「頼む!僕の眷属に武器を打ってくれ!」
神々が集まる宴から二日。鸚鵡のように同じ言葉を繰り返し、自身に付き纏うヘスティアの姿に、ヘファイストスはほとほと困っていた。ヘスティアが下界生活を始めてから独り立ちするまで、散々彼女から頼られてきたが、今回はそのどれとも違う気迫のような執念のようなものが感じられた。
ヘスティアに諦めるという選択肢がない、ということを感じ取ったヘファイストスは重い溜息を吐き、極東から伝わる「土下座」とやらをしている彼女に向き直った。
放っておけば怠惰に身を任せる女神がここまでする理由とは。微動にしないヘスティアは顔を伏せたままヘファイストスの問いかけに答える。
自分を助けてくれる眷属の力になりたい。何一つしてやれない自分が情けない。
心の底からの思いを吐き出すヘスティアの後頭部を見つめるヘファイストスは、口元を緩めた。ヘスティアは不変の神である。しかし目の前にいる女神の姿は、下界へと訪れた当初を知るヘファイストスにとって、まさしく見違えたと言っていいほどだった。
「いいわ。あんたの子に作ってあげる」
ヘファイストスとヘスティアは執務室である三階から工房が設置してある一階へと移り、今から作業を始めるというところで、ヘスティアが思い出したかのように声を上げた。
胡乱げな視線を向けるヘファイストスを他所に、ヘスティアは自身が持つ手荷物の中から、拳大の何かを取り出す。
「……魔法石?」
ただの鉱石ではないそれに、ヘファイストスの口から疑問が零れる。魔導士の魔法効果を大幅に上昇させる宝石。ヘスティアの手の中で、その魔法石が照明の光を受けて輝いていた。
「どこで手に入れたのよ」
おいそれと手が出せないほど高価なわけではないが、ヘスティア・ファミリアのような零細ファミリアにとっては雲上に位置するものだろう。ヘスティアの手に収まっている若葉色の石は質も良いものに見える。思わず入手経路を尋ねるヘファイストスに、ヘスティアは何のなし「ヒルダくんがくれたんだ」と言った。
「『どうしようもなくなったら、これで生活費を工面してくれ』って。大事なものだろうに……」
亡くなった母親が遺した品をヘスティアにぽんと渡したヒルダの姿を脳裏に思い浮かべる。この宝石はヒルダにとって正しく遺品である。いくら生活が厳しいとはいえ、流石に受け取れないと断ったヘスティアに、「母が生きていれば、売りなさいって言うはずです」と微笑んでヘスティアの手に宝石を握らせたヒルダの瞳には、母親から遺された宝石を手放すことに対して悲しみの一つも浮かんでいなかった。
本人が気にしていないとは言え、善神であるヘスティアが子どもの――しかも自分の眷属の親の形見を売れるはずもなく。ヒルダに返そうにもやんわりと断られるし。困ったヘスティアは万が一にも盗られることがないように、部屋の奥に押し込んであったのである。この場にヒルダにとってもヘスティアにとっても大切な魔法石を持ってきたのは、
「ヒルダくんは魔法種族だし、もう魔法も発現してる。これを使って武器を作ってやってくれないか?」
ヘファイストスへと魔法石を差し出しながら、ヘスティアは頭を下げた。
「そういうことね……いいわ。任せなさい」
合点がいったと頷いたヘファイストスは、ヘスティアの手から魔法石を受け取り、今度こそ神友の眷属に合う武器を作るため工房へと向き直った。
ヘスティアが神友のヘファイストスに土下座をかましている頃、ベルとヒルダはヘファイストス・ファミリアが経営する武具店の陳列窓の前で武器を眺めていた。
「やっぱり憧れちゃうな……」
感嘆の溜息を漏らすベルに、ヒルダは「そうだね」と頷いた。目の前に陳列している武器の数々は、世界クラスの高級ブランド。多くの上級鍛冶師を有するヘファイストス・ファミリアの武器を手にする事は駆け出し冒険者にとって憧れでもある。
「自分の実力にあったものがいいのは分かるけど……一回持ってみたいよね」
欲しい玩具を前にした幼子のように、ガラスの前から動かない二人は時間を忘れ、「強くなったらどんな武器が持ちたいか」という話に花を咲かせた。
「ヘスティア様、帰ってこないね……」
「うん……」
ヘスティアが用事があると言って三日。ホームにも戻った痕跡もなく、主神は一体どこにいってしまったのだろうかと二人して首を捻る。背中の恩恵は消えていないので、生きているということ自体は分かっているが一緒に過ごしていた者の姿が見えないというだけでこうも心がざわつくものなのか。
つい最近、無茶をしてヘスティアに心配をかけた身である二人は自身の行いを省みつつ、少々静かな朝食を終えてダンジョンへと向かうため協会の外へ出た。
ダンジョンに向かう途中、「豊穣の女主人」の店員から同僚の財布を届けてほしいと頼まれた二人は、予定していた探索を中止し人探しへと目的を変えた。
「シルさんって確か『あの』お弁当くれた人だよね?」
瞳に若干の恐怖を浮かべつつ、含みのある言い方をするヒルダにベルは苦く笑いながら頷いた。シルが作るのを手伝ったという弁当は二人に忘れがたい
エルフの店員に教えてもらった闘技場に繋がる道を目指しつつ、二人は辺りを見回して目的の少女を探す。段々と距離が縮まるにつれ、人が増えていく。
そして。
「は、はぐれた……」
喧騒の中、ヒルダの呟きが誰かに拾われる事なくぽつりと落ちた。きょろきょろと辺りを見回すも、白髪の少年は見当たらない。これは困った、とヒルダは頬を掻いた。人の流れに逆らわなさ過ぎたのか、ベルと逸れてしまったのである。なんとか人混みを抜け、建物の壁に寄りかかったヒルダは空を見上げた。
こうも人が多い中で人探しとは、砂漠で一粒の金を探すようなものである。そもそも、ここは怪物がはびこる地下ではなく、命の危機があるわけでもない。ベルもシルも闘技場を目指しているならそこで合流できる可能性の方が高いだろうし、躍起になって探す方がよくないかもしれない。
そう考えたヒルダは再び人混みに飛び込み、流れに沿ってゆっくりと歩き始める。
食べ物に装飾品に武器まで。数々の品が並ぶ出店を冷やかしているうちに人々の空気に当てられたのか、ヒルダの脳内からは人探しという目的が消えかかっていた。
甘いクレープを食べ切った後にはっと当初の目的を思い出し慌てて、人探しを再開させたヒルダの耳に届いたのは、劈くような悲鳴であった。
歓喜の声ではない。恐怖に支配された音は瞬く間に大通りに伝染する。
「
先程まで笑い合っていた人々が蜘蛛の子を散らすように消え、ヒルダの開けた視界の先には一頭の牡鹿のような怪物がいた。
興奮しているのか、剣のような鋭い角で出店を蹴散らしながら、脇目も降らず暴れている。
上層では見たことのない、エイナとの勉強会においても習ったことない生き物。中層以下に生息する怪物だろうと辺りをつけたヒルダは、逃げ出す人々と共にその場から離れようとした。──逃げようとしたのだが、
踵を返し、駆け出そうとしたヒルダの視界の片隅に蹲る幼い少年と庇うようにその子どもを抱く女性が映る。その瞬間、ヒルダの足が地面に縫い止められたように動かなくなった。
腰が抜けて立てないのだろう。必死に泣き声を抑える少年と、少年を力一杯抱きしめる女性。すぐ近くに暴れる怪物。
怪物は何故か人を襲うことなく、ただ出店を破壊しているだけだが、あと数秒で少年と女性の元に辿り着くだろう。二人はきっと暴れる怪物──ソードスタッグに巻き込まれてしまう。恩恵を授かった冒険者でもなければ、致命傷は免れない。
躊躇いは一瞬だった。
怪物が暴れた衝撃でヒルダの近くに転がってきた剣を手に取る。細く息を吐き、脚に力を込めた。
「【森羅よ、万象よ、母なる愛の元へ起伏せよ】」
暴れ狂う怪物にの動きを止めなければいけない。動けない親子の元へ行かせてはならない。
常にない速度で魔力を練り、詠唱を紡ぐ。ヒルダの魔法は確かに怪物へと届いた。
が、その魔法によりヒルダはソードスタッグに認識されてしまった。不快だと言わんばかり嘶いた怪物は、ただ感情に任せて暴れるだけだった力をヒルダへと向ける。
「がっ……!?」
速い。
ヒルダの魔法によって本来の動きよりも数段鈍くなっているはず。だというのに、捉えきれなかった。
それもそのはず。ソードスタッグは本来二十階層に生息する怪物である。駆け出しであるヒルダの手に負える相手ではない。
骨の折れた嫌な音に顔を歪める。激痛が全身を支配し、意識が明滅した。視界に映る全てが遅くなり、上体が傾く。自然と落ちる瞼が、ヒルダの限界を物語っていた。
「……っ、」
左腕に痛みが走る。鮮血が褐色の肌を染めて、地面に滴り落ちた。
気絶なんてできない。今、自分が落ちてしまえばあの親子はどうなる?他の人々はどうなる?
何もあの化け物を倒さなくてもいい。騒ぎを聞きつけた上級冒険者がここへ来るまで、時間稼ぎをすればいい。
下がっていた剣先を上げ、構え直す。力の差がありすぎる。傷つけられるとは思っていない。剣を構えたのはヒルダの意志の表れだった。
「【──森羅よ、】」
無視できない魔力の高まりを察知したソードスタッグの瞳に初めて敵意が生まれる。魔力の主に突進しようと四肢に足を入れた瞬間、ヒルダの魔法が完成した。
「【ディセ・ラトル】!」
ソードスタッグの動作が先程とは比べ物にならないほど遅くなる。困惑の鳴き声を上げた怪物は、それでも目の前の少女を倒さんと狙いを定め、
泣く我が子を抱きしめ、震えていた女の目が見開かれる。彼女の視線は、灰となり散った怪物に興味を示すことなくその場に佇む、漆黒の外套を纏う人物に注がれていた。薄紫にも見える銀髪に褐色の細長い耳が見えている。一般人の目には何も捉える事ができなかったが、己と子どもを助けてくれたのは、外套を風にはためかせ俯く
「あ、あの……ありがとうございました……」
「……礼なら、その子に」
感謝を伝える女に視線を合わせることもなく、妖精は倒れ伏した少女の側に近寄った。外套の中からいくつかのポーションを出すと、少女に浴びせるようにかける。少女の息があることを確認し、妖精は目にもとまらぬ速さでその場を去った。
ぽかんと妖精一匹が消えた空間を眺めていた女は、小さなうめき声を聞き、自身と子どもを守ろうとしてくれた年若い少女の元に駆け寄った。
漆黒の黒妖精…一体何・ラグナールさんなんだ…