生まれてきたかのようだ」
彼女のトレーナーがタオルを差し出すと、ビゼンニシキはおうと頷いてそれを受け取り、額から滴る汗を拭った。
……濃い目の化粧がタオルに付いて、ちょっと顔をしかめている。まだ化粧をするようになって日が浅く、付き合い方がよくわかっていないようだ。
そんな年相応の微笑ましい姿に見て見ぬふりして、彼女のトレーナーは周囲のトレーナーたちを不敵な笑みと共に睥睨する。
「申し訳ないが彼女にはボクが先約でね。クラシックの頂きへのエスコートプランはとっくに立てているんだ。悪いが諸君らは他を当たってくれないか」
その言葉に、スカウトしようとしていたトレーナーたちは背を向けて歩み去っていく。ある者は肩を竦め、ある者は毒づき、またある者は敵対心を露わにしながら。
彼は有名人なのだ。
ビゼンニシキのトレーナーは――岡野トレーナーは、そのキャリアの中で既に何人ものウマ娘たちを一流に育て上げてきた名トレーナーだ。この時代にあっては数少ない海外遠征の経験を持ち、その指導力は既にベテランの域にある。業界にあっては、国内最高のトレーナーとしてその名を挙げる者も少なくない。
その事実は同じトレーナーたちにとって、決して好意的な反応だけをもたらすわけではない。同業者よりも圧倒的に勝っているということは、その分同業者に黒星を押し付けているということだ。勝負の世界なのだからそれは仕方のないことである。
岡野トレーナーはそんな同業者のやっかみを気に留めないで勝ち続けられるほどには厚い面の皮を持っていたし、だからこそ同業者から憎まれても尊敬されてもいた。
海千山千の同業者たちを一言で追い払ってしまった自分のトレーナーを頼もし気に見上げながら、ビゼンニシキは鼻の下をこする。
「へへ……どいつもこいつもギラギラした目をした奴らばっかじゃねえか。どうよトレーナー、あいつらに先駆けてウチの担当になれた気分は?」
「無論、誇らしいとも。君のような優れたウマ娘に見初められるとは、トレーナー冥利に尽きる」
「ふんっ、ったりめーよぉ! 最強のウマ娘には最強のトレーナーがついてなきゃな」
不良少女は濃い目の化粧の下からでもありありと分かるほど喜色を滲ませ、トレーナーの肩をバンバンと叩いた。
そう、ビゼンニシキにはとっくにトレーナーが付いていた。それも昨日今日の付き合いではない。トレセン学園に入学する以前から、ビゼンニシキの実家は彼に――岡野トレーナーに専属トレーナーとなることを依頼していた。
現在の日本で最高の腕を持つと評判のトレーナー、そんな彼を見込んで是非うちの娘の担当にと話を持ち掛けたのだ。
(実際幸運な話だった。これほど見込みのあるウマ娘だったとは)
内心でそう呟きながら、岡野トレーナーは自分の新しい担当ウマ娘を見つめる。
反抗期まっさかりで不良めいた言動をしてこそいるが、体操服から伸びた四肢は鍛え上げられている。真面目にトレーニングを欠かさなかったことの証だ。加えて骨格からして丈夫なのだろう。ジュニア期にしてはがっしりとした、丈夫な体躯を持つに至っている。
彼女が小学生時代に所属していたレースチームは、一度出身者からオークス勝者が出たという大手柄を上げたものの、それ以外に八大競争を制するようなウマ娘は出していない。岡野にとっては凡庸なチームで、この話を持ち掛けられたときは断ろうかと考えていた。
……八大競争とはいかずとも重賞を勝ったウマ娘は何人も出ているので、間違っても凡庸なチームなどではないのだが、岡野にとってはそう思えていた。何しろそのオークスを勝ったウマ娘の専属トレーナーは、駆け出し時代の岡野だったから。それ以来、岡野の目はすっかり栄光に焼かれてしまい、八大競争で勝ち負けできるくらいの素養がなければ『及第点』ではなくなってしまっているのだ。
そして『及第点』を見込んだウマ娘たちを、岡野は実際に何人も栄冠へと導いていた。
そんな岡野が実際に会って判断したビゼンニシキは、『及第点』のボーダーを遥かに超えるウマ娘だった。
走りを見てすぐ、彼女の担当になることを承諾した。ここ数年のクラシック路線の中でも上の上、ほぼ満点をあげたっていいとびっきりの素質。
あの最強世代と名高いトウショウボーイやテンポイント、グリーングラスら“TTG世代”の中に混じってすら、ビゼンニシキならば勝ち負けができると彼は評価している。
入学前の噂ではビゼンニシキの他、シンボリ家のシンボリルドルフと、ハーディービジョンというウマ娘が来年のクラシック三強になるだろうと言われていたが、さてビゼンニシキほどのウマ娘が他に2人も出てくるものかな。
彼の評価では、ビゼンニシキは十年に一度のウマ娘と見込んでいる。“TTG世代”が覇を競ったのが、およそ十年前。それ以来これほどのウマ娘を見たことは……。
(いや、彼女がいたな。今年クラシックを争ったウマ娘。確かミスターシービー……)
先日の皐月賞で大雨となった重バ場をものともせず、むしろこの雨の中こそが自分の“領域”とでも言わんばかりの怒涛の追い込みを見せたウマ娘。
あれは相当の傑物だった。もしかしたら日本ダービーも獲るかもしれない。
(だが、ビゼンニシキの素質も決して負けてない。焦るなよ岡野。ボクならこの娘をあれと勝ち負けできるくらいに育てられるはずだぜ)
そう心の中で呟きながら、岡野は目の前の貴石の原石を惚れ惚れと眺めた。
さて、既に専属トレーナーがついているビゼンニシキが模擬レースに参加したのは、何も自分のトレーナーをみんなに自慢したいからではない。
いや、それもちょびっとだけあるかも。いやいや、なしだ、なし。うん。
こほん。もちろん理由の一つは、自分の実力を同期のシャバ僧どもに見せつけて、誰がボスなのかを思い知らせるため。
そしてもう一つは、あの生意気なシンボリルドルフとどちらが上なのかをはっきりさせてやるためだった。
入学式後のホームルーム以来、シンボリルドルフとの対決は一度もない。ビゼンニシキとシンボリルドルフを直接競わせたら、絶対に本気になって体を壊すに違いないと先公たちが眼を光らせていたのだ。だから今日も同じレースでは走らせてもらえていない。
対決したいなら本当のレースでしなさいと、口を酸っぱくして言われている。
だが、どちらが強いのかなんて直接競わなくても測る手段はある。
同じコースをビゼンニシキが直前に走っていれば、直後に走ったシンボリルドルフとどっちが速かったかなんて明らかだ。コースのコンディションも同一なんだから、どんな言い訳しようがあいつのが遅かったと証明できる。
ここにいる奴ら全員が、その証人だぜ。
そう思いながら大勢の観客たちを見渡したビゼンニシキは、ふと視線を一点に留めた。
「あいつらは……」
ビゼンニシキが群衆の中に見つけたのは、5人のウマ娘の姿だった。そのうち3人はクラスメイトだ。他の2人は見覚えがないが、別のクラスか上級生か。
傍らには眼鏡の男性トレーナーと、背の高い女性トレーナーがメモ帳を手にして立っている。ははあん、どうやらこのビゼンニシキ様のことを偵察にきたってわけか。
ビゼンニシキの視線を追い、岡野トレーナーも眉を跳ねる。
「うん? ……ああ、チーム・ポルックスの連中か」
「知ってるのか?」
「ライバルになるかもしれないんだ、もちろん知っているよ。それに、あそこのトレーナーも変わり者として有名だ」
「へえ。アンタとどっちが変わり者なんだ?」
一瞬きょとんとした顔で動きを止めてから、岡野トレーナーはフフッと小さく笑った。
「どちらが上か下かは知らないな。ただしはっきりしているのは、あれは勝てない変わり者。ボクは勝てる変わり者だということだよ」
「へへっ。言うじゃねえか」
不敵な笑顔を浮かべる岡野に、ビゼンニシキは頼もしそうに見上げる。
絶賛反抗期を迎えて不良ファッションに傾倒しているビゼンニシキは、当初は親が誂えてくれたトレーナーなんてと思っていた。
だが、実際に会ってみたトレーナーは、自分が予想していたよりも何倍も有能で、頼りになる
何より彼は自分のことを大事に見てくれる。まるで貴重な宝石の原石を扱うような、愛情の籠った彼の眼差しがビゼンニシキにとっては何より嬉しかった。
要は父親からの自立を望んで無駄にイキがる一方で、頼りになる年上の男性への憧れという夢見る女の子らしい一面も持ち合わせているビゼンニシキにとって、岡野トレーナーは理想的なポジションにすっぽり収まる存在だったのだ。
そんなわけでビゼンニシキは短い期間にすっかり岡野トレーナーに心を許してしまっていた。
「ま、確かにな! アンタと一緒なら、ウチは日本一を獲れるし! クラシック三冠、やってやんよ!」
「日本一? ふむ……」
ビゼンニシキの言葉に、岡野は少しだけ首を傾げたようだった。
そんな彼の様子に、ビゼンニシキは眉をへの字にする。
「……どうしたよ? ウチならクラシック三冠でも獲れるって言ってくれないのか?」
「いや、獲れるとも。キミなら不可能ではないよ。だが……」
岡野は感情を読み取れない顔で訊いた。
「キミは
「え……?」
ビゼンニシキはぽかんとした顔で、トレーナーを見つめ返す。
信頼しているトレーナーの不可解な言葉に虚を突かれていた。
普段の不良ぶった強気な顔とは違って、それはとても幼い表情だった。
不意に岡野は優しい笑顔を浮かべ、快活な笑い声をあげた。まるで先ほどの問いを吹き飛ばすかのように。
「何、冗談だよ。まだボクたちの挑戦は始まったばかりだ。時間はたっぷりある、焦ることはないさ」
「お、おう……?」
「おっと、そろそろ次のレースが出走するようだね。さあて、それでは見せてもらおうか。噂に聞く、シンボリ家の秘宝というやつの実力を」
そして、号砲が鳴る。
ビゼンニシキの運命を幸福の絶頂から引きずり下ろす砲声が。
誰もが眼を見張った。本当にこの世の現実なのかと疑った。
それは、彼女も、その隣に立つ男も例外ではなく。
「なんだ、あれは」
あまりにも速く、あまりにも強く、あまりにも恐ろしく。
ウマ娘の力量を測る上で『絶対』としか表現しようのない、そんな『強さ』の具現がそこにいた。
この場の誰もが比較にならないレベルで完成された、大地を踏みしめるストライド。
一歩を踏むたびに、彼女の体は力強く加速していく。
そしてその上半身はまるでブレておらず、だからこそ途轍もなく効率的に一定のペースを保ちながら走れている。
そしてカーブを曲がるのがべらぼうに上手い。一切の膨らみを見せることなく、まるでそこに一番うまく曲がれる線がくっきりと見えているのかと疑うほどに、スピードを落とさずに曲がれるラインを踏んでいる。その曲線を征く姿ははまるで『弧線のマエストロ』だ。
何よりすさまじいのは集団の中ほどにいる『差し』の位置にいるにも関わらず、彼女の先を進む者も含めて誰もがシンボリルドルフに意識を向けていること。そして彼女はそれを逆手に取って、その位置からレース参加者全員を支配していた。
前を行く先行の走者の後ろギリギリを突いては今にも差されるかと注意させ、最小限の視線を後方に向けては『お前が抜こうとするのを見ているぞ』と牽制する。まるで愚民を支配する皇帝のごとき人心掌握術は、レースの流れすべてを意のままにしていた。
たった1400メートルの走り。それだけでもう格の違いは明らかだった。
シンボリルドルフより『速い』タイムを出すことはできるだろう。全力でなりふり構わず、ひたすらに脚が壊れるまで動かせばいい。
だが、シンボリルドルフより『強い』走者は、この場の誰もいない。シンボリルドルフの技量はあまりにも卓越していて、何より彼女はまだまだ余力を残している。やろうと思えばもっと速く走れるのに、あえて手を抜いているのだ。……まるで挑戦者が現れたときのために取っておこう、とでもいうように。
『実際に競わなくたって、直前に走れば実力の差は明らかだ』
そんなことを考えた自分を、ビゼンニシキは深く悔いた。
どう見ても、自分の走りが拙いことが浮き彫りになっただけ。
この状況であいつより速いタイムを出したって、それが何になるっていうんだ。
あっという間に1400メートルが終わった。
時間にしてわずか1分23.9秒。
「……トレーナー、ウチは勝てるよな? あいつに……」
すがるような瞳で自分のトレーナーを見上げたビゼンニシキは、言葉を失った。
岡野はまるでつまらないものを見るような目で、彼女を見ていたからだ。
……先ほどまでは、あれほどまでに光輝いて見えた貴石の原石は。
もっと素晴らしい輝きの前に、くすんだものになっていた。
わずか1分23.9秒。
ビゼンニシキが地獄に突き落とされるまでにかかった時間である。