精神枯渇を起こし、気絶したヒルダが目覚めたのは全てが終わった後だった。街で暴れていたモンスターは上級冒険者の手によって葬られたらしく、オラリオは落ち着きを取り戻していた。
何かお礼をと頭を下げる親子の言葉を断り、ヒルダはホームへの道を進む。情けなくも気絶してしまったが、どうやら他の冒険者がモンスターを倒してくれたらしく、彼女達が無事で良かったとヒルダは胸を撫で下ろした。
ホームへと辿り着いたヒルダは、偶然にもヘスティアを横抱きにしたベルと遭遇した。
「……お帰り?」
「た、ただいま……」
「へへへ……」
照れているのか顔を真っ赤に染めたベルと、頰が緩みきっているヘスティア。ヘスティアが怪我でもしたのだろうかと思ったが、幸せそうな彼女の顔を見るに、大丈夫なのだろう。
「シルバーバック!?」
教会の地下へと入り、ベルに逸れていた間の事を尋ねたヒルダはあらんばかりに目を見開いた。11階層に出現するモンスター。駆け出し冒険者が挑めば返り討ちに合うどころか、命さえ散らしかねない化け物である。それをベルが単身で倒したと聞き、ヒルダの思考は少しの間止まった。何なら、もしやベルはシルバーバックの攻撃を受けて錯乱してしまったのではないかとすら思った。
だが、嘘をついている様子はないし、人の嘘を見抜けるヘスティアが何も言わないのだから、これはきっと本当の事なのだろうと事実を飲み込んだ。
「それは、随分と無茶を……」
ベルの体へと視線を向ける。怪我はなさそうだが、一歩間違えれば今ここにベルとヘスティアはいなかっただろう。
「ベルとヘスティア様が無事で良かったよ。でも、あまり危ない事はしないでね」
ソードスタッグと対峙した己の事を棚に上げ、ヒルダは眉を寄せた。
「ヒルダくんもストリートに居たんだろう?大丈夫だったのかい?」
「上級冒険者の方が倒してくれたみたいで。私は特に怪我とかはないですよ」
力瘤を見せるかのように腕を曲げたヒルダは、ソードスタッグの前で精神枯渇を起こした事実は隠し、結果のみを伝えた。嘘をついている訳ではないので、ヘスティアはヒルダが隠した事柄を見抜けない。「良かった」と笑うヘスティアにヒルダの良心にちくりと棘が刺さった。だが、結果的にヒルダは無事であったのだから、余計な心配はかけない方がいいだろう。ヒルダはそう考えて、ストリートで起こった事を口にしなかった。
「そうだ。ヒルダくんに渡したい物があるんだ」
「渡したい物?」
ヒルダが首を傾げると、ヘスティアは猫のように瞳を細め、にんまりと笑った。
「頑張っているヒルダくんへボクからの贈り物ってやつさ。明日には渡せるはずだから、期待して待っててくれよ」
「はあ……?」
ふふんと胸を張るヘスティアの贈り物に見当がつかず、ヒルダは隣に座るベルへと視線を移した。ベルはベルでふんぞりかえるヘスティアを微笑ましげに見つめており、ヒルダと視線に気づくと「きっとびっくりすると思うよ」と言った。
どうやらベルはヘスティアの「贈り物」を知っているらしく、だがそれをヒルダに言うつもりはないようだ。
疑問を抱えつつも、明日になれば分かる事だとヒルダは疑問を飲み込んだ。
翌日。ヘスティアに急かされるように背を押されたヒルダが向かった先は北西のメインストリートに店を構えるヘファイストス・ファミリアの支店である。扉の前で戸惑うヒルダと、ヒルダの手を引くヘスティアを迎えたのは、ヘファイストス・ファミリアの主神、ヘファイストス神であった。
「少し待っててくれ」
ヘスティアにそう言われて、執務室になっている三階へ案内されたヒルダが、そわそわと落ち着きのない様子で待っていると、姿を消していたヘスティアが剣を抱えて戻ってきた。
ぱちり、と瞬きをするヒルダにヘスティアが笑みを浮かべて抱えていた剣を差し出す。
「これは……」
「昨日言っただろう?頑張っている君へ贈り物だよ」
ヒルダはしげしげと受け取った鞘を眺める。鞘の表面を撫でると、ヘファイストスの刻印を見つけた。目を見張り、鞘から剣を抜いたヒルダの瞳は、鍔の中心へと吸い寄せられる。
ヘスティアから手渡された片手剣。陽の光を受け、眩いほどに純白の輝きを発する剣の鍔には見覚えのある石が嵌め込まれている。
「ヘスティア様、これって」
「うん。君から貰った魔法石だよ。売っていいって言ってくれたけど、お母さんの遺品なんだろ?」
「……この剣、ヘスティア様が?」
「ああ、ヘファイストスに頼んで作ってもらったんだ。キミの武器だ。存分に使ってくれ!」
若葉色の石を指先でなぞったヒルダは、瞳を伏せた。「おかあさま」とヘスティアの耳に届いた小さな呟きはわずかに震えていた。
「ヘスティア様、ありがとうございます……本当に、嬉しいです。大事に、します」
剣を両手で抱えて、破顔する少女にヘスティアは眦を緩めた。
「じゃ、ボクは今から用事があるから」と言ったヘスティアと別れ、ダンジョンへと向かうヒルダの足取りは軽やかだった。誰が見ても浮ついていると分かるほど、上機嫌のヒルダは腰に差した剣の鞘をひと撫でし、頰を緩める。
主神が自分を思って用意してくれた武器というだけで嬉しいのに、その上大切な母親の形見を装飾として咥えてくれた。ヘスティアに対するヒルダの好感度は天井を留まることを知らず、最早天まで届くほどである。
神にここまでさせたのだ、早く強くなってヘスティアに恩返ししなければ。
決意新たに、ヒルダはぐっと拳を握り──浮いた。
「……っ!?」
視界がぶれた。先程まで地に着いていたはずの足は空へと浮かび上がった。背後から拘束され、口には布が当てられる。突然の出来事にヒルダは混乱に陥った。
「~~~~~~っ!」
「動くな、折る」
何を!?
頭上から降ってきた声に殺意が滲んでいることに気づいたヒルダは、抜け出そうと動かしていた四肢──とんでもない力で押さえつけられ微動だにしていなかったが──をぴたりと止める。
全く動かない体に、今自分を拘束しているのは上級冒険者だと当たりをつけたヒルダは、体から力を抜く。抵抗の意思を見せなくなったヒルダに、ヒルダを拘束している人物はふんと鼻を鳴らした。べちゃり、とヒルダの体が地面へと落とされる。顔面を固い地面に打ち付けたヒルダは、痛みを訴える鼻を摩った。
痛む患部を押さえながら顔を上げ、ヒルダは固まった。露出の「ろ」の字も見えない黒の戦闘衣。白の腰巻とケープから覗く女性と見紛うほど整った顔立ちは一瞬ヒルダの思考を空白にさせた。ほっそりと尖った耳を隠す糸のような長い金髪が陽の光を浴びて煌めく。
言葉を失ったヒルダを男は冷ややかな視線で眺めていた。第一級冒険者で、オラリオでも最上位に位置する実力者である彼の名は、オラリオ内外で知れ渡っている。
ヒルダと男に面識はないが、勿論ヒルダは男の事を知っていた。世間では「あの人」と対のような存在と謳われ、母の口から何度か語られた事がある男に、いつか話を聞きたいと思っていたからだ。
白妖精の特性を受け継ぐ彼は、かつて聖女と呼ばれた黒妖精の末裔で──血はとうに薄まり、ほぼ他人と言っても差し支えないが──ヒルダとヒルダの母親の親戚である。
嵐(Lv.6)