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都市第五区画に建つフレイヤ・ファミリアの本拠地、戦いの野は日中とはまた異なる喧騒に包まれていた。
何百人をも収容できる特大広間には、十列にも及ぶ長机とその上に並べられる数々の料理。団員たちは一心不乱に酒を飲み、肉を食い千切り、山盛りの料理を平らげていく。その姿は、言わば食の闘争であった。
強靭な勇士にとっては明日以降の英気を養うための宴。誰もが傷ついた体を癒さんと、ただ目の前の料理にありつく。
そのような騒ぎの中、ヘグニだけが意識を遠く飛ばしていた。
常ならば、他の勇士と同じく満たされるまで栄養を摂取するヘグニであったが、様子がおかしい。
口を動かしてはいるものの、お行儀よく静かに嚥下するその姿は、他の団員からも異様に感じられた。
「ヘグニ、何かおかしくないか?」
「アイツはいつもおかしいだろ」
「何も変わってない」
「ああ、いつも通りだ」
四兄弟の長男アルフリッグが、普段とは様子が異なるヘグニを一瞥し、弟たちへと疑問を投げかける。しかし、返ってきたのは無情な言葉であった。
その通りだ、と弟たちの返答に納得しかけたアルフリッグだが、長男の勘だろうか、やはりどこか違和感がある、と再びヘグニへと視線をやった。
そんなアルフリッグの視線に釣られるように、残りの三人も視線がヘグニへと向く。
いつになく注目されている黒妖精は、普段はあれほど厭っている視線を避けようとしなかった。心ここにあらず、といったようにただ料理を口に運ぶ機械になっている。
「確かに少しおかしいかもな」
「ああ。あんな間抜け面晒すなんて、おかしい」
「ヘディン、何があった」
ドヴァリンの問いかけに、八つの瞳がヘディンへと向く。集まった視線に眉を顰め、非常に不快そうな表情になったヘディンは
「私が知るものか」
と吐き捨てるように言った。
宿敵、と書いて絶対殺したい相手と読む間柄のヘグニとは、甚だ遺憾ながら付き合いが長い。それこそ、愚かにも王として殺しあっていた頃からの付き合いである。だからこそ、ヘグニの異変にヘディンは誰よりも早く気づいた。
ダンジョンへ向かう前はいつも通りであったヘグニが、帰ってきて顔を合わせた瞬間に、腑抜けた顔をしていた時のヘディンの衝撃と言ったら。室内で特大の雷を放つ所であった。
今、ヘディンがヘグニと戦ったならば、ヘディンが勝つだろう。それほどヘグニは不調だった。元々精神が安定している方ではないが、今日は殊更である。
おまけに、ヘグニの不調の理由も分からない。それがより一層ヘディンを不機嫌にさせていた。
「あのような調子でシル様の護衛が務まるのか?」
フレイヤ・ファミリアの幹部は仲が悪い。オラリオに住む誰もが知る話である。同じく都市最大派閥と謳われるロキ・ファミリアの幹部の面々が仲が良いことも相俟って、余計にその仲の悪さは目立つ。
お互いが蹴落とす相手で、女神の寵愛を求める敵。そんな殺伐とした関係でありながら、ヘグニを気遣うような発言が出たのはひとえに彼が明日、シル・フローヴァという少女の護衛につくからであった。
彼らにとって少女は女神と並んで何が何でも守り倒さねばいけない相手である。気遣っているのはヘグニではなくシル。野郎の心配など誰がするだろうか。
そんなこんなで懐疑の視線を向けられているヘグニであったが、変わらずぼんやりとしながら食事を摂り続けていた。
四兄弟の視線と未だ思考がどこかへと飛んでいるヘグニを見て、嘆息し、カトラリーを皿の上に置いた。
「おい、ヘグニ。何があった」
ヘグニへと質問を投げかけるヘディンの顔は「何故私がこんな事を」と考えていることがありありと分かるほどだった。
「……いや、別に何も……」
普段よりも更に精細の欠いた返答に、ヘディンの額に青筋が浮かんだ。
「お前のことだ。そのちっぽけな脳をくだらんことに使っているのだろう」
「っ、くだらなくなんてない!」
立ち上がったヘグニが叫ぶ。宴の喧騒を超えて響いた声に、周囲の視線が集まった。
ヘディンは僅かに目を見張った。
視線を厭うヘグニが、衆人環境で叫ぶという目立つ行為をしたことに驚いたのである。
眦を吊り上げ、自身を睨むヘグニ。交わった視線は一瞬であった。
「阿呆め、お前が何に思い悩んでいたとしても私の知ったことではない」
ヘディンは、「それよりも、その見るに耐えない顔をなんとかしろ」と言い放ち、優雅な仕草で食事を再開させる。
周囲の視線が集まっていることに気づいたヘグニは、飛び上がり、そそくさと広間から退散する。
くだらなくない。ヘグニにとって、彼女との記憶は決してそのように吐いて捨ててしまっていいものではない。
自分を暖かくも苦い心地にさせる思い出は、ヘグニにとって毒だった。女神に忠誠を誓った自分とはまた異なる意識が表出してしまう。
自室の扉を開けて、ヘグニは寝台へと倒れ込んだ。
***
ヘグニは何も産まれた時から王であったわけではない。
仲間の内の誰よりも早く、誰よりも多く、憎き白妖精の命を絶つ者が王である。
つまり、一番強い黒妖精が王である。この風潮があの絶海の孤島の中で黒妖精を蛮族たらしめていたことを彼らは知らない。
ともかく、種族がアマゾネスなのかと錯覚するほど荒々しい社会で争いを好まず気弱なヘグニは当然の如く孤立し、里の恥晒しだと罵られる毎日にただ俯いて耐えていた。
もはや村八分のような状況で、ヘグニは一人の少女と出会った。夕日のような髪色に同じ色の瞳をした少女は、里の中でただ一人ヘグニを否定しなかった。「私もこの里はどうかと思うんだ」とヘグニの耳に口を近づけてこっそりと囁く少女は、ヘグニと同じく里での生き辛さを感じていて。
二人の距離は日々縮まり、次第にお互いの隣にいることが日常になった。
彼女とならば、この里でも生きていけるかもしれない。
そう思っていた矢先である。
彼女が白妖精の手により亡くなった、と言われたのである。
そうして見せられたのは顔も分からないほどに焼け焦げた遺体。焼き尽くされてなかったのは、ヘグニが送った指輪だけで。白妖精どもがやったのだ、と声高に叫ぶ黒妖精たちの中で、ヘグニは眼前に横たわる彼女だったものを瞬きもせずに見つめていた。
美しく、穏やかで、暖かった彼女の面影もない遺体にふらふらと引き寄せられるように近寄り、服が汚れることも厭わず膝をつく。震える手で彼女の頬だった部分に触れる。指先に伝わる不快な感触に、ああ、もうあのいとしいひとはいないのだ、と気づいた。
正直、あの頃の記憶は曖昧である。そこから数年間、死んだ者は何をしても戻らないと気づき、虚しさが怒りを超えるまで、誰よりも何よりも白妖精たちの首を落とし、胴を裂き、屍を積み上げたことだけは覚えている。
恐らく、ヘグニも彼女も嵌められたのだろう。ヘグニには幸か不幸か、誰よりも戦いの才能があった。白妖精を一族もろとも滅さんとする同胞が、彼の才能を逃すわけがなく。戦いに積極的ではないヘグニに白妖精たちへの憎悪を抱かせ、彼の武の才能を十全に使うため彼女は消費されたのだ。
激情から一転、冷静になったヘグニはそう考え──実際は生きて島から脱出していたようだが当時のヘグニには預かり知らぬことである──心を閉ざした。
より一層他人の視線に怯えるようになり、殻に閉じこもる。それは女神が故郷を滅ぼすまで続いた。
王という呪縛から解放してくれた女神に仕えると決めたときに、ヘグニは彼女との思い出を記憶の奥底に封じ込めた。最後の拠り所として、何よりも大切に、大事に扱っていたものを二度と取り出してしまわないように。それは、ヘグニなりのけじめだった。
女神の下僕と化す己を、この呪われた大地から逃げる己を優しい彼女は笑って許してしまうはずだ。そんな自分に都合のいい夢を見ないように、ヘグニは幸せな記憶を封じた。
そのはずだった。
自分と同じ色を持ち、彼女にそっくりな一人の少女を目にしたとき、ヘグニの誓いは容易く壊れ、感情の大波がヘグニの心を覆った。
島を捨てて自分だけ助かってしまった罪悪感。あの醜悪な孤島から彼女が逃れていたことへの安堵。娘が産まれていた事実への驚きと喜び。
一言では表せないぐちゃぐちゃとした思いが、ヘグニの思考をかき回していた。
ただ一つ、確かに言えることはヘグニにはあの少女と対面する資格がない、ということである。
ヘグニを苦しませていた王の軛から解き放ってくれたのは女神である。ただ、それよりも何年も前に、彼女はヘグニの心を和らげていてくれた。
だというのに、ヘグニは彼女に何も出来ず、あまつさえ自分だけ女神に救われてしまった。
ヘグニの目の前に現れ、手紙を読んで欲しいという少女の靴は擦り切れていた。服の裾はほつれ、指先は碌に手当もしていないように見える。
きっと、ヘグニを何年も探していたのだろう。母親の手紙を届けるために。
大変な道のりを歩いてきたであろう少女の瞳に、ヘグニに対する嫌悪感、嘲りや侮蔑といった感情は一切感じられなかった。
きっと、彼女がヘグニのことを良く言ってくれたのだろう。ならば、この手紙の内容もきっと彼女の髪や瞳のように暖かな内容が綴られているに違いない。
少女が差し出した手紙の束は驚くほど分厚くて、だからこそ、ヘグニはその手紙を受け取れない、と思った。受け取る資格がない。自分のような屑には不相応だ、と。
その結果、少女は泣き、姿を消した。
涙を流させるつもりは到底なかったが、でも、あれでよかったのかもしれない。ヘグニはそう思った。
もう二度と愚図で馬鹿でどうしようもない父親に会いに来ようなど、あの子も思わないだろう。
ごめんね。
少女に向けた謝罪の言葉は音になることはなく、ヘグニの喉を詰まらせただけだった。
ヒルダ(オリ主)とヘディンって血の繋がりは全くないけど親戚なんだよね