夕焼けが窓から差し込み、ソファに並んで座るベルとヒルダの頬を照らす。ひどく神妙な顔つきをした二人は、固唾を呑んでエイナの手元を見つめていた。
紙の上を赤のインクのペンが音を立てて走り、赤色の丸を量産していく。ベルは、腿に乗せた手の平を強く握り、ヒルダは僅かに身を乗り出した。緊張に身を強張らせるその姿は、審判を待つ罪人のようである。
「……うん。二人とも、合格です」
「「!」」
エイナの言葉に少年少女はぱあっと顔を明るくさせる。ベルが受けていた勉強会にヒルダが加わり数日。駆け出し冒険者に必要なダンジョンの知識を全て詰め込まれた二人は、頭から湯気が出ながらも、エイナの合格をもぎ取った。
「やった、やった」と瞳を輝かせ、喜びを隠さない二人にエイナは口角を緩めようとして、すぐに表情を引き締めた。
「でも油断しちゃダメだからね?冒険者は……」
「「冒険しない!」」
口をそろえた二人の言葉に、エイナは今度こそ笑みを浮かべた。
***
エイナからダンジョンを探索する許可を貰ったベル、ヒルダの両名は駆け出し冒険者のために武器や防具、ポーション等を販売しているギルドの店へと訪れていた。
短剣、槍、弓、戦斧、杖、刀……様々な種類の武器がずらりと並んでいる中、ヒルダはそれらに目を向けず片手剣を手に取った。一回、二回、三回。空を切る音を鳴らしながら剣を振るヒルダの姿に、ベルは目を丸くした。
何というか、とても様になっているのだ。
「ヒルダって本当に戦ったことないの……?」
「ん?うん、ないよ」
剣身を見ていたヒルダはベルへと視線を移すと彼の疑問に頷いた。
それにしては、なんだか慣れているようにも見えるけど。
そんな疑問が顔に浮かんでいたのか、ヒルダは眉を寄せて苦笑した。
「……昨日、ここ何年間旅をしてたって話はしたよね」
「う、うん。お父さんを探すために、だよね?」
「そう、でも父親が何処にいるか分からなかったし、一人で探すって言っても道中の移動方法が徒歩なのは無謀すぎるでしょ?だから商会とかに頼み込んで荷物と一緒に乗せてもらったりしててね」
「へぇ」
慣れた手つきでくるくると剣を回すヒルダ。ベルはその滑らかな動きに見とれながら相槌を返した。
「モンスターはダンジョンだけじゃなくて、野外にも出現するし……大事な商品を運んでるからね、護衛を雇う所が多くてさ。その人たちにちょっと剣術を教えてもらったりしたことがあって、慣れた風に見えるのはそのせいじゃないかな」
ヒルダは剣を鞘に納め、「ところで、」と首を傾げた。何も手にしていない少年を、ヒルダは不思議そうに見つめている。
「ベルは武器、何にするか決めたの?」
「あ、えっと……僕は、これにしようかな」
並んでいる武器をざっと見渡し、ベルは目に留まった刃渡り二十セルチほどの短剣を選んだ。
「短剣?」
「う、うん。武器とか使ったことはないけど……なんとなく、これかなって」
自身の無知を晒すようで恥ずかしい、と頬を掻くベルに「直感で選ぶのもいいと思うよ」とヒルダは微笑みを浮かべた。
「じゃあ、装備も揃ったし……」
「行こう!ダンジョンへ!」
意気揚々とバベルの地下へ向かい、着いた場所はダンジョン一階層。ベルとヒルダは薄い青に染まった天然の迷路を見渡しながら、慎重に歩みを進めていく。
「一階層はそんなに強いモンスターは出ないみたいだけど……」
「やっぱり、地上とは空気が違う感じがする」
ダンジョンが生み出す独特な空気に二人はどちらからともなく口を閉じた。地上では見る事のない異質な空間で、襲い掛かってくるモンスターを倒す。知らずのうちに息を潜め、なるべく足音を立てないように動作が遅くなる。
これがダンジョン。これが冒険者。
初めての探索に圧倒されかけている少年少女の視界に一匹のモンスターが目に入る。
「あれは――」
「ゴブリン!」
初の接敵は緑色の幼子程度の身の丈のモンスター。緑の肌の怪物はこちらに背を向けており、背後に冒険者が二人いる事に気づいていない。唾を飲み込み、喉を鳴らしたのはベルとヒルダ、どちらだろう。
視線を交わし、頷きあった二人は武器を構え、無防備な背中に一撃を――
「ギシャアアッ!」
「「えっ」」
――一撃を、入れようとした。
前方に集中しすぎた二人は、後方への警戒が疎かになっており、不幸にも狙っていた獲物と別個体のモンスターに見つかってしまった。
更に、背後から奇襲してきたゴブリンの雄叫びによって、元々狙っていたゴブリンまでもがベル達の存在に気づいてしまう。間一髪で後方のゴブリンの攻撃を避けた二人は武器を構え、背中合わせになった。
「私は後ろのを倒す!ベルは前のをお願い!」
「分かった!」
初めての戦いは出来ることなら、エイナに言われていた通り、二人で一体を倒したかった。しかし、こうなっては仕方がないと眼前の敵だけに意識を注ぐ。
数秒睨み合いが続き、先に動いたのはヒルダだった。舗装されていない凸凹とした地を蹴り、対象に近づき、剣を一閃。頭部が胴体から離れ、宙を舞った。
いとも簡単に地に倒れ伏したゴブリン。その姿を視認して、ヒルダは知らずのうちに止めていた息を吐きだした。
相手はゴブリン。恩恵を授かったレベル1の子どもであっても倒せるモンスターである。例え新米であろうとも武装をしている時点で負けようがない。例え頭の隅でそう理解していたとしても、ダンジョン内で初めての戦闘に緊張しないわけがなかった。
上がった心拍数を落ち着かせるために行った深呼吸で、同行者の姿が頭を過ぎる。
そうだ、ベルは……!
短剣という武器である以上、ベルは片手剣を持つヒルダよりも更に敵に接近しなければいけない。要はそれだけ相手に反撃される可能性も高くなるわけだが──
慌てて後ろを振り返ると、ちょうどゴブリンの懐に潜り込み頭部に短剣を突き刺しているところであった。
ヒルダは胸を撫で下ろした。彼も難なく倒したらしい。
「ベル」
「や……」
「?」
少年の名を呼ぶが、彼は肩を震わせ立ち尽くしている。
一体どうしたのだろう。気分でも悪くなったのだろうか。
「や、やったあああ!!」
「──え?」
声をかけようと駆け寄ったヒルダの体に腕が回され、引き寄せられる。初めてのモンスター討伐に気分が高揚しているのか、ヒルダの困惑の声はベルの耳に届いていないようだった。
えぇー……。
ベルに抱きしめられたヒルダはぽかんと口を開けていた。
もし、ヒルダが一般的な妖精であったなら、ベルはこの瞬間張り手の一つや二つ、三つや四つもしくはそれ以上。その頬に受けて、顔がぱんぱんに腫れているはずだ。
妖精がいない村に住んでいたと聞いたが、一体どのような僻地なのだろうか。ヒルダは自身の
抱擁の時間は存外短く、ヒルダの体はすぐに解放された。代わりに片手を握られる。
うーん、これもアウト。最初に握手を求めてしまったのが良くなかったのかな。
初対面時の失態に目を閉じたヒルダの体が動く。ベルがヒルダの手を引っ張ったのだ。
「行こう!」
「ど、どこに――ちょっと、ベル!?」
駆け出すベルと片手を引っ張られそれに続くヒルダ。二人はダンジョンを出てギルドへと向かう。戻ってきた少年少女に目を丸くするエイナにベルが「エイナさん、僕ゴブリンを倒せました!」と叫び、その内容にぱちぱちと瞬きをするエイナを他所にベルは更に走った。声をかけても止まらなかったベルに、ヒルダは既に諦めの境地に入っていて、疑問を浮かべるエイナに頭を下げるとそのままベルと共に走り去っていった。
地を蹴り、人々の間を走り抜け、ホームへと飛び込んだベル(とヒルダ)。勢いよく放たれた扉の先には、本を手に持つヘスティアがぽかんとこちらを見ていた。
「やりました、神様!僕、ゴブリンを倒しました!」
「……はあ?」
「……」
喜色満面のベル、困惑に満ちたヘスティア、明後日の方向を見つめるヒルダ。
数十秒後、羞恥で顔を真っ赤に染めホームから出ていこうとするベル、慌てて少年を引き留めるヘスティア、やはり明後日の方向を見つめるヒルダと、同じようで異なる混沌が出来上がっていた。
***
項垂れ、とぼとぼと進むベルの横を歩く。
過去の恐怖の象徴を自分で倒せたということは快挙であるとヒルダは思うが、その象徴がダンジョン最弱の代名詞である低級モンスターであり、一匹倒しただけでまるで大戦を経た英雄の凱旋のような調子で女神に報告してしまったベルは、それを恥じ後悔しているようだった。
可哀そうなくらいに落ち込んでいる少年の姿に、ヒルダは眉を寄せた。
言いにくいなあ、と視線を下に移して、いまだに繋がっている手と手を見つめる。しかし、このまま何も言わなければ、お手手繋いで仲良しこよしな感じでダンジョンまで戻ってしまうかもしれない。今も、行きかう人々から微笑まし気な視線を貰っている。ヒルダの心情的には驚きはあるものの不快感や忌避感はないので構わないのだが、数日の付き合いでも分かるほどに初心な少年はきっと気にしてしまうだろう。
さて、どうやって切り出そうかと頭を捻ったヒルダだが、いい考えが思い浮かばず足を止めた。くん、とベルの腕が引っ張られその小さな衝撃でベルの意識が隣を歩く少女へと向いた。
「あ、ヒルダ。ごめん……一緒に来てくれたの?」
「いや、えーっと……」
一緒に来たというか、連れてこられたというか。返答に困る少女の視線はお互いを繋ぐものへと向き、少年の視線もまた同じ場所へ行き着いた。深紅の瞳が見開かれ、繋いだ手に縫い付けられた。
「ごめんね、そろそろ離してもらっていい?」
「ぁ――あああああああ!!!」
赤、青、白。一定の間隔で顔色を変化させるベルは、少女の手を拘束していた自身の指を素早く離し、勢いよく後退した。
「ご、ごめん!僕、その、ごめん!!」
「いや別にいいよ、びっくりしたけどね。でも……」
「……」
「
「だ、抱きっ!?」
ベルはヒルダの言葉を聞いて、ゴブリンを倒したという事実に感極まり、ほんの一瞬とはいえ目の前の少女を抱擁した事を思い出した。いくらヒルダが他種族に友好的とはいえ、出会って一ヶ月も経っていないエルフの女の子を抱きしめた。その事実に、ベルの顔色は最早紫に染まっていた。
こうしてヘスティア・ファミリアの初めてのダンジョン探索は、両名目立った怪我もなく無事に終わりを告げたのである。
ベルくんには既に何人ものヒロインがいるのでオリ主とどうこうなるということはないです(予定)